(5)こんな日常はなんのために。
試合終了。
千早は先に帰ってもらった。
あ、結局3-0で勝った。
へっ。
「結城、今のお前めちゃくちゃ怖い顔してるぞ」
「い、いやだなぁ、一応作中で可愛い担当の結城ちゃんがそんな顔するわけないじゃないか〜ん、おバカさんめ」
「顔!顔!怖いから!公開禁止状態だから!!」
水樹の奴、ちょこ〜と千早に応援されたぐらいで浮かれやがって。せっかく刺さないでやってたのによ。
「結城〜.....顔なんだけどさ〜」
「水樹さー」
「な、なんだよ」
「千早のこと、諦めろ」
「はぁ!?」
水樹が何言ってんだこいつ、てか知ってたのかよみたいな顔で俺を見た。
「残念だったな。愛しの千早ちゃんのためならお兄ちゃんなんでも頑張っちゃうんだ」
「......俺だって」
「ん?」
「俺だって千早のためならなんでも頑張るよっ!!」
なんだこの純情少年。
「おい水樹。お前一応腹黒担当だぞ。なに純情ぶってんだ、点数稼ぎかこのやろー」
「なっ!?なんだよ!俺知ってるんだぞ!結城!お前千早の前では『僕』とか言ってるってこと!」
「僕の何が悪い!僕っ子は.......萌えだ」
「いや、ドヤ顔で言われてもさ」
「へっへーん、どーせお前は腹黒担当。つ・ま・り!愛しの千早ちゃんと愛を誓うことなんて....ナッシング!可哀想な奴め。まあせいぜい頑張ることだな」
「お前自分が可愛い担当って忘れてるだろっ!!猫かぶりかよ!」
「猫かぶりは.......萌えだ」
「知らねえよ!!」
ふぅ
一応落ち着こう。
いや、落ち着いてやろう。
水樹の気持ちが本物なのは、千早を見てたらわかる。
千早を傷つけないように。
笑顔にできるように。
そんなふうに気をつけながら、千早に接している水樹を見て、正直感心してしまったこともある。
水樹、千早。
2人の結婚式があったら絶対応援しよう。
と、決めていた時期もあったぐらいだ。
「水樹」
「.....ん」
「千早はきっと水樹のこと、好きだから。よろしく頼む」
「え.....」
俺はこのとき、嫌な予感がしていた。
ボトッ
家のドアを開けた瞬間、荷物を落としてしまう。
「千早.......?」
千早がぐったり倒れこんでいた。
「千早っ、お前どうした!?」
千早を抱きかかえる。
必死で必死で猫かぶりも忘れていた。
「すごい熱だ.....」
「おにーちゃん.....れんしゅーじあい....おつかれ.....」
すごく辛そうだ。
「待ってろ!!冷えピタだな」
ダッ
俺は冷えピタをダッシュで冷蔵庫から取り出す。
ペタ
千早のおでこに貼ると、千早は気持ち良さそうに笑う。
「濡れタオルも必要だな」
またダッシュだ。タオルを濡らすと、軽く絞る。そして、千早の首に巻きつけた。
「.....ついてない。こんなときにお父さんもお母さんも仕事だなんて..」
俺と千早の両親は仕事で忙しい。
それは本当にしょうがない。そんなことわかってる。
でも、こんなに辛そうな妹を見ると、怒りしか込み上げてこないんだ。
「くそっ!くそぉっ!!」
「お兄.....ちゃん」
「千早っ!?」
「ありがとう....少し....楽だよ....」
「お水飲むか?」
「うん.....」
ジャッー
ぼたぼた
大量につぎすぎた。
床が濡れてしまったけど、これは後でいいや。
「千早っ!」
ゆっくり千早に飲ませる。
こくっ
結局、千早は一口だけしか飲まなかった。
「もう.....いいのか」
千早、辛そうだ。
代わりなってあげられたら、どんなに嬉しいだろう。
「千早......」
「おにーちゃん.....大丈夫だよ....」
「大丈夫なわけ....ない」
「心配.....しないで.....」
「心配するだろ....普通....」
千早が笑った。
「だって大丈夫なんだよ?大丈夫大丈夫。もう動けるよ」
ズキン
作り笑いだ。
もう笑うだけでも辛いんだ。
それでも俺を安心させるために笑ってる。
「馬鹿っ!!」
「おにーちゃん?」
「辛いんなら辛いって言え!無理するな!そういう態度が一番心配をかけるんだよ!」
次の瞬間、千早の顔が歪んだ。
涙が瞳にたまっていた。
「千早....?」
「.......お」
「うん」
「おにーちゃん....」
「うん」
「つ、らい.....」
「うん.....っ」
「辛いよぉっっ!!」
それは、初めて聞いた千早の弱音だった。
「うんっ....うんっ!」
俺にはうなづくことしかできないけど、助けてあげたいんだ。
お前を楽にしてあげたいんだ。
「千早っ」
「.......た....すけて....」
千早.......千早......。
「父さんと母さんに.....連絡しないと....」
プルルルルル
プルルルルル
プルルルルル
長い。
長い。
「くっそ早く出ろよっ!!」
プルルルルル
プルルルルル
ブッ
《もしもし》
「もしもし母さん!?遅いんだけど!」
《なに怒ってるのよ》
「千早が倒れたんだ!!」
《ええっ!?....病院ね。保険証の場所は....》
は?
