10話~あくる日のむず痒き記憶
消え行く命の灯火を前にして、ぽっちゃり少年のとある記憶が蘇る……。
トテトテと草むらと森を歩く事十数分。思ったよりも時間がかかったけども、理由としては獣道を子供心に嘗めていた事が原因。いや、やっぱり一人で出歩くのは寂しいね。今更ながらにあーちゃんと離れた掌に残る熱が恋しくなって来た。
月明かりに煌々と照られた朽ちた廃寺の門前、この奥に僕の感じた力の持ち主が居るようだ。
「鬼が出るか、はたまた蛇が出るか……。どっちにしてもお腹がすいたな~」
あーちゃんと離れ離れになってからというもの、山道を歩いてきた御かげで大分お腹がすっきりしちゃったな~。お茶を入れ来た竹筒とおにぎりがリュックサックの中にあるけど、できる事なら眺めの良い場所で御月様でも見ながら――と我慢して来たから。もう腹ペコで仕方が無いよ……。
「お邪魔しま~す。ぽっちゃり少年が入りますよ~」
一応ボロボロの門を叩いて来客がある事を告げてから足を踏み入れる。叩いた所から朽ちた門の柱は剥がれて行ったのをしり目に、雑草が生い茂る御寺の境内を歩く。至る所に朽ちて腐った柱や梁の木材が転がっているが、元は結構大きな寺院だった様子が伺える。
数百年ほど昔、この辺りの村々で酷い土砂崩れと洪水のダブルパンチに見舞われたそうだ。当時はそれなりに大きな村が存在したけど、災害を契機に村を山の麓から少し離れた平野に移した歴史があると教わった。
村があればその近くや内部に冠婚葬祭に係る寺社が必ず一つずつはあるもの。勿論、その為だけに寺社が存在している訳では無いけれど、そういう仕事を請け負っていた事も事実だよね。
そんな訳で、村人が移動するにあたってこの寺院の和尚さんも御多分に漏れすに引っ越して行ったという。
「……ふんふん、反応はもう少し奥の本殿から、かな? どうか床が抜けませんように――ぬあっ!?」
言葉に出した途端に床を踏み抜いちゃったよ……。全く、これが現代で言うフラグって奴なのかな? 言霊とも言うけど、不吉な言葉は口に出しただけで効果を発揮するって話だからね。今度からは心の中で言うだけで口には出さない様にしよう。
「痛てて……。もう、お腹でつっかえた御かげで助かったみたいな感じじゃないか。ぽっちゃりにも偶には良い事があるんだねっと」
お腹が同年代の子供達よりもぽっちゃりとしていた御かげで、下の基礎に落下するのは免れた。偶にしか役に立たないお腹に感謝しつつ、踏み抜いた床板から抜け出した僕。狩衣に着いた木くずを払い落として体に傷が無いか確認、擦り傷も切り傷も無いつるつるなお肌に安堵を覚えて引き続き探査を続行する。
母屋の方から本殿に足を踏み入れた所で再び床を踏み抜く。が、二回目になるともう慣れたもので、何事も無かったかのように立ち上がると歩を進めた。
「さて、と。ここから屋根の上に上がれるみたいだ……よし」
強い力を持った何かがこの階段の先、つまりは屋根の上に居る。僕の気配や力は出来るだけ隠してはいるけども、恐らく向こうには感ずかれている事だろう。だけど、この場所に来るまで何の妨害――床の踏み抜きは無しにして、特に妨害は受けなかった。
そのことから総合的に判断して……上にいる何かは僕に危害を加える意思が低いと見ていいかもしれない。全部を全部信用する訳じゃない。けど、この分なら争い事にならずに済む可能性が少し大きくなったと判断して大丈夫だね。
「チラリズム…………んん~?」
朽ちた梁の影から様子を伺った僕の目に映った光景。それは煌々とした月明かりが降り注ぐ瓦の上に鎮座した、一匹の巨大な狐の姿だった。
「うひゃ~、おっきな狐さんだ! ――あ、しまった……!?」
見た事も聞いた事も無い大きな体躯の狐に、思わず子供心を刺激された僕の口から滑り出た大きな声。当然如く、そんな声を上げれば狐さんが気づかぬはずは無いよね?
