復活のファフニール
その日は突然訪れた。
朝、飼育小屋から戻った僕達は、食堂のテレビに映った男性アナウンサーの緊迫した表情に釘付けになったんだ。
彼は繰り返し、こう言っていた。
「伝説のダークドラゴン、ファフニールが復活しました。これを受け、政府は大規模な避難勧告を発令しています。政府報道官の発表によりますと、本日未明、かねてからファフニールが眠っていると伝えられていたニヴルヘイムの山脈で大規模な地震が頻発し、爆発音と共に巨大なドラゴンが飛び立ったことが目撃されました。政府はすぐに緊急対策本部を設置、軍隊を出撃させ討伐を開始しましたが失敗、ドラゴンは現在行方不明とのことです。避難対象地域は……」
本当だろうか、これは。そもそもファフニールって本当にいたんだ、そしてまだ死んでいなかったんだ。じゃあ、バハムートもまだどこかにいるのだろうか? 突然の出来事に混乱するばかりだ。みんなも同じ気持ちのようで、口々に不安や疑問を伝え合っている。
そしてその時僕はセラのおばあさんが言っていた言葉を思い出していた。『最近、ドラゴンの様子がおかしいから気をつけな』って。もしかして、それってファフニール復活の前触れだったのかも。
「ユー、びびってんのか? 大丈夫だって。ここからは離れた場所みたいだし。政府がなんとかしてくれるよ」
「ああ、いや、いろいろびっくりしちゃってさ。でも、これからどうなるんだろう。何かの間違いだったらいいけど」
「だよな。ファフニールの復活だなんて、新興宗教じゃあるまいし。バハムート様にお祈りしましょうってか?」
なんて言っているフィルの表情も、どこか引きつった笑顔に見えた。僕も不安を隠し切れていなかったと思う。とにかく寮の食堂全体が重苦しい雰囲気に包まれていたのは間違いなかった。
ピンポンピンポンピンポーン
「全校生徒に連絡します。本日緊急朝礼を開催いたしますので、午前8時半までに講堂に集合してください。繰り返します。本日緊急朝礼を開催いたしますので、午前8時半までに講堂に集合してください」
ピンポンピンポンピンポーン
突然の校内放送。いよいよこれは大変な事態になったんだ。そんな気持ちになり、何を食べたかも全く思い出せないくらい上の空で朝食を終え、僕らは講堂に向かった。
講堂にはもう大勢の生徒達が集まっていた。
やはりみんな一様に不安そうだ。戦闘科の生徒達は勇ましい事を言ったりもしているけど、実際にファフニールと戦うなんて、いくらなんでも無理だろう。最強最悪のドラゴンなんだから、伝説の通りなら。
「ユー、おはよう」
「ああ、セラ。おはよう」
普段は口数の多いセラも、今日は挨拶をしたら俯いたまま自分の席に座ってしまった。やっぱりセラもファフニールのことを怖がっているんだろうか、当然だよな。
しばらくすると、壇上に校長先生が姿を現した。教頭先生が号令をかける。
「ただいまより、緊急朝礼を開始致します。一同起立――礼――着席」
「ええ、みなさん、おはようございます。もう既に皆さんご存知とは思いますが、あの伝説のドラゴン、ファフニールが復活しました。ここからは離れた場所ですが、ファフニールの飛行能力からすれば、もはや世界中に彼の行かれない場所は無いと考えた方がいいでしょう。そこで私は皆さんに重大な事実を明かさなければなりません。そのために、今回の緊急朝礼を開催した次第です」
校長はそう言った後、しばらく間を取った。
重大な事実? 一体なんだろう、伝説に関係があることだろうか。溜められると、色々考えてしまうよ。校長先生、早く、早くお願いします。
「実は……」
校長が言いかけたその時、講堂に低く不気味な笑い声が響き渡った。
「くぁーっはっはっは、こんなところにあったのか、ずいぶんと探してしまったじゃあないか」
誰だ、どこにいるんだ。周囲を探す人、うつむいて震える人、泣き出す人。一気に講堂は大混乱に陥ってしまった。
「あそこだ」
講堂の天井近く、この講堂は3階席まである吹き抜けになっているので、僕達のいる一階席から10mくらい上空に、奴は浮いていた。金色に輝く髪を長くなびかせ、王子様のような服を身に纏い、両手で女性をお姫様抱っこしている。この角度からは女性の顔は見えないけど、男の顔はかろうじて見えた。目つきの鋭い、でもとても整った顔立ちの青年で、不敵な笑みを浮かべている。
「くっくっく。ちょうどいい、生徒達が全員集まっているみたいだし、我輩自ら就任の挨拶をしてやろう。ふぁっーはっは」
