出会いのフェンリル
「ねえ、これどういう意味」
「ああ、これはカーバンクルの頭についてる宝石の活用法だね。この機械にはめ込むと、エネルギーを取り出すことができて……」
入学して一ヶ月。僕はずっとセラに勉強を教えている。
セラは実習ではすごい力を発揮するけど、入学当初は字が読めないので教科書が全然わからなかった。でも必死で勉強して、最近はなんとか読めるようになってきたので、色々と質問してくる。成り行き上、僕が教えているわけだ。
でも実習になったら立場は逆だ。僕はモンスターの扱いが全然なっていないので、いつもセラ頼みだ。おかげで僕も最近では、ワイバーンに落とされずに乗ることができるようになってきた。そういうわけでお互いにメリットがある関係が築けている。これがwin-winってやつ? 共生関係? ともかくありがたい話だ。
「あらあら、まだそんな書物も読めませんの? ドラゴンを使えてもそんなことじゃあねえ」
「ねえ、ほんとに」
「ほんと、そうですよね~」
同じクラスの、アニタ・アーリントンだ。セラは入学式の日にドラゴンに乗ったこともあり、かなり目立つ存在となっている。そんなわけで、こんな嫌味を言ってくるようなやつもいるってことだ。
「なんだよ、だからこんなにがんばってるんだろ」
「あらなに? あなただって大してできるわけでもないくせに。先日もユニコーンに噛まれていたではありませんか」
「なんだよ、関係ないだろ」
「確かに関係ありませんわ。あなたは口出ししないで下さる?」
「おいおい、そんな揉めてないでオレと付き合ってくれよアニタ、学食にいいメニューがあるんだよ」
急にフィルが割り込んできた。フィルともよく一緒に遊んだりしている。勉強はあんまりしてないみたいだけど……。
「はあ? 学食って、もっとましな誘い方はありませんの? もういいわ、行きましょ」
アニタは取り巻きを引きつれ、ノシノシと去っていった。
「まったく顔は悪くないってのに、あの性格は何なのかね。自分だって大してできるわけじゃあないくせに。あんなの気にすんじゃないぞ」
「ああ、うん。ありがと」
ちなみに、使役科にはA組とB組があるが、これは入学時の成績で分けられていて、もちろんA組の方が優秀ということだ。つまり僕達は落ちこぼれ組ってことになる。一番マイナーな学科の落ちこぼれ組、それが僕達ってわけ。残念な話だけど、それが現実。
だから実際アニタだって大したことは無い、実技は僕より多少できるし、学科はセラより多少できるけど、それだけだ。まあ、だからこその嫉妬とも言えるわけだよな。
「そういや、ククルは元気?」
「うん、裏山でそれなりにやってるみたい」
「ふうん。普段何食べてるんだろ?」
「結構何でも食べるよ。鳥とか、動物とか、あとモンスターとか。一番好きなのは、バジリスクかなあ、たぶん。ヒュドラもよく食べてるけど」
「そっか、結構すごいの食べるんだね。僕がヒュドラなんかに出会ったら、逆に食われかねないよ」
「ふふふ。あと、果物とかも食べるんだよ。私がこうやって投げたらね、パクッて食べるの」
「へぇ、かわいいね」
「オレにも今度やらせてくれよ。頼むよ」
「いいよ、今度ね」
「それはそうとさ、ユーはもう決めたのか? メインモンスター」
「あ、いや、まだなんだけど」
そう、今日はメインモンスターを決める日なんだ。使役科では各人がメインで使役するモンスターを決めて、重点的なカリキュラムをこなすようになっている。一応一通りのモンスターの使役方法は教わるんだけど、実際問題何でもかんでも使役できるようになるのは無理なので、少なくとも一種類はできるようにってわけだ。セラは当然ドラゴンで決まりだし、フィルはペガサスなんだろう。僕は最終的にはドラゴン、と言いたいところだけどちょっとハードルが高いよなあ。といって特に興味のあるモンスターがいるでもないし……。
「もう締め切りは今日の6時だぞ。こういうのはフィーリングだって、パッと思いついたのにしちゃえよ」
「そう言われてもなぁ。でも、もう決めなきゃだめなんだよな」
昼休み。僕はセラと二人で飼育小屋を回っていた。もちろんメインのモンスターを決めるためだ。
一口にモンスターといっても色々いる。動物系・植物系・悪魔系・神系、大きさだって巨大なベヒーモスから極小の細菌系に至るまで様々だ。といっても一般的に使役できるモンスターは、そこそこの知性があって、人間に友好的なタイプに限られるから、その中のごく一部になる。知性がなければ言うことを聞かないし、かといって知性が高過ぎれば従ってくれないからね。もちろん人間に友好的でない悪魔系も無理だ。高位のドラゴンなんかは、従わせているというより、セラみたいに友好関係になって頼みを聞いてもらっている感じなんだろう。