静かにお月様を見上げていた顔をゆっくりと後ろに向け。歌舞伎芝居の女形でよく見られる流し目を用いて色気たっぷりに見つめてきた。その時僕の直感がこう告げた、目の前の狐さんは女の子だ――ってね。それに……。
『……久方ぶりに見る月夜の美しさに惹かれて来てみれば、妾の他にもなんとも可愛らしい男の御客様が来寄るとは……誠罪作りな美しさよな。そう思わんかえ、不思議な坊や?』
耳を打つ艶やかながらも儚さを兼ね備えた滑らかな女性の肌を思わせる肉感的な声。子供の身ながらも僕の中に存在する男を確実に刺激する声の主は、視線にも艶やかさを纏わせながらそう問うてきた。少しだけ上せた様な頭で狐さんにどう答えようか迷って、次に僕の口から出た答えは彼女の思惑から外れていたみたいだ。
「……うん、今夜の真ん丸お月様はお饅頭みたいで美味しそうだよね~」
『ほ? ……ほ、ほほほ、おほほほほほっ! 何とも的外れな、しかして的を射た答えよ……! ふふっ、そうかそうか。各も美しいお月様が饅頭とな』
「でしょう? お腹が減っている時は余計にそう見えるよ……」
僕の返答にまた噴き出す様に笑いを零す狐さん。先程までの艶やかさとは違い、鈴を転がした様な無邪気で清らかな乙女を思わせる声で笑う。一瞬で雰囲気が変わった狐さんだけど、恐らくはこちらの方が彼女の素なのだろうね。
『フフ、この様に笑うたのは幾年ぶりかの? はて、妾が封じられてより幾千年。この辺りもすっかり様変わりしてしもうた物悲しさにお月様を眺めておれば、かくも楽しい珍客に出会おうとは……これもまた生の美しさが成せる出会いかの』
「うん? まあ、一期一会って奴だよね! あれ?ちょっと違うかな?」
『ほう、子供の割りに小難しい言葉を知っておるの~。愉快、誠に愉快じゃ……!』
実に楽しそうに笑う狐さん。さっきの言葉の端々から感じられる言い様無い寂しさは、封じられていたって事からきてるのかな……。
暫しの間笑っていた狐さんだったが、ふと思い出したように笑うのを止めると改めて僕に視線を向けてきた。今度は女性を感じさせる物ではなく、どちらかと言えば品定めをするかの如く観察を目的とした視線だ。
『――……ふむ』
一頻り観察が終わったのか、ひとつ肯いて顔を僕にずいっと近づけて来た。少し濡れている鼻っ面でフンフンと臭いをかいだ後、頬についている食べかすを舐めとる様に一舐めした狐さんは暫し黙考する。数秒にも満たない時間がやけに長く感じられたのも、狐さんが目を見開いた所で呆気無く終わりを告げた。
『坊や……どうか一つ妾の頼みを聞いてはくれまいかの?』
「頼み? ……う~ん、内容によるかな?」
『なに、取って食うたりはせぬから安心せい。で、頼みと言うのはじゃの――』
御狐様の頼み、なんて御伽噺にでもありそうな名前で始まった説明は、平たく言うと彼女自身を黄泉の国へと導いてほしいとの事だった。
突然で突拍子も無いお願い……。でも、声色や雰囲気にふざけている様子は一切無く。むしろ花吹雪が散った後の桜みたいな儚さと、子供を病魔から救われる様に祈りを捧げる母親の切実さで、目の前のこんな小さな子供に懇願してたのである。
色々と衝撃が強すぎて思わずお眼目を瞬かせる位しか出来ないよ。
『どうじゃ? 簡単な頼みじゃろうて……。封印から解かれたばかりの妾なら、今の坊やでも楽に滅する事が可能じゃぞ。一期一会の頼みじゃ、どうか聞き入れてたもれや』
「…………っ、分かったよ」
