8話~邪気対少女
ぽっちゃり少年の戦いを尻目に、不満の堪った少女の蹂躙が始まる。
「……まあ、何はともあれじゃ。妾は優しいから拳一つで相手してやる故、そちは己が業の全てを以って掛かって来るがよい」
『ブジュルルルルルッ!!』
「誠に生きが良い得物よ……ほれぃ!」
妾の挑発にまんまと乗っかって来おった邪気は、人間だった時の名残ゆえか、顔がついておる所の口の部分から汚い邪気の詰まった汚泥を吐き出してきよった。近寄るのも憚られる汚泥に、妾は自慢の焔を拳の纏わせて打ち払い滅却する。
「おっと、すまぬな。拳一つとは言うたが、早速力を使うてしもうたの。じゃが、これはあくまでも妾の身を守る手段としての事じゃからの!」
次々と迫る汚泥を焼き払い滅却し、野原を散歩するかの如く歩いて近づいて行く。幾ら汚泥を吐き出そうとも何の障害にも感じておらぬ妾に焦りを滲ませる邪気。今出しているのは尻尾一本分じゃが、これでもお釣りが来るくらいじゃの。
いい加減鬱陶しく感じてきた所で邪気が攻撃方法を変化させる。口一杯に汚泥を溜め、頬をハムスターと言う可愛い子ぶった鼠の如く膨らませ始めたのじゃ。意図が見え見えな攻撃方法に呆れのため息が漏れ出るが、これもまた邪気の戦意をズタボロにしてやる為に敢えて受ける。受けて正面から打ち破るのじゃ!
「ほれほれ、妾の身体目掛けてその溜めに溜めた汚らしい邪気を打つけてみせい。真正面から打ち破ってくれるわ!」
『…………ッ! ブジュエアァァァ!!』
敢えて避けずに正面から吐き出された大量の汚泥目掛け駆ける。妾の身体を霊力の焔で纏い、拳を腰溜めに構え奔る。
目の前が汚泥の陰に包まれた次の瞬間、妾の全身に汚泥が被さった。結界を間にしても臭うこの汚泥に顔を顰めつつも、焔の結界に汚泥は焼かれ蒸発して行く。
『ブジュジュジュジュジュ! ブジュルエア!』
ふむん、何やら攻撃が命中した事に邪気が喜んでおるな。むふふふ、真に哀れな奴じゃの~。妾には一ミリたりとも効果は無いと言うに、幼子の如くてを叩いて燥ぎよるとは……。
「……くくっ、哀れを通り越して憐憫の情すら感じて来たぞ」
『――ブジュルルッ!?』
「ほれ、そちの力なんぞこんなものじゃ。妾の様な女子供一人すら殺せん脆弱で他愛も無い存在よ」
汚泥を焼き、中から現れるのは霊力の蒼い焔を纏いし妾。焔の中から見えし邪気の驚愕に満ちた顔が心地よく、それと同時に哀れでもある。こ奴も元は何の害も無い平凡な民草だったであろうに、邪気に侵された故に妾と戦い殲滅される……誠に不憫よの。
じゃが、それも含めて人生よ。何が起きてもそれは既に過去。妾にはどうしようもない事実じゃ。
「はてさて、これがそちの最大の業かの? なれば後は消されるのみぞ」
『…………』
「戦意喪失か……。邪気にしてはそれなりの輩なのじゃろうが、今日この場で妾と出会うたのが運の尽きよ。潔く、と邪気相手に言っては何じゃが、次で終いにして進ぜよう」
尻尾一本分の霊力をありったけ拳に集め、邪気の存在そのものをあらゆる次元から滅す程までに高める。幾分もしない内に拳の表面を蒼い霊力が覆い、力の高まりに合わせて蒼い輝きが白く変化していった。
ここまで高めれば後は中てるのみ。ここに来るまでの道中、異世界の神相手に暴れられん時から始まった鬱憤も綺麗さっぱりに邪気諸共吹き飛ばしてくれるわ!
