2話~新たな出会いの予感?
異界の神に投げ捨てられしは大森林の真っ只中?
地面に激突するまで後八百mを切った所で油揚げに異変が生じ始めた。指で挟んで固定している箇所が少しずつ破け始めたのである。
元が柔らかな豆腐から出来ている油揚げだ。端から強度に関しては諦めているけど、九ちゃんの術によって巨大化した事により多少は丈夫になっているものと思っていた。だがしかし、所詮油揚げは油揚げ。パラシュート代わりに使うこと自体間違っていたね、こりゃ……。
「うむ。残り四百五十mと言った所か……。油揚げは――駄目そうじゃの」
「やっぱり? じゃあ、百mを切る直前にもう一つ術を使う事にするよ。九ちゃんはそのまま背中に掴まってて!」
元気の良い返事を聞いている間にもどんどん地上は近づいてくる。油揚げの御蔭で大分減速するのに成功した今なら、僕のぽっちゃり体型をフルに活用できる術の行使が可能だ。油揚げは切り離しだね。
「霊力転化、ぽっちゃり饅頭の術~!」
霊力を素早く練り上げて、底上げされた身体能力の一部に術を重ね掛けた。術の発動と同時に勢い良く空気を吸い込み、突き立ての御餅を連想させるぽっちゃりお腹を巨大な饅頭のように膨れさせる。実は空気だけで膨らんでいる訳ではなく、霊力を内部で倍化させて肉体の一部分を大きく膨張させる術なんだ。
空気を吸っているのは、術を解除する時のイメージとして空気を吐き出す時に一緒に霊力を外に放出させる事をしているからなんだよね。だから厳密に言えば特に必要な動作ではない。
「着地目標、何処かの原生林! 地表激突まで距離三十、十二……零!」
「ふんぬ――っ! ……ちゃ、着地成功!」
澄み渡った空が広がる原生林に突如として巨大な影が落ちる。次の瞬間バキバキッ! と原生林に生える木々が薙ぎ倒される音が辺りに響き、周りに木々に止まっていた鳥達が一斉に浮き足立って飛び立った。地面に激突した瞬間地表の土は吹き飛び、土砂の雨となって薙ぎ倒された木々の上に降り掛かったのである。。
「ぷぅはぁぁぁ……。あ~痛たた、……何とか着地には成功したみたいだね」
「うむ! 妾、大地に立つ!」
シュタッと大地に降り立った九ちゃんは仁王立ちで人差し指を天に掲げ、小さい胸を僕に向けて誇らしげに張る。そんな彼女の姿に微笑ましいものを感じていたら、空から遅れて巨大な油揚げの塊が落ちてきた。
このまま放置しておくのも何なので、とりあえず九ちゃんに術を解いてもらってから巾着袋に仕舞っておく。巾着袋に入れてさえおけば腐りはしないと言う話だったから、目の前で異世界の草花と戯れる九ちゃんに後々お稲荷さんを拵えてあげよう。勿論お米がこの世界に存在したらの話だけど……。
「喋々と戯れてる所悪いけど、これからどうしよっか?」
「そうじゃの……。とりあえず、この世界にも人間は居るという話しじゃったからして。妾たちの食料を確保しつつ森を抜け出す事を最優先に行動する、と言った所かの」
「分かったよ。じゃあ、まずは食料確保からしますかね。僕らでも食べる物が森にあればいいんだけど……」
あーちゃんから聞いた話の通りなら、この世界には中世ヨーロッパ並みの文明と魔法を組み合わせた文明が栄えているはず。それに加えて精霊やドラゴンと言った所詮ファンタジーの世界観も融合していると言っていたね。
となると、人間との接触は慎重にやった方がいいかな? 恐らくは言葉も通じないと思うし、外見も様々な違いがあるのかもしれない。
僕らの世界では昔それの違いを理由に戦争が起きたくらいだ。迂闊に接触すると最悪の場合殺し合いをする破目になるかもしれない。無論、黙って殺される気は無いので抵抗もするし逃亡生活も辞さない覚悟はある。
だけど、なるべく憎しみによる殺傷行為のやり合いは避けたい。憎しみに染まった御魂は邪気に侵食されやすいからね。
「おっと、その前にじゃが。妾達が傷つけてしもうた草木、花々を癒しておかなければいかん。このまま捨て置けばいずれ邪気の温床となるからの」
「確かに。痛めてしまった木々は元に戻すことは出来ないけれど、新たに命を芽吹く様に促すことは僕でも出来るから。一つ鎮魂と雨乞い、それに放光印でもって癒しとさせて頂きますか」
