第4話
「あっちぃー……」
オレはそうつぶやくと、Yシャツの袖で顔を湿らせている汗を拭った。
教室の中の温度は、30度を超えているんじゃないだろうか。
窓は全開になっているが、閉められたカーテンに遮られ、風はほとんど教室内に入ってくることはなかった。
そして、そのカーテンもあまり役に立っておらず、隙間から突き刺すような日光が教室を加熱している。
「これは、熱中症になる人が出てきてもおかしくないね……」
オレの後ろの席で、机にグデーッと体を預けたまま、ヒロキが口を開いた。
これは、教室に早急にクーラーを設置しないと死人が出るのではないだろうか。
そんなことを考えながら、オレはヒロキに提案する。
「今度、マジで生徒会にクーラー設置を訴えるか」
「よし、今すぐ行こう!」
ヒロキが嬉々として乗ってきた。
「よし、それじゃあ早速――」
「生徒会に何か用かい?」
そんな声が聞こえ、ヒロキの後ろの人影に気付く。
ヒロキは、後ろを振り返った。
オレは、彼の後ろに立った人物を見上げた。
すらりとした長身で細身の青年。
細長いメガネが、太陽光を反射してキラリと光る。
そしてその奥の細い目が、じっとこちらを見つめてきていた。
「山岸、教室にクーラーつけるように先生たちに直談判してきてよぉ!」
ヒロキが山岸にしがみついて訴えた。
山岸は同じクラスの男子だが、生徒会に所属していて、会長の右腕とも言われる人物だ。
そして、かなりのキレ者なのである。
彼にかかれば、クーラー設置にこぎつけるのは朝飯前なのではないだろうか。
山岸はメガネの位置を中指でクイッと直し、流れるように言葉を発した。
「その必要はない」
「そこをなんとか!」
山岸の鋭い視線が突き刺さる。
だが、ここで引き下がる訳にはいかない。
「もう、すでに交渉は始まっている」
そう言って、山岸の口元がニヤリと歪む。
ヒロキはそんな彼をはやし立てた。
「さすが、生徒会長の右腕!」
「で、設置してもらえそうなのか?」
オレはたまらず尋ねた。
「心配ない。このまま何事もなければ、夏休み中には全教室にクーラーが設置されるだろう」
「夏休み中かよ!」
オレとヒロキは、同時に頭を抱える。
「今が一番欲しいのに……」
ヒロキは、ため息を吐きながら言う。
それを聞いた山岸は、軽く胸の前で腕を組んだ。
「それはどうにもならない。設置するためには工事が必要になる。授業があるうちは今すぐ、というわけにはいかないのだ」
「ちぇ、結局夏休みまでは糞暑いままかよ……」
「我慢しろ。それはそうと、内藤」
そう言いながら、山岸はまたメガネに手をやり、中指でクイッとやった。
「何?」
「文化祭の出店用の申請書、まだもらってないんだが?」
「……あ」
ヒロキはしまった、とでも言いたげに口に両手を添えた。
オレはそんなヒロキを小突いた。
「おい部長」
「ご、ごめん……ハハハ。今から書こうと思ってたところなんだよねー」
「それなら早くしろ、生徒会も暇ではないのだからな」
「は、はーい……」
山岸の鋭い視線を受けて、ヒロキはすごすごと鞄から書類を取り出した。
「ちょっと待っててね、すぐ書くから」
「まったく……」
ガリガリとボールペンを走らせるヒロキを見て、山岸は呆れ顔を浮かべる。
「そういえば、ゲー研は合宿とかする予定は?」
そんなヒロキを傍目に、山岸はオレの方に視線を向けて尋ねてきた。
「さあ……まあやらなくてもいいよな、ヒロキ?」
オレがそう言った途端、ヒロキの手がピタリと止まった。
そして、プルプルと震え始める。
オレはその様子を見て、恐る恐る聞いた。
「おい、どうした、ヒロキ?」
「合宿……」
そしてヒロキは、いきなり拳を握って机に叩きつけた。
その時の彼の顔は、とても活き活きとしていた。
「やろう、合宿!」
「――と、いうわけで」
ヒロキはそう言うと、部室内を見渡した。
オレたち1人1人の顔を見てから、こう続けた。
4人で部室のテーブルを円卓会議よろしく囲んで座っていた。
