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第2話

 僕は徒歩で家までの道を学校から帰っていた。

 辺りはすっかり暗くなり、道路の電灯が周りを照らしている。

「あら、ヒロキ?」

 後ろから僕のことを呼ぶ声がする。

 立ち止まって振り向くと、そこには電灯の灯りに照らされた母さんの姿があった。

 母さんが僕の横に並んで歩き出す。

「今帰りなの?」

「うん、部活に入ったから」

「へぇ……」

 母さんがやけに感心したような顔でこっちを見てくる。

「そんな驚くことじゃないでしょ」

「だって中学の頃は部活なんて入ったことなかったじゃない」

「それは、入りたい所がなかっただけだよ」

「そっか」

 そう言って母さんは黙ってしまった。

 電灯から遠い位置に来たせいか、薄暗くなり、母さんの表情が見えづらくなる。

 その時、前から車が近づいてきてライトで母さんの表情を浮かび上がらせて通り過ぎていく。

 母さんは嬉しそうな、かつ安心したような表情をしていた。

「何部に入ったの?」

「ゲーム研究部ってとこ」

「ゲーム……何するの?」

「みんなでゲームで遊んだりとか――」

 そう言いかけた途端、横で呆れ顔が浮かんだような気がした。

 僕は慌てて付け加える。

 毎日遊んでばかりだった中学時代とは違うところを見せたかった。

「いや、でもそれだけじゃないんだよ!」

「へぇ、聞かせてもらおうじゃない?」

 母さんはニヤリと口元を歪めた。

 僕は必死に頭を回した。

 実際はゲームで遊んでいるだけだったが、それでも何かあるはずだ、と自分に言い聞かせて。

「あ!」

 思わず声が漏れた。

「何よ」

 母さんが怪訝そうな顔をする。

 僕は自信ありげに胸を張った。

「ゲームで遊ぶだけじゃなくてそれをやりながら研究するんだ!」

「そりゃあ、ゲーム研究部って名前だもんね。それで?」

「それで……えっと……そう! それを活かしてゲームを作るんだよ!」

 少し過大解釈しすぎた気もするが、一応そういうことになってる、と先輩が言っていたことを思い出す。

 先輩たちは全然やる気はないようだが。

「ゲーム制作ね……やっぱりさ、ヒロキはそういう方向に進みたいの?」

「いや、まだそこまでは考えてないけど……」

「でもヒロキは昔からゲーム好きだったでしょ?」

 母さんは突然遠くを見つめ始めた。

「他にやりたい事もなさそうだし、どうせサラリーマンになって平凡な生活送るなんて嫌だ、って思ってるんでしょ?」

「うん、まあそうだけど」

「本気で自分が何をやりたいか、そのために何をすればいいのかを見極めたほうがいいよ。じゃないと、後になってからじゃ手遅れになる。あのときあれやっとけばよかった、とかならないようにそれそろそろ将来のことも考えないと……高校生になったわけだしさ」

