第6話「第一皇子との邂逅『まだお前は俺のものだ』」
皇宮の音楽堂。
定期的に催される“皇族主催の音楽祭”は、表向きは文化振興だが、実態は政界のパワーバランスを見極める社交の場である。
その夜、セレナは淡い藍のドレスを身にまとい、静かに会場を歩いていた。
皇太子であるユリウスは外交の公務により欠席――
つまり、今日は“単身”での出席だった。
(いらぬことを仕掛けてきそうな夜ね)
そしてその予想は、的中する。
「……お前ひとりか」
背後から聞こえたのは、もう聞きたくもない声だった。
「レオニス殿下。ご機嫌よう」
礼儀として名を呼ぶが、その視線は冷たいまま。
レオニスはそれでも構わないといった様子で、彼女の前に立ち塞がった。
「セレナ。どうしても、君に言いたいことがあってね」
「お聞きする義理はありませんわ」
「いいや、聞け。……まだお前は、俺のものだ」
音楽が止まったわけではないのに、会場の空気が静止したように思えた。
セレナの眉がわずかに動く。
レオニスは微笑み、言葉を続けた。
「お前が皇太子の妃になったのは、俺の気を引きたいだけだろう?
見ればわかる。たとえあの男に抱かれようとも“心”を許していないことくらい」
「……どうやらご自分の“価値”を過信されているようですわね」
「俺はずっと後悔していた。君を失ったことを。
だが、取り戻せるなら取り戻す。お前にふさわしいのは弟ではなく、兄である俺だ」
その瞬間、周囲の令嬢たちがざわめき始めた。
あまりにも“踏み込んだ発言”――つまりスキャンダルの芽を、第一皇子自らが口にしたのだ。
(……なんて愚かな人なの)
背筋に冷たい怒りが走る。
(この男、私を“取り戻したい”んじゃない。
自分のプライドを守るために、“自分のものだったはず”の女を弟から取り返したいだけ)
「……陛下は、私を手放してくださった唯一の恩人です。
が、殿下がわたくしを“所有物”のように口にされると、不快ですわ」
「セレナ、誤解だ。俺は本気で――」
「――そこまでにしていただけますか?」
その声は、氷のように鋭く澄んでいた。
振り返ると、そこにいたのはユリウス・ヴァルクール。
外交で不在のはずだった男が、いつの間にか、静かに立っていた。
「……殿下。公務は?」
「早めに終わらせた。君が“無防備に狙われる”未来が、あまりに容易く想像できたのでな」
レオニスがわずかに顔を引きつらせる。
「これは――」
「この場で君に剣を抜くこともできるが、それはやめておこう。
兄弟であり、皇族だからこそな」
ユリウスはセレナの側に立ち、言う。
「セレナは、偽りではない私の妻だ。“今この瞬間”も、私の隣に立っている」
その言葉に、周囲の人々がどよめく。
(……“偽りでもない”)
その言い回しは、意味深すぎる。
ユリウスはそのまま、レオニスを振り切り、セレナの手を引いて会場の奥へと連れていく。
ふたりきりになった瞬間、セレナは問いかけた。
「……どうして、来てくださったのですか?」
「答える必要はないだろう。私の行動は、私が決める」
「ですが、“契約”の範囲を逸脱しておられるのでは?」
「ならば、“契約”を改訂しよう。
今後、“私以外の男が君に触れた時点で処罰対象”という項目を加える」
「それは……冗談ですか?」
「君が冗談と受け取るなら、それで構わない」
けれど彼の瞳には、冗談の色など一滴もなかった。
(ユリウス様……一体どうしたというの……)
わからない。
この人の“感情”が、どこにあるのか。
けれど今、ただひとつだけわかることがある。
――私の手は、確かに、誰よりも強く守られている。