『ほほっ、そうか。聞いてくれるか……世話をかけるの』
年老いた老女の笑みを浮かべる狐さんがあまりにも寂しい。命を絶ちやすいよう頭をたれる彼女に一抹の未練も感じられず、本当に疲れた老人が今わの際に浮かべる安らかな顔で目を閉じた。
あーちゃんに武術の一環として習った精霊力を用いた手刀・霊気刀宗義。この技を持ってすれば弱りきっている今の狐さんなら容易く命を絶つ事が出来るだろう。子供の身である僕の事を重んじて遣り易い様に首を垂れる狐さん目掛け、霊力を練り上げて拵えた手刀を夜天の星空へと振り上げる。
如何にもやりきれない思いが心を縛り付け、それと同時に振り上げた手刀も空に縫い付ける。同情と良心の呵責がせめぎ合い、心がギュッと鷲掴みにされた様な息苦しさの中で歯を食いしばって耐えた。そしてそれもついに我慢の限界が訪れ、ゆっくりと手刀が狐さんの首目掛けて振り下ろされようとした時、僕は一つだけ質問を投げかける事にした。
「……ねえ、狐さん。一つ聞かせてくれないかな? 何で黄泉の国へ旅立とうなんて思ったの……」
『…………』
「死のうと思った、って事はそれ相応の理由があるんでしょ? 僕みたいな子供に今生の時を閉めさせようとしてるんだから、これぐらいは教えてもらわないと不公平だよ」
僕の言葉に大きな耳をぴくぴくと動かして反応を見せる狐さん。暫しの沈黙の後、話す決心がついたのか顔を上げて困った顔で僕に語りだした。
『……そうさの、坊やばかりに負担を掛けるのは妾も本意ではない。少し長くなるが聞いてくれるか?』
「あんまし長いのは眠たくなるから、出来るだけ短くしてくれないかな?」
『ほほっ、正直な男よの。ふむ、まずは自己紹介から始めねばいかんかのう。妾は――――』
狐さんの口から語られるのは十数億年前の時から始まった一匹の子狐の物語。様々な出会いと別れを繰り返し、時には笑顔で喜び、時には怒りに身体を震わし、時には哀しみで涙を流し、時には楽しさに心を弾ませた……。
数億年が経ち、やがて人間の先祖となる動物が現れて進化と絶滅を幾万年と繰り返し、過ぎゆく時はやがて一匹の子狐を立派な動物達の長に成長させていたのである。
元々大陸で動物達の長を務めていた狐は、海を渡り小さな島国へと入った。初めは新たな長を選定した狐の慰安を兼ねた旅行のつもりだったそうだ。
しかし、当時の島国では人間達の長が国を治める場所で、山河や平野、盆地や海辺に様々な人で賑わっていたという。その中で狐さんは一人の男と出会った。彼は国に仕える術師で、国の長を補佐する役目を帯びた青年は狐さんとの出会いで懇意を深めたと……。
だけども、運命は時に辛い選択を狐さんと術師の青年に突き付ける。運悪くも当時都を騒がせていた邪気の一匹が狐さんに怪我を負わせ、それに伴って邪気が狐さんの魂が穢されてしまったのである。その知らせに慌てて駆けつけた青年だが、時すでに遅し、狐さんは邪気になる一歩手前で何とか意識を保っている状態だった。
『――よ、すまぬな。お主に面倒をかける事になってしもうて……。妾は既に九分ほどが邪気に変容しつつある。こうして意識を保っておる内に一番の友であるお主に頼みたい事がある』
『――よ、謝らなければならないのは私の方です。私がもう少し、ほんの数日早く駆けつけられればこの様な事態には……。いえ、過ぎた事をあれこれ問答しても意味は無い。貴方の頼みを聴きましょう』