「まあ、そうだね」

 なんだかんだ言ってこの人は僕の将来のことを心配してくれる。

 中学生の時も部活にも入らず、毎日部屋に引きこもり遊んで過ごしている僕に道を示してくれたのは、母さんだった。

 どんな将来を考えてるにせよ、高校くらい卒業してないとまともに生活できないよ、と無理矢理僕を高校に入れた。

 あの時母さんがいなかったら、僕は高校にすら行っていなかったかもしれない。

 少し遠くでうるさい車の走る音が聞こえる。

 僕も母さんも黙って歩き続ける。

 静かだが、心地よかった。

「でも別に今すぐ決めろって言ってるわけじゃないし、ゆっくり決めればいいんだよ?」

 黙りこくっていた僕がなにか考えこんでると思ったのか、母さんは僕に優しく声をかけて、頭をそっと撫でてくれた。

「うん、そうする」

 僕は少し恥ずかしがりながらもそう答える。

 この、母さんの優しさが、ぬくもりが、心地よかった。

「母さん、僕ね――」

 近づいてきた改造したと思われる車のマフラーの音で僕の声はかき消された。

 車のヘッドライトは僕たちを後ろから照らしていた。

 うるさいな……もっと静かに走ればいいのに。

 そう思い睨みつけようと思って、僕は後ろを振り返る。

 その時、目の前がとても強い光で真っ白になった。

「――ッ!」

 その改造車は、すごい速度でこちらに突っ込んできていた。

 一瞬だった。

 体に強い衝撃が走り、僕の体は吹き飛ばされた。

 それと同時に車のブレーキ音とクラクションのけたたましい音、そして肉がちぎれ骨が砕ける音が辺りに響きわたる。

 コンクリートの道路に叩きつけられた僕は全身に痛みを感じていた。

「いったた……」

 だが、幸いにも体は動き、ひどい怪我はないようだった。

 僕はフラフラと立ち上がり、まぶしさで見えにくくなった目を少しこする。

 そして瞬きをしているうちに、次第に目が慣れてくる。

 目の前に突っ込んできた車が目に入る。

 僕はぎりぎりの所で避けられたようだ。

「あ……」

 僕は、その時目が見えるようになったのを、心底恨んだ。

 車は道路脇の壁に激突し、前半分はぐちゃぐちゃに大破していたが、そんなものは気にもならなかった。

 僕の目を奪ったのは、その壁と車の残骸の間に挟まれた物体だった。

 赤く染められた壁が電柱の明かりによって照らしだされ、車のボンネットだったと思われる部分に、人間の上半身のようなものだけが力なく横たわっていた。

 顔がちらりと見える。

「母……さん」

 僕の全身から血の気が引く。

 そしてその引いた血の代わりに熱い激情のようなものがこみ上げてきた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!」


 ――ッ!

 気付くと汗がびっしょりだった。

 僕は布団から身を起こす。

「またこの夢か……」

 僕は服を脱ぎ捨て、シャワールームへ向かった。

 息はまだ整わない。

 シャワールームのドアを強引に開け、中に入る。

 今でも覚えていた。

 あの時母さんは、僕をかばうために僕の体を強く突き飛ばしていた。

 僕が受けた衝撃はそれによるものだったのだ。

 母さんのお陰で僕は、直撃を免れた。

 その時の感覚を今でも体が忘れてくれない。

 僕はシャワーのバルブをおもいっきり回してお湯を出し、体の汗を流し始める。

「あれから……もう1年か」

 僕の体からシャワーのお湯が滴り落ちる。

 それとは別に、目からも溢れるように涙が滴り落ちていた。


 昼休み。

 オレは、学食でパンとジュースを買って部室へ向かう。

 ゲーム制作を始めてからは、打ち合わせも兼ねて昼休みと放課後に部室に集まることにしていた。

 オレは手がふさがっていたので、足で部室のドアを開けた。

「おう」

 オレは、すでに部室で弁当を広げていたアスナと野田に声をかける。

 彼女らは先に来て食べ始めていたようだった。

 そしてそのままアスナと野田が並んで座っている長机の向かい側にある椅子に腰を掛ける。

 オレは野田の弁当に目をやった。

「また今日も野田の弁当は豪華だな」

「そ……そんなことないよ」

 野田は照れて身体をくねらせながら言った。

 そのピンク色の可愛らしい弁当箱には、梅干しの乗った白いご飯、ネギの入った綺麗な卵焼き、鮮やかな色のかぼちゃの煮物、パリッと焼けたタコさんウインナー、程良く身のしまった焼き鮭、豚肉の味噌煮などが所狭しと詰められていた。

