第5話
「野田、これ、どうすればいいんだ?」
オレはペンタブを操作しながら、スクリーンとにらめっこしている野田に声をかけた。
合宿2日目。
眩しい朝日がペンション内を明るく照らしている。
オレたち4人は、それぞれ1列に並んだPCに向かって、作業を行なっていた。
シナリオを書き終わっているオレは、実質的な仕事は何もないので、イラスト担当の野田の手伝いをすることにしたのだが……。
「え、どこ?」
野田が作業を中断して、オレの方へ来てくれる。
絵心はないので色塗りを手伝っているのだが、PCで絵を描いたことがないオレは色を塗るだけでも四苦八苦していた。
「ああ、ここはね、ここツールを使って――」
そう言いながら、彼女は画面上のアイコンを指さす。
オレは、そのアイコンにマウスポインタを合わせてクリックする。
「それでここをこうして――」
「ねぇミキ、これどうやって塗ればいいの?」
アスナが野田に向かって手招きをする。
彼女もオレと同じで色塗りを手伝っているのだが、やはり条件はオレと同じ。
これなら野田が1人でやったほうが早いのではないか、と思ったりもしたが、それは言わないことにした。
「どこどこ?」
野田はアスナの方に向かう。
オレは野田に言われたとおりに作業を再開した。
隣に座っているヒロキの方に目を向ける。
カタカタとキーボードを打ちながら、画面を凝視している。
とても真剣な表情を浮かべていた。
オレは、再び目の前のモニタに視線を戻した。
「お腹空いたぁ!」
アスナが、大きく伸びをして声を上げた。
時計を見ると、もう12時を過ぎていた。
「昼飯作るか」
オレは立ち上がり、キッチンに足を運ぶ。
「アタシも手伝うー!」
「いや、お前は座ってろ」
アスナがそう言って立ち上がりかけたが、オレはとっさにそれを制す。
「えー」
そう言いながらも、アスナは椅子に座り直した。
オレはスパゲティ麺があるのが目に入った。
「スパゲティでいい?」
「いいよー」
アスナと野田が返事をしてくれる。
ヒロキは相変わらずPCに向かったままで、反応すらしない。
まあいいだろう。
オレは、スパゲティ麺を茹でるために鍋に水を入れ火にかけ始めた。
「できたぞー」
オレは完成したスパゲティをリビングに運ぶ。
アスナと野田がオレの声に反応して、リビングに入ってくる。
そしてアスナはテーブルの上のスパゲティを見るなり、目を輝かせた。
「おお、おいしそう! 何スパ?」
「モッツレラとナスのトマトソーススパゲティってところかな」
アスナと野田は椅子に腰掛けた。
ヒロキはまだ降りてこない。
「あいつまだやってんのか、ちょっと呼んでくる」
オレは、ヒロキの様子を見に行った。
すると、案の定まだPC画面とにらめっこをしていた。
オレはそんな彼に声をかけた。
「飯できたぞ」
「あ、うん」
そう言ったが、ヒロキは黙々と作業を続けている。
「食べないのか?」
「もうちょっとでキリがいいから先食べてて」
「お、おう」
オレは、言われるがままにリビングに戻った。
「内藤くんは?」
戻ってきたオレを見るなり、アスナが聞いてきた。
オレは、椅子に座りながら答える。
「あとちょっとでキリがいいから、先食べててってさ」
「そっか、じゃあ食べちゃおう。お腹ペコペコだし!」
「そうだな」
「いただきまーす」
そう言ってアスナと野田が食べ始めた時、ヒロキがリビングに入ってきた。
苦笑いしながら、ヒロキは椅子に座る。