「ユーには小動物系の方が合ってるかもね。カーバンクルとか、ケット・シーとか、あとはコカトリスとか」
「なるほどねぇ。乗ったりはできないけど、上達すれば何匹も同時に使うこともできるし、色々と便利だよね。それもいいかもなあ」
「それに、ユーは高いのとか速いのとか苦手だし。ぷっ」
「えー、ひどいな。まあ、確かに苦手だけど……」
と言うと、セラが何かを見つけたように立ち止まった。
「あ、あそこ。ほらフェンリル小屋のとこに」
「アニタじゃないか。あいつも迷ってるのかな」
「どうなんだろ。ねえ、向こうから回ろうよ。またなんか言われるかも」
「うーん、そうだね」
やっぱり、セラはアニタが苦手なのか。まあ僕もだけど。
アニタは真剣な顔で小屋の中を覗き込んでいる。時折ため息をついているようだが。しばらくすると、うずくまったまま動かなくなってしまった。
「なんか様子がおかしいよ、どうしたんだろ。声かけてみる?」
「うーん、いいけど……」
セラは気乗りしないようだけど、僕達は小走りでアニタに近づいていった。
「どうかした?」
アニタはしばらくそのままじっとしていたけど、こちらに気付いたとたん、勢いよく立ち上がった。
「なっ、何ですの!? あなたたち」
「いや、なんか悩んでるみたいだったからさ」
「あなたがたには関係ありませんわ。とっととお行きなさい」
「ほら、やっぱり行こうよ。ユー」
「ずっとフェンリルのこと見てたみたいだけど。なんか関係あるんじゃない? 教えてよ」
「それは……。何でもありませんわ!」
そう言うと、アニタは早歩きで去っていった。
「なんなの、あれ」
「うーん」
結局、その後いろんな厩舎を回ってみたけど、これといってピンと来るもののないまま昼休みは終わってしまった。午後の授業の間もずっと色々考えていたけど、結局決められないまま放課後を迎えることになった。
「まだ決めてないの? もうとりあえず、コカトリスって書いとけば?」
「コカトリスねぇ、あんまりピンとこないんだよなぁ。あのトサカのプルプルした感じとか……」
「もう、そういうのをユージョーフダンって言うんだよ」
「優柔不断ね。ほんとそうだよなあ」
まったく僕って奴は、なんて決められない男なんだろう、そう思って席を立とうとすると、フィルが小走りで近づいてきた。
「おい、アニタが行方不明なんだって。いま先生が話してたんだ」
「えっ、そういえば午後の授業にいなかったけど。サボりかと思ってた」
「いや、寮にもどこにもいないってさ」
「どうせどっかでサボってるじゃないの?」
セラは興味ないそぶり、というよりアニタの話はしたくないようだ。
「でも、校舎裏の森に入っていくのを見たって話もあるんだ」
「えっ、あの森って結構危険なモンスターもいるって話なんじゃ。確か入るのは禁止されてたよね」
「そう、そうなんだよ。これってやばい感じだろ」
「うん、ちょっと心配になるね」
「アニタの心配より、自分のメインモンスターじゃないの? もう」
「うーん、でも昼休みも様子がおかしかったし、なんかあったら――僕、ちょっと探してくるよ」
「ちょっと、ユー!」
なんかいやな予感がしていたんだ。アニタは苦手だけどクラスメイトだし、もしものことがあるかもしれないし。
だから僕は、校舎の裏門から森へと足を踏み入れた。ちなみに裏門の鍵はかかっていなかった。やはりアニタもここから……。
森の中は整然とした校内とうってかわって、うっそうと茂った木々に覆われていた。
元々この学校は、森の一部を切り開いて建てられたらしい。裏の森は太古の昔から存在している森で、樹齢何千年という立派な樹も、そこかしこにあるって話だ。
ちなみに、学校の中央時計台はかなりの高さがあり、森の中からでも木々の間から常に見えている。だから迷って帰れなくなる心配というのはない。ただ、モンスターに襲われるのだけは注意しなきゃならない。一歩森に足を踏み入れたら、もうそこはモンスターの世界なんだから。
20分ほど草木を掻き分けて進んでいくと、背中のぬめっとした感触に、思わずのけぞった。
「ふぁっ」
変な声も出た。
恐る恐る背中の物体を掴み、前に持ってくると、小さなカーバンクルだった。でも妙だ、普通カーバンクルは赤い宝石を頭に付けているけど、こいつの宝石は七色に光っている。珍種だろうか。
「ほら、向こうへいきな」
と、地面に置いてやると、また僕の背中に上ってきた。
何度かやってみたが、その度に僕の背中に上がってくる。そんなにここがお気に入りなのか?
