第7話
空は晴れ渡り、雲ひとつない。
眩しいくらいの陽光がさんさんと降り注ぐ。
そんなに輝きに照らされ、校内はいつもの何倍もの賑わいを見せていた。
校門のところには、『文化祭』と書かれた看板が立てかけられている。
学校中から勧誘の声が聞こえてくる。
それぞれが、自分の店に引きこもうと手当たり次第来客に声をかけていた。
学生の親、この学校に入学希望の学生、全然関係ない近所の方々など、いろいろな人がこの学校内に集まってきている。
「ゲーム販売してまーす! 体験もできます!」
オレは部室のドアの前に立って、廊下を通る沢山の人に大声で声をかけた。
室内をチラッと見ると、ミキが見に来てくれた数名の男子学生にゲームの説明をしている。
――というより、男子学生にミキが質問攻めされていた。
「これ、何のソフト使って描いてるんですか?」
「C言語使ってるんですか?」
「BGMって自作ですか?」
「どうしてこんなシナリオに?」
「あ……あはは……」
そう言って苦笑いをすると、ミキはこちらにチラッと視線を送ってきた。
オレも口元だけ軽く歪めると、部室内に入ってミキの援護をすることにした。
「はぁー、やっといなくなった」
オレは去っていく男子学生らの後ろ姿を見ながら、ため息をついた。
ミキも、少し安堵したように肩の力を抜いて胸を撫で下ろした。
部室内にはまだ数名の人が残っていたが、それぞれ展示している資料などを眺めているだけだった。
オレは受付のところの椅子にドサッと腰を下ろした。
そして、そのまま天井に目を向ける。
「これ、いくらで買える?」
ふと、声をかけられる。
真上にやっていた視線を落とすと、あごひげをボサボサに生やした50歳くらいの男性が目の前に立ってこちらを見下ろしていた。
オレはとっさに姿勢を正して口を開いた。
「無料で配布してます。おひとついかがですか?」
「じゃあ、1つもらおうか」
そう言うと、彼はニッコリと笑った。
オレは受付の机の下からケースを1つ取り出して手渡す。
「ありがとうございます」
「なに、たまには学生の作ったものをやってみるのも刺激になるのでな」
そう言い残し、彼は去っていった。
「すごい偉そう」
ミキがニヤニヤしながら横からやってきてつぶやいた。
「だな」
オレはそう言って、笑い声を上げた。
「あ、内藤くんとアスナ」
受付でオレの横に座っていたミキが、唐突に口を開いた。
廊下を見ると、ヒロキとアスナが並んで歩いていくのが見えた。
ヒロキが何かを言って、それに反応してアスナが満面の笑みを浮かべた。
「結局、一緒に回れてるんだな」
「まあ、内藤くんだから心配はしてなかったけど」
オレは開店前の会話を思い出す。
「じゃあ店番は午前がオレとミキ、午後がヒロキとアスナでいいよな?」
オレは開店前の準備をしながら3人に声をかけた。
それを聞いたアスナが、わかりやすく動揺し始める。
「え……え?」
アスナの顔は真っ赤に染まっていた。
そんなアスナをよそに、ミキが声を上げる。
「私はそれでいいよー」
「みんながいいなら僕はいいよ」
ヒロキも続いて答えた。
アスナはそれでもまだ顔を真っ赤にして、頭をポリポリ掻きながら声を上げる。
「い……いや、でもさー」
オレは少しため息をつきながらアスナのもとに歩み寄り、彼女の肩に手を回し耳元に口を近づけ、小声で耳打ちした。
「昨日の話、忘れたとは言わせないぞ」
それを聞いて、アスナがゴクリと息を呑んだ。
「わ……わかったよ」
「最初はあんなにガチガチだったのに、心配して損したぜ」
オレはそう言って、大きく息を吐きだした。
すると、ミキは天井を見上げながら口を開いた。
「2人があんなに仲良くしてると、妬けちゃう?」
ミキの顔を見た。
口元は少し笑っていたが、目元は少し悲しげな雰囲気を浮かべているように見えた。
オレも天井に目をやった。
教室は色々装飾を施して変わってしまったが、天井だけは何も変わっていなかった。
オレは口を開く。
「どうだろうな」
そう言って、オレは目を閉じ、続けた。
「なんか今、すごい穏やかなんだ。なんていうか……成長した娘を見てるみたいな感じ?」
それを聞いたミキはフフッと軽く笑い声を上げた。
