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プロローグ 現世からの迷い人

 八百万の神々とは、神道において森羅万象、この世全ての遍く物全てに神が宿るという教えのことだ。

 しかしまぁ、例えばの話としてその辺の石ころや砂利、木々から落ちる葉っぱにすら神が宿るとすれば、今頃世界は神様のすしずめ状態、雨風凌ぐ家の確保なんて土地不足になって出来たもんじゃないだろう、現世にはそれこそ神様以上に多種多様な有機物が犇めきあって生活しているのだから尚更だ。

 それじゃあ、神様は何処で暮らせばいい? 何処で生きて何処で崇め奉られればよいのか。

 そんな的を得ず、わけもわからない問答に対して、俺は、渡月修二は答えを知っている。


 「__今日も、浮世の月は綺麗だ」


 人間たちが暮らす現世__そことは少しだけ軸がズレた位相に存在する世界。

 その異世界の名前を「浮世」という。

 八百万の神様達が古来より暮らす果ての都。

 そして、清らかたる人の子は決して足を踏み入ることの出来ない禁足の地。

 そんな浮世と現世を繋ぐ境界線にかかる椛色の大橋、その道のど真ん中で僕は毎日浮かぶ月を仰ぎ見るのだ。

 ただお月見がしたい訳じゃない、仕事の合間とでも言うべきか、仕事の都合と言うべきか。

 俺の仕事は、人が浮世へと迷い込んでしまう「世渡り」を防ぎ、現世へと送り帰す「時守」という役割だ。

 人が現世から浮世へと迷い込む時、とある例外一つ除いて基本的にはこの大橋を経由せねばならない。

 だからこそ、こうして橋の中心に鎮座して門番のようなことをしているという訳だ。


 「はぁ……月が綺麗なのと同じ、変わらず変わらず、今夜という今夜も大変に我が職はお暇なことで……」


 溜息一つ付いて、ゴロンと橋の上に寝っ転がる。時守の役割を与えられて早五年、俺は今年で十六歳になるが、その間人が現世から迷い込んだのはわずか一度のみだ。

 まぁ、こんなんでも仕事は仕事。ちゃんとお給付は出るし、むしろトラブルがおきないなら越したことはないのだと、呑気な思考を巡らせてみる。

 平和が一番、平穏がナンバーワン。変わらない日常を深く噛み締め味わいながら、今宵も今宵で月見に興じるそんな一時に。

 __チリン、と鈴の音が聞こえた。


 「__!!」


 その瞬間体を勢いよく起こして立ち上がり、背後を、浮世の地がある方を振り向く。


 「侵入者__!?」


 今のこの鈴の音は、大橋を超え、神ではない何かが浮世の地に足を踏み入れたことを知らせる結界の合図である。

 本来であれば、仕事終わりの俺が橋の麓まで渡りきった時のみ鳴るはずのもの。

 そして、橋を渡って誰かしら人が通っていることもありえない。いくら月見に興じていたとしても、人を素通りさせる程僕は大マヌケではないのだ。

 橋を渡らずに、浮世へと渡るのが基本の基本。

 ただし、一つだけ例外がある。それは__


 「橋の下……境界線の運河を渡った奴がいる__!」


 そう思い立ち僕は即座に駆け出し、橋の柵を飛び越えて超えて運河の浅瀬に着水する。

 「……誰もいない? そんな訳あるか、鈴の音が鳴っているんだ。誰かしらは世渡りしてる奴が__」

 

 周囲をぐるりと見渡し人影が無いかを確認するも、それらしきものは無い。闇夜に紛れるには、今宵の月の光は明るすぎる。見落とすことなんて決してない。

 いやしかし、ありえるかもしれない。

 鈴の音が鳴るまで、浮世に誰かが入り込むことを僕は気付けなかった。

 それ即ち、僕の見落としで確認不足で職務怠慢即解雇案件だ。


 「くっそ冗談じゃない、鈴の音が気のせいな訳もないんだ、何処にいるんだ、侵入、者は__!」


 __気づいた。

 運河の浅瀬に上流から流れ着いた朽木かと思ったが、間違いなく人だった。

 気を失っているのか、離れて見ている限りではピクリとも動く様子はない。

 これは、渡ってきたと言うよりも……


 「上流から流されて来たのか……?」


 疑問を胸に抱きながら、僕はそっとその漂流者に近づく。


 「……だ、大丈夫か? い、生きてはいるよな__」

 「__うひゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 「うおぁぁぁぁぁぁぁ!!? びびびびっくりしたなんだよもう!?」


 侵入者はうつ伏せからガバッと起き上がったと思ったら、突然奇声をあげた。

 あまりにも唐突な事で、驚きのあまりに俺は後ろ転び尻もちをついてしまう。


 「はぁぁぁ……いやぁ、良かったです、呼吸が出来てます、私。マジで死ぬかと思いましたよ、空気って素晴らしいですよね、ね! 君!」

 「え、あ、はい。ってじゃなくて! アンタ一体……?」

 「私ですか? 私は葛籠一華です! 木で編んだ籠である葛籠に、一輪の華で一華です。そしてですね__」


 自らを葛籠一華と名乗るその女性は、勢いよく自己紹介をしたと思えば、急に言い淀んで静かになった。

 どうなってんだこいつの情緒。


 「そして、なんだよ?」

 「…………わからない、です」

 「はい?」

 「名前以外、私は私を知ら、ない____」

 「あぁ……なんだよ記憶喪失か」

 「え、なんか軽くないですか? 記憶喪失ですよ記憶喪失。記憶喪失といえば記憶が喪失して本来であれば大パニック引き起こすやつなんですけど」

 「だとすればそのパニック引き起こすのはアンタの仕事だろ、俺には関係ない。それに、記憶喪失なんて別に珍しくもない、多かれ少なかれ、こっち側に渡る人間は何かしら消えるもんだし……それがアンタのの場合は……」

 「一華です! アンタじゃなくて一華って呼んでください!」

 「……一華の場合は記憶を持ってかれたんだろう。対価としては1番ポピュラーまである」

 「なんで、そんなことに……というかこの場所はそもそもなんなんでしょうか……?」

 「まぁ、細かいことはこの後話す……渡ってきてしまって、尚且つ記憶喪失となれば早々あっちに送り帰すことも出来やしない。アンタ……じゃなくて一華。歩けるか? 歩けるんなら着いてきてくれ」


 そう言って俺は葛籠一華に手を差し出す。


 「あ、ありがとうございます……あの、これからどちらに?」

 「とりあえず、俺ん家」

 「え」

 「……そのままびしょ濡れだと風邪引くだろ、風呂と着替え貸すよ」

 「え、あ、えっと……」

 「? なんだよ」

 「よ、よろしくお願い、しますです、はい……」


 薄暗い月明かりでも分かるほどに、何故か葛籠一華は顔を真っ赤に染めている。なんなんだこいつ。

 ……まぁいいか、と。

 俺は彼女の手を握り、そのまま家に帰ることにしたのだった。

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