第4話「宮廷の洗礼、毒のキス」
宮廷の大広間は、夜のとばりとともに、白銀と群青の光に包まれていた。
新皇太子妃――つまり“私”の初お披露目となる舞踏会。
招かれたのは、王族、五大公爵家、枢密院の重鎮たち……
つまり、帝国を動かす“顔色の濃い者たち”ばかり。
「セレナ様、本日は一段とお美しいですわね」
「やはり陛下のお気に入りだけのことはある」
誰もが笑顔を浮かべている。
だが、その言葉の裏には、刃が潜んでいた。
(ようこそ、“皇宮の戦場”へ――ってことね)
宮廷女官たちの視線は、私の足元から頭の先まで這うように注がれる。
身なり、態度、笑い方、話す言葉の抑揚まで。
すべてが、揚げ足を取るための“材料”にされる。
「セレナ。おまえがここに立つ資格など――誰が認めた?」
聞き慣れた声。
その声だけで、身体が硬直しそうになるのを押し殺す。
レオニス・ヴァルクール。
元婚約者にして、私を公衆の面前で辱めた男。
彼は今、“私が捨てた婚約者”として、後悔の色ひとつも見せず、堂々と立っていた。
「おまえがユリウスと結婚したのは、“私への仕返し”ただそれだけのくだらん意地だろう」
隣には、相変わらずアリシアが寄り添っている。
彼女は今日もパステルピンクのドレスに身を包み、甘い笑みを浮かべていた。
「セレナ様って本当は寂しがりやさんでしたものね。
皇太子殿下のような冷たい方に、どこまで耐えられるのかしら」
私は黙っていた。
彼らは“私が怒れば負ける”と思っている。
つまり――黙って見下ろせば、それで十分。
だが、その時だった。
「君たち、その口を慎め」
冷たい声が割り込んだ。
ユリウス・ヴァルクール。
皇太子の登場により、空気が一変する。
「ここは私とセレナの舞踏会だ。
皇家の顔に泥を塗りたいのなら――まず私を敵に回せ」
彼の手が、私の腰を引き寄せる。
思わず、息が止まった。
「……ユリウス」
「レオニス。おまえには人を見る目が全くない。セレナを無能扱いし蔑ろにしていたのがいい例だ。
私から見たセレナは、こんなにも帝国にとって必要な“才”を持っている」
その言葉は、偽りだとわかっていても私の心を温めた。
政略でありながら、“認めている”という宣言。
それは、私にとって最大の“庇護”であり――同時に、もっとも戸惑う瞬間でもあった。
悔しがるレオニスを後に、私達はその場をあとにした。
「……殿下、先ほどのは」
「気にするな。芝居の一環だ」
そう言いながら、彼は私の手を取って舞踏会場を歩き出す。
誰よりも美しく、誰よりも冷たく。
ユリウスは言う。
「この国では“踊ること”が政治だ。
君が皇太子妃である限り、私と踊れ」
「……承知いたしました、陛下」
その手は冷たかった。
けれど――彼が他人の前で、私を“守った”ことに変わりはない。
舞踏会の終わり、庭園の奥で、ユリウスは私に問う。
「君は、誰かに口づけられたことがあるか?」
不意に、距離が近づいた。
「……質問の意図が不明ですわ」
「円満な夫婦を装うと言ったのは君だろう?」
「……契約にない行為を強制するおつもり?」
「これも契約の中の決まり事のようなものだ」
そのまま、彼は唇を寄せた。
触れそうで、触れない。
まるで“毒のようなキス”だった。
「――これは庇護の印だ。誤解するな」
「……肝に銘じますわ」
契約の枠を少しだけはみ出した夜だった。