「ごめんごめん、つい夢中になっちゃってて。あ、おいしそう!」
「お疲れさん」
オレはヒロキに声をかけた。
「いやー、すごい疲れたよ。なんかもう1日分作業した感じ」
そう言いながらヒロキはスパゲティを口に運ぶ。
「そうだよねー、今日すごい捗った」
うんうんと首を縦に振りながら、アスナが言った。
見ると、彼女の分のスパゲティはあっという間にたいらげられていた。
「ってことでさ」
アスナは食器を洗い場に持っていきながら、口を開く。
「午後から海に遊びに行かない?」
オレたちは、苦笑いを浮かべた。
「1番乗りー!」
昼飯を食べ終わった途端、ささっと水着に着替えたアスナは1人で、海に向かって走っていった。
「あ、待ってよー!」
そう言って、その後をヒロキが追いかけていく。
彼は、またしても服の下に水着を着ていた。
「あいつ、また下に着てたのかよ」
オレは、呆れながら2人の後ろ姿を見送る。
「広澤くんは行かないの?」
後ろから、パーカーを羽織った水着姿の野田に声をかけられる。
オレは洗い場の方に目を向けながら、苦笑いを浮かべた。
「ああ、残って皿洗ったり片付けないと」
「私も手伝おうか?」
「いや、いいよ。あれくらいすぐ終わるし」
「じゃあ、先行ってるね」
「うん」
そう言い残して、野田は先に行った2人の後を追いかけていく。
「さて、と……」
オレは、軽く肩を回しながら洗い場に向かった。
それから、どれくらい経っただろうか。
洗い場、調理場、リビング。
それらは眩しい太陽の光を浴びて、キラキラと光り輝いていた。
「結局掃除してしまった」
本当は、使った食器を洗ってから3人に合流しようと思っていたのだが、少し汚くなっていた室内を見ていると、居ても立ってもいられなくなったのだ。
額に浮かんだ汗を拭いながら、ソファに身を投げた。
「なんか今から行くのもな……」
見ると、時計の針は15時を指していた。
室内はクーラーがかかっているから少し涼しいが、窓から外を見ると、ジリジリと音を立てそうなほど太陽光線が砂浜を焼きつけ、熱気で風景が少し歪んで見えるほどだ。
オレは室内に目を戻した。
「なんか眠くなってきたな」
オレは、ソファにどっしりと座り込んだまま、静かに目を閉じた。
すると、窓越しに、今まで聞こえてこなかった音が聞こえてきた。
遠くの方でセミの鳴く声、風が木々を揺らしている音、波の打ち付ける音。
そして、何かが砂を踏みつける音。
それに気づいて目を開けた途端、テラス側の窓がガラリと開いた。
「あーっ、まだ着替えてない!」
見ると、野田が立っていた。
オレは思わず聞いた。
「あれ、もう帰ってきたの?」
「広澤くんがいつまでも来ないから様子見に来たんだよ……」
そう言いながら、野田は室内に入ってきて窓を閉めた。
そしてオレの側に寄ってくる。
「海、行かないの?」
「ああ、なんか掃除したら疲れちゃって。いつもの癖でさ」
オレはそう言って苦笑いした。
「ホントだ、すごく綺麗になってる……じゃあ私ももう疲れたし、着替えてくるね」
野田はそのまま自分の部屋に入っていった。
再び、リビングは静けさを取り戻す。
しばらくして、着替え終わった野田がリビングに戻ってくる。
そして、オレの隣に座った。
汗の匂いと磯の香りが混ざったような匂いが漂ってくる。
だが、不思議と不快ではなかった。
「アスナとヒロキはまたはしゃぎ回ってんの?」
オレは、天井に視線を向けたまま口を開いた。
「うん、多分今は海で泳いでるんじゃないのかな」