『ほんに優しい男よな、――。ふふ、頼みと言うのは他でもない、お主に妾を封じてほしいのじゃ』
『なっ!? ……嫌です! 私はこの命に代えてでも貴方を救いたい! それに、今貴方を封じてしまっては私の生がある内にはもう――』
辛うじて意識を保つのに精一杯な狐さんは、思った通りの言葉を告げた青年に笑みを零し。彼の優しさに改めて感謝を奉げ、ぐずる子供を諭すが如く穏やかに話しかけた。
『ほほ、今生で会えなくなると言うだけよ。死すればいずれは黄泉の国で会い見える事も叶うぞ……。それよりも、お主が愛したこの国を妾の手で破壊してしまう事の方が心を痛めるものよ。頼む、妾を封じておくれや、清明』
『……くっ! 分かりました、九ぉ……うぅ』
術師の青年、清明の返答を聞いた狐さんはにっこりと笑みを浮かべて静かに目を閉じた。目の前で涙を流す友人の姿を焼き付けて、その優しさに縋り封じられる喜びともう会えない悲しみに耐えながら……。
『妾が生を受けて幾億年、最後に出会うたのがお主で良かった……またいつの日か草花の咲き乱れる草原で遊ぼうぞ』
『……っ、我らに仇名す邪気よ! 術師・清明の名の元にその穢れを時の中で払い流したまえ……、臨・兵・闘・者・皆・陳・烈・在・前! ――封、結!』
『……ああぁ、妾は実に満ち足りた生涯じゃった。ありがとう、清明――……』
『九ぉぉぉぉぉっ!!』
狐はその身を巨大な石に替える。邪気に塗れた身体は、この時代の最高の術師・清明の封印術でさえも完全に封じる事は敵わず。辺りに様々な呪いと邪気を放ちながら、玄翁和尚によって砕かれるまで後々の世まで災いを齎したと言う……。
『いつの日か……また、この草原で遊びましょう――――』
暮雨だの涙を流しながら哀しみくれる清明。しかし、その悲しみの中でも彼は強い決意と約束を胸に立ち上がったのである――……。
「……そっか、何と無くだけど狐さんの想いは分かったよ。でも、そんな話を聞いちゃったらもう貴方を黄泉路へ案内するのは僕には出来ない」
『……優しいの~。じゃが、そんな優しさも時は残酷なものに変わる事を坊やは学ばねばいかんぞ?』
「それも分かってる。だけど、僕は貴方を助けたい気持ちの方が今は大きいんだ……! だから、これからとっておきの儀式を行います!」
『儀式とな……? じゃが、何をしようとも魂に輝きを失って死ぬ行くこの身には――』
優しくも悲しい目で僕を諭そうと語り掛ける狐さん。だけど、今の僕にそんな言葉は一ミリたりとも心を揺さぶる事は無い。昨夜あーちゃんから式神行使の術として習った中に、応用編としてある術と儀式を学んだ。これを以ってすれば、寿命で輝きを無くした魂に再び生きる活力を与える事が出来ると言う。むやみやたらに使ってはいけないと釘を刺されたけど、ここで使わなければ狐さんを助ける事は出来ないだろう。
尚も僕に諦めさせようとする狐さんの言葉を無視して、儀式に使う術を行使する為の準備に取り掛かる。指先に魂を激しく活性化させる事によって抽出した魂魄式霊力を集め、その事によって激しく体力を損耗した身体に喝を入れて術を練り上げる。
『坊や、それ以上霊力を使ってはならんぞ! どうせ死にゆくこの体、お主の様な優しい男を道ずれにしては死に切れん!!』
「……天に坐す我らが慈母神、日の神よ。その御力を以って彼の哀しき魂に再び生を与えたもれ! 秘技、霊力丹誠・魂魄天生!!」
願わくば生を諦めし悲しき狐に幸あらん事を願いつつ――……