オレは目を開け、顔を少しだけ傾けてミキの方を見た。
彼女は軽く微笑みながらこちらを見ていた。
ミキが口を開いた。
「変なの」
「自分でも変な感じだ」
そう言って、オレは立ち上がった。
そのままドアの前に立ち、客引きを再開する。
「ゲームやって行きませんか! 無料で配布してます!」
廊下は来客で溢れかえっていた。
オレとミキは、その人ごみをかきわけながら進む。
振り返って、オレは後ろから付いてくるミキに声をかける。
「次、どこ行く?」
「アスナたちがお化け屋敷面白かったって言ってたし、行ってみない?」
ミキが躊躇いもなく言う。
「いいけど……ミキって怖いの大丈夫なの?」
「全然大丈夫だよ」
ケロッとしてミキは言った。
「へぇ、意外」
オレは感心して目を丸くした。
そうしているうちに、生徒会制作のお化け屋敷の前に着く。
その前の廊下には、行列がずらっとできていた。
「すごい人だな……」
オレは思わず息をつく。
すると、ミキがオレの腕を引っ張った。
「並ぼうよ」
「お、おう」
オレたちは列の最後尾に並ぶ。
そこで、ミキが心配そうに宙を見上げ、口を開いた。
「アスナたち、大丈夫かなぁ」
今、アスナとヒロキは、オレたちと交代して店番しているのだ。
「あとでこっそり様子見に行くか?」
「そうだね」
ミキはそう言って、苦笑いをした。
オレも乾いた笑い声を上げ、言う。
「会話できなくて終始無言、とかになってなきゃいいけど」
「くしゅん!」
突然、鼻がむず痒くなって、部室に漂う静寂を破ってくしゃみをしてしまう。
「篠田さん、大丈夫?」
いきなりくしゃみをしたアタシを見て、内藤くんが優しく声をかけてくれる。
アタシはベタなセリフを言ってみた。
「だ……誰かが噂してるのかなー、ハハ」
「リョウと野田さんかな?」
内藤くんがそう言って、こちらを向いてにっこり笑った。
その笑顔はすごく眩しく、アタシの目にくっきりと焼き付いてしまった。
顔が少し熱くなるのを感じる。
アタシは歯を軽くくいしばって頬が緩むのを抑えながら、顔を逸らした。
そのまま、部室内を見渡す。
客は1人もいない。
ドアの向こうも人通りが少なくなってきて、静かだ。
そんな空間に、内藤くんと2人きり――それだけで緊張やうれしさが混ざり合って、どうにかなってしまいそうだった。
アタシはそっぽを向いたまま、内藤くんに話しかけた。
「人、来ないね」
「そうだね……リョウたちの時は結構来たって言ってたのに」
ちらっと内藤くんの方に目をやると、彼は首を傾げてドアの向こうを注視していた。
彼はさらに口を開いた。
「やっぱ、ドアのところに立って呼び込みしないといけないかな」
そう言うと、内藤くんは立ち上がろうとした。
アタシはそれをとっさに制止した。
「そ、それならアタシがやるよ!」
アタシはバッと立ち上がり、彼に背を向けてそそくさとドアの方へ向かった。
「ありがとう」
内藤くんの声が聞こえてくる。
アタシはその声を背にドアを開け、廊下に立った。
「結局全然来なかったじゃん……」
アタシは、受付のところの椅子にドサッと座り込んだ。
あれからずっと外に立って客寄せをして声を出していたので、結構疲れてしまった。
喉もカラカラだ。
すると、その隣に座っていた内藤くんが、ペットボトルに入ったジュースを差し出してくる。
「お疲れ」
「あ、ありがとう」
アタシはそれをもぎ取るように受け取ると、がぶがぶと飲み始めた。
「ぷはぁ……」
そのペットボトルを口から離し、蓋を閉めて内藤くんに押し付けるように返す。
アタシは窓の外を見ながら、口を開いた。
「もう終わりかぁ……」
「早かったね」
窓はうっすらとオレンジ色に染まっていて、あんなに眩しかった太陽はその勢いを失って、地平線の彼方へと沈んでしまおうとしていた。
廊下にはもう来客は1人もいなかった。
生徒以外はみんな帰ってしまって、生徒はこれから片付けをやらなければならない。
アタシは廊下を見に行くために、再び立ち上がりながら言う。
「そういえば、ミキとリョウまだ戻ってこないね」
「どっかで道草食ってんのかな、先に片付け始めちゃう?」
そう言って、内藤くんも続いて立ち上がった。