「ヒロキの体力が持つか心配だな」
今繰り広げられているであろう光景を思い浮かべ、オレは軽く笑みを漏らした。
自分のペースでガンガン泳ぐアスナ。そしてそれに振り回されるヒロキ。
昔、アスナと家族ぐるみで海に行った時に自分も経験したことだったので、鮮明に思い浮かべることができた。
それと同時に、懐かしさがこみ上げてくる。
物思いにふけっていると、野田がこちらを見ながら尋ねてきた。
「内藤くんってそんなに体力ないの?」
「アスナの体力が異常すぎるんだよ。あれは、並の男子じゃ勝てない」
「ああ、そっか……」
そう言って、野田は納得したようだった。
「さっきまでビーチバレーしてたんだけどね、アスナ対私と内藤くんで」
野田は、先程までのことを話し始めた。
「全然勝てなかったよ。アスナ1人でアスリート選手みたいに動きまわって私たち1回も決められなかった」
「まあそうだろうな、体の作りが根本的に違うんじゃないかと思うほど昔から運動得意だからな、あいつ」
オレはそう言いながら、ニヤリと口元を歪めた。
すると野田は少し驚いたように目を見開いた。
「え、小さい頃からあんな感じなの?」
「もう初めて知り合った頃から、体動かす系の遊びでは周りに敵無しだったな」
「へぇー、じゃあ鬼ごっことか」
「ああ、アスナが鬼になったら、絶対に逃げきれなかったな」
そう言って、乾いた笑いを上げてみせる。
その時のことを思い出してため息をつきながら、言葉を続ける。
「オレは必死で逃げてたのにさ、アスナのやつはケラケラ笑いながら、こっちに向かって手を振りながら追いかけてくるんだぜ。待て〜って言いながらさ……あれはホント怖かった」
「昔から変わらないんだね。さっきも同じような感じだった」
野田はそう言い、目を閉じて背もたれにぐったりと体を預ける。
あまり運動が得意な方ではない2人に対して、本気を出す大人げないアスナの姿が容易に想像できる。
助太刀してやればよかったと反省するほど、それは一方的だったに違いない。
「おかげでもうヘトヘトだよ……」
そう言って、野田は体をこちらに少し傾け、オレに体に彼女の体重が乗せた。
今更、オレと彼女の距離がかなり近かったことに気づいた。
野田の方に顔を向けると、その金色の髪の毛が目と鼻の先にあった。
彼女の香りが鼻をくすぐる。
薄い服越しに、彼女の体温が伝わってくる。
昨日の夜の出来事が、頭の中でフラッシュバックする。
途端にオレは気恥ずかしくなったが、無理に動くこともできないのでただ固まっていた。
野田はというと、うつむいたまま何も言わなくなってしまった。
互いに黙ったまま、時だけが静かにすぎていく。
「広澤くんはさ」
ふと、野田が視線を下に向けたまま口を開いた。
「アスナのどんなところが好きなの?」
「……は、はぁ?」
オレはびっくりしてしまって、アホみたいな声を出してしまった。
何を言っていいかもわからなくなってしまい、オレはただ野田の髪の毛を見つめたまま、口をぽかんと開けていた。
「私はね、あの無邪気で誰に対しても当たり障りなくて、いつでも元気なところが好き」
そう言って、彼女は顔を上げてオレの目を覗きこんだ。
至近距離で目と目が合う。
思わず、オレは少し顔を引いた。
「広澤くんは?」
そう言いながら、野田はオレが引いた分だけ近づいた。
「オ、オレは……なんだろうな……」
オレは言葉を濁しながら少し考えこむ。
アスナのどこが好きなのか。
友達として、幼なじみとして?