「全部手作りなんだろ? アスナも見習えよ」

 そう言って、オレはアスナの弁当に目を向けた。

 こっちはこっちでうまそうだ。

 親が作ってくれた夕飯の残り物を詰め込んだようだが、カキフライやゆで卵、鶏肉の煮物、サラダなどが詰まっている。

「毎日学食でパン買ってる人に言われたくないわよ!」

 アスナは、オレのパンを指さして喚いた。

「まあオレはやろうと思えば弁当なんか作れるけどな、そんなことするとこだわりすぎて遅刻するからやめたんだよ。アスナもいい加減料理のひとつくらい覚えたらどうだよ」

「ぐぬぬ……」

 オレはフンッと鼻で笑う。

 アスナは言葉が出なくなっていた。

 どうやら本当にまだ料理ができないらしい。

 昔から家事がほとんどできなかった彼女だがまだできないとは驚きだ。

 アスナは隣にいる野田の手をパッと取って必死な表情で頼み込み始めた。

「ミキ、今度料理教えて! お願い、なんでもするから!」

「いいよ、喜んで」

「ありがとう! 見てなさいよ、すぐに弁当なんて楽々作れるようになってやるんだから」

 そう言って悔しそうな表情を浮かべながらアスナはオレの額に指を突きつけた。

 なんか変なスイッチに火をつけてしまったようだ。

「そういえば」

 そこで、野田がふと口を開く。

 キョロキョロと周りを見渡している。

「内藤くんは?」

「あ、確かに。遅いね」

 アスナもそう言って、視線をドアの方に移す。

 そういえば、伝えるのを忘れていた。

「ああ、ヒロキは今日学校来てない」

「え、何で?」

 アスナが心配そうな顔で聞いてくる。

「実は、今日はヒロキのお母さんの1周忌なんだ。その準備で」

「ああ、お母さんが亡くなられてるのは聞いてたけど……」

 そう言って、アスナの顔が少し暗く沈む。

「そうだったんだ……」

 野田がかぼちゃを口に運びながら言った。

「広澤くんはその法事行くの?」

「うん、今日土曜日だからこのあともう帰れるじゃん?」

 オレは、そう言ってジュースを飲み干した。

「それに、オレは中学の時にヒロキのお母さんには何度かお世話になったし、行きたいなって」

「そっか」

 そこでアスナが思い出したように口を開いた。

「あ……最近、内藤くんが少し元気なかったのってそのせいだったのかな?」

「そうかもなー、1年前も強がってたけど結構落ち込んでたみたいだし。それに、ヒロキのお母さんいい人だったからな……」

 部室に思い空気が流れる。

 そんな空気を破って野田が声を上げた。

「私達も行っちゃダメかな?」

「え?」

「法事。内藤くんのお母さんに焼香上げるのはもちろんだけど、内藤くんも励ましてあげたいの」

 その時の野田の顔は真剣だった。

「それに、私もお父さん死んじゃってるから気持ち、わかるの」

 そう言って彼女は何か思い出すように軽く目を閉じた。

 重い空気が漂ったが、なぜだか優しさを感じた。

 オレは彼女らに提案した。

「そうだったんだ、じゃあみんなで行くか。そのほうがヒロキも喜ぶだろうしな。アスナはどうする?」

「それなら、アタシも行くよ」

「よっしゃ、決まりな。会場まではオレが案内するから」


 ヒロキのお母さんの一周忌の会場は、オレやアスナの家からバスで10分くらいのところにある小さなお寺だ。

 そのお寺までは石段が伸びており、寺自体が周りより少し高い位置にあった。

 周りは林に囲まれており、風が吹くたびに木々がざわめく。

 まだ日は出ているが、少し傾き始めている。

「結構人来てるんだな……」

 ヒロキの親族の人たちに挨拶をしてから寺の中に入ると、中が少し窮屈に感じるほどに人が集まっていた。

 ヒロキの姿を探すが、どこにも見当たらない。

 もうすでに読経は終わり、焼香が始まっていた。

 オレたちは焼香を上げるために列であろう場所に並んだ。


 焼香を上げ終わったオレたちは、会食には参加せずに帰ることにしていた。

 日はすっかり傾き、辺りは赤く染まっている。

 カラスの鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。

 もうすぐ日が落ちて空も暗くなりそうだ。

 その前にヒロキを見つけて声をかけてやろうと思っていたが、結局見つけられず、そのまま入り口付近まで戻ってきてしまった。