アタシは部室から廊下を覗きこんだ。
すると、リョウとミキが走ってくるのが見えた。
リョウが部室に着くなり、口を開いた。
「ごめんごめん、遅くなっちゃった」
「ごめん……」
ミキも続いて謝る。
それを聞いて、内藤くんは口を開く。
「いいさ、片付け始めようよ」
「そうだな、分担するか」
リョウがニヤッとして言った。
こっちを見ている。
そして、彼はさらに続けた。
「じゃあオレとミキでゴミ出しとか外に行く片付けやるから、アスナとヒロキは教室の片付けよろしく」
「おっけー」
内藤くんはあっさり了承する。
「いいの?」
アタシは内藤くんに話しかけた。
すると、彼はきょとんとした顔をして、こう言った。
「何か問題がある?」
「ううん、別に」
すると、リョウが近寄ってきて、アタシの肩に手を回し、そのまま廊下に連れ出される。
廊下には誰もおらず、アタシとリョウだけしかいない。
「な、何よ?」
「どこまで進歩した?」
リョウがニヤニヤして小声で言う。
「どこまでって……何も」
私はぼそっとこぼした。
それを聞いたリョウがいきなり少し大きな声を上げた。
「は? 何も?」
「だって……」
文化祭を回っているときは他の人の目があったし、店番の時はアタシはずっと廊下で客寄せしてたから話をすることも出来なかった。
「はぁ……何のために2人きりにしてやったと思ってるんだか」
リョウが呆れ顔になる。
すると、急にアタシの耳元に顔を近づけてきた。
「片付けの時が今日のラストチャンスだ。名前で呼ぶくらいできるようにしろよ?」
「でも、どうしたら……」
「それを昨日言ったろ、さり気なくだよ、さり気なく」
「そんな事言われたって……」
その時、部室からミキが顔をのぞかせた。
そしてリョウにこう言う。
「広澤くん、そろそろ行こう」
「そうだな……じゃ、頑張れよ」
そう言って、リョウはアタシに手を振ってミキと歩いて行った。
ミキも去り際に軽くこちらにウインクした。
「もう……みんなして何なのよ」
1人でつぶやいて頬を軽くふくらませる。
そして、部室のドアの前に立ち、深呼吸をする。
「よし」
アタシはぎゅっと拳を握りしめ、部室に戻った。
オレとミキは2人で1枚の大きめのベニヤ板を運んでいた。
倉庫前にたくさんのベニヤ板が積んである場所が見える。
日は今にも沈みそうで、辺りに弱々しい赤い光をばらまいている。
「離していいよ」
オレがそう言うと、ミキはそっとベニヤ板を持っていた手を離す。
手にずっしりと重さが一気にかかる。
オレは力を目一杯入れてベニヤ板を積んである場所の上に持っていく。
「ベニヤ板、これで最後だっけ?」
そう言って、オレは手に持っていたベニヤ板を返却場所に置く。
ミキが腰をさすりながら答えた。
「そのはずだよ。ふぅ、重かった……」
「大丈夫か?」
オレがそう言って近づくと、ミキは腰に当てていた手を離し、大丈夫と言うかのようににっこり笑った。
視界の隅にベンチを見つけ、オレはそれを指さす。
「ちょっと休んでいこうか」
「うん……」
そう言ったミキの顔は、夕日に照らされて赤く染まっていた。
「だいたい剥がし終わったかな……」
アタシは部室内を見渡す。
あれほど豪華に飾り付けてあった壁は、元の地味な壁に戻り、床には剥がし終わった装飾が詰め込まれているゴミ袋が残されている。
「余ったソフト、どうするの?」
アタシは、段ボール箱に余ったソフトを詰め込んでいる内藤くんに声をかけた。
彼は詰め終わった箱の蓋を閉じ、こちらに振り向いた。
「またいつか使うかもしれないし、一応部室にしまっておこうかなって思ってる」
そう言って、彼は段ボール箱を持ち上げ、棚に詰め込んだ。
「よし、これでだいたい終わりかな。後はこのゴミを捨てるだけだね」
内藤くんは、アタシの足元にあるゴミ袋を見て言う。
アタシはその袋を持ち上げて、廊下に放り投げる。
そして、笑いながら内藤くんに言った。
「リョウたちに持って行ってもらえばいいよね」
「そうだね、僕たちは少し休憩しよう」
内藤くんはそのまま椅子に座り込んだ。
アタシも彼の隣の席に座った。
やっと落ち着いて、2人きりで話ができる。