「夏休みに合宿をやります!」
部室に微妙な空気が流れる。
見ると、アスナと野田は突然の展開についていけず、口をぽかーんと開けていた。
「質問」
アスナが手を上げた。
彼女は、困惑気味にこう言った。
「それってさ、意味あるの?」
ヒロキは静かに目を閉じる。
そして、黙り込んだ。
蝉の鳴き声が聞こえてくる。
ヒロキは、クワッと目を開けて言い放った。
「やりたいじゃん、合宿!」
それを聞いたアスナは、肩をガクッと落とした。
「え、まさかそれだけ?」
「うん」
「ホントに?」
「もう申請書も出しちゃった」
「はぁ……」
アスナは呆れて頭を抱えた。
「でも……」
そこで、野田が声を上げた。
「私もちょっと行ってみたいかも、合宿」
「だよね、野田さんもそう思うよね!」
「ミキまで……」
野田の輝かんばかりの目を見て、アスナはため息を付いてしまった。
「これで3対1だよ。どうする、篠田さん?」
「おい、いつからオレはそっち側になったんだ」
立場を捏造されそうになったオレは、すかさずツッコんだ。
「僕達は一心同体だろ?」
「はぁ……」
オレは相手にしきれなくて頭を抱えた。
こうなると、ヒロキは手が付けられない。
……というよりめんどくさい。
「わかったわかった。もういいよ、そっちで」
「リョウ!?」
アスナが目を大きく見開いて、こっちに振り向いた。
ヒロキは、ニコニコしながら得意げに言う。
「よし、決まりかな?」
「しょうがないわね……」
「やった!」
ヒロキはアスナの言葉を聞き、ガッツポーズをする。
「でも、どこに行くの?」
アスナは再び口を開いた。
「うーん、未定?」
「だろうな……」
オレは、もう呆れて反論する気力もなかった。
アスナはそれでも口を開く。
「大体、PC環境が整ってる合宿場なんてあるの?」
「まあ、ないだろうね」
「ダメじゃん……」
全員黙りこんでしまった。
それぞれ、どうすればいいか考えこむ
「あの……」
そこで野田が、おずおずと口を開いた。
「パソコンとか、作業できる環境があればいいんだよね?」
「そうだな、でもそんな場所なんてそうそう――」
そう言いかけたオレの言葉を遮り、野田はしゃべり始めた。
「私の家の別荘でよければ、借りられるかもしれない……」
「べ、別荘!?」
オレは、思わず大声を出してしまった。
ヒロキが冷静に聞き返す。
「どんなところ?」
「アスナは1回だけ連れて行ったことあるんだけどね、海岸沿いにあるの」
そう言って、野田はアスナの方に視線をやる。
「ああ、もしかして去年行った所?」
「そうそう、あのペンション」
「確かにあそこには色々あったね……アタシにはよくわからなかったけど」
聞く所では悪い所ではないようだ。
「じゃあそこにしよう!」
何故かテンションが上がっているヒロキが、急に立ち上がって言った。
「待ってて、電話で聞いてみる」
そう言うと、野田は携帯電話を鞄から取り出し、操作しながら立ち上がって部室を出ていった。
「ミキの別荘、すごいところだよ?」
アスナが、ニヤニヤしながら口を開いた。
オレはアスナに聞いた。
「野田って……金持ちなのか?」
「結構ね。家も遊びに行ったことあるけど……すごく大きかった」
その時の光景を思い出しているのか、アスナは目を大きく開いて身震いしている。
どれだけ広いんだよ……。
「野田さんってすごい人なんだな……」
ヒロキがそうつぶやいた時、部室のドアが開き、野田が帰ってきた。
「大丈夫だって!」
そう言って、野田はオレたちに親指を立ててみせた。
「うわ……」
「すご……」
オレとヒロキは、目の前の光景に口をあんぐりと開けた。
夏休み。
オレたちゲーム研究部は、野田の家の別荘に合宿に来た。
野田の別荘であるペンションのテラスから目と鼻の先に見える海岸。
夏の太陽に照らされたその海岸に人影は見えず、貸切状態。
砂浜が、キラキラと輝いている。