「ヒロキのやつどこ行ったんだよ……もうしょうがないし、帰ろうか」

 オレは後をついてくる2人に声をかけた。

「うん、そうだね。その前に、ちょっとお手洗い行ってきていい?」

 野田が少しもじもじしながら言った。

「ああ、いいよ。場所わかるか?」

「うん、さっき見つけたから」

「じゃあオレたちはここで待ってるから」

 そう言ってオレは隣に立ったアスナの方をポンと叩く。

「ゴメンね、ちょっと待っててー」

 野田は急ぎ足でトイレに向かっていった。

 それを見送るオレとアスナ。

 アスナはまだ心配そうな顔をしていた。

「内藤くん、大丈夫かな……」


 僕はため息をつきながら、建物の影をフラフラと歩いていた。

 泣き続けたせいで目は赤く腫れてしまい、こするたびにじんじんと痛む。

 父さんには席を外していいとは言われたけど、どこに行けば――

「早く戻らないとアスナたち待ってるかな……?」

 そんな声が聞こえてきて、慌てて物陰にしゃがみ込んだ。

 不注意にも、ガサッと物音を立ててしまう。

「あ……内藤くん?」

 こちらに近づいてくる足音が聞こえてくる。

 観念して、僕は物陰から姿を現した。

 少し離れたところに、野田さんが立っていた。

 そんな彼女の優しい声が言った。

「こんな所にいたんだ、心配で探してたんだよ」

「え……」

「待ってて、今みんなも連れてくるから」

 リョウが来るのは知っていたが、まさかゲー研みんなで来るとは予想していなかった僕は、全身から力が抜けてしまった。

 そのまま膝を地面につく。

「だ、大丈夫?」

 野田さんが、そんな僕を見て慌てて側に寄ってきてくれる。

 そして、彼女は包みこむような微笑を浮かべ、言った。

「少し、話しよっか」


 僕は、近くにあったお寺の裏庭の石段に腰を下ろす。

 野田さんも続いて、僕の隣に腰を下ろしてくる。

 少しいい匂いが隣から漂ってくる。

 特別な匂いではないが、どこか懐かしい香り。

 そう、シャンプーの香りかな……母さんが使ってたシャンプーと同じ香り。

 また、目元がじわりと熱くなる。

 僕は、泣くまいと必死に歯を食いしばった。

「我慢しなくていいんだよ」

 野田さんは、僕の耳元で小声でささやいた。

 彼女の暖かな息が耳をかすめる。

 僕の肩に軽く腕が回される。

 そして、そのまま僕は彼女の胸に抱き寄せられていた。

 暖かい。

 優しく僕を包みこむ彼女の腕の中で、僕はこらえきれなくなって嗚咽をこぼした。

 涙もポロポロと溢れてしまった。

 野田さんは、なにか慰めをいうわけでもなく、僕の頭を軽く撫でてくれていた。

 そういえば、母さんも昔僕がいじけたりしたときはよくこうして落ち着かせてくれたっけ……。

 こんなふうに何も言わずに抱きしめて、僕が泣き止むまで頭を撫でてくれていたっけ……。

 息もだんだんと落ち着き、涙もいつの間にか止まった。

「落ち着いた?」

 野田さんは僕を解放すると、笑いかけてきた。

 一瞬、その笑顔に母さんの笑顔が重なる。

 僕はその幻影を振り払うために数回瞬きをした。

「おかげさまで……ありがとう」

 彼女は安心したとばかりに軽く息をつき、空を見上げた。

「私もね」

 空はさっきより少し暗くなり、カラスが数羽、沈みかけた夕日に向かって飛んで行くのが見える。

「私も、結構前にお父さんを事故で亡くしたの」

「そ、そうなの?」

 僕は思わず聞き返してしまった。

「うん、車で家族旅行に行った時にね。その時は帰り道だったんだけど、すごい速度で曲がり角を曲がってきた対向車に正面からぶつかられて……お父さんがとっさにハンドル切ってくれたお陰で一緒に乗ってた私とお母さんは怪我だけで済んだけど」

 そう言って、彼女は一息つく。

 それを聞いて、母さんが死んだ日の記憶がフラッシュバックする。

 僕は、似ている境遇を持つ彼女に少し親近感を覚えた。

「お父さんが……守ってくれたんだね」

「うん、それで私、泣きじゃくって泣きじゃくって、部屋に引きこもったりもしたけど……当時仲良かった友達が話を聞いてくれてね、一緒に泣いてくれたんだ。その時、なんだかすっきりしちゃったの。それに、一緒に泣いてくれる人がいてすごく嬉しかった。おかげで悲しさなんて吹き飛んじゃった」