「妾の拳に宿りしこの焔、そちの身体で受けられるかの? 必殺、九ちゃん特製蒼焔一光の拳じゃ! そりゃあ!!」
汚泥に向けられた必殺の拳。白く輝く焔を纏いし拳が汚泥の身体を持つ邪気に突き刺さり、閃光と共に声も無く消滅させ浄化する。邪気によって穢れた魂は清らかな霊力の焔で清め祓われ、冥界の神々が元へ心安らかに黄泉の旅路へと就いたのじゃ。
「……ふむ、これで少しはすっきりしたのじゃ! 誠良き心持ちじゃの!」
腰に手を当て胸を張り、胸一杯に深呼吸して気持ちも晴れ晴れ。後は奏の字に任せるとして、取り敢えずは結界をずっと叩いておる人間どもを解放してやるとするかの。
◆
「お疲れ、九ちゃん。気分は満足したかな?」
「そうさの、八分といった所じゃ」
邪気を打ち破った九ちゃんを労い、まだ暴れたりないと言う彼女に苦笑いを返しながら浄化の儀式に移る準備を始める。準備と言っても腰下げている巾着袋から愛用の笛である天月の調べ・奏を取り出し、九ちゃんに小鼓を渡すだけで完了するんだけどね。
邪気を完全に祓うには物理的な攻撃だけでは駄目、鎮魂の儀式を以って魂を静めてやらなければすぐに復活を遂げてしまう。人数や体力に限りがある人間では限界があるでは、神様方と違って永劫の時を戦う訳にもいかないから、こうした技法が編み出されたと言う訳だ。先人は偉いね、全く……。
「じゃあ、早速行きますか。準備はいいかい、九ちゃん」
「おう、妾は何時でも良いのじゃ」
「それでは鎮魂の儀を――」
「待ってくれっ!」
復活を遂げる前に邪気を祓い清めんと笛に口をつけたその時、僕の肩を掴んで儀式を止める者が現れた。何を喋っているか分からないけど、きっと後ろで僕らの事を見ていた人間達だろう。早くしないと拙いけど、一応振り向かないのも失礼だからその声に応える。
少し不満げに振り向いた僕の目に移ったのは、金ぴか鎧が所々汚れて壊れた金髪のお兄さんだった。
「瘴気の化け物を倒してくれた礼を言いたいが、こちらも君達に色々聞きたい事がある。暫し、我らや雲龍帝様と話をしてくれないだろうか?」
うん、何を言っているのか全く理解できないけども、表情や身振り手振りからして僕達に話を聞きたいみたいだ。だけど、こちらはこちらで仕上げを仕損じては元の木阿弥。また邪気らと戦わなくてはいけない状況に戻ってしまう。
話をしたいのは山々だろうけど、ここは後回しにして儀式が終わり次第ゆっくりと話をしようと思う。
「……ねえ、九ちゃん。九ちゃんは彼らが何を言っているのか分かるんだよね? だったら後で話を聞くから今は下がってて欲しいって伝えてくれないかな」
「そうじゃの。これ以上は時間が押して居るし、妾がこ奴らにそう伝えておくのじゃ。これこれ、お主ら。妾達は最後の仕上げが残っておる故、危険が無いよう怪我人を含めて後ろに下がって――――これは少々拙いの」
尚も何か言いたそうにしている金ぴかさんが九ちゃんの言葉に口を開きかけたその時、彼女の口から危険を伝える言葉が放たれた。
その言葉と共に後ろを振り返る九ちゃんと時を同じくして、新たな邪気の気配を感じた僕も後ろを振り返る。先程打倒した邪気は合計三体、内一つは九ちゃんが自慢の霊力の焔で早々に冥界へと送ってしまった。本当は幾何かでも鎮魂の音色を聴かせた方が、穢れた魂を浄化する為にいいんだけど……過ぎた事は仕方が無いね。
「あちゃ~、これは計算外だったよ。皆纏めて合体しちゃうとは……」
邪気の力が混ぜ合わさり、龍さんと戦っていた邪気の奴よりも更に巨大な化け物が誕生しようと蠢いている。ぐにゃりぐにゃりと粘土細工の様に空中でこね回された邪気は、その体を一気に膨らませて邪気の巨人へと変貌を遂げたのである。
「そうさの、こ奴らに構わずさっさと儀式を始めてしまえばよかったの。……ま、過ぎた事は仕様が無いと諦めて、改めて妾と奏の字の力を見せつけてやるとするのじゃ。お主らは下がっておれよ!」
先程の恐怖体験が再び牙を剥いたことに表情を険しくする金ぴかさん達だが、自分達では龍さんを含めて対処の仕様が無い事も分かっているらしく、心苦しい様子で後ろに下がっていった。
龍さんもちゃんと動けるまで回復してはいない様で、僕らに望みを託して人間達の護衛に回ってくれた。ならば、彼らの期待に応えてこの巨大な邪気の殲滅に掛るとしますか。
「九ちゃん。僕は放光印の準備をするから、九ちゃんは好きなだけ暴れてくれていいよ!」