普通こっちに来いよ。
千早が辛そうなんだ。
妹が、誰よりも大切な妹が辛そうなんだ。
助けを求めたんだ。
「ふざけんなっ!!」
《結城!?》
「来いよっ!千早が辛そうなんだよ!!俺、自信ねぇよ!千早が初めて弱音を吐いたんだ!嬉しかったけど、俺1人じゃなにもできない!頼む....来てくれ....母さん.....」
《.....わかった。今は....うん。大丈夫よ。いけるわ。でも母さん今ロシアなの。どうしても時間がかかってしまうわ。...行ける。待っててちょうだい》
ブチッ
電話が切れた。
ズルズル
座り込んでしまう。
母さん.....待ってるから。
「千早っ!!」
「お兄ちゃん.....」
「母さん、来るから」
「そんな.....お母さんが.....?」
千早が安心したようにホッと胸を下ろした。
「父さんにも....しないと....」
プルルルルル
プルルルルル
プルルルルル
プルルルルル
父さんはもっと長かった。
ブチッ
《只今電話に出ることができません》
いらっ
このどうしようもない怒り。
なんで出ないんだ。
なんで。
結局、父さんは5回電話しても出なかった。
「くそ親父っ!出ろよ!出ろよ!!」
3時間が経った。
すっかり暗くなってしまった。
「はあっ.....はあっ.....」
千早の具合は一向に良くならなかった。
この様子を見ると、寧ろ......。
「っ、ごめんな」
ダメだ。そんなこと考えちゃ。
冷えピタは切れてしまった。
少しでも千早から目を離すことはできなくて、近所に行くことも冷えピタを買いに行くこともできない。
濡らしたタオルを冷凍庫に入れて凍らせる。それぐらいしかできない。
そう。
俺はこんなにも.....無力だ。
「千早、ごめんな。辛いよな」
「はぁ....っ.....はぁっ.....」
もう、息をするのも辛そうだ。
熱が高くて寝ると苦しい。
どうすることもできない。
千早も、俺も。
ピンポーン
そのときチャイムがなった。
「結城君!千早ちゃん!!」
近所のお姉さんの声.....?
千早をしっかり目に焼き付けてから、ダッシュでドアに向かう。
「お姉さん!千早が....!」
「結城君!とりあえず話を....!!」
「と、とにかく中に....」
「えぇ。お邪魔します。....千早ちゃん!!どうしたの!?」
「わかんないんです。帰ってきたら千早がすごい熱で.....」
辛そうで。
辛いって言ってて。
助けてあげたくて。
でも.....
「何も....何もできなかった....っ!」
ボロボロ
涙が零れた。
悔しかった。
すごくすごく悔しかった。
「結城君.....」
お姉さんが俺を抱きしめて、頭を撫でてくれた。
次から次から涙が零れた。
お姉さんの腕の中はすごく安心できた。
「結城君」
「はい.....」
「こんなときにごめんね。でも......聞いてほしい。大事なことだから」
お姉さんの目に涙が滲んだ。
「結城君の.....お母さんの乗っていた飛行機が落ちたの」
「は....?」
「海の上だったみたい。結城君のお母さんね、さっき、救出されたんだけど....ね、もう.....」
母さんが.....?
「嘘....だ」
「私も嘘だと思いたいよ。でも.....絶対だって....」
「.....嘘だ......嘘だ.....嘘だ.....嘘だぁっ!!なんだよぉ!!絶対来てくれるって言ったじゃないかっ!!千早はどうすんだよ!?母さんっっ!!!」
なんで.....なんで......。
「なんでぇっ!!?」
「おにー......ちゃん.....」
「千早.....」
「おかーさんが......?はぁっ.....はぁっ....おかーさんが?」
「千早.....っ」
千早の涙が頬を伝う。
「おかーさん.....おかーさん.....はぁっ.....はぁっ.....、っ!おかーさんっ!」
今日は厄日だ。
こんなに辛い日なんて.....やだ。やだ。
やだ。やだ。やだ。やだ。やだ。
「やだ」
千早と俺はしばらく泣いていて。
お姉さんがゆっくり、ゆっくり、撫でてくれて。
「.....千早ちゃん.....?」
お姉さんの言葉でハッとする。
さっきまでしゃっくりで震えていた千早が動いていない。
「千早っ!!」
「......おにーちゃん.....ダメだね.....気、失いそうになっちゃった......」
スゥッ
千早が目を閉じた。
「......ちょ、ま、待て.....」
「わたし......もう.....つかれちゃった...」
まるで、さよならみたいだ。
千早はまた目を開くと、ゆっくり笑った。
「っ千早!」
「千早ちゃん!」
そして、また目を閉じた。
いや、自然に閉じていった。
千早が完全に動かなくなった。
「千早......?」
もう目を開けることも、返事をすることもしなかった。
嘘だろ。
だって千早だぞ?
朝、あんなに笑ってた千早だぞ?
屋根の上に登ってた千早だぞ?
練習試合で俺と水樹を応援してくれた千早だぞ?
そうだ水樹。
千早、お前水樹どうすんだ?
きっと明日もお前に会えると思ってるぞ?
明日のお前の顔を想像してると思うぞ?
明日を楽しみに今生きてるぞ?
なぁ、千早。
どういうことだよ?
俺を置いていくなよ。
千早。
いつも、笑顔だったよな。
俺のこと応援してくれたよな。
これからも、応援してくれるよな。
「っ千早ああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
母さんも、千早も。
俺を置いていくなよ。
父さん、なんで電話出ないんだよ。
あんたは生きてるよな。
絶対、生きてないと許さないからな。
一気に全てが真っ暗になったみたいだ。
なにもかにもなくなった。
そんな感じがした。
あぁ。
これは運命なのかな。
元々こうなるって決まってたのかな。
じゃあ、今までの日常は?
千早がいて、母さんがいて、皆がいて、光があって。
そんな日常はなんのためにあったんだ?
こんな絶望を更に大きくするためのものだったのか?
まさか。
俺は……俺は……。