そう言うとその男は壇上に舞い降り、校長先生に近づいていった。
マイクを持っている訳でもないのに、男の声ははっきりと講堂全体に響き渡っている。
生徒達は全員席から動くこともできず、その様子をただ見つめているしかなかった。男の放つ雰囲気は僕らにわずかな動きも許さない圧倒的な威圧感をまとっていたからだ。
そしてそれは校長先生も同じらしかった。
「貴様があの人間の男、たしかリングフィールドとかいったな、奴の末裔だな。臭いでわかるぞ。人間の分際で三千年もの間よくもったものだな、とっくに断絶していると思っていたが。まあいい、では聞くがよいぞ皆の者」
男は女性を降ろして傍に立たせると、演台の上へと豪快に飛び乗り、そして言い放った。
「わが名はファフニール! かねてからの盟約に則り、今からこの学校は我輩が支配する。歓喜せよ、さあ歌い、踊るがいい!」
静寂が流れた。
当然だ、意味不明だし、怖いし、怪しいし、もう何がなんだかわからない状態だからだ。
「どうした、生徒達よ。我輩の支配が嬉しくないというのか? これはどういうことだい? ハニー」
「きっと驚いちゃっただけよん。ダーリンに支配されるのを断る子なんていないわん」
「だろう、そうだろう、そうだろうとも。くぁーっはっは!」
男は連れてきた女性と話している。女性は髪が長く、目のパッチリとした人で、ちょっと化粧が濃いけど綺麗な顔立ちをしている。歳は二十代前半だろうか。
「おい、ユー」
「何? フィル、こんな時に」
「あれ……、うちの姉ちゃんだ……」
「え、ほんとに?」
「間違いない。何やってんだよ、ファフニールに連れられて……」
「ああ、うん……」
なんとも言いようがなかった。無理やり連れてこられたって感じでもないし、むしろ自分から付いてきているように見える。どういうことなんだろう、わからないことだらけだ。
「ちょ、ちょっといいですかな」
校長先生が男に話しかけた。大丈夫だろうか、危ないんじゃ。でも状況を打開して欲しいという期待もあった。校長先生、お願いします。
「何だ貴様。我輩の話を遮る気か、無礼者」
「いえ、滅相もございません、ファフニール閣下。ですが少しお目覚めが早すぎたようでございますな。まだ二千七百年しか経っておりません。三千年のお約束のはず」
「なにぃ、細かいことを気にするな。眠っておったのだから大体の感覚で目覚めるしかないだろう。三百年くらいの誤差でがたがた言いおってからに」
「それにその姿は一体?」
「どうもうこうもないわ。いざ外に出てみたら、途端に見たこともないような金属の塊に囲まれて手荒い歓迎を受けたわい。歓迎は嬉しいのだが、ちとチクチク痛いものでな、このような姿になって身を隠したというわけだ。どうだ、人間に見えるだろう、それもかなり優秀な個体だ」
「ええ、まったくその通りでございますな。ええと、それでそちらの女性は?」
「こいつはここに来る途中で拾った女だ。小腹が空いていたのでな、こんな姿だし久しぶりに人間の食い物でも食ってみるかと思い、立ち寄った焼き芋屋にいた。偶然にな」
「運命の出会いですわ。わたくしとダーリンとは結ばれる運命だったのです、間違いありません」
「なにせ金が無かったものでな、奴が払うと言うから払わせたら、連れて行けとうるさいのだ。だから連れてきた、我輩の懐の深さゆえだ」
「あ、ああ、なるほど。わかりました。ええとそれでですな、大変申し上げにくいのですが……」
「なんだ、もったいぶらずに言ってみろ。貴様とは初対面だが、貴様の先祖とは三千年前に酒を酌み交わした仲だ。悪いようにはせん」
「実はですね、まだ準備ができておりませんのです。なにせ三百年も早いものですから。生徒達にも話をしていませんし」
「なにぃ、馬鹿者! 毎朝『ファフニール様復活おめでとうございます』と詠唱させるべきだろう、普通に考えれば。まったく何をやっていたというのか。仕方がない、今からでも説明してやれ。手短にな」
「恐れ入ります」
ファフニールが演台から飛び降りると、校長先生が再び演壇に立ち、生徒達に話し始めた。
「ええ、みなさん、落ち着いて聞いてください。その昔、今から三千年前のことですが、私の祖先は一匹のドラゴンに出会いました。とても巨大なドラゴンで名をバハムートといいます。私の祖先は探検家で、とある山中の洞窟で夜を明かした際、奥で眠っているドラゴンを発見したのです。危険を感じて逃げようとすると呼び止められ、薬草を持っていないかと聞かれました。幸い手持ちの薬草があったので取り出すと、わき腹に塗ってくれとのことでした。どうやらドラゴンはわき腹に大きな傷があり、動けなくなっているようでしたので、私の祖先は……」