「おおっ! それは良き提案じゃの! ならば、この妾が鬱憤の全てをあ奴で解消させてもらうとするか!」
ウキウキ上機嫌な九ちゃんに敵を引き付けてもらう役目を任せて、僕は一撃で邪気を消し飛ばすための放光印を出す準備をする。
体内に存在する霊力を合わせた両手の間に集め、更には一発で消すために魂から霊力を抽出して練り上げ高める。この放光印事態が精霊力の第三段階に位置する業なので、本当の意味で行使するには魂から抽出した霊力を転化しなければいけない。
まあ、儀式で儀礼的に行使する場合は兎も角として、この業は本来とても厳しい修行を積まなければ扱えない業の一つである。
「そうりゃ、デカ物! 妾がボコボコの滅多滅多のギッタンギッタンにしてやる故、遠慮容赦なしに掛ってまいれ!!」
『グゥガアァァァァァァ!!』
「そうじゃ、そうじゃ! 威勢がいいのは料理のし甲斐があるという物じゃの! 妾の拳を受けてみるがよい!!」
硬い岩の地面が陥没するほどの脚力を以って巨人邪気に突撃をかます九ちゃん。小さな拳から繰り出される攻撃は可愛らしい見た目に反して威力は抜群! 洞窟の岩壁を蹴って敵を翻弄しながら次々に拳を繰り出す。
九ちゃんの速度について行く事が全く出来ない巨人邪気は、それでも巨大な両手足を駆使して攻撃を試みる。
「遅い、遅い、遅いのう! その様な愚鈍さでは妾に指一本も触れる事は敵わんぞ!」
『グギッ、グ、グギャアァァァァッ!』
「ほれほれ、まずは腕一本貰うかの!!」
文字通りベコボコに凹んだ腕が九ちゃんの細腕に殴り折られ、宙を飛んで洞窟の岩壁に突き刺さった。本来は邪気にとって取るに足らない筈の小さな女の子、そんな彼女に龍さんをも凌駕する巨体の巨人が翻弄されている事実。
僕は力を溜めるのに動けないが、後ろで見ている龍さんと人間達はきっと驚愕の表情を浮かべている事だろうね。きっと今まで生きてきた人生を根底から覆されているような感覚を味わっている事間違い無し!
っと、そろそろ僕の方も準備は完了だね。
「九ちゃ~ん! こっちは準備完了だから、そろそろ離れてくれていいよ!」
「了解なのじゃ! 行きがけの駄賃にもう一本、今度は足をもろうて仕舞としようぞ!!」
そう言うや否や、巨人は足元からガクッと崩れ落ち地面に膝をつく。見れば右のひざ下から先が抉り切り取られた状態。その様子を見ていたら今度は上から小さな石ころが降って来たのでふと見上げる。すると、天井の岩壁に切り取られた右足が突き刺さっていたのである。
「おっとっと。……うむ、良き運動じゃった!」
「左様ですか」
程よい汗をにじませた彼女が満足そうな笑笑みを湛え僕の隣に着地した。着物の袖から襷を外して、後は僕に任せる意を示す九ちゃん。ここで決めなきゃ男が廃るってもの、僕が締めを飾ってこそだもんね!
蒼く輝く放光印の照準を巨人の身体に合わせて構える。深呼吸をして気持ちを落ち着けたら、後は霊力の光を以って邪気を打倒するのみ。
腰を落として足を踏ん張り、光り輝く手に意識を集中させる。
「大変長らくお待たせいたしました! 真打、放光印の打ち上げで御座いま~す! ……いっけぇぇぇぇぇっ! 精霊力・放光印!!」
ぽっちゃりの雄叫びと共に極太の閃光が巨人邪気目掛けて放射される。既に九ちゃんによって大分力が削り取られた邪気は、僕の放光印の閃光に抵抗する間も無く飲み込まれて行く。
「んんぅうぁぁぁぁっ!」
『…………ァっ!?』
断末魔の叫びも纏めて閃光の中で塗りつぶされ、洞窟の岩壁に突き刺さった閃光はその結界をも突き破り地上へと抜けた。
このままでは地上や空に影響が出てしまうので、途中力の放出を止めて放光を制御し空気中に霧散させて対処。これならば周りに余計な被害を出さずに済むだろう、一件落着!
「ふ~う……。ん、これですっきりしたね。後は、今度こそ浄化の儀式を済ませて綺麗に鎮魂させてあげないと」
「うむうむ、見事な放光印じゃったぞ!」
トタトタと近寄って来た九ちゃんの笑顔を見てほっこりし、癒しを得るべく彼女のふわふわ金髪を撫でる。あ~、まさに至福のひと時……。彼女も撫でられて気持ちよさそうに目を細めるているし、何よりも愛らしい事この上ない。
さて、後は浄化の儀式をすれば完了。今度こそ冥界へ送ってあげよう、彼らの魂が安らかな心持ちで冥界の面接を受けられるように……。