アタシはリョウに言われたことを頭の中で反復する。
まずは名前……まずは名前……。
「どうしたの?」
急に内藤くんがアタシの顔を覗きこんでくる。
驚いて変な声を上げてしまう。
「ひゃう!?」
内藤くんは何か変なものでも見るように怪訝そうな顔をする。
アタシは慌てて言い訳をする。
「別になんでもないの、ホントに!」
頭がいきなりカーッっと熱くなる。
内藤くんが軽く微笑んでこう言った。
「それならいいんだけど……なんか思いつめたような顔してたから」
「……」
アタシは黙ったまま、下を向いた。
すると、ドアの向こうから声が聞こえてくる。
「最後だしオレが持ってくから部屋で休んでてもいいよ?」
「いいよ、1人だけ行かせるの悪いし」
リョウとミキの声だった。
がさがさっとゴミ袋を持ち上げる音がして、続いて聞こえた足音が離れていく。
そのまま2人はゴミを出しに行ってしまったようだ。
アタシはチラッと内藤くんの顔を見る。
彼は窓の外の夕日が沈んでしまってすっかり暗くなった空を見つめていた。
どこか悲しげに見えたが、その顔は微笑を浮かべていた。
「ヒロキくん……」
ポロッとアタシの口からなかなか言えなかったその名前がこぼれ落ちた。
まるで今まで普通にそう呼んでいたかのように、自然に発音された。
自分でもびっくりしたくらいだった。
ヒロキくんがこちらに振り向いた。
「どうしたの?」
「あ……えっと……」
何も話題を考えていないまま無意識の内に名前を呼んでしまったので、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
何を話せばいいのか、考えれば考えるほどわからなくなった。
顔がどんどん熱くなる。
体中に汗が滲んでくる。
アタシはたまらず立ち上がった。
「ごめん、何でもないの!」
そう言って、アタシは走って部室を飛び出した。
内藤くんが何か言いたげな顔をしていたが、目もくれず廊下を走り抜けた。
階段を駆け下りて、下駄箱で靴を履き替え、裏門の方へ。
そのまま校舎裏に来てしまった。
辺りはすっかり暗くなって、元々誰も通らないところだったけど、よりいっそう静かさが際立つ。
アタシは校舎の壁によりかかり、大きくため息をついた。
「はぁ……アタシ、何やってるんだろ」
そのまま体重を壁に預けたまま、ズリズリとしゃがみこんだ。
空を見上げる。
ポツポツと光の点が見える。
目を閉じて、周りに耳を澄ませた。
虫の鳴き声がかすかに聞こえてくる。
アタシは、たった1人だった。
世界から遮断された気分だった。
その時、土を踏みしめる靴の音が聞こえてきた。
「こんな所にいたんだ」
目を開けると、目の前にヒロキくんが微笑みを浮かべながら立っている。
「ヒロキくん……」
アタシの視界にはヒロキくんしか映っていなかった。
他には何も見えない。何も聞こえない。
今なら、言える気がした。
ヒロキくんの目を見つめる。
すると、彼は少し首を傾げた。
微笑みながら、アタシが言葉を発するのを待っている。
アタシの口が開いた。
「アタシの気持ち、聞いてくれる?」
「部室ではどうなってるかな?」
オレは、隣を歩くミキに声をかける。
ごみ捨てを終え、昇降口に向かって歩いている途中だった。
ミキは少し笑みを浮かべて答える。
「戻ったら告白シーンだったりして」
「まさかな」
オレもそう言って、軽く笑う。
だが、考えられないことではなかった。
そんなところに割って入ったら、アスナはどんな顔をするだろうか。
「少し寄り道してから戻るか」
オレはミキに提案した。
それを聞いた彼女は、顔を背けてこう言った。
「そうしよっか」
オレたちは、校舎裏を通ってから昇降口に向かうことにした。
薄暗い校舎裏を、オレたちは歩いていた。
校舎の壁際をオレが歩き、その隣をミキが歩く。
だんだんと人の声は聞こえなくなり、オレとミキの歩く音しか聞こえなくなる。
「夜になるとここ、結構暗いんだね」
ミキがそう言って、オレの方に体を少し寄せてきた。
オレは特にそのことは気にせず、口を開く。
「そうなんだよな、だから結構ここって夜は告白スポットだったり――」
そう言った途端、背筋に悪寒が走った。