「おい、おい、貴様。手短にと言っただろう。そんな細かいことは話さんでいい。早く我輩の話をせんか、偉大なる我輩の話をだ」
「これは失礼を。ええ、ともかく私の祖先はバハムートと友達になったのです。そしてバハムートには宿命のライバルがおりました。それがこちらのファフニール様です。ある日二人は激しい口論をしました。口論の原因は人間とモンスターの争いをどうするか、という問題です。当時はまだ人間も今のように高度な文明を持っておりませんでしたが、徐々に勢力を拡大しており、モンスターとの衝突も度々ありました。バハムートとファフニールは共に自分が人間を導くと主張しましたが、その方針には違いがありました。バハムートはモンスターも人間も平等であると主張しましたが、このファフニール様はモンスターが人間を支配すべきと主張しました。そしてその喧嘩はどんどん激しくなり、次第に周囲に被害をもたらすようになっていきました。困った私の先祖は1つの提案をすることにしました。まずは自分が人間を教育するから三千年間待って欲しい、と。まずは人間自身で問題を解決するというわけです。そしてなんとかその頼みを聞き入れてもらい、眠りについてもらうことができました。その後、私の先祖はこの学校を設立し、人間とモンスターの架け橋となるべく頑張ってきたのですが、三千年――実際には二千七百年ですが――経った今、再びファフニール様が目覚める日がきた、とこういうわけなのです」
「うむ、しかし我輩の見立てでは、モンスターと人間の争いは無くなってはいないようだ。現に我輩を恐れ、人間どもは右往左往しているではないか。やはり我輩が支配してやらねばならぬ。そうだろう、ハニー」
「その通りですわ、ファフニール様」
支配……。支配っていったいどうなるんだろう? 一生モンスターのために働かされるのだろうか。そんな……。
「いや、しかしファフニール様……」
「もうよかろう、さっさと下がるがいい。貴様は今後我輩の側で我輩の教育を補佐するのだ」
そしてファフニールは再び演台に上り、高らかに言い放った。
「さあ生徒達よ、共にモンスターの世界を築こうぞ!」
こうして緊急朝礼は新校長ファフニール閣下の就任式となり、混乱のうちに解散となった。
今日の授業は全て中止して、明日から始まるファフニールが作った新しいカリキュラムの準備をするとのこと。
みんな足早に寮へ向かっている。きっとこの中の多くの生徒は今日にでも荷物をまとめ、実家へ帰っていくんだろう。僕もそうしようか、この状況じゃあ仕方がない。
「ねえ、ユー」
「ああ、セラ。セラはどうする? これから。やっぱり実家に帰るの?」
「実家? なんで?」
「いや、だってファフニールに支配された学校だよ。何があるかわからないし、危険じゃないか。それにモンスターが人間を支配するとか言ってるし。やばいよ」
「ううん……、やっぱり人間とモンスターって仲が悪いのかな?」
「えっ、そんなことない……と思う、けど……」
「ファフニールが言ってたよね、人間とモンスターが争ってるって。でも私は人間とモンスターは友達だと思ってる。ユーはそう思わない?」
「もちろんそう思ってるよ。でもファフニールはやばいって、絶対。あの伝説のドラゴンなんだよ」
「それなんだけど、私の故郷の伝説ではファフニールもバハムートも同じように偉大なドラゴンとして崇められていたよ。ファフニールが悪者なんておかしいって思ってたんだ。だからさ、そんなにひどいことはしないんじゃないかな、たぶん。これからどうなるのかもうちょっと見てみようよ」
「ええ、うーん、そうなのかな。確かにファフニールの力からすれば、もっとひどい被害が出ていてもおかしくないし、話している様子ではそれほど悪い奴ってわけでもなさそうだったけど。そうは言ってもな」
「じゃあ、ユーもやっぱり実家に帰るの?」
「いや……うん、わかったよ。もうしばらく様子を見てみる。セラが残るなら」
「うん、じゃあ、また明日ね」
こうして僕は大きな不安を抱えながらも、ファフニールの支配する学校に残ることを決めた。
もう色々考えても仕方ない。こういうときは体を動かそう。
「ライトニング、訓練に行くよ」
翌日、朝の餌やりに行こうとクラスのみんなの部屋を回ると、案の定ほとんどの部屋は空っぽになっていた。
「おはよう、フィル。学校に残ったんだ」
