エピローグ
皇宮の奥、政庁会議の間。
集められたのは、各地の有力貴族、軍部の将官、そして元老院の代表。
かつてレオニス派として勢力を持っていた者たちの多くもそこにいた。
ユリウスは、その中央に立っていた。
その傍らには、皇妃としての装いを身にまとったセレナの姿。
だが、その表情はどこか張り詰めていた。
「陛下。ひとつ、よろしいでしょうか?」
声を上げたのは、セレナの父、エルヴァイン公爵だった。
「今回の皇太子任命――その条件として、我が家の娘を娶るという案が、元老院から出されていたと聞いております」
セレナの瞳が揺れた。
(やはり……)
どこかで予感していたことだった。
ユリウスと自分との結婚は、“打算”から始まった。
政略。立場。表面上の契約。
だが、そのすべてに「皇位継承の条件」が乗っていたとしたら――
「つまり陛下は、セレナを“皇太子になるための駒”として迎えられたのでは?」
重く、静かな問いだった。
室内の空気が一瞬凍る。
誰もがユリウスの返答を待っていた。
皇妃が“愛されていない”と判断されれば、その正統性は揺らぐ。
わざわざ取り決めをして夫婦円満まで装っていたのに。
今となってはそんな契約があったことすら懐かしい思い出となったが。
しかし――
セレナ自身が、何よりその答えを欲していた。彼がどういうつもりで、自分の策略にのってくれたのかは聞いたことがなかったからだ。
ユリウスは、黙っていた。
長い沈黙の末、彼はふと目を伏せ、そして静かに語りはじめた。
「――ああ、条件だった」
ざわめきが広がる。
セレナの肩が、わずかに震えた。
だがユリウスは、すぐに続けた。
「だが、私が妻を選んだのは、“条件”だからじゃない。
条件にされたことで、初めて彼女の存在を真剣に見た――それは事実だ。
けれど、“条件”を超えて、彼女が必要だと思ったのは、私自身の選択だ」
視線がまっすぐ、セレナに向けられる。
「私は、第二王子だった。
皇位継承の順位も、家格も、母の身分も、レオニスに遠く及ばなかった。
それでも皇太子になるために、何が必要かと問われたとき――
元老院は言った。
『エルヴァイン公爵家の令嬢を皇太子妃に迎えるなら、我らは貴殿を支持する』と」
セレナの父が静かに目を閉じる。
「だが私はそれを聞いて、君を“調べた”。
君がどう生きてきたか、何を守り、何に傷ついてきたか。
“皇妃にふさわしいか”ではなく、“俺と共に同じ目線で帝国を見れるか”を、だ」
ユリウスの声が、わずかに熱を帯びる。
「君は、誇り高く、孤独で、誰よりも真っ直ぐだった。
私と同じで、他人を信じないふりをして、
本当は誰よりも“信じたい”人間だった」
セレナの喉がつまる。
言葉が、出なかった。
「条件として出された時、それを受けても君が“私を拒むかもしれない”ということも覚悟していた。
だがあの夜会で君が私の手を取った瞬間――
私は初めて、“誰かに選ばれた”感覚を得た」
一瞬、室内の空気が変わった。
セレナは、そっと息を吐きながら、微笑んだ。
「……条件だったことは、もう構いません。
わたくしもまた、あなたを“契約相手”として選んだのですから」
「けれど、今は違うだろう?」
「はい。今は――わたくしが愛しているただの夫でございます」
その瞬間、拍手が起きた。
静かな、けれど確かな敬意のこもった拍手。
それは皇帝と皇妃の“対等な選び合い”に対する、帝国の民意の喝采だった。