そして別荘の中はというと、数台のPCが並び、ゲーム制作には困らないほどの設備が揃えられていた。
部屋も1人1部屋あるほど数があり、リビングもかなりの広さだ。
オレは思わずつぶやいた。
「オレの家の何倍の広さあるんだ、ここ……」
「ね、すごいでしょ?」
オレの横にアスナが来て片目をつぶって言った。
「すごいとしか言いようがない……」
オレが驚きで立ち尽くしていると、いつの間に荷物をおいてきたのか、身軽になったヒロキが瞳を輝かせて立っていた。
「よし、まずは海かな」
「水着に着替えてこよう!」
ヒロキの声を聞いてアスナはミキを連れて部屋に飛び込んでいった。
「ゲーム制作はどうするんだよ……」
「明日やれば良いじゃん!」
そう言ってヒロキは親指を立てた。
「目の前にこんな綺麗な海があるのに泳がないなんて――」
「ま、そうだな」
オレは頭を軽く掻きながら、ズボンに手をかける。
そしてそのまま一気に下ろす。
「まさか! 履いてきているとは!」
それを見たヒロキが感嘆の声を上げる。
こうなることを予測していたオレは、あらかじめ水着を服の下に着ていたのだ。
「準備はバッチリだぜ」
「僕も!」
そう言ってヒロキは服を脱ぎ捨てる。
彼のひょろっとした白い肉体があらわになる。
彼も同じだったようだ。
「先に行ってるぜ!」
オレは、部屋で着替えている女子2人に声をかけて、ヒロキと共に砂浜へ向かって駆け出した。
しばらくして、アスナと野田がやってきた。
「遅いぞー!」
オレは砂浜を走ってくる2人に、水面から顔を出し手を振ってみせた。
「ちょっ……早っ!」
アスナは、悔しがりながら全力疾走してくる。
その後を、少し遅れて野田も付いてくる。
オレとヒロキは泳ぐのをやめ、砂浜にあがってアスナたちと合流した。
砂浜は日に照らされ、かなり熱かった。
「あっちち」
オレたちは、素早くサンダルを置いてきた場所に戻る。
サンダルを履いて落ち着いた所で、水着姿の女子2人に視線を移す。
アスナは、水色のビキニを身につけていた。
その華奢だがしっかりした体つきが強調されている。
そして、小さな胸を水着が可愛く演出している。
「そ……そんなジロジロ見ないでよ」
「気合い入れてるな?」
赤くなって照れているアスナを見て、オレはニヤリと笑った。
「そ、そうじゃなくて……ただ、安売りしてたから」
「え、そうだっけ? これってけっこう――」
もじもじするアスナの横で、野田がきょとんとした顔でつぶやいた。
それに気づいたアスナは、慌てて野田の口を手で塞ぎ言葉を遮る。
「あ、あっはははは!」
「むぐぐぐぐ……」
無理矢理苦笑いをするアスナに抑えつけられて、苦しそうにもがく野田。
野田は、水着の上から白いパーカーを羽織っており、残念ながらどんな水着を着ているか確認できない。
彼女は、ビーチボールを胸の下で抱えていた。
パーカーの間から、アスナのそれより大きめの胸が見える。
その胸が抱えたボールの上に乗って、大きさが強調される。
これは実に――
「いいものだね」
「ああ」
ヒロキも、女子2人の体を舐め回すように眺めていた。
当の2人はそんなことも知らず、まだじゃれ合っていた。
「海に来てよかったな」
「うん」
オレたちは、最確認した。
それから、みんなでビーチボールで遊んだり、砂浜に埋めたり埋められたりしているうちに、日が傾き始め、辺りは夕日で赤く照らされ始めていた。
「もうこんな時間か……」
オレは、海に沈みゆく太陽に目を凝らす。
「お腹すいたー!」
「僕も……」
アスナとヒロキがそう言って、砂浜にドサッと寝転がった。
「熱っ!」
「わあああ!」
バカ2人は叫びながら、砂浜をゴロゴロ転がっていた。
それを放っといて、オレと同じく海の向こうを見ていた野田に声をかける。
「戻るか?」
「そうだね」
オレたちは、ペンションに向かって歩き出した。
転がっていた2人もよろよろと立ち上がって、後ろを付いてくる。
「体がヒリヒリする……」
「すごい焼けたんじゃない?」
