3話~飯の前に腹ごなし?
お家についてもまだまだ飯とは見えない。しかしてお腹は空いていく……
それから更に時間を費やして何とか僕の住んでいる場所、神社と併設して建てられている社務所の裏にある自宅へと帰還する事が出来た。景観や雰囲気などを考慮して、昔ながらの木造と現代建築の鉄筋構造を組み合わせたハイブリットな我が家。地震大国である日本においても決して倒壊することが無い、と端向かいの大工職人が腕に縒りを掛けて建築した家屋である。
「ううむ、予定の時間よりも大分遅れてしまったのう~」
「誰の所為だと思ってるんだよ、あーちゃんてば」
「オ、オホホホホホ…………」
頬に手を添えた白白しい乾いた笑いと、あからさまに僕に視線を合わせようとしない事からも自覚はあったらしい。いい匂いを漂わせる家屋を目の前にしてやたら時間を潰してしまった僕達は、夕暮れから夕闇に変ろうとしている事に今更ながらに気がついた。
「もう~、おかげ様でお腹がペコペコで、今ここにおにぎりがあったら飛びつきたい位だよ」
「そうさな、我も些か腹の虫が鳴きだしてきた位じゃからのう。坊にはもはや辛抱堪らん、か」
御飯を食べさせろっ!! と激しく自己主張するお腹をさすりつつ、お茶の間に続く廊下をぽてぽてとした足取りで歩いている。途中幾人かの住み込みで働いている巫女さん達とすれ違ったけど、皆やたら帰るのが遅れた僕達を見つけると声をかけてきてくれたのだが、その原因を聞くと皆苦笑いでおかえなさいと言ってくれたのであった。
そのまま二人して遅れた理由を巫女さん達に説明して回りながら、やっとこさお茶の間に到着した僕とあーちゃん。プルプルと震える手で障子戸を開ければ、すでに僕以外の家族とご近所さん家族が二十畳程の和室に勢揃いして飯台を囲んで談笑していた。
「あら、おかえりなさい。随分時間が掛かったのね、姉さん」
「おう、すまんな妹よ。少々遅れた」
真っ先に気づいて出迎えてくれたのは、台所に続く引き戸からお味噌汁の入ったお鍋を持って入って来たツク姉だった。
あーちゃんとは姉妹ながらも、その風貌や雰囲気は全くと言っていい程異なり。凛とした武家の娘の様なあーちゃんに対し、どちらかと言うとツク姉は蝶よ花よと育てられた深窓の令嬢と言った印象を受ける女性である。ショートカットの美しい黒髪に映える白い肌、少したれ気味で優しさを感じる目元にチャームポイントの泣き黒子。細身の身体ではあるが出る所はきちんと出ている女性らしい体付きをしている。
「おかえり、奏ちゃん。御飯は出来てるから、今日も沢山食べてね」
「ありがとう、ツク姉」
「フフ、どういたしまして」
お鍋を鍋敷きの上に置いたツク姉は、まだ運ぶ料理があるために台所に向かった。和服に割烹着の後姿を見送った僕達は、とりあえず席に着こうと手前のテーブルに向かうと後ろ声が掛かる。
「おおっ! やっと帰ってきたか、奏の字!」
「ああ、九ちゃん。ただいま帰りましたよ~」
今年張り替えたばかりの青々しい畳に腰を下ろす直前、ツク姉と入れ替わるように大皿に沢山盛られたお稲荷さんを抱えて姿を見せた少女。ぱちりと大きな目を嬉しそうに細め、金色のふわふわとしたストレートロングの髪を揺らしながら近寄ってきた。
金色の髪が映える白い肌に、女子小学生くらいの発展途上な身体を和服で包み。ツク姉と同じ様に白い割烹着を着て頭に頭巾を被っている。
「こりゃ、天の字! 遅れぬ様に出迎えに行きおったくせに、余計に手間を食うとはどういう事じゃ!」