それとも――
考えれば考えるほど、答えがわからなくなった。
「特に特別な理由はないよ、たぶん」
オレは、目だけ彼女の方から逸らした。
すると、彼女は再びうつむいた。
「そっか……」
そう言って、野田は体を少し起こす。
そしてそのまま、彼女はオレの腿あたりに頭を乗せるように横たわった。
彼女の小さな手が、オレのズボンを軽く握った。
小さな声が、野田の口から溢れる。
「それは、私にもまだチャンスがあるってことかな……」
「ん、まあ今日の夕飯は野田が好きなモノ作ってもいいけど」
オレは無理矢理笑みを浮かべて、声を絞り出した。
それにもかかわらず、野田はまったく聞いていないというふうに言葉を続けた。
「私はね」
「今日はどうしようか。和風料理、それとも洋風の方が好き?」
聞きたくなかった、彼女の言葉の先が。
聞かないほうが楽だ。人間関係を壊す心配もない。
これ以上言わないでくれ……。
「私は――」
「あ、オレは中華も好きだけど」
オレは、必死に今夜の夕食の話に持っていこうとした。
しかし、野田がバッと起き上がり、オレの服を引っ張って掴む。
互いの顔が、もう少しで触れそうなほど近づく。
彼女が口を開いて、言葉を吐き出した。
「私は、広澤くんのことが好き。他の誰よりも――」
「オレは……」
そう言ってオレは彼女の言葉を無理やり遮った。
暖かい息が、軽く口元に触れる。
彼女のまっすぐな目が、オレの眼の奥を見つめてくる。
「やっぱり、和風料理が好きだな」
オレは、顔を背けた。
「はぁ……」
オレはため息をつきながら、部屋のベッドの上で寝返りを打った。
結局あの後、野田はいつも通り接してくれたが、オレの方はそうもいかず、ギクシャクしながら夜を迎えた。
さっさと風呂に入ったオレは、逃げるように部屋にこもったのだ。
頭の中で野田の言葉がリピート再生される。
『私は、広澤くんのことが好き。他の誰よりも――』
あの時、何と返すのが正解だったんだろうか。
そう考えているうちに、どんどんドツボにはまっていく。
「ああ、もう……」
オレは布団にくるまった。
「リョウ」
ノックの音が聞こえ、ドアが開いてヒロキが入ってくる。
オレは顔だけ布団の中から出して、ヒロキの方に向いた。
「どうした?」
「それはこっちの台詞だよ」
そう言いながら、ヒロキはベッドの上に座った。
「野田さんと何かあった?」
「わかる?」
「篠田さんも心配してた」
オレはそれを聞いて、布団から出てベッドの上で座り込んだ。
「あいつにまでわかるってことは相当だったんだな」
そう言って、オレは力なく笑った。
ヒロキはそのまま静かに座っているだけだった。
「だけど、これはヒロキには言えない……かな」
「野田さんに告白された?」
ヒロキは、軽く笑ってこっちを見ながら言った。
核心を突かれたオレは、肩がビクンと震えた。
とっさにごまかそうとする。
「いや……」
「いいんだよ、別に。野田さんがリョウの事好きなのは知ってたから」
オレは言葉が出なかった。
なにもかもお見通しだったことに驚いてしまっていたからだ。
だが、同時に安心もしていたかもしれない。
ヒロキがまた口を開く。
「どう、仕向ける側から仕向けられる側になった気分は?」
「仕向けられる……側……?」
オレは大きく目を見開いた。
ヒロキはニヤリと笑った。
「何のために僕がクタクタになるの覚悟で篠田さんを泳ぎに誘ったと思ってるのさ」
「まさか、わざと……」
「まあ、いつかのお礼だよ」
オレは春にヒロキと野田を部室で2人きりにしたことを思い出した。
まあ、あの時はドアの向こうにアスナがいたから厳密には2人きりではなかったが。
「で、なんて返事したの?」
ヒロキが聞いてくる。
「和風料理が好きだ」
「……え?」
ヒロキが聞こえなかったとでも言うように首を傾げた。
オレは、もう一度繰り返した。
もちろん、真顔で。
「和風料理が好きだ」
「何の話?」
「だから、返事」
ヒロキがポカーンと口を開けた。
オレは、気まずくなって視線をそらした。
ヒロキが呆れながら言う。
「要するに、はぐらかしたってこと?」
「そう……なるな」
それを聞いたヒロキが、大きくため息をついた。
そして、まっすぐにこちらを見据えた。
「リョウ」
その声のトーンは、今まで聞いたこともないほど低かった。
「僕はリョウが野田さんと付き合うのも、断るのも、野田さんのことを真剣に考えて答えた後の結果なら受け入れるし、応援する」
そう言うと、ヒロキは立ち上がってオレに背を向け、ドアの方に歩き出す。
「でも、リョウが野田さんの気持ちを踏みにじって弄ぶっていうなら、僕は許さない」
そして、ドアの前に来たところで立ち止まった。
ヒロキは静かに言った。
「この後、どうするの」
ヒロキは軽くこちらを振り返った。
別人かと思うくらい、目付きが鋭い。
オレはようやく口を開いた。
「1つ聞いていいか?」
ヒロキは黙って頷いた。
オレは言葉を続ける。
「ヒロキは野田の事好きなんだろ?」
「気持ちはあの時から変わってない」
「だったら、オレが野田の気持ちを受け入れてもいいのか?」
それを聞いて、ヒロキは体ごとこちらに向き直った。
「僕は、好きな人が笑っていてくれることが1番の幸せなんだ」
ヒロキはそう言うと、再びドアの方に体を向けた。
ドアノブに手を掛ける。
「じゃあ、おやすみ」
ヒロキはドアを開け、自分の部屋に戻っていった。
開け放たれた扉が、1人で静かに閉まる。
「……」
部屋には、オレだけが残された。
好きな人が自分のものにならなくてもいい?