後ろで、ヒロキとアスナの会話が聞こえる。
「そういえば、何で野田はパーカー着てるんだ?」
オレは、隣を歩く野田に声をかけた。
「私、肌弱くてすぐ焼けちゃうから……」
「ああ、そりゃしょうがないか……でももったいないな、せっかく可愛い水着着てるのに」
遊んでる途中にチラチラと見えた野田の水着は、ピンク色のワンピースタイプの水着で、フリフリが付いているものだった。
「そ、そんなことないよ……」
そう言いながら、野田は頬を赤くして顔を背けた。
「さて、夕飯どうするか」
水着から服に着替えてリビングに集まったオレたちは、このあとどうするかを相談していた。
このペンションには、ゲー研のの完全貸切で、オレたち以外には誰もいない。
さらに、近くに飲食店らしきものもない。
すなわち、自炊しなければならないのだ。
ただ、材料等は予め準備されていたので、自炊するのはそう難しいことではなかった。
オレは、アスナに視線を移した。
「とりあえず調理班からはアスナは外して――」
「ちょっと、待ってよ! 何で?」
「だって料理できないじゃん」
「う……」
アスナは苦しそうな顔をした。
そして、ソファに座り込みそのまま寝転がった。
「まあ、とりあえずオレ調理班やるよ」
自ら立候補した。
より安全な食卓にするためには、オレがやらなければいけないと直感した。
「じゃあ、私手伝うよ」
オレの言葉を聞いた野田が、手を上げて言った。
「おお、サンキュー!」
「僕は?」
ヒロキが自分を指さし、聞いてくる。
「そこで待ってていいよ、2人もいれば十分かな」
「わかった、じゃあお風呂沸かしておくよ」
ヒロキはそう言うと、周りをキョロキョロし始めた。
「あ、お風呂場は……」
そんなヒロキを見て野田が教えに行こうとするが、オレの方を見て少し迷っていた。
「アスナ、お前わかるんじゃないか? 手伝ってやれよ」
前に1回来たと言っていたし、わかるだろうと思って、オレはアスナに声をかけた。
「わかったー!」
ソファに寝転がっていたアスナは素早く起き上がり、ヒロキの元へ駆け寄っていった。
そのまま2人は、リビングを出ていく。
「さて、オレたちも始めるか」
「そうだね」
野田は、手際よくひき肉を丸めて形を作っていく。
「さすが、うまいな」
あっという間に、4つの焼く前のハンバーグができてしまう。
「ハンバーグはよく作るから、もう慣れちゃって」
野田が軽く照れ笑いを漏らす。
オレは彼女に指示を出した。
「じゃあ、それフライパンで焼いちゃって」
「わかった」
彼女はフライパンに油を敷き始めた。
オレはというと、ハンバーグ用のソースを作っていた。
自家製、というよりは昔どこかのレシピで見たものだが、デミグラスソースに赤ワイン、ケチャップ等を加えていく。
「よし」
味を確かめて、ソースが完成する。
オレは、ハンバーグに焼き目がつくのを待った。
「そろそろいいかな?」
野田が声をかけてくる。
見ると、ハンバーグはいい感じに焼けていた。
「じゃあ、入れるよ」
オレはフライパンに先ほど作ったソースを投入する。
ジュージューと焼ける音が響き、しばらくしないうちに良い香りがキッチンに漂う。
「おいしそう」
そう言いながら、野田はそのフライパンに蓋をした。
これから20〜30分煮込むのだ。
オレたちは、付け合せの野菜を切る作業に移った。
「オレじゃがいもやるから、野田は人参やってくれる?」
「うん、任せて」
野田は何やら張り切っているようだ。
オレは、じゃがいもをざく切りにしていく。
そして、切り終えて鍋に油をたっぷり注ぎ加熱し始める。
野田はというと、人参をいろんな形に切っていた。
「すごいな……それうさぎか?」
オレは野田の手元を覗き込んだ。
「あ、うん。こういうの好きで、普通に切るだけじゃつまらないでしょ?」
「まあ確かにな」
そう言って、オレは切り終えた人参の山に目を向ける。
「星に花にサイコロにハートに……凝ってるな」
