14話~龍帝と疑問
新たな龍帝の子が生まれ、雲龍帝もヒューマニアンも喜びに満ち溢れる。それじゃあお次は?
元気よく鳴き声を上げる幼い龍帝を余所に、口をパクパクとさせる雲龍帝さんは震える指先で生まれたばかりの龍帝に触れる。先代に当たる彼女に対して龍帝が母親と認識しているかどうかは不明だが、差し出された人差し指の匂いをふんふんと嗅いだ後に自身の顎をこすりつけ始めた。
見た所非常に嬉しそうではあるみたいだ……。
「…………」
「クルァ~、クァ?」
「一体どうしたんだい、雲龍帝さん。……? おーい、雲龍帝さーん?」
指先でじゃれる龍帝を一心不乱に見つめる彼女は、僕の言葉も届かない有様で唯々無言。そんな様子に九ちゃんと肩を竦めた後に正面に回り込んで彼女の顔を覗き込んでみる。するとつい先ほどまでのキョトンとした顔は何処へやら、凛々しい相好を崩して頬を赤らめているではないか。
指先で遊んでいる龍帝をそっと懐に抱き入れたかと思えば、これまで何とか保っていた凛々しい美貌を更に蕩けさせてへにゃっとなった。へにゃっ、本来ならば人の顔を例える事にあまり使わない言葉だけれども、彼女に訪れた変化としてはこれ以上例えようのない程適切な表現だと思う。
「……あぁ。この手触り、命の力強さは正しく龍帝を継ぐにふさわしい竜。惜しむらしくは私と同じ龍では無い事だが、それもこの可愛さに比べればなんと些末な事か」
雲龍帝さんによる龍麟に覆われていない白いお腹への頬擦りに擽ったそうに身をよじる龍帝。その間も彼女の表情筋は緩まり続け、果てには涎まで垂らしそうになった所で一旦話を戻すべく彼女に声をかける事にした。
「あ~、とても楽しくも至福の時間を過ごしていらっしゃる雲龍帝さんには悪いけど、そろそろ僕らに事情を説明してくれるとありがたいな」
「ふぁ? ――す、すみませぬ主様! 生まれたばかりの龍帝の可愛さに少々意識が、その……別の所へと」
「いや、それに関しては分からないでもないから怒ってないよ? 可愛いモノは正義だもんね!」
僕の言葉にホッとしつつ胸を撫で下ろした雲龍帝さんは僕らの疑問に答えるべく語り出す。彼女の長く生きた経験と積み重なった知識によれば、他の龍帝が最後を迎えた時がこれまでも幾度となく繰り返されてきた中の確かに起こり得る事象の一つであるらしい。
龍というか龍帝になる存在には基本的に生殖活動によって子孫を増やす者は少ないらしい。なんせ自分が死ぬ時に自然と龍帝自身の力を合わせて新たな龍帝を生み出すらしく、生殖活動に必要な相手は不要なのだ。
一度妊娠してしまえば人と同じ様に体調を崩しがちになり、その結果自ずと世界の安定は乱れてしまい、無事に卵を生み出せたとしても産後は一番体力が減衰している為に狙われやすい。
更に、今から三万と四千九百年程も昔に一度、一組の龍帝カップルが自分達の子孫を生殖活動を経て産み出そうとした事があったらしい。
だが、無事に出産を終えた所を狙って当時ある国のヒューマニアン達が卵を強奪しようと襲われ、疲弊していた女龍の龍帝は戦闘の末に死に、それで怒り狂った男龍の龍帝が嘆きと悲しみの咆哮を上げながらヒューマニアン達を殲滅。戦いの余波に巻き込まれた卵も一時は人間達によって奪取されそうになったが、怒り狂った龍帝のブレスに巻き込まれ塵と消えた。その後事態に気付いた他の龍帝によって打ち取られるまで世界に破壊を振りまいたと言う話があるそうな。
当時、その戦いに参加していた雲龍帝さんもこの事件から自身の後継は一人で生み出す事を決意したそうで、その他の龍帝さん方もそれに準ずるようになったと言う。
