4話~三者三様
王家に伝承されし龍帝の伝説……。古き世から生きる龍の帝が棲むと伝わる聖地モレク山に、今三者の思惑が交差する。
暗く静かな洞窟の中、鍾乳石から滴り落ちる水滴だけが微かで唯一の物音を立てる世界。そんな閉鎖的な空間に一つの巨大な命がいた。
洞窟の暗闇でもはっきりと感じられる覇者の気配。他の生命を圧倒する力と存在感を兼ね備えたそれは、せまい地下空間の中にぽっかりと空いた空洞にて身じろぎする事も無くジッとある方向を向いていた。
「…………」
すでに死に欠けているのではないかと錯覚させる印象を受けさせる。が、微かに聞こえる呼吸音と鼻から漏れ出る空気が、天上から滴り落ちた水滴の作る水面に不規則な波紋を描いている事で、この生物がかろうじて生きている事を証明していると言えよう。
だがそれでも、辛うじて生きている事実が確認できると言うだけの話だった。この巨大な命の波動は時間と共に刻一刻と弱まっているのだから……。
「……愚かな」
何かを感じ取ったのか小さく身じろぎをし頭と思しき所を擡げる。切れ長の目を見開き鋭い眼光で何かを見つめるそれは、威厳に満ちた声とは裏腹に何処か疲れを滲ませていたのである。
弱々しいため息を一つ吐き出した所でそれは自身身体をゆっくりと起こしだした。小さな丘を位も或る身体が動き出すと、その丘は徐々に巻かれている荒縄の様に解けた。まるで中東アジアの諸国で見られる蛇使いの演奏の如く、頭を上に伸ばし蜷局を巻いていた肉体に力を巡らせていったのである。
「いや、愚かなればこそヒューマニアンか……」
充填された力が身体から稲妻となって迸り、暗黒の闇に包まれていた洞窟に明かりが射す。力に共鳴した周囲の岩壁は仄かな光を放ち、それによって巨大な生命の姿が露わになった。
深い水底を映した様な倉麟に包まれた長く肉厚な胴。この世のすべてを握りつぶして仕舞いかねないほど逞しい双腕に、その手に握られしは蒼い輝きを放つ宝玉が一つ。蛇の様に長い尻尾と胴体、その先についているのは生物の頂点に君臨する龍の頭だった。波を打つ白く長い髭を蓄えた鼻っ柱から頭に掛けて白い毛髪が棚引き、その顔は凄まじい力を放つ肉体とは裏腹に壮麗さと威厳を兼ね備えていた。
「老い先短い私の命を狙ろうて来たか、いや――」
先程と同様に疲れを滲ませた声で呟く龍はゆっくりと頭を持ち上げ己の頭上に視線を移す。すると、龍の視線の先には手の中の宝玉に負けない輝きを放つクリスタルが浮かんでいたのである。
「十中八九、これが狙いだろう……誠に愚かな」
クリスタルは龍の頭ほどもある巨大な塊。その輝きの中央には人の頭ほどの卵が静かに脈動している。
「だが、それもまた――」
また一つため息を吐く巨大な龍。呟い言葉のその先は言葉にならず宙に消えて漂っていた。
◆
夕暮れに山々の木々が燃えるように美しく輝く。そんな大自然の美が盛る時間に、彼の一団はついに伝説であり真実の聖地へとたどり着いていた。聖なる山モレク、そこに居ると伝わる伝説の龍。人の歴史が始まって以来大地の安寧を見守って来た巨大なる星の守護者、五大竜帝が一龍・雲龍帝。嵐と雨を司ると語り継がれる伝説の龍帝が、このモレク山の山頂にある巨大洞窟の中に棲むと代々王家に伝承されている。
その神話にも語り継がれる巨大洞窟の入り口が、フォルカ王太子率いる一団の前に口を開けて待ち構えていた。
「遂に辿り着く事が出来ましたね。王都を出て既に早二週間、魔物の妨害によって兵員の数も減り、二百人規模の一団だったのが今やたった三十一名を残すばかり……」
「そうだの。散っていった者達も皆国の事を思えばこそ、己が命を擲ってまで我らをここまで導いてくれた。最後の最後で気を抜く訳にはいかんな……!」
洞窟の前に立ったジェミニとドルゲは、それぞれこれまでの旅で散っていった仲間たちを思い気持ちを引き締める。二人の言葉を聞いたフォルカ自身もまた改めて気を引き締めなおす。何としてでも五大竜帝の雲龍帝に会い、その絶大な力を借りなければ民が、王家が、そして国が滅びてしまうのだから……。