「あ! う……うん」
なぜか野田はうつむいてしまった。
「それにしても今日は楽しかったな、あんなにおもいっきり遊んだの久しぶりかも」
そう言いながら、オレは先程温めておいた油にじゃがいもを入れて揚げる。
「私も。でも明日はゲーム制作やらなくちゃね」
「そうだな」
野田が軽く笑い、オレもつられて笑った。
彼女は切り終えた人参を沸騰させておいたお湯に入れ、茹で始める。
そんな中、彼女はポツリとつぶやいた。
「広澤くん……?」
「ん、どうした?」
オレは揚げているじゃがいもの様子を確認しながら、軽く返事をした。
「私ね……」
彼女は、言葉を続けるのを躊躇しているようだった。
オレはいい感じに揚がったじゃがいもを油の海から救出する。
「その……」
野田はどもっていた。
その時、風呂の準備を終えたアスナとヒロキがリビングに戻ってきた。
「ご飯できたー?」
アスナが入ってくるなり聞いてくる。
「まだだよ、おとなしく座ってろ!」
「はーい」
アスナとヒロキはソファに座り込んだ。
「野田、どうした?」
黙りこくっている彼女に、オレは声をかけた。
それを聞いて、野田は少しぎこちない笑顔を浮かべた。
「ううん、何でもないの」
そして茹で上がった人参をお湯から出す。
オレは皿を4枚取ってきて、先に野菜だけ盛りつけた。
フライパンの蓋を開けて中を確認している野田にオレは声をかけた。
「煮込み終わるまでまだ時間かかるから、あっちで休んでてもいいよ?」
すると、彼女は首を軽く横に振った。
「ここにいさせて」
「わかった、じゃあ使い終わったやつ片付けるの手伝ってくれ」
「うん」
オレたちは、使い終わった鍋などを片付け始めた。
一番に食べ終わったアスナが、両手を大きく上に伸ばした。
「はー美味しかった! ごちそうさま!」
「お粗末さまでした」
野田が軽く微笑んだ。
そのままアスナはソファで寝転んだ。
「食べてすぐ寝ると牛になるぞー」
オレはアスナに呼びかけた。
「うるさーい」
「あと、食器片付けろ」
「はーい」
アスナはゆっくり起き上がって、食器を洗い場に持っていった。
「アスナって昔からあんな感じなの?」
それを見た野田が軽く耳打ちしてくる。
オレは苦笑いを浮かべた。
「ああ、もう小さい頃から。ダラダラしてるわりには、言うことは素直に聞くんだよな。まあ言われなきゃ何もやらないんだけど」
「リョウの言うことだから聞くんじゃないの?」
ヒロキも口を挟んでくる。
「さあ、どうなんだろうな?」
「なになに、何の話?」
アスナが戻ってくる。
「アスナがすごいだらしない女だって言う話」
オレはニヤニヤしながら答えた。
「ちょっとやめてよ、変なこと吹きこむの!」
「いいじゃん、本当のことだし」
「もう!」
アスナは頬をふくらませた。
オレは、それを見てケラケラ笑う。
「昔からそんなに仲良かったの?」
そんなオレたちを見て、ヒロキが聞いてきた。
「どうだったかな。会ったばっかりのこととか、昔すぎて覚えてないんだよな」
「最初に会ったの幼稚園だったもんね」
「まあ、そんなものだよね……」
野田が、遠くを見ながらそうつぶやいた。
「ごちそうさま」
食べ終わったオレはそう言って立ち上がり、食器を洗い場に持っていく。
夜も更けて、すっかり辺りは暗くなっていた。
夜風が気持ちいい。
風呂上がりのオレは、1人テラスに出て風に当たっていた。
他の3人は、すでに部屋に戻っていた。
オレより先に風呂から上がったヒロキは、オレが部屋に戻るとオレのベッドに倒れこんで眠っていた。
はしゃいでいたせいか、よっぽど疲れたのだろう。
女子2人はどうしたのか知らないが、静かなのでもう部屋で寝ているだろう。
オレは海の方に体を乗り出して柵に体を預け、何をするともなく、ぼーっと外を眺めていた。
「あんまり風に当たってると風邪ひいちゃうよ」
突然声が聞こえ、オレは後ろを振り返る。
野田が窓から顔をのぞかせていた。
「起きてたのか」