「むむぅ!? それを言われると立つ瀬が無いのう……。いやはや、ミイラ取りがミイラなるとはこの事よな。今回ばかりは我の落ち度よ」
「……うん? なんじゃ、天の字。今回はいやに素直に非を認めるの~」
「ホ、ホホホホッ……。はて、何の事やら? っと言いたい所じゃが、後でぬしにも話してやろう」
二人の美人がなにやらこしょこしょと話しているが、ハッキリ言って内容は丸々僕の耳に聞こえている。話の意味までは理解できないけど、きっと食後の家族会議の場で明らかになるのだろうと思う。
「――――にしても、そろそろ御飯が食べたいよ」
「全く同感だ……。おかげで俺達まで腹が空いちまって空いちまって、もう少しで俺の中の荒御霊が暴走する所だったぜ」
九ちゃんと共にお膳運びの手伝いに向かったあーちゃんと入れ替わるように姿を見せたのは、ビシッとスーツを着こなしたイケてるメンズ……もとい、あーちゃん達三姉弟の末っ子であるスーさんだった。
「あ、スーさんも来てたんだ」
「おう、姉貴達から念と言う名の脅迫を受けたからな。本当だったら北欧で会議があったんだが、人の妻まで抱きこんで俺を呼び戻したんだ」
夕方を通り越して今や月が夜天に輝く時間だが、何故か濃い目のサングラスを掛けている。本人曰くこれが"粋"なんだそうだ。僕にはよく理解はできないけど、漠然とした格好良さみたいなのは分かる気がする。
「まずは……っと、美味い酒を一杯飲みたい所だな」
僕の隣に腰掛けたスーさんは、近くの徳利とお猪口を引き寄せて早速一杯目を飲み始めた。気だるそうに胡坐を崩し杯を煽る姿は、スーさんがやるとやけに格好良く見えてしまうから不思議である。
「……っ、か~!! やっぱり酒は日ノ本の方が性に会うな!」
「空きっ腹のお酒はほどほどにね」
「ハハッ! そんな軟じゃねえさ、奏慈」
僕の意見を豪快に笑い飛ばしたスーさんは、目を細めて美酒がなみなみと注がれたお猪口に口をつけていく。あっという間に徳利を一本空けたのを皮切りに、テーブルに載った徳利を次々に開け始めた。スーさんは随分とお酒に強いらしく、実に男らしい飲みっぷりを披露してくれた。
「……ふぅ。そういや、奏慈。お前、今回の修行の内容は聞いたのか?」
「うん、今日のお昼にあーちゃんが学校まで来てくれてね。さすがに突然すぎるし内容も分からない奴があったから、晩御飯の後にみんなの意見を聞いてからって事にしたんだ」
「まあ、そうだろうな。なんせ、これから決めることはお前の一生に関わる大事な――――ぶほぅっ!?」
お酒の味に一先ず満足した様子のスーさんが大事な話をしようとしたその時、後方から高速で飛来した何かが彼の後頭部に直撃した。
「あ、お玉か……」
「お、おおおおぉぉぉぉっ!? …………うごっ!?」
後頭部を押さえて畳の上を転がるスーさんだったが、今度はテーブルの端に前頭葉をぶつけて撃沈。スーさんの後頭部に直撃して跳ね返った物が転がってきたので手に取ると、それは間違う事無きお玉だった。歪みも凹みも無い綺麗な曲線を描く鉄のお玉は、一種の凶器と化して彼を一撃で畳に沈めたみたい。
「まったく、いつもながらせっかちな弟よ……」
声がした方を振り向けば、スーツの上着を脱いでピンクのエプロンをしたあーちゃんが立っていた。
「ね、姉さん!? 調理器具を投げちゃ駄目だよ!!」
スーさんの苦痛に満ちた唸り声とあーちゃんの呆れた声を聞きつけ、台所で料理を配膳していたツク姉が慌てて駆け寄ってきた。
「おお、すまんな妹よ。お玉のやつは、口の軽い弟を黙らせる為に犠牲になってもらったのじゃ」