「ああ、雲龍帝様に会うまでは何としてでも私は生き延びねばならなかった……。その為に散っていった勇士達の奮闘を無駄にしない為にも、そして国で我らの帰りを待つ父上を始めとした王国の者達の為にも、ここでしくじる訳にはいかない。この場に残った勇士達よ、最後まで私に力を貸してくれ……頼む」
王太子であるフォルカが臣下である自分たちに頭を下げるなどと言う事態に少なからず兵士たちに困惑が広がる。だが、そうまでしなければいけない事態が自分達にの元に降りかかっているのだとういう事も同時に理解していた。
「「ははっ! 我ら臣下一同、最後の一兵になろうとも!」」
「「フォルカ王太子殿下の為に……!」」
「「我らが祖国の為に、冥界に果てまで行こうとも最後まで付き従います!」」
「……すまん、皆の命をくれ」
兵員一人一人にこれまでの人生があり、家族があり、これからの人生がある。それを理解しているからこそフォルカの言葉は重々しく、噛み締められた唇から赤い鮮血が滲むほどに覚悟が染み出ていた。
「さあ、フォルカ様。今は一刻も早く雲龍帝様へ会いに行かれましょう」
「これよりは雲龍帝様の聖域。何があっても不思議ではありませぬ……。我らは雲龍帝様との約束を違えて参った者、下手をすれば雲龍帝様のお怒りに触れる可能性が高い。くれぐれもお気を付けなさいませ」
二人の中心からの言に深く頷いたフォルカは改めて目の前の洞窟を見上げる。心配してくれる二人には悪いが、フォルカ自身は生きて祖国に戻れるとは端から思っていなかった。祖国の危機を救う為とは言え、絶大な力を持つ五大竜帝との約束を破ったのだから、国の一つや二つ消されてもおかしくは無いのだ。だが、そんな力を持つ存在だからこそ、危機的な現状を打破する事が出来るとも言えよう。いずれにせよ、これからフォルカが対峙する相手はそういう存在なのである。
「皆、これより雲龍帝様に謁見を願う為に儀式を行う。これよりは王家の者のみに許された儀式故、皆は下がって膝を地につけ頭を下げているがよい」
「「ははっ!」」
フォルカの言葉に従って彼の後方へと下がる兵員達。この一団の副官であるジェミニとドルゲの二人は二三歩ほど下がった位置に下がり膝を折って頭を垂れた。
臣下である兵員全てが後ろに下がったことを確認したフォルカは、自身の鎧の懐から掌サイズの鐘を取り出した。何の装飾も施されていない一見するとみすぼらしい印象を受ける鈍色の鐘。その鐘を取り出したフォルカは二、三秒程ジッと見つめ、意を決して振り鳴らし始めた。
チリンチリンと見た目通りの音を立てる鐘は、しかしてどこまでも突き抜ける様に響き渡っていく。決して大きな音を立てている訳でもないのに、空気は振動して頭を下げている兵員達の耳にも耳鳴りのような形で襲い掛かって来た。初めは我慢していられる程度だったのにもかかわらず、振られる回数に乗じて倍加されて増大されている。三半規管に受ける余りの不快感と苦痛に、兵員達は二人の副官も含めて全員地面をのたうち回りたい衝動に駆られるも、国の為、家族の為、フォルカの為を思い微動だにせず伏したままだった。
「……くっ。ア、アルバス王国が王家第二王太子、フォルカ・G・アルバスに御座います。ご、五大龍帝が一龍、雲龍帝様! 我らに差し迫った危機を脱する為、どうかそのお力をお貸し願いたく参じました次第……。その御身を、どうか我らの前に……現したまえぇぇっ!!」
フォルカの絶叫ともいえる叫びに鳴動するかの様に鐘の中から小さな青い光が零れ落ち、それがフォルカの足元に落ちると同時に巨大な光に陣を描いていく。所謂この世界で言う所の魔法陣であるが、ヒューマンとして生を受けたものでは到底作り出す事が出来ない巨大な構成陣であり、また感じられる魔力の大きさも桁違いであった。