そこでだ。龍が龍を生み出すと言う事はすなわち龍しか生まれないと言う事。戦闘で亡くなった龍帝と打ち取られた龍帝と言うのも共に竜型の龍帝であった事もあって、翼を持った龍帝が絶えてしまう事態に陥ったそうだ。
だが、世界の安定には龍と竜は一対の存在であって不可欠らしく、それを憂いた当時の龍帝達は自身の後継に対して一つの術を掛ける事にした。
それがこの龍と竜がランダムに生まれてくると言う術で、五大龍帝の内残った三龍帝が力を合わせて開発した強力な術らしい。故に魔法や魔力に相当な対抗がある雲龍帝さんでも掛けられたと言う訳だ。
「成程ね。そんな深い理由があったんだとは思わなかったよ」
「うむ、種族の命運を賭けた術の開発が結果じゃの。中々どうして、業の中から生まれた術とは哀しい事よ……」
僕らの感想に話を一緒に聞いていたヒューマニアンのフォルカさん達は、思う節があるのか一様に気まずい表情で苦虫を噛み潰している。特にフォルカさん等は苦虫どころか苦瓜や灰汁の抜いていない山菜を山盛り食べた様な表情で当時のヒューマニアン達の行いを悔いている様だった。
随分と渋い顔つきになっているけど、件の当事者である雲龍帝さんは相変わらず締まりのない顔で龍帝さんを撫でまわしているよ。
「……その節は我らが先祖が大変なご迷惑をお掛け致しました。このフォルカ、ヒューマニアンを代表して改めてお詫び申し上げます」
「済んだ事は済んだ事、お前に謝って貰っても詮無き事よ。それに先も言ったが全ては運命の上で起きた事象、その結果も踏まえて此度に出会いがあったのだ。――私はそれで満足さ」
「……本当に、本当に貴方様にはご迷惑を。全ての清算は彼奴等目を打ち倒した後に付けさせていただきとう存じます」
別に構わないのに……そんな言葉を発しそうな雲龍帝さんだが、恐らくは自身が何を言った所でフォルカさんには逆効果になると考えたのだろう。彼女は苦笑を零すだけで他には何も話す事は無かった。他のヒューマニアンの人達もフォルカさんと同じとはいかないまでも、其々先祖の起こした愚行に悔いているようで、頭を下げるフォルカさんに続き雲龍帝さんに頭を下げたのであった。
◆
さて、そう言えばヒューマニアンの人達は色々と急いでいる話だったと思うんだけども。そろそろ此処を出てお国へ向かわなければいけないと僕は思う。そんな僕の心情を見透かしたのか、将又同じ事を考えていたのか九ちゃんが仕切り直す様に声を上げた。
「さてさて、与太話はここらで終いにして本題へと移ろうかの。フォルカとやら、お主らは一時も早く国へと帰らねばならんのではなかったかの? 雲龍帝に懺悔をしている暇があったら早う帰り支度をせねば」
九ちゃんの言葉にはっとして顔を上げるフォルカさん。周りの人達も決意を秘めた目をしてリーダーであろう彼を見つめ、そして帰国の途に就く言葉を待っている。
「そう、ですね。確かに今は一時も早く王国へと帰還せねばなりません。誠に恐縮ではござますが雲龍帝様、是非ともその御力を以って我らヒューマニアンを御救い下されますよう伏してお願い申し上げます……!」
「うむ、肩慣らしとついでに国王の顔でも見に行くか。主様に姉様、宜しいでしょうか?」
おおっと、ここで僕らの名前が飛び出したね。別にそんな言質を取る様な物言いをしなくても僕らの返事は最初から決まっている。生命に仇名す邪気の討伐は僕らの使命、それに加えて今回は僕自身の修行も絡んでいる事だしね。
確認を取る雲龍帝さんに肯定の意思を込めて頷き返すと、フォルカさん達他のヒューマニアンの方々にも安堵の色が浮かぶ。僕らには何も特筆するような準備はいらないので、道中の食事事情を担保できれば後はどうとでもできる。急ぎの事態が起こっている様だし、早速アルバス王国とやらへいざ行かん!