仕方ないので、背中に乗せたまましばらく森を彷徨ってみた。
1時間ほど歩いただろうか、小さな泉のほとりにアニタが座っているのが見えた。
「アニタ!」
アニタは驚いた表情でこちらを見た。
「あなた、どうして?」
「いや、なんていうか。心配で……」
「心配……わたくしが? 別にこの程度の森、なんでもありませんわ」
「でも、なにかあったらって」
「そう……ですの」
「なんで、一人で勝手に森なんか入ったんだよ。みんな大騒ぎだよ」
「それは……」
アニタは、しばらく脇を向いたまま黙り込んだ。
「まあとにかく帰ろう、モンスターが出たら危ないよ」
「嫌ですわ」
アニタは動こうとしない。この森で何かすることがあるってことなんだろうか。
ふと背後の森になにか大きなものが動く気配がした。ちょうど木々が重なって暗くなっているところに、赤く光るものが見えた。
「ちょっ、危ない」
思わずアニタの手を引いた。とっさだったので、僕もアニタもバランスを崩し、地面に倒れこんだ。
「なっ、なんですの、いきなり……ちょっ、キャー!」
アニタの悲鳴が森に響いた。
太い幹を伝って、大きなヒュドラがぬるぬると這い出してきたのだ。全長10mはあるだろうか、尻尾の方は暗くて見えない。
9つの頭の両側で真っ赤に光る18個の目は、間違いなく僕達を獲物として認識していると思えた。
「にっ、逃げなきゃ、早く」
と立ち上がろうとすると、焦っているからか、水辺の柔らかい土に足をとられてしまう。
「ちょっと、あなた、何してるの。早く追い払いなさい」
「いや、そんなこと言われても」
どうにか立ち上がったものの、丸腰の僕に何ができるだろう。とりあえず手近な棒切れを手に取ったが。
ヒュドラの頭はあるものは周囲を警戒し、あるものはこちらに興味なさそうによそ見している。でも中央の一番大きな頭は僕をはっきりと見つめているし、その隣の頭は鋭い眼差しでアニタを凝視している。もういつ飛びかかってきてもおかしくない、そう思った。
その時だ、甲高い犬の鳴き声が響き渡った。
そして、小さなフェンリルが間に飛び込んできたんだ。
「サンタモニカ!」
アニタはそのフェンリルを見ると、驚きと安堵が入り混じったような叫び声をあげた。
フェンリルはヒュドラを睨み付け、激しくうなり声を上げている。でもまだ子供みたいだ、体も小さいし、牙も短い。とてもヒュドラに敵いそうもない。それでも臆することなく懸命に相手を威嚇している。
「無理ですわ、サンタモニカ。一緒に逃げましょう」
アニタも立ち上がることができたようだ。アニタの言う通り、もうあとは逃げるだけだ。でもヒュドラはこう見えても動きは早い。背中を向けたら、あっという間に食いつかれるだろう。なんとか注意を逸らせないか。
そんなことを考えながらも、しばらくヒュドラとの睨み合いが続いていた。5分ほどだろうか、もしかするともっと短かったのかもしれない、でも僕には結構長く感じられた。
どうしよう、このままじゃ……。
すると突然に僕の背中から小さな影が飛び出したかと思うと、ヒュドラは眩い光に包まれた。
「今だ!」
僕はとっさにアニタの手を引き、中央棟の見える方角に全速力で走り出した。
後から小さなフェンリルもついてきている。そしてフェンリルの上には、茶褐色の小さい物体が乗っかっているように見えた。
とにかく今は逃げ切ることだ。僕達は必死に森の中を掻き分けながら、校内に戻る門を目指して走った。後ろの方から、木々を擦る音が近づいている。きっと、ヒュドラが追ってきているんだ。森の中では向こうの方が一枚も二枚も上手だろう。このままでは、追いつかれてしまう。
「ユー!」
上空から女の子の声がしたと思ったら、その直後、激しく木の枝が折れる音が響いた。
後ろを振り返って見ると、ドラゴンが大きなヒュドラを咥えて飛んでいる。