「ああ、なにせ姉ちゃんがいるしな。さすがにオレだけ帰ったらオヤジに殺されかねないよ。もうどうにでもなれだ」
「あ、ヴェリエフェンディ。オスマンガズィも」
「おお、早来君。おはようございます。この状況で残っているとは、なかなか肝が据わっておりますな」
「いや、まあ、そんなことないんだけどね。もう怖くて仕方ないよ。二人はどうして残ったの?」
「そうですね。うちは厳しい家柄ですから、途中で投げ出して帰ってくることをよしとしないだろうと思いまして。それにあのファフニールの教育とやらを受けてみるのも一興かと。怖いもの見たさでしょうか」
「そうなんだ。なんかすごいね」
結局この4人しか残っていないようなので、4人で飼育小屋に向かうと、セラが女子寮から歩いてきた。
「おはよう。なんか私だけみたい、B組は」
「ああ、そうだよね。女の子は家の人も心配するし」
「アニタも迎えの人が来て帰っていったし。『あなたも早くお逃げなさい』って言ってた」
「仕方ないさ。それより頑張って仕事しようぜ。ほら仕事、仕事」
5人でできる限り飼育小屋の仕事をこなした。不安を打ち消すため、作業に没頭した面もあったかもしれない。
朝食を終えて教室に行くと、クラスに5人だけ。元々人数の少ない使役科だけど、ここまで減るとは……寂しすぎるよ……。
「おはよう諸君、全員揃っているか!」
勢いよくドアが開き、なんとファフニールが入ってきた。今日は学校の先生らしい服装をしている。スーツにネクタイ、それにメガネだ。
「なんだ、これだけか? 風邪がはやっているのか? まったく人間は貧弱だな」
「違うよ、みんな逃げちゃったんだよ。ファフニールが脅かすから」
「ちょっ、セラ! いきなりそんな」
「なにぃ、我輩が脅かしたと。そんなことはしていないだろう。我輩は教育者として貴様らを教え導いてやると言っただけだ。まあ逃げたい奴は逃げればいい、いずれ我輩の正しさに気がつくだろう。そうだ、それより貴様ドラゴン使いらしいじゃないか。まったく人間がドラゴンを使役するなど、無礼千万。我輩自ら根性を叩き直してやる、ありがたく思うがいい」
「私とククルは友達だよ!」
「ほう、そうか、それは結構。まだ赤子らしいが、我輩が鍛えれば貴様などに従うまでもなくなるだろう」
「従うとかじゃないから!」
「わかった、わかった、ともかく座るがいい。我輩は教師なのだぞ。今日は、高位のドラゴンに従う時の作法について教えてやる。ほら、この通り教科書も用意してやった。かなり余ってしまったがな」
こうして僕らはファフニールの授業を受けた。
内容的には人間がモンスターに従う前提になっているとはいえ、いままで人間には知られていなかったモンスターの生態なんかが織り交ぜられていて、これはこれで為になる。というより、正直言ってかなり面白い。
「では、今日はここまでだ。しっかり復習しておくように」
「あ、あの、先生」
「なんだ? なんでも聞くがいい」
「先生は人間のことをどう思ってるんですか? あの、支配するとかっていうのは?」
「ふむ、昨日も言ったと思うが、人間は我々モンスターがきちんと指導してやらなければならん。それがこの世で共に生きるために必要なことなのだ。バハムートの奴はそこのところがわかっておらん。まったくあやつはいい加減でいかん、人間の自由にさせろなどと。もういいか? ではまた来週な。我輩は全ての科で教えねばならんのだから」
どうやら危害を加えるとか、無理やり働かせるとか、そういうことではないみたいだ。とりあえずは一安心、なのかもしれない。
その後はいつも通りの授業だった。他の先生方も何人かは逃げてしまったみたいだけど、多くは学校に残っていた。朝礼の後、ファフニールの話を聞いて安全と判断したらしい。
それとフィルのお姉さんも、教師として働いていた。元々小学校の先生だったようだ。
「わたくしもファフニール様の教えを世に広めるべく、転職を決意しましたの。フィル、弟だからといって容赦はしませんわよ」
とのことだ。
そんな感じで1週間が過ぎた。ニュースではこの学校にファフニールがいるという話が連日報道されている。きっと生徒の誰かが通報したんだろう。でも、政府はしばらく様子を見るみたいだ。表向きはまだこれといった被害が出ていないから、とのことだけど、多分ファフニールを怒らせるのを恐れているんだろうと思う。
最近はファフニールが危害を加えないという情報が出始めていて、生徒もちらほらと戻り始めていた。