「――所で主様。もう一つのお願いなのですが、大事な事ですので是非聞いて頂きたい……!」
「うん、大事な事ってのはどんな?」
「はい、それは私達の名で御座います!」
「クゥルアァァ!」
そうきたか~。名前、名前か……う~ん、何とも難しいお願いだね。
名前と言うのは文字通り一つの生命の一生に係る大事な事で、これを決めるのは容易な事ではないと言うのは世間の常識だ。親が自身の子供に名前を付けるのに悩み、世間で通用する漢字を調べて役所で認知できる名前でなければ幾ら良い名でも通りはしない。
幸いと言っては何だが、ここは異世界で日本の役所は存在しないのでそこら辺は楽と言っては楽なんだけども……。如何せんこちらの名前のセンスという物が不明な事も相まって、僕や九ちゃんの知識だけではおいそれと決めるのは非常に拙い。仮に雲龍帝さんに花子と名をつけたとしても、もしかしたらこちらの世界の言葉では花子はトイレを意味する言葉だったら非常に気まずい。それだけは避けたい所だよね、うん。
「名前か~……。出来ればアルバス王国とかに着いてから色々調べて決めたいんだけど、駄目かな? ほら、僕が付けた名前がこちらの言葉でおかしな意味を持っていたら拙いしさ。元・五大龍帝と新・五大龍帝
に万が一にも変な名前は付けられないよ」
目を輝かせてお願いの成果を期待していた一人と一匹は、僕の言葉に軒並みがっかりした様子を見せた。だけども、一応は僕の言葉に一理ある事も理解してくれた様で、道すがらフォルカさん達にその辺りの事情を聴いてから決める事で承知してくれたのである。理解力のある龍さん達でとてもよかった。
「奏の字、幼龍の名前は妾に任せてくれんかの? こ奴を見た時から妾の頭にびびっと来てる名が一つあるんじゃが、差支えが無いのであればその名を送りたいと思うておる」
「龍帝さんがそれでいいなら僕に異存は無いよ。どうかな? 龍帝さん」
「クルアァ! クアッ!」
「おうおう、そうかそうか! 如何やらこ奴もそれでいいようじゃの。なれば、妾がしっかりと決めてやるから楽しみにしておるが良いの!」
思わぬ九ちゃんからの提案に嬉しそうに尻尾を振って飛びまわる龍帝さん。勢い余って小さな火炎を口から噴き出して喜びを表しているが、どうにも言い表せぬ一抹の不安が心に残っている。……しかして、今は何が出来るでも無しと言う訳で、ここは彼女を信じて任せるとしよう。
荷物の整理が付いた様子のフォルカさん達が、そろそろ出発するとの事なので雲龍帝さんに山の結界を解除してもらう。強固な結界も外敵から龍結晶を守る為に張ったものらしいとの事なので、無事に新たな龍帝さんが生まれた今となっては特に張り続けて置く意味は無い。
この場所を彼女の死地と新たな龍帝の生誕の地にしようと考えたのは、この場所がとても安定して魔力を生産し吸収するのに適していた土地だからだそうだ。恐らくは、この先また利用する機会があるとすればそれはまだまだ気の遠くなる様な未来の話である。
右手に魔力を集めた雲龍帝さんがさっと手を振り上げると、僕らの目の前に大きな結界陣が姿を現す。雲龍帝さんの強大な魔力をもとにして構成された結界陣は、本来ならば低級の邪気程度なら触れただけで消滅してしまう程の強さと硬さを持っている代物だった。
ならば何故今回の様な事が起きたのかと言えば、敵も中々に知恵を持っている邪気が居ると言う事なのだろう。フォルカさん達はこの結界を抜ける事が出来る祭具を所持しているらしく、その祭具を用いれば邪気と言えども結界を通り抜けられるらしい。
本来ならばヒューマニアンの人達に善意で拵えた祭具であったのだけども、こうして邪気に利用されて危機に陥ってしまったと言う話だ。……皮肉な話だね、うん。
そんな事も今となっては過ぎ去りし過去の話で、今の彼女は自身で施した結界に向かって拳を振りかざすと、いとも簡単に叩き壊してしまったのであった。ガラス細工を砕く時の様な音を立てて砕ける結界陣、妙に満足気な雲龍帝さんは視線を僕らに戻して胸を張る。
……きっと自慢しているんだろう。ここは素直に笑顔で称賛しておくのが吉、かな?
「力がある時に張った結界を簡単に壊すなんて凄いね。もしかして、力の方も随分と増したのかな?」
「そうなのです、主様。この身に溢れる力、全盛期の私以上に感じる魂の鼓動! どれ一つ取って見ても強化されて尚且つ進化している……! いやはや、この様に心が躍るのは数千年ぶりです!」
「あ、ははは……数千年ぶりですか。まあ、雲龍帝さんが嬉しそうで何よりだよ」
途轍もなく気の長い話に思わず苦笑いが零れ出るのを感じた。




