まつり屋台
夜空の下、辺りは明るい。すぐ側を通り過ぎる声はどこか遠く、数えきれない人の影は一つとなっていた。
「それで、何味が食べたいんだい?」
俺は、随分と久しぶりに夏祭りに来ていた。感覚的には十年ぶりぐらいだが、確か中学の時に来ているので実際は三年と言ったところだろう。
「イチゴ味でっ!」
早速失った時間を取り戻すようにウキウキとかき氷を注文した俺だったが、一度目の声は周囲が騒がしくて届かなかったらしい。店主には立ち尽くしているように見えたのか催促までされて、仕方なく二度目は声を張って指を差す。
そうしてようやく、氷が削られ始めた。
「せっかくの祭りなんだから、楽しんでいきなよ」
「あざーす」
手渡された商品を受け取って軽く礼を伝える。改めて見てもやっぱり屋台のかき氷は安っぽい。
紙製のカップは頼りなく、ストローから作られたスプーンは物足りない。氷の山に市販のシロップをかけただけのそれに200円は明らかに高かったが、祭りの空気感のせいかなぜか受け入れてしまう。
随分と久しぶりのイチゴ味を堪能しながら散策していると、ふと異様な通りを見つけた。
「……こっち、やけに静かだな」
人でごった返す祭り会場の中、そこだけは不自然な静寂が漂っている。屋台が並んで客も歩いているのに、呼び込みの一つも聞こえてこない。
照らす明かりがどこか暗く、流れ込んでくる風は冷たい。
俺は、賑わいの空気を満喫するためこの祭りに来たはずだった。だからその不気味な通りなど本来なら無視すべきなのだろうけど、どうしてか無意識に一歩を踏み出している。
やっぱり、やけに暗い。光のことではなく人の佇まいだ。客のほとんども喋っていなくて、店主たちの表情はどこか影が落ちていて分かりにくい。
「射的か」
通りの入り口でまず最初に出迎えたのは、どこにでもありそうな景品当てゲーム。
俺が足を止めると途端に店主が玩具の拳銃を押し付けてきて、遊んで行けと促してくる。射的で使われるのはもっと銃身の長い物のイメージだったが、これがこの店の個性らしい。
奇妙な感覚は拭えないまま、とはいえ断る理由もなかったのでとりあえずと拳銃を構えてみる。屋台奥の棚に並べられている景品へと照準を定めようとすると、
「あの……邪魔なんすけど」
店主が、射線上に立ちはだかっていた。
文句を伝えてもどいてくれず、無言で引き金を引くのを待っている。銃口をずらせば追いかけるようについてきて、むしろその邪魔をかいくぐるゲームなのかと思わされた。
けれど多分違う。さっきからやたらと自身のおでこを示していて、まるでここを撃ってくれと言わんばかりだった。
「……それじゃあ失礼して」
そうして欲しいのなら、と遠慮はしながらも弾を放つ。ポンッと玩具らしい軽い音が鳴って、山なりに弾丸は進んでいった。
的の方から弾道を計算して立ってくれていたおかげで、示されていた額に見事命中する。するとたちまち店主は体を傾け、そのまま景品の並ぶ棚へと倒れていった。
「えっ、ちょっ大丈夫すか!?」
ガラガラと崩れる景品の山に埋もれる店主。まさかのクリーンヒットだったかと慌てるも、店主は埋もれた状態で右手をひらひらと振って安心させてくれた。
そして、倒れた景品の中から好きなだけ持って行っていいとジェスチャーで伝えてくる。自ら当たりに来ていたというのに太っ腹すぎる。
とはいえラインナップはどれも貰って嬉しいもので、俺は言われた通りに景品を吟味し始めた。その頃には店主も立ち直って次の客に備えて棚に景品を戻していっている。
もしかしたらあまりに客が来ないからこうして誘い込もうとしているのかもしれない。なら機会があれば、客引きの手伝いでもしてみようと心の隅にメモしておきながらその場を後にする。
「見た目は普通な感じなんだよな……って」
次に目に留まったのは、千本釣りと看板に記された屋台。
たくさんの紐の内から一本を引いて、その紐と繋がっている景品が貰えるあれだ。紐の行く先は分からないようになっていて、完全な運勝負。それもまた一見オーソドックスに思えたのだが、肝心な景品に目を剥いてしまう。
「十万円!?」
なんと現金が置いてあったのだ。どれもが札束で、しかも一回の挑戦で必要なのは100円だけ。100本引いて当てたって元が取れてしまう。
「商売が下手すぎる……!」
さっきの射的にしろ、どうやっても元が取れるとは思えない。逆に心配になって足を止めていれば、当然に店主は遊んで行けと訴えてくる。
勧められるなら仕方ない。決して金に目が眩んだわけじゃないが、俺の運を試してやろうじゃないか。
誕生日の帰宅時みたいな分かりきったワクワク感で、俺は直感的に紐を選ぶ。さあ10万よ来いと心で念じて勢い良く引っ張って、しかし、結果は外れだった。
「ま、まあ、何本かはそう言うのも入ってるよな」
100円を無駄にしたって心は荒立てない。何よりも紐はせいぜい百本程度しかない。文字通り千本引かなければ、損をすることはないのだ。
と言う訳で、一度挑んでしまえば引き下がることは出来ず、二本目、三本目と試していく。けれど全て失敗。十本を超えてもそれは変わらず。
「あのこれ、ホントに繋がってます?」
「……」
さすがに疑わしくなって問い詰めると、店主は口を閉ざしたまま肩をすくめる。苛立った俺はその鼻を明かしてやろうと躍起になって。しかし何十本と挑戦しても何も得られず、むしろお金を払えなくなって、射的で得た景品まで没収されてしまうのだった。