幸せになってくれれば、自分も幸せ?
「……そんな訳があるか」
オレは拳を握りしめて、ボソリとつぶやいた。
ふと、野田の言葉が思い出される。
『どんなところが好きなの?』
アスナがヒロキのああいう他人の気持ちを優先するところが好きなんだとしたら。
その優しさが、好きなんだとしたら。
「フッ……フフフ……」
全く笑いたい気分ではないというのに、なぜだか笑いが勝手にこみ上げてきた。
もう、何もかもどうでもよかった。
「オレは、お前みたいには優しくなれねぇよ」
そう吐き捨てると、オレは立ち上がり、部屋を出た。
目の前のドアを軽くノックする。
すると、ドアが開き、野田が顔をひょっこり出した。
「広澤くん……どうしたの?」
野田は少し怪訝そうな顔をしていた。
もうとっくに夜の0時を過ぎていたので、当然の反応だ。
オレは小声で言った。
「遅くにごめん。入ってもいいかな、話があるんだけど」
「ああ、うん。別にいいよ」
そう言って、野田はオレを中に招き入れてくれた。
部屋の中は適度に整頓されていて、綺麗にされていた。
野田はベッドに腰掛けた。
「座っていいよ」
野田は、自分の隣の場所を手で軽く叩いた。
オレは言われるままに座る。
大丈夫だ、ちゃんと言うことは考えてきた、と自分に言い聞かせながら、オレは口を開いた。
「あの時はごめん」
「あの時?」
「せっかく告白してくれたのに、ちゃんと返事しなくて……」
「その事なら気にしなくていいよ」
野田はそう言って笑う。
だが、それは無理して笑っているようにしか見えない笑いだった。
「だって、広澤くんは……アスナのこと……」
野田はそう言いながら、顔をそらした。
彼女が軽くしゃくりあげるのが聞こえた。
「好き……なんだよね?」
野田は、軽く目の辺りをぬぐってこちらを見た。
少し赤くなった目がオレの目を見据える。
オレは少し深呼吸をする。
決意を固め、オレは口を開いた。
「……昔の話だよ」
「え?」
オレの声を聞いた野田が軽く目を見開いた。
「オレのこと、嫌いになってない?」
「もちろん!」
「あの時の返事、今してもいいかな」
「……」
彼女は軽く口を開けたままポカンと呆けていた。
そして、そのまま軽く首が縦に振られる。
オレは野田の目をまっすぐ見据えた。
彼女はゴクリと息を飲む。
静かに息を吸い、言葉を発するために口を動かした。
「オレと、付き合って欲しい」
「……!」
野田は更に大きく目を見開き、キョロキョロとした後に顔を背けた。
よく見えないが、顔が紅潮しているのではないだろうか。
オレはさらに続ける。
「あの時はあんな事言っといて、今更都合よすぎって思うかもしれないけど、あの後よく考えて思った。野田となら付き合ってもいい、たとえ今恋人としての感情が薄くても、これから2人で過ごしていくうちに好きになれる、うまくやっていける……そんな気がする」
考えてきた台詞を冷静に読んでいく。
オレはそこで一呼吸置いた。
野田はそらしていた顔をこちらに向け、恐る恐るオレの方を見た。
「そんな気持ちでよければ、オレは野田の気持ちに答えられる」
それを聞いた野田は一瞬視線を下に落としたが、すぐにこちらを見直し、こう言った。
「それじゃ、嫌だよ……」
その時の野田は、少し顔をしかめていた。
オレは潔く諦めて引くことにした。
「だよな……そんな曖昧な気持ちじゃ――」
「違う」
野田はオレの言葉を遮った。
そして、さらに息を吸う。
「野田、じゃあ嫌だよ」
「?」
オレは彼女が何が言いたいのかわからずに、無言で首を傾げる。
すると、野田は少し目線を下げながら、恥ずかしそうに口を開いた。
「名前で……呼んでよ」
そう言い終わった途端、野田は真っ赤になった顔をそらした。
彼女に向かって手を伸ばす。
オレは、自分の胸に彼女を押し付けた。