オレたちの横にある校舎の壁は、少し先で見えなくなっている。
校舎側に食い込む形で道無き道の曲がり角になっているのだ。
そして、校舎裏1番の告白スポット。
いろんな場所からの死角になっており、近づかないとそこに誰がいるかを見ることはできない。
例外として見れる場所は、校内の廊下の校舎裏側の窓のある一箇所。
しかもほとんど人通りはなく、見られる心配はほぼしなくていい。
それに気づかないミキはどんどん歩いて行ってしまう。
オレも何気なく横を歩くが、あそこを曲がると嫌な予感がする。
デジャブ……だろうか。
進むなとオレの脳みそが叫んでいる。
曲がり角に差し掛かる。
あと1歩進めば、向かい角の向こうが見える。
逆に向こう側からもこちらが見える。
「ちょっと」
オレはそう言って、とっさにミキの腕を掴んでこちらに引き寄せた。
「ふぇ?」
いきなり引っ張ったからか、バランスを崩したミキがこちらに倒れこんできた。
かと思うと、バランスを取ろうとしたのか、彼女の体重が反対方向にかけられる。
ミキはオレのいる方とは正反対の、曲がり角の方に向かって倒れこむ。
オレはとっさに引っ張り上げようとして掴んだ手を力一杯引っ張るが、時すでに遅し。
ミキに引っ張られる形で、オレも角から体を出して一緒に倒れこんだ。
気付くと、オレがミキの上に馬乗りになっていた。
下にいるミキが声を上げる。
「いったーい……」
「ご、ごめん」
オレは慌てて謝り、体を起こそうとして顔を上げる。
すると。
「な……なにしてんの?」
震える女の子の声が聞こえた。
見ると、そこにはヒロキとアスナがいた。
壁にもたれかかってしゃがみこんでいるアスナと、その目の前に立つヒロキ。
そして、何より尋常ではない雰囲気をかもし出していた。
アスナは柄にもなく顔を真っ赤に染め、ヒロキも少しドギマギした表情でこちらを振り返っていた。
オレはそれを見て、体が固まってしまった。
この光景は前にも見たことがあった。
どういう状況なのかを瞬時に理解することができた。
その時、下で状況を理解していないミキがゴソゴソと体を動かす。
「どうしたの――むぐぅ」
ミキが口を開いたので、とっさにオレは手のひらを彼女の口に当て、言葉を封じる。
オレは深く息をついた。
体の硬直は解けていた。
そして、今すべきことは1つだけ。
オレは体を起こした。
そのまま、ミキの手を掴んで引っ張りあげ、起き上がらせる。
「んん……?」
ミキは軽く声を上げた。
彼女の手を少し強く握り、引っ張って歩き出す。
「え、え?」
彼女は軽く声を上げながらも付いてきてくれる。
少し頬を染めながらこちらを見ていた。
だがオレはそのまま歩き続けて、さらに曲がり角を曲がり、アスナとヒロキの姿が視界に入らないようにする。
2人が見えなくなったところで歩くペースを落とす。
すると、ミキが口を開いた。
「あそこにいたの、アスナと内藤くんだったよね?」
「少し、そっとしといてやろう」
オレはそう言って微笑み、引っ張っていた手を離そうとした。
手のひらに伝わる温もりが遠ざかる。
しかし、離れかけた手が再び握られる。
オレはミキの顔に目をやった。
彼女は少し顔を逸らしながらも、こちらに目を向けていた。
「お願い、離さないで」
アタシたちは侵入者2人が通って行った跡をただ見つめていた。
「……びっくりした」
アタシは口を開く。
すると、ヒロキくんが笑いながら言った。
「ホントに」
アタシもなぜだか先程までの緊張が嘘のようにほぐれてしまって、おかしくなって笑い声を上げた。
無音だった校舎裏に、2人分の笑い声が響く。
しかし、その笑い声もだんだん小さくなり、止んだ。
アタシは目からにじみ出てきた涙を軽く拭う。
すると、目の前で立っていたヒロキくんが、しゃがむ。
目線の高さがだいたい同じになり、アタシとヒロキくんの視線が一直線上で交差する。
「さっきの話だけど」
ヒロキくんが口を開いた。
彼は少し恥ずかしそうに上を見上げた。
アタシは声を上げる。
「別に返事は今じゃなくても……!」
「ううん、僕が今したいんだ。聞いてくれるよね?」
そう言うと彼は、アタシの口に人差し指を当てて反論を封じた。