「もう、せっかく準備したのにまた洗わなくちゃ……」
長女のしでかした事に驚き、ため息を吐きつつお玉を回収して台所に戻るツク姉。そのまま気絶しているスーさんはほったらかしであった。
「……ツク姉ったら、スーさんよりもお玉なんだね」
「まあ、今は酒飲みの弟よりも飯の方が大事じゃからな」
「うん、もう少しスーさんに優しくても良いと思うんだ」
転がっているスーさんを呆れた目で一瞥すると、あーちゃんは大量の料理を配膳するために台所に戻っていく。このまま放って置くのも忍びないので、とりあえず近くの座布団を引っ張り出してスーさんの頭の下に置く。
「一先ずこれでいいかな? ……あ~、お腹が減って力が出ない~」
そろそろ本格的に身体の力が抜けてきたので、宙に漂っている匂いを嗅いで空腹をなんとか紛らわす。僕の前には外でも嗅いだ桜鯛の煮付けと九ちゃん特製お稲荷さんが鎮座しているが、台所から漂ってくる匂いから察するに後六品はあるみたいだ。二つの家族がいて住み込みの巫女さん達もいる訳だから、品数、量ともにかなりの数になっている事だろう。
料理が全部出てくる間、手持ち無沙汰の暇潰しついでに談笑を楽しんでいる親達の方へ視線を向ける。僕を待っている間待ちきれなかったのか、四人の手元には徳利数本が空けられており。すでに男親の二人は酒に酔っている状態なのだが、女親二人は酔っている二人の倍は飲んでいるのに酔っている様子は見られなかった。
まぁ、これは宴会や神事の後の飲み会などでよく見られる光景で、今の所この地域でこの女性二人に勝てる酒豪は存在していない。そう、正にざると言う言葉はこの人達の為にある様な気がしている位なんだよね。
「や~あ、奏慈君。ようやく帰ってきたね~……ヒック」
僕の視線に気づいたのか、酩酊状態寸前のナギさんが僕に声をかけてきてくれた。普段は優しそうに垂れ下がっている目も今や酒に酔った人のそれで、酒気を全身から放つ姿は紛う事無き完全無欠の酔っ払いだった。
「ただいま帰りました。それにしても飲み過ぎですよ、ナギさん」
「あははは、今日こそはナミさん達に勝とうと思ったんだけどね~。結果は御覧の通りさ!」
ナギさんの隣で轟沈している父さんと尚も飲み続ける飲兵衛二人を見やれば、どちらが勝者なのかは一目瞭然。建築現場で働いていた経歴を持つ母さんは男衆を相手に打ち上げで飲み明かしていたらしく、元々酒に強い事も相まって酷い時は10軒位を梯子していた豪傑なんだよね。
「も~、なんで勝てないって分かってて飲み比べなんて挑むんですか……」
対して、一見すると清楚な見た目で良家のお嬢さんの様な雰囲気のナミさんは、そのふんわりとした笑顔に似合わず中々に豪気で芯がしっかりしている人だ。専業主婦をしている傍ら、月二回の頻度で太陽高校にて家庭科の特別臨時講師を引き受けたりている。
「うっぷ……フフ、それは君がもう少し大人になれば分かるはずさ」
そして、そのナミさんの夫であるナギさんは現在売れっ子小説家として日々少年少女の為のライトノベルを執筆している。数日前にも若者としての意見を尋ねられたから、学校での友人達の会話に出てきたネット小説の人気傾向なんかを話たっけ。
「……そういうものですかね?」
「そういうものだよ、奏慈君…………ぐぅ~」
へらりと力の抜けた笑みを残してナギさんはついに力尽きた。隣で酔い潰れている父さんも放っておけないし、一先ずはスーさんの様に座布団を枕にして寝かせておこう。