第10話「元婚約者の反逆」
「陛下、皇都南区の兵舎が、今朝未明に封鎖されました」
報告を受けたユリウスの手が、微かに止まる。
室内の空気が一気に張り詰めた。
「反乱の兆候か?」
「現時点では“演習”と称されていますが、
動いているのは元近衛隊のうち、“第一皇子派”と呼ばれていた兵士ばかりです」
「……レオニスか」
セレナは黙って報告を聞いていたが、その名が出た瞬間、指先が冷えるのを感じた。
(まだ諦めていないのね。あの人は――)
皇太子としての立場を失ったことで皇位継承権を剥奪され、
それでも彼は“この国の未来は自分のものだ”という幻想を手放していなかった。
確かに順当であれば第一皇子に継承権があるのは当たり前なのだ。
「情報統制が敷かれています。皇宮内でも、知る者はごくわずか」
「……となれば、動けるのは今しかない」
ユリウスがゆっくりとセレナのほうを向いた。
「セレナ。君に、“政務補佐官”の権限を与える」
「……わたくしに?」
「君の家柄、知識、交渉力。どれを取っても、皇宮の女官など相手にならん。
そしてなにより――君は、敵に情けをかけない」
その言葉に、セレナは静かに微笑んだ。
「……あら、まるで悪女のようないいようですわね」
「最高の褒め言葉だろう?」
ふたりの視線が交わる。
それは恋人のものでも、夫婦のものでもない。
戦場に立つ者同士の、“信頼”という名の同盟だった。
その夜、セレナは自ら筆を執り、
帝国内の有力家門へ“非公式な招待状”を送った。
内容は簡潔だった。
『今、皇都に蠢く動きについて、
皇太子妃としてではなく、ひとりの貴族として、
ご意見をうかがいたく存じます。』
送り先には、第一皇子派と中立派の両方が含まれていた。
これまでなら、火に油を注ぐような動きだっただろう。
けれど、今の彼女は違った。
「“正しさ”で民は動かない。“恐れ”で上流は動かない。
動かすのは、信頼と、“共犯意識”よ」
鏡の前で髪をまとめながら、そう呟いた自分の姿に、
セレナはふと――ひとりの少女の面影を思い出した。
あの頃の自分は、誰にも見られていなかった。
誰にも期待されず、誰にも選ばれなかった。
けれど今、こうして“何かを任されている”。
(そう、これは助けを乞った時に約束した契約。ユリウスに全有力貴族の後ろ盾を約束すると)
会合の夜。
集まったのは、五大公爵家の一部当主と、主要枢密院議員。
政務官たちは困惑していた。
「皇太子殿下の命で?」
「いいえ。わたくしの意志でございます」
セレナは、淡く笑って立ち上がる。
「正式な役職も持たぬ女が、この場を仕切るなど――とお思いでしょう。
ですが、皇宮が火薬の上に立っている今、
誰が“火を制御できるか”をご覧になってくださいませ」
彼女の話術は、剣よりも鋭かった。
冷静な数字と情勢分析、貴族間の複雑なパワーバランス。
そこにほんの少しの感情を乗せて――
「この国を、誰の私物にもさせないために、
どうかお力を貸してください」
話し終わった瞬間、会場は沈黙に包まれた。
そして――最初の支持者が、ゆっくりと席を立った。
「我が家は、皇太子妃殿下に従う」
そのひとことを皮切りに、空気が変わった。
“悪役令嬢”ではない。
“皇太子妃”でも、“政略の道具”でもない。
この場にはただ――ひとりの“統治者候補”としてのセレナがいた。
会のあと、ユリウスは静かに言った。
「……美しかった」
「演説の話、ですか?」
「違う。“戦う者”としての君だ」
セレナは小さく笑った。
「あら……惚れ直しました?」
「最初から惚れていなければ、“直す”必要もないのではないか?」
「……ほんとうに、最低ですわね」
「だろう?」
これが――
“お飾り悪役令嬢”と呼ばれたセレナが“反逆の皇妃”と呼ばれ出す夜明けである。