腕でしっかり抱き寄せる。
そして、さらさらの髪を軽く撫でる。
シャンプーの香りが鼻をくすぐる。
オレは、再び大きく息を吸った。
「ミキ、付き合おう」
オレの体に彼女の腕が回される。
「うん……」
オレの腕の中で、ミキの小さな顔が頷く。
そのまま耐え切れなくなったオレは、彼女の体をベッドに押し倒した。
そして、その上から覆いかぶさる。
ミキの口が小さく開く。
「リョウ……」
オレはその口を、塞いだ。
朝日が、閉められたカーテンの隙間から入ってくる。
オレはベッドの上で軽く体を起こす。
「朝……か」
オレは、横で眠っているミキを見た。
「よく眠ってるな。まあ、そりゃそうか」
オレは朝飯を作るために起き出そうとした時、服の裾が引っ張られた。
ミキが目をこすりながら、オレの服を掴んでいた。
「おはよ、起こしちゃったか」
「おはよう。朝ごはん作りに行くの?」
「ああ、結構いい時間だしな」
時計を見ると、朝の7時を指していた。
おもむろにミキが体を起こした。
そしてオレの唇に彼女のそれが一瞬、軽く重ねられる。
「リョウ……」
そしてミキは小さな声でしゃべりはじめた。
「私のこと、好きになった?」
「昨日よりは好きだ」
オレは静かに返した。
ミキは軽く微笑む。
「私は好きだよ、リョウの事。すっごく」
「知ってる」
オレは恥ずかしくなって、思わず顔をそらした。
だが、ミキはまっすぐにオレを見ていた。
「だから、私……頑張る。アスナの代わりにはなれないけど、リョウにもっと好きになってもらえるように」
そう言ったミキの目は、少し悲しげな色をしていた。
確かに、結果的にアスナがオレの手に入らないから変わりを求めたようになってしまったが、オレはアスナの代わりが欲しかったわけでは――
「たとえ、リョウが自分に自信が持てなくても、私がリョウのいい所をいっぱい知ってる」
ヒロキに劣っているオレのことを、ミキは選んでくれた。ヒロキを選ぶことができたにも関わらず。
だけどオレは、そんな優越感に浸りたいわけでは――
ミキは、オレのことを抱きしめた。
そして言い聞かせるように言葉を吐き出す。
「たとえ都合のいい女だって見られたとしても、私は気にしないから。リョウと一緒に入られるだけで幸せだから……」
そこで気づいた。
オレの頬には、涙の跡がついていた。
とっさにそれを手でこする。
「ごめんね、寝言……聞いちゃったんだ」
オレは寝ている間に涙を流しながら何か口走ってしまっていたのか。
ミキの方を掴んでオレから引き離し、立ち上がる。
彼女は心配そうにこちらを見た。
「ごめん、怒ってる?」
「いいや、違うよ。ちょっと顔を洗ってくる」
確かに怒っていたが、ミキに対して怒っていたわけではなかった。
どこまでも最低な自分自身に対して腹が立っていた。
オレはそのまま部屋を出て、洗面所に向かった。
部屋に戻る途中で、リビングを少し覗いた。
そこには、すでに起きていたヒロキとアスナがソファに座って2人で話していた。
何かを言うヒロキ。
それを聞いて、満面の笑みを浮かべるアスナ。
その表情は、何年も一緒に過ごしてきたオレでさえも見たことがない、とても幸せそうなものだった。
それを見た途端、オレの腹の底から何かどす黒いものが沸き上がってくるのを感じた。
2人を尻目に、再び洗面所にこもった。
「う……ぐほっ」
ビチャビチャと汚い音を立てて、胃液が便器に排出される。
それと一緒に目からは涙が大量に溢れ出て、止まらなくなる。
「何なんだよこれ、何なんだよ……」
振り切ったと思った想いは、更に強くなり、オレの心を苛んでいた。
見たことのない表情をオレ以外の誰かに見せているのが我慢ならない。
嫉妬で気でも狂いそうだった。
嘔吐が収まり、口元を拭う。
そこで、オレは気づく。
アスナじゃないとダメだ。
オレが必要なのは――ッ!