「うむ。それが得策かの。では早速、妾が鎮魂の舞いを舞う故。奏の字は雨乞いの儀と放光印の仕度を頼むぞ」
鎮魂の儀を行うには、三宝と呼ばれる檜等の素木を用いた台を用意するのが常なのだが、生憎とそんな物は用意できないので、ここは懐紙で代理とさせていただこう。
一応この世界に来る前、晩御飯の前に一度着替えをしていた御蔭で新たに懐紙を補充し入れておく事が出来た。所詮作務衣と呼ばれる僧侶の普段着を愛用している。
神職の身で何故作務衣を着ているのかと言うと、身体に対する締め付けが軽く、現代では僧侶のと言うよりは一般人でも着れる普段着として定着している為だ。これが今でも仏教的要素が強かったのならば、神職者の端くれである僕は狩衣を着て過ごす破目になったね。
狩衣は平安の世に公家の普段着として広まった現代で言う運動着であった。元々は狩の時に着ていた服だったのだけれど、活動的で動きやすいとの事から普段着として広まったんだって。
正し、狩衣のままで参内、つまりは御所への出入りは一切認められなかった。その代わり色目は自由にして良く、禁色を用いること意外は割と許容されていた事になる。
ちなみに、お祭りや縁日などで神社に行くと神主さんが着ている白い狩衣は神事で用いられる物なんだ。
「では、鎮魂の儀を通して草木、花々に新たな命を授けん――」
懐紙の上に霊力によって清めた小石を置き、少しばかり離れて印を結ぶ。左の指が下に来る様に手を組み合わせ、両手の人差し指は伸ばしたまま合わせる。最後に左の親指が上に来るように組めば鎮魂印の完成だ。
印が組みあがったら懐紙の上の玉石に向かって精神を集中させて、僕らの為に傷ついてしまった草木に感謝の念を送る。森の草木や花々に宿る霊力の乱れが徐々に動き出し、在るべき流れに沿ってゆっくりと安定し始めた。
続いて九ちゃんによる舞が始まり、その間に僕は雨乞いの準備を進める。僕らの所為で傷ついた森を癒すため、生命の廻りを今ここに蘇らせん――……
◆
「どうしたんじゃ? 腹の調子でも悪いのか、奏の字」
「え? ……ああ、ごめん。ちょっとこれまでの事を顧みながら考え事をしてたんだ」
「左様か。ならば、さっさと昼餉を済ませて森を抜けようぞ。妾は奏の字と二人っきりで居るのも良いのじゃが、何時までも森に居っては修行にならんからの。生憎とこの森には邪気も感じられんし、そろそろ奏の字が作った飯も食べたいし……」
「あはは……。確かにそうだね。僕もそろそろ木の実や果実だけじゃなくてちゃんとしたご飯が恋しくなってきたよ」
回想をしてた頭を切り替えて手元にある果実を一齧り。木々の間から見える空を眺めると、既に日は登り切り、風に流れる雲が呑気に浮かんでいた。
先程登った目の前の大木から眺めた景色、その奥の一里ばかり離れた場所に富士の御山程もある御山が見えた。しばらくはその御山を目指して散策を続ける事になりそうではある。
なんせ、ここが何処なのかも今一つ掴めないおかげで人里を目指す為の指針が無い。あの大きな御山に登れば、何かが見つける事が出来るかもしれないしね。
「ふう……。満腹満腹じゃ!」
「また随分と食べたね、九ちゃん。あの柿っぽい果物を六つも食べるなんて、後でお腹を壊しても知らないよ?」
「ぬはははっ! そんな軟な腹は持っておらんわい!」
少しだけポコッと膨らんだお腹をさすりつつ僕の注意を笑い飛ばす九ちゃんにため息が一つ。こんなに水分ばかりの果物を食べていると、後で絶対お尻が大変な事になると思うんだけど……。もう上から下への大洪水で厠に籠りっきり――――て、ここには厠が無いんだよな~。
小便だけならその辺にちょいと済ませれば終わりだけど、大きい方だとそうも行か無い。物自体は穴でも掘って埋めてしまえば同とでもなるが、肝心なのは出し終わった後のお尻拭きだ。トイレットペーパーなんて便利な物は持ってきてないし、植物の葉っぱで済ませるには少々勇気がいる。
何せ未知の世界の植物たちだし、下手に触ったりして毒に中ったら事だ。男女一組しかいない状況で、それも見た目が幼い女の子にお尻を見せるなんて恥ずかしすぎるよ。日本だったら社会的に抹殺される危険性が……。
