記憶、いりません。
ついに、私たちの言い分は、神に届いたのであります。何を言ったのかと申しますと、『前世の記憶は消すものではない』、ただそれだけでございます。一緒にいた仲間が、完全に、今までの記憶を消され、現世へと旅立っていく様は、なんとも辛いもので、見るに耐えず、それ故の反抗でありました。前世の記憶は消されずいけるのだと嬉しがる皆々に、神は、私たちが思っていたこととは違うことを申し上げました。「なれば、誰か一人、現世の者と変わらぬ身体をお貸しするから、そのままで今の世を見てくるが良い」、そうおっしゃったのでございます。困惑する我々に向かって、神は、ではそこの、と、私を指差し、慌ててふためく私に、次のことを告げました。「今世をしっかりと見て来、そして、この者たちに現状を伝えなさい」その後、私の姿形を変え、お金を渡しました。「こんな大金、頂けません」私がおどおどしながら首を振りますと、神は、「その金額でなければ、今世ではやっていけませんよ」厳しい口調で、おっしゃったのでございます。黙りこくってしまった私に、では行きなさいと神は云い……そして私は、今世の、生まれ育った地に、もう一度足をつけたのです。
最初に感じたことは、私の生きていた頃と、全く変わっていて、正に近代的、とでもいいますか、そんな感じなのです。自分の服装にも、驚きがわきました。とてもだらしなく、はしたない……そんな格好でございまして、思わず羞恥に顔を染め、神は酷いことをなさる、と踞ってしまいそうでした。ですが、周りを見回すと、確かに落ち着いた地ではありますが、そこを闊歩する人々は皆、私と差して変わらない服装なのです。嫌だわ、歪んでるわ、と呟きながら、私もよろよろと歩みだしました。……して、直ぐに、ある物を見つけてしまったのです。『百十円』、『百二十円』、『百五十円』、怪しげな機械の表示される、どれも眩暈がするほど高い品々………たかが飲み物で、これほどまでにお金がかかるのかと、目を見張りました。恐る恐るそれに近づき、品々をみます。珈琲だとか、紅茶だとか、どれも一度は名前を目にしたことはありますが、飲んだ試しのない高価なそれらは、平然とそこに存在し、やはり高い数字を光らせています。そして表記。これは辛うじて右から読む事は悟れましたが、私の存在した頃は、文字は左から読んだがため、文字の方向も変わってしまっているということに、私は少し、悲しくなりました。立ち尽くす私の前には、知らぬ間に、男の人がたっておりました。その人もまた、平然と小銭を取り出し、穴に入れ、飲み物の下にある謎のスイッチを押したのです。すると数秒も経たぬ内に大きな音をたてながら飲み物は転がり出、男はそれを持ち、どこかへと行ってしまいました。要約、私も動き、さっきの男がやっていた動作を真似、『ミルクセエキ』を選択してみます。男がやっていた時より、大きな音に慄きながら、戦々恐々、ミルクセエキを私は口に含みました。その甘いこと甘いこと……不思議に思いながら、でも美味しいものだと気分は上がり、私は飲み干してしまいました。……ふと、後ろの『原材料名』という活字に目を止め、一旦、砂糖という名が目に飛び込んできて、衝撃を受けた後、その多さに、もう私は、わあと叫びだしたくなるほど、驚愕致しました。もうここまでくれば、ただただ恐怖だけが残り、慌てて神様、神様、とみっともなく叫んだのでございます。
「さあ、皆に話してご覧なさい」
神は、落ち着いて、号泣している私におっしゃいます。もう後には、恐れと、謝罪と、羞恥で、もうもう、私は、私は…………。「ほら、前世なぞ、覚えていない方が楽でしょう」慈悲深い声で、神は私に訪ね、私は只管に神に対し、同意致した所存でございます。私の話は、これにて幕をおろさせてもらいます、皆様も、前世があった方がいいだのと申さぬよう、気をつけて下さいまし。