現れた魔法陣がゆっくりと回転しフォルカ達の足元から空に向かって昇っていく。やがて巨大洞窟の入り口付近まで上昇した其れは、向きを九〇度変えて入口の方に陣を向けて位置を固定した。徐々に大地や大気に満ちる魔力を吸収し陣の大きさを小さく変化させていく様は壮麗で美しく、どの国のヒューマンでも感動を覚えざるを得ない風景だ。
それは王太子であるフォルカも多分に漏れず、国の危機を打倒すると言う当初の目的さえ彼の頭の中から消し去ってしまう程見入られていた。
「……あ、何だこの揺れは?」
しばらくの間その現象をが続いたかと思えば、ふと気が付くと彼らの周囲の地面が激しく揺れているではないか。魔法陣の中央では充填された膨大な魔力により眩しくも暖かな光が形成され、揺れている地面に気を取られていたフォルカが今一度陣を見上げた時には、その膨大な魔力が閃光となって洞窟に放たれた瞬間だった。
「これが話に聞いた儀式なのかっ!? しかし、これでは余りにも……!」
「フォルカ様っ!?」
「若ぁぁぁっ!?」
フォルカの困惑と驚愕に満ちた声は放たれた閃光にかき消され、光の中に溶けて行く。主であるフォルカの声が聞こえなくなった事を心配した兵員達の声も溶けて消えて行く。
数十秒にも及んだ閃光が収まった時、そこの場に残されたものは静寂と草木の風に揺られる音だけだった……。
◆
「あぁ~、やっと山頂に着いたね~」
「うむん! 新幹線奏の字号は楽しかったの~!」
「さいですか……。あれ? さっきこの場所で大きな力の爆発があったみたいだけど……誰もいないね」
ああ、全速力で走る事四分弱。遠慮や自重を森に置いて走り抜けたおかげで、何とかこの世界の人間達を拝めるものと思っていたのに。ちょっと前までこの場所に多くの気配が感じられたんだけども、先程の大きな力による閃光爆発によって全て見失ってしまった。
「うむう~……ほほっ、どうやらこの岩の向こうに全ての気配が集っておるようじゃの。……奏の字、ここは一丁結界を打ち破いて行こうぞ」
「ええ? 見た目は完璧に岩壁なんだけど……この中に、か。よ~し、じゃあちょっと貫き手で穴をば」
九ちゃん情報によると全ての気配は目の前の岩壁から奥に感じられるらしい。森を歩いている時に感じられた大きな力もこの中に居るみたいだし、ここは一つ霊力の応用技、岩貫き手でサクッと中に入ってしまおう。この技なら結界を破壊しなくても何とか行けそうだしね。
精神を集中し霊力による身体強化で特に諸手を鋼よりも柔軟で固く変化させる。そこを更に霊力を纏わせて貫通力を高めてやると、完成するのはスーさん直伝の岩貫き手だ。
照準を目の前の岩に向けて、己の心を静めて行く。一切の波が立たない水面をイメージすれば明鏡止水の心得の如く。貫く先は岩壁の奥にある結界の表面。岩壁は薄い膜の様な物、この貫き手で貫けぬ程では無い。
「だぁりゃっ!!」
裂帛の気合と共に貫き手は岩壁を絹布の如く貫き尚も奥へ突き進む。腕で貫通させるには限界があるのでここからは纏わせた霊力の刃を手から飛ばして貫いていく。豆腐みたいに岩壁を貫いてく霊力の刃は、三十m位進んだ所で何か柔らかい薄皮を貫いた感触を僕に伝えてきた。
「……うん、やっぱりか」
「どうかしたのか、奏の字」
「ううん。何でもないよ、九ちゃん」
どうやら無事結界に穴をあける事が出来たみたいで、目の前の景色がちょっとだけ変化が現れた。岩貫き手で貫いた腕を中心に半径八十センチ位の穴が出来上がる。これを霊力で拡張してやれば僕のぽっちゃりお腹でも楽に通れるほどまで拡張する事に成功。
ちょこっと気になる事はあるけれど、特に支障はないから九ちゃんにも笑みを返しておく。
「さてと、鬼は出ないし、出るのは龍か……。じゃあ、お邪魔しますよ~」
「お邪魔するのじゃ~」
再び九ちゃんを背中に乗せて、暗い穴の中に足を踏み入れる。うん、何が待っているかは行ってからのお楽しみ。はてさて、穏便に済めばいいんだけど……。僕の運の無さはピカイチだからね! こりゃあ、いきなり切り合いの阿鼻叫喚に突っ込むかも……って、それは無いか! ……ないよね?