そんな事も相まって、僕らはこの世界についてから特殊な方法で済ませているんだ。有態に言えばお腹の中で霊力を以って完全に分解してしまう荒業なんだけど、正直言ってあまり気持ちの良いやり方じゃない。やっぱり、出る物は自然の摂理に任せて出すのが一番さね。
「ん~、じゃあ早速出発しようか。日暮れまでにはお山に着いておきたいし」
「そうじゃの、ならばとっとと行くとするか」
岩の上からぴょんと飛び降りた九ちゃんと僕は、うんと伸びをして身体を解す。胸いっぱいに吸い込んだ空気は僕の家がある田舎の空気に負けず劣らず美味い。植物達から光合成によって排出された新鮮な酸素が、森の放つ霊力……否、別の力と混ざり合って僅かながらも力が湧いてくる感じがするんだ。
再び九ちゃんを背中に乗せて、ぽっちゃりとした足に力を入れて歩き出す。日は大体真ん中でお昼過ぎ、僕の腹時計で図った時間だとこの星は二十四時間で一回転している。日が暮れるまでは後六時間ちょっとと言った所で、一里やそこらの距離ならばゆっくり歩いてもなんとか目的地に着けるだろう。
若干心配なのは御山の向こう側に人里が見られなかった時だけど……。まあ、それでも歩いていればいずれ何処かで人里に巡り合う事ができるだろう。
「ところで奏の字。御山の山頂付近に大きな力を持つ存在が居るのには気付いておろうな?」
「うん、ここからでも容易に力が感じ取れるからね。……数は二つで片方は霊力がかなり大きいけど、もう片方はそんなに大きな霊力は感じられないかな?」
「ほほう、ちゃんと分かっておる様で安心したぞ」
僕の頭を小さな手で撫でつつ頬をぷにぷにと突ついて来る彼女にお褒めの言葉を頂いた。まあ、霊力を感じるとる事が出来る人間ならば否が応にも分かる位強い霊力だ。日々様々な神様方に鍛えられた僕からしてみれば、感じ取れない事が可笑しいと言わざるを得ない。
「うむ、気配からして龍の類に属する存在じゃな。協力的な者であれば、人里の情報などでも教えてもらえば御の字じゃの」
「そうだね。好意的な龍さんだと良いんだけれど、年を重ねた生物は結構気難しい者も多いからね。一筋縄じゃ行かない様な試練を科して来るかも……」
「ま、そん時はそん時じゃ。敵対するなら殲滅すれば良いしの!」
「良いしの! じゃないよ。殲滅しちゃ駄目でしょう……。せめて撃退と言って下さいな、もしくは退けるとか」
何だか妙に高揚している九ちゃんを窘めつつ、足だけはちょこちょこと動かして道なき道を進む。藪や蔦などは霊力を纏わせた手刀で切り分けて、足元に這い寄る小さな虫や蛭などの病原菌を持っていそうな者は、出来るだけ近寄せない様に霊力の膜で全身を保護する。
虫はどんな病原菌を持っているか分からないからね。できる事ならあまり触りたくないし、小さな頃から虫は大小に係らず苦手な口だから触れないと言った方が正しい。
「しかしの、奏の字。妾達の他にも御山の山麗に人の気配が多数在るのには気が付いておるかの。数からして二十数名は居るようじゃぞ」
「え? 人の気配が……。何の目的があるのかは分からないけど、ぱっと思いつくのは山頂にいる龍さんに用がある位だね」
九ちゃんの感じ取った気配によると、僕らの他にも人間が複数名御山の山頂を目指して移動している様だ。このまま行けば初めて目にするであろうこの世界の住人達であろうが、果たして龍さんに用がある連中とは一体……。
「じゃろうの。それにしても、その内複数名から妙な気配が出ておるのが解せんの……」
「妙な気配が、かい? う~ん、これは急いだ方が良いかもしれないね」
妙な気配を感じると話す九ちゃんの言葉に少しだ胸騒ぎを覚える。この原生林と言っても過言ではない場所から御山まで、全力で走れば十分も掛らないと思う。
ただ、問題なのはそれをするとすごくお腹が減ってしまうって事。ここの所しっかりしたご飯を食べてないから霊力の消耗が激しい。その状態で駆けつけた所で僕にできる事が有るのか少し心配なんだよね。
鬼が出るか龍が出るか蛇が出るか、振って見てからの賽の目か。どうか要らない危険と腹減りには遭遇しませんように…………って、無理か!