「うん、寝れなくて」
ヘヘ、と笑いながら、野田はオレの隣に来た。
一緒に海を眺めた。
彼女の横顔に目が行く。
風が吹いて、シャンプーの香りがふんわりと漂ってきた。
オレは海の方に向き直り、彼女に声をかけた。
「アスナは?」
「もう寝ちゃってる」
「そっか」
チラッと野田の方を見た。
彼女はまだ海を見ていた。
いや、それよりもっと先を見ていたのかもしれない。
「アスナのこと、気になる?」
野田はポツリとこぼした。
空に視線を向ける。
「まあ、放っておけないっていうか、幼馴染だし」
「幼馴染……かぁ」
野田はそう言って、静かに息を吐き出した。
オレは聞き返した。
「野田は幼馴染っていないの?」
「いたけど……今はもう話してないかな」
「なんで?」
野田は少し困った顔をして、こっちを見た。
「何でって言われても……うーん、中学に入ってから自然と話さなくなっちゃったから」
「そうなんだ」
オレは少しうつむいた。
彼女は笑いながら、さらに続けた。
「うん。だから、たまにアスナと広澤くんが羨ましくなるの……」
そう言うと、彼女は軽く目を閉じた。
「違うかな、アスナが羨ましいのかも」
そうつぶやいて、野田は黙りこんでしまった。
静かな波の音が聞こえてくる。
風も少し弱まってきた。
「中、入ろうか。風邪ひいちゃうし」
そう言ってオレは部屋に戻ろうとした。
すると。
服の裾が引っ張られる感じがして振り向いた。
野田が、オレの服の裾を軽く掴んでいた。
だがその視線はオレを見ておらず虚空を眺めているように見えた。
「どうし――」
そう言いかけてオレも彼女が見ているものが見えた。
それと同時に少し大きな羽音が耳に入ってくる。
スズメバチが飛んでいたのだ。
毒々しい黄色と黒の体のそれは、ホバリングしながら辺りを周回していた。
野田の手が少し震えている。
オレはその手に軽く自分の手を重ねてやった。
彼女の手はピクッと動いたが、すぐに震えも同時に止まった。
「どうする?」
小声でささやきかける。
どうやらまだ蜂はこちらに襲いかかってくる気はないようだった。
「ささっと部屋入ろう」
「わかった」
そう言って蜂に気付かれないようにそーっと足を動かす。
その時だった。
「きゃあ!」
野田が小さく叫び声を上げた。
蜂がこちらに少し近づいてきたのだ。
それに過剰に反応した彼女は声を上げてしまった。
スズメバチはこちらに向かって、スピードを上げて飛んでくる。
オレは腹部に圧迫を感じた。
野田ががっちりとしがみついてしまっていた。
これでは、逃げることもできそうにない。
とっさに彼女をかばうべく、スズメバチの前に立ちふさがる。
そして、そのまま彼女ごと無理矢理屈む。
スズメバチは、そのままどこかに去っていってしまった。
昔、何かでスズメバチは地表近くが見えない、と読んだことがあったのだが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
オレは、大きくため息をついた。
「危な――」
そう言いかけた時、彼女の腕が素早く首に回された。
体がプルプル震えていた。
「だ、大丈夫?」
こういう時、どういう反応をしたらいいのかわからない。
ぎこちなく彼女の頭を撫でてみる。
「あ、ありがとう……」
「いや……」
そのまま静寂が流れた。
この世界に2人しかいないかのような錯覚。
それほど周りが静かだった。
オレたちは、半ば抱きあうかのような格好でしばらく動かなかった。
「あれ、何してんの?」
急に2人きりの世界が破られ、オレと野田の体がビクンと跳ねる。
見ると、アスナがこちらを覗き込んでいた。
そして大きく目を開け、深くゆっくり息を吸い込んでいた。
「ご……ごめん……」
そう言い残して、申し訳なさそうな顔をした彼女は部屋に戻っていく。
「い、いやこれは……違うんだ!」
「そ、そうなの、ちょっと蜂が!」
オレたちは、みっともなく言い訳しながらテラスを後にした。