「セラ!」
その上にはセラがいた。セラがククルに乗って来てくれたんだ。
ククルは見る見るうちにヒュドラを、まるでうどんでも食べるみたいにつるつるっと飲み込んでしまった。
そういえば言ってたよな、ヒュドラが好物だって……。
僕達は無事校内に戻ることができた。
「ふぃー、危なかった」
「ほんとだよ、もうちょっと遅かったらどうなってたかわからないよ」
「うん、ほんとありがとう。セラ」
「あ、うん。へへ」
「ところでアニタ、そのフェンリルは?」
「この子はサンタモニカですわ。今朝、森に逃げてしまっていましたの」
「ああ、それで」
「生まれたときから面倒見ていましたのに、この子ったら。でも、助けてくれましたから。水に流しますわ」
アニタはとても嬉しそうにフェンリルの毛を撫でている。まあとにかくよかったよ、みんな無事で。そう思った。
安心して校舎の方に目をやると、この騒ぎを聞いて大勢の先生や生徒が駆けつけてくるのが見えた。メイダン先生が後続を5mほど引き離して先頭に立っている。後ろにはフィルの姿もあった。
「おい、大丈夫か。怪我はないのか?」
「はい、みんなかすり傷くらいで」
「そうか、よかった。だが、とにかく勝手に森に入った罰は受けてもらわなければならんな」
「はい……」
「まあ、今日はゆっくり休め」
「はい、すみませんでした」
「そうだ。それと、メインモンスターの件だ。もうすぐ締め切りだが、あとはお前たちだけだぞ」
「わたくしはもちろんこの子ですわ」
「私もククルです」
「ああ、ええと僕は……」
と周囲を見回すと、何かが背中に飛び乗ってきた。
さっきのカーバンクルだ。逃げるときフェンリルに乗っていたのはこいつだったんだ。ここまでついてきていたなんて――でも助かったのはこいつのおかげでもあるし、これも何かの縁か。
「僕は、こいつで」
「うむ、カーバンクルか。宝石の色が変わっているが――突然変異かな。まあ、大事にするんだぞ」
「はい」
その晩、僕達は寮の食堂で反省文を書いていた。セラはすっかりふてくされ顔だ。
「もう、ユーのせいで私まで反省文だよ」
「はは。まあ、これも国語の勉強だと思ってさ」
「えー、めんどくさいぃ。あ、ところでこの子の名前はどうするの?」
カーバンクルは机の上にちょこんと座って、僕の反省文を眺めている。このくらいのサイズだと寮でも一緒にいられるっていうのは大きなメリットだな。フェンリルやドラゴンじゃ、こうはいかないもんな。
「ああ、名前かあ。考えてなかったな。今夜ゆっくり考えるよ」
「そっか。かわいい名前にしてあげてね」
「ちょ、ちょっと、いいかしら?」
そこにアニタが一人で現れた。いつもと違ってなんか落ち着かない感じ、かなり目が泳いでいるし。
「あ、あの、あなたたち、今日は……」
なんか、なかなか言い出せないみたい。言おうと決心してはくじけ、決心してはくじけているのが見て取れた。セラは黙ってアニタを見つめている。
「あ、ありがとう、来てくれて。それに――ええと――あの――いままで――ごめんなさい――ほら、いろいろ――言ったりとか――」
「うん、とにかくみんな無事でよかったよ」
「へへん。まあ、私のおかげだけどね」
「えー。まあそうだけどさ。アニタは反省文、もう書いたの?」
「まだですわ。ちょっと仮眠をとっていましたので」
「じゃあ、一緒に書こうよ」
「私の分も書いてよね、アニタ」
「それは自分で書かなきゃダメだよ、セラ」
「ははは、やっぱりぃ?」
というわけで、僕のメインモンスターが決まった。七色の宝石をつけたカーバンクルで、名前はライトニング。いやわかってる、そのままだって。アニタにもそう言われた。でもやっぱりあの時の光のイメージが強烈だったからね、一晩中考えて結局そう決めたよ。
さあ、これからもっと仲良くなるぞ。