再び強烈な吐き気がオレに襲いかかり、口からすごい勢いで体内のものをぶちまける。
オレは、目の前が真っ白になっていくのを感じた。
「……」
目を開けたオレが最初に見たものは、夕日で赤く染まる電車の窓、そしてその向こうの景色であった。
「あ、起きた」
オレの隣に座っているヒロキが声を上げる。
周りを見渡す。
ヒロキの隣にはアスナ、そしてその隣にはミキが、電車の7人がけのシートに並んで座っていた。
オレは、その一番端っこに座っている。
今乗っている車両には、他に乗員はいなかった。
「ここは……?」
「何、寝ぼけてるの?」
アハハと高い笑い声を響かせ、アスナが笑った。
上を見上げると、金網に載せられた荷物が見える。
電車のアナウンスが聞こえる。
それらから察するに、どうやら合宿からの帰りの電車らしい。
「そっか、合宿って終わったのか……?」
オレはボソリとつぶやいた。
それを聞いて、ヒロキが口を開く。
「そうだよ、いくら名残惜しいからっていつまでも合宿気分じゃ困るなー」
アスナが再び笑った。
何もかも、夢だったのだろうか……。
混乱する。
状況はどうなっているのか。
どこまでが夢でどこまでが夢じゃないのか。
「ミキ」
確かめるべく、オレはとっさにミキに声をかけた。
「ど、どうしたの、広澤くん?」
いきなり名前を呼ばれたからか、ビクッと体を揺らし、明らかに動揺している。
そして、オレに対する呼び方も戻っている。
ということは、告白イベントは夢だったということだ。
「いや、やっぱりいいや」
「なになに、気になるぞー!」
ミキではなく、なぜかアスナが食いついた。
「何でもないって言ってるだろ」
夢だろうと思えば思うほど、とてもリアルな感覚が残っていることが引っかかる。
ミキの髪から漂う香り、ミキの体温、唇の柔らかさ。
全てを体が覚えている……気がする。
「どうしたリョウ、なんか変だぞ」
黙りこんでいるオレを見て、ヒロキが声をかけてくる。
「いや、ちょっと寝ぼけてるみたい」
そう言って軽く笑い、ごまかす。
「ならいいけど」
「ねえねえ、リョウも起きたことだし、しりとりしようよ、しりとり!」
アスナがはしゃぎだす。
「いや、意味がわからん」
オレは目を細めてアスナを見る。
「よし、やるか?」
「久しぶりにしりとりっていうのもいいかも……」
なぜかヒロキとミキがノッた。
アスナがオレを指さす。
「よーし、じゃあ端っこのリョウから!」
「なんでだよ……しりとり」
「りんご」
次々にそれぞれ単語を言っていく。
「強盗団」
「あ……」
「嘘だろ……」
アスナがいきなり終わらせた。
「ごめん、もう1回もう1回!」
「しょうがないなー」
「しりとり」
「りす」
……。
やっているうちに、夢のことが気にならなくなっていた。
ま、わからないことを考えてもしょうがない。