「……うん」
アタシは頷く。
ヒロキくんは意を決したようにこっちをじっと見てくる。
アタシは思わず息を飲んだ。
彼の唇が動く。
「……ありがとう」
その言葉に、アタシはどこか聞き覚えを感じていた。
こんなシチュエーション、初めてのはずなのに。
まるで初めての気がしなかった。
だけど――
「こんな僕でよければ」
――この言葉を聞いたのは、初めてな気がした。
歩いているうちに、昇降口が見えてきた。
右手の手のひらからは、ミキの温もりが伝わってきている。
隣にいるミキと一緒に昇降口を通って校舎内に入る。
下駄箱の前で、オレたちは靴を履き替えるためにお互いの手を離した。
下履きから上履きに履き替える。
その間も、オレたちは言葉をかわすことができなかった。
互いに緊張していたのか、言葉が喉を通らなかった。
靴を履き替え終わって、教室に向かって歩き出そうとしたその時、ミキが後ろからオレにしがみついてきた。
胸のあたりに彼女の腕が回される。
背中に彼女の温もりと何やら柔らかい物が当てられる。
「アスナと内藤くん……」
ミキの声が聞こえてくる。
顔を見ることができないので、どんな表情をしているのかは分からないが、その声は少し震えていた。
「あの2人、付き合うのかな?」
彼女の声が耳に刺さった。
そのまま貫通して、心に穴を開ける。
ついさっきまでアスナの恋を叶えるために行動していたのに、変な話だ。
その開いた穴から、悔しさにも似た感情が溢れ出す。
自分の行動は成功したというのに、全く達成感は湧いてこなかった。
オレは声を絞り出す。
「そうだろうな……まあ、よかったじゃないか」
自分の発した言葉とは裏腹に、胸がズキズキと痛む。
オレの頬に、何か冷たいものが垂れる。
視界が滲んでいく。
もう、目の前もろくに見えやしない。
オレは乱暴に目をゴシゴシとこすった。
それでも、目から溢れ出る感情は止まりやしなかった。
「リョウ……」
すると、ミキの優しい声がオレを包み込んだ。
彼女の手が、オレの心をさすってくれている。
オレは目を固く閉じ、歯を食いしばって、涙をこれ以上出すまいとした。
声が漏れてしまう。
「く……ぅう……」
その時。
オレを包み込んでいた温もりがオレから離れた。
だが、次の瞬間には、オレの頬に柔らかな手が当てられ、薄目を開くと、視界いっぱいにミキの顔が広がっていた。
続いて感じる唇に押し当てられる柔らかな温もり。
「……ごめん」
彼女はそう言って、唇を離した。
その顔は真っ赤に染まっていた。
顔を俯け、視線は床を見ていた。
急に温もりから解放され、オレはとてつもない空虚感に襲われた。
「卑怯だよ」
オレはそう言って、彼女に両手を伸ばした。
「じゃあ、また明日」
ミキは分かれ道でオレとアスナが帰る方向とは別の方向へ歩いて行った。
「またね」
「じゃーな」
オレとアスナはそれぞれ彼女に手を振った。
そして、帰り道を再び歩き出す。
お互い、黙ったまま歩き続けた。
そうしているうちに、アスナの家が見えてくる。
オレの家はもう少し真っすぐ行ったところにある。
突然、アスナが立ち止まる。
「一応、リョウには言っとかなくちゃね」
それを聞いて、オレも立ち止まり、アスナに向き直る。
彼女は宙に目線を泳がせながら言った。
「アタシね、ヒロキくんと付き合うことになったんだ」
「そっか」
オレは必死で自分の内側を落ち着かせながら言った。
「よかったじゃんか」
「うん!」
アスナはそう言うと、笑顔を浮かべながらこちらを見た。
その笑顔はまぶしすぎて、オレは顔を逸らした。
「まあ、オレのおかげだな」
そう言って、オレはアスナに背を向け、歩き始める。
アスナもそれに付いてくる。
「その……ありがとね」
彼女はそう言って頬を軽く染めながら、こちらを見上げてきた。
それを見てると、オレの葛藤はとたんに吹き飛んだ。
オレは軽く目を閉じた。
ああ、これでよかったんだ。
そんな中、オレはめまいがしているのに気付いた。
校舎裏を歩いていた時と同じような悪寒を感じる。
……まさか。
急いで目を開けようとする。
そして、目を開けた先に見えたのは――




