第2話「捨てられた女ではなく、次期皇妃です」
「おめでとうございます、セレナ様」
その言葉の後に続くのは、決して祝福ではない。
社交界という劇場では、言葉と笑みこそが最も鋭利な刃となる。
「まさか婚約破棄されて、すぐに皇太子殿下に拾われるなんて……まるで運命の逆転劇ですわねぇ」
「あの夜会、ちょっとした噂になってるんですのよ。“準備してたんじゃないか”って」
ああ、面倒。
紅茶の湯気と一緒に、貴族令嬢たちの作り笑いが霧のように広がっていく。
耳障りだが、舞踏会から数日経っても、社交界の話題はもっぱら私のことで持ちきりだった。
「……そう思いたければ、どうぞご自由に」
そう応じると、彼女たちはまた“ええ〜?”と意味のない笑い声をあげた。
無知と好奇心で膨れ上がった言葉の泡に巻かれながら、
私は紅茶をひと口啜る。
正直に言えば、“拾われた”のではない。
あれは――賭けだった。
あの夜、婚約破棄が起きることを私は知っていた。
アリシアとレオニスが“夜会で断罪ショーを演出する”つもりでいることを掴んでいたから。
そして、それを知った私は第二皇子ユリウスに事前に手紙を送っていた。
《皇太子殿下が私を公の場で罵倒しようとするなら、
その瞬間、私は殿下と破談を宣言し、あなた様に嫁ぐ覚悟がある――》
それが、“契約”の始まりだった。
その夜。皇宮の東棟、皇太子の私室。
「で? よく考えたら冷静になって断ろう、なんて言い出さないよな?」
ユリウス・ヴァルクールは、燭台の炎を背に組んだ足を揺らしながら、私を見ていた。
琥珀色の瞳は嘲るように、試すように、こちらを見据えている。
「何をいまさら。もう帝都中に知れ渡っています」
「……ふん、さすが。根性だけはある」
ユリウスはワイングラスを揺らす。
彼の口元には笑みはないが、どこか楽しげだった。
「ただし、念を押しておく。
君を愛する気はない。ましてや家庭ごっこをする気も毛頭ない」
「それはわたくしも同様です」
「最低半年。
その間、表向きには“円満な夫婦”を演じる。
お互いに恋愛感情を持たず、プライベートには干渉しない。夫婦関係が良好だとまわりが信じ始めたあとは各々好きにしよう」
私は静かに頷いた。
「見返りに、あなたは私に“この国の淑女として最も高い地位”を。
わたくしはあなた様に“帝都と有力公爵家の支持”を差し上げます。わたくしとの婚姻が皇太子になれる条件ですものね?」
そう、これは感情のない結婚。
私は皇帝継承の条件が我がエルヴァイン公爵家との婚姻だと知っていた。
愛などいらない。ただ、互いの“意地”と“利”のためだけに交わされた契約だ。
「それでいい。
……ただ、ひとつだけ気をつけろ」
ユリウスの声がわずかに低くなった。
「この契約を破った時、君がどれだけの代償を払うことになるか――
私は、誰よりも冷酷に“精算”する男だということを、忘れるな」
その言葉に、私はわずかに笑った。
「承知しております、陛下」
扉の外、夜風が微かに揺れていた。