「詐欺じゃねぇか……!」
俺の恨み言にも店主は気にした様子なく、屋根からぶら下げられる紐を調整している。彼は紐を引っ張っても景品が当たるとは言っていないのだから、訴えるには厳しいだろう。まあ端から期待なんてしていなかったが。
せめてもの八つ当たりとばかりに大きくため息をついて、俺はその場を離れる。
その他の屋台も、どこか少しだけおかしかった。
金魚すくいには急流が作られていて救おうとしたポイごと飲み込まれ、型抜きはやけに立体的で洞窟に手を突っ込むような形式だったからすぐに崩れる。
と言っても俺は全財産を失ったから、他の客がやっているのを後ろから眺めていただけだ。
しばらく通りを進んでいけば、少し先に賑わいが戻ってくる。俺もそろそろそっちの世界に顔を出そうと思ったとこで、ふと手前の店で立ち止まった。
「お面屋か……」
プラスチック製のアニメキャラクターの顔とかが並ぶ、誰が買うのかも分からない店だ。ただ俺の記憶には、小さい弟が特撮ヒーローのお面を買ってもらってはしゃいでいた光景が残っている。
お土産に買っていきたかったが、残念なことにお金がない。冷やかしは迷惑だろうと足を進めようとすると、通行を邪魔するようにそれを差し出される。
「え? くれるんすか?」
「……」
お面屋の店主は頷いた。無料で商品を渡そうというらしい。やはりこの通りの店は商売下手ばかりなのだろう。
それならと有難く受け取って、けれど手渡されたお面を見た俺は顔を引きつらせた。
「……これしかないんすか?」
それは、妙にリアルな男の顔だった。金髪の20代後半ぐらい。一昔前の自信みなぎる顔立ちで、同性としてなんとなく忌避感を覚えてしまう。
これならタダでもいらないなぁと思ったのだが、店主は更に追加でお面を渡してくる。
「えっと……」
よく見れば、屋台に並ぶ商品は金髪男のお面だけだった。あまりにも挑戦的すぎる。
むしろ一周回って、流行に乗っからず、一種類の身で勝負する心意気は好感すら抱いてしまえそうで。単に断れないだけと言うのもあったが、まあ無料ならと言うことで俺は受け取る。
貰ったからには付けないと失礼だろうと早速顔に装着してみれば、不思議と別人に変身したような気分になった。今になって弟のはしゃいでいた理由もわかった気がする。
賑わいに感じていた疎外感もどこかへ行き、俺はまた祭りを堪能しようとした。
さてどこへ行こうか。使い切ったはずのお金もなぜか財布を満たしているし。存分にこの時間を楽しまなければ。
「お祭りにはさ、幽霊も参加してるんだって」
大勢の中で、会話はあちこちで交わされている。
「幽霊はね。何も喋らず一人でいるんだよ」
「それって楽しいの? 何しに来るの?」
「伝えたいことがあったり、慰めて貰いに来たりかな」
「それなら知ってる人のとこに直接来た方が早くない?」
「お祭りだからこっちの世界に来れるんだよ。ごちゃごちゃしてるから、紛れ込めるの」
「ふぅん」
「そもそもお祭りって、神様や祖先の霊を楽しませるものだから」
声はいくつも重なって、ほとんどが意味も分からずすぐに消えていった。
姿も、匂いも。味や感触だって、安っぽさを上書きする。
曖昧が、その空間を満たしていた。だからもっともっとと呼び込んだ。
そんな中で、不意に見つける者もいる。
「あ……」
「……」
目の前で立ち止まった顔。鏡写しのように俺も驚いて、だけど見知らぬ誰かが遮った。そしたらもうその姿も遠くへと流れていき。
「どうしたの?」
「……いや、その、兄ちゃんがいた気がして」
まだ声が聞こえてくる。
「そう。もしかしたら来てるかもしれないね」
「7年も経ってるんだからさすがに成仏して欲しいけど」
「お兄ちゃんのことだから道に迷ってるのかもしれないわよ」
懐かしい匂いすら感じた気がした。
「宗太。あれ買ってやろうか? 好きだったろ?」
「もうそんな子供じゃないよ」
「昔はこれで変身できるって、すっごいはしゃいでたじゃない」
それでも俺は、追いかけられない。
どれだけ近づいてもこの声を届けられはしないのだ。
「……」
今更になって気付く。俺ももう、随分と前に……
「ってうわ!?」
記憶が蘇ろうとしたその時、突然目の前で大きな声が発せられた。俺も肩を跳ねれば、そこにはなんだか見覚えのある顔がある。
20代後半の金髪男性で、やけに自信がみなぎった顔立ち。その人物はまじまじと俺の顔を見ていて。
「……めっちゃオレに似てる。お兄さん、それどこで売ってたの?」
その言葉で見覚えの出所を理解して、俺はお面を触った。
「これは……」
問いかけに言葉で返そうとして、でもそれが無意味だと思い出し人差し指を動かす。
その先は、誰もが口を閉ざした通り。
どこかズレていて。でも何かを伝えようとしている人たちの屋台。
「へえあっちか。行ってみよー」
さすがにジェスチャーで、どの屋台がオススメとかまでは伝えられない。でも、誰かがそこへと踏み入ってくれるのは、自分のことのように嬉しかった。
それからすぐ、賑わいを割くように放送が響き渡る。
『まもなく盆踊りが行われます。参加される方は櫓の周りへ集まって下さい』
誘われるように、俺も更なる人だかりへと向かっていった。