 そして、野田さんは照れたように頬をポリポリと掻いた。

「だからね、内藤くんもあんまり悩み、抱え込まないほうがいいよ」

 そう言って、彼女は照れ笑いを浮かべる。

 彼女は、こんな僕に腹を割って話してくれている、こんな僕のために。

 僕も、意を決して口を開いた。

「僕もさ、事故の時、母さんに守ってもらったんだ。歩いてて後ろから車が突っ込んできた時にとっさに突き飛ばしてくれて。おかげで僕は助かったけど母さんの体はグチャグチャで原型をとどめてなかった」

 僕はあの時のことを思い出しながら話し続ける。

「でも顔はかろうじて残ってて……母さん、どんな顔してたと思う? 笑ってたんだよね、体グチャグチャに吹き飛ばされたっていうのに……1人助かっちゃった僕を見て笑ってたんだよ、なんでかな?」

 そう、笑っていたのだ。

 下半身はただの肉片と化し、上半身も吹き出した血で真っ赤に染まって、もはや遺体と呼ぶにはあまりにも痛々しい物体となりはてながらも、母さんは笑っていた。

 今でもその表情は脳裏にしっかりと焼き付いてしまい、忘れたくても忘れられない。

 また目頭が熱くなってきた。

 膝に乗っけていた手が震え始める。

 その手の上に、小さくやわらかな手が重ねられる。

 野田さんは、もう片方の手をさらにその上に重ねてギュッと握り、僕の目を一直線に見つめた。

「きっと、内藤くんのお母さん、内藤くんを助けることができてうれしかったんだよ。それで――」

「それでも!」

 僕は、彼女の手を振りほどいて立ち上がってしまう。

 今まで溜め込んでいた思いが一気に溢れ出してきた。

「それでも、僕は母さんに生きていて欲しかった……苦労もかけっぱなしで、何も恩返しできてなかったのに……生きて僕の、何もしてないダメな僕じゃなくて、ちゃんと自立した最高の僕を……見て欲しかったのに!」

 歯ぎしりがしそうなほど強く噛み締める。

 だが、大粒の涙が頬を伝ってこぼれ落ち、石段を濡らした。

 言葉を続けることができない。

 次に僕の口から出てきたのは嗚咽だけだった。

 すると、野田さんが僕の手を掴んだ。

「きっと――」

 彼女はそう言いながら僕の手を下に引っ張って座らせる。

 僕は、そのまま座り込んだ。

 彼女は、また僕を抱き寄せてくれた。

「きっと……見てるよ、お母さん。空の上から……見てるよ……」

 だんだん彼女の声が小さく、弱々しくなっていった。

 ポツン、と僕の頬に水滴が垂れた。

 野田さんの軽くせぐりあげる声が聞こえてくる。

 僕は……大泣きするのを我慢することを、やめた。

「う……うあああああああ……」

「ひぐっ……ううぅぅ……」

 静かなお寺の裏庭に、2人分の泣き声が響いた。


「お、おまたせ!」

 どれくらい待っただろうか、ようやく野田がトイレから帰ってきた。

「長かったね、何してたのよー」

 たまらず、アスナも問いかける。

「あは、ちょっと”神主”さんとお話ししてたら……本当にごめんなさい」

「ふーん」

 アスナは少し怪しむような目を向けた。

「まあいいか、帰ろうぜ」

 オレはあえて何もツッコまずに帰り道の石段を降り始めた。

 歩きながら、アスナがお腹に手を当てた。

「お腹空いたー。なんか食べに行こうよ!」

「そうだな、マックでも行くか?」

「賛成!」

 野田は、横で微笑みながら聞いている。

「野田も行くだろ?」

「う、うん。私もちょっとお腹空いちゃった」

 野田の様子がちょっとおかしい気がする……。

 オレは、少し彼女を観察した。

 そして、気付いた。

 彼女の頬に、少し涙の跡らしきものが残っている。

「なるほどね……」

 思わずつぶやいた。

 それを聞いた野田が、恐る恐る聞き返してきた。

「ど、どうしたの?」

「いや、別に!」

 オレはごまかすために、そのまま歩くスピードを上げた。

「え? なになに?」

 何も理解していないアスナがバカっぽい声を上げるが、無視した。

「ねぇ教えてよー、ねえったら!」

 野田は、少し恥ずかしそうに視線を空に向けていた。



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