永遠の聖女と儚き騎士
ルシアは千年を超えて生き続ける聖女だった。彼女の祈りは病を癒し、戦を鎮め、国を繁栄へと導いた。
しかし、彼女は決して歳を取らず、命尽きることもなかった。
幾世代もの王たちが彼女を敬い、ある者は恐れ、またある者は愛そうとした。
だが、彼女はそのすべてを受け入れることなく、ただ静かに聖堂の中で祈りを捧げ続けた。
愛する者たちが老い、朽ち、消えていく悲しみを知っていたからだ。
そんな彼女の前に、一人の青年が現れた。
「ルシア様、どうか私に剣を教えてください」
青年の名はエドガー。彼は聖騎士として国を守るため、剣の指南を受けにやって来た。しかし、それは単なる口実だった。彼は幼いころ、村で病に倒れた自分を癒してくれたルシアをずっと忘れられずにいた。
「私は剣ではなく、祈りを捧げる者よ」
ルシアは微笑みながら断ったが、エドガーは諦めなかった。日々、彼は彼女のもとを訪れ、剣を振るい、時に花を贈り、彼女の笑顔を引き出そうとした。
最初は戸惑いながらも、ルシアは次第に彼の存在に心を揺らされるようになった。
彼の瞳には恐れがなかった。ただ、ひたむきな想いだけが宿っていた。
「なぜ、私に執着するの?」
ある日、ルシアは問いかけた。エドガーは真剣な眼差しで答えた。
「あなたが誰よりも美しく、そして誰よりも寂しそうだからです」
その言葉に、ルシアの心は震えた。
愛する者を持つことは、失う悲しみを伴う。彼女は幾度もそれを経験し、避け続けてきた。それでも――
「私は歳を取らない。あなたが老いても、私は変わらないのよ?」
「それでも構いません。あなたと共にある時間が、たとえ一瞬でも永遠より価値がある」
エドガーの言葉に、ルシアは初めて涙を流した。
その日から、彼女は彼と共に過ごすことを選んだ。永遠の時間の中で、初めて「今」を生きようと決めたのだった。
そして、季節が巡り、エドガーはゆっくりと老いていった。彼の髪は白くなり、かつての強靭な体は衰えていった。しかし、彼の瞳だけは変わらず、最後までルシアを見つめ続けた。
「あなたと生きられて、幸せだった」
最期の言葉を残し、エドガーは静かに息を引き取った。
ルシアはそっと彼の手を握り、祈るように唇を寄せた。
――もし、神が私に罰を与えるというのなら、どうか彼と同じ運命を。
その瞬間、奇跡が起こった。
彼女の頬に、一筋の涙が伝った。そして、彼女の髪に一本の銀の糸が混ざった。
それは、彼女が初めて刻んだ「時間」の証。
永遠を生きるはずだった聖女は、その日、初めて「人」となったのだった。
ルシアの髪に混じった一本の銀の糸。
それは、彼女の変化の始まりだった。
エドガーを失った悲しみの中で、彼女は初めて寒さを感じた。かつては無縁だった疲れや痛みが、わずかに彼女の身体を蝕み始めていた。
それでも、ルシアはそれを受け入れた。
「これが、人の生きるということ・・・」
彼女はエドガーが過ごした屋敷へ移り住み、彼の思い出とともに静かに暮らした。
鏡を見るたび、一本だった銀の糸が二本、三本と増えていくのを見て、彼女は微笑んだ。
時が経つにつれ、国も移り変わり、彼女を知る者は少なくなっていった。
しかし、それでも彼女を慕う人々はいた。かつてのように聖女としてではなく、ただの「ルシア」として。
ある日、彼女のもとを一人の少女が訪れた。
「聖女様・・・お願いです、母を助けてください!」
その少女の瞳には、かつてのエドガーと同じひたむきな光が宿っていた。
ルシアは静かに少女の手を握り、微笑んだ。
「私はもう、奇跡を起こせる存在ではないのよ・・・でも、一緒に祈りましょう。」
少女とともに母の傍に寄り添い、手を取り合いながら、ルシアはただ静かに祈った。
その時、胸の奥に温かな何かが広がるのを感じた。
そして、ふと気づく。
――ああ、私の命は、ここで終わるのだ。
身体は驚くほど軽く、まるで風に溶けるようだった。彼女の髪はすっかり白くなり、かつての神秘的な輝きは消え、ただの老いた女性へと変わっていた。
それでも、彼女は幸福だった。
「ありがとう・・・私は、ようやく・・・
あなたのもとへ・・・」
最後の言葉を紡ぐと、ルシアは微笑んだまま静かに目を閉じた。
その瞬間、部屋に優しい光が満ち、庭の片隅に咲いていた白い花が、一輪だけ淡い金色に染まった。
それは、彼女がこの世に残した最後の奇跡。
そして、永遠に咲き続けるはずだった聖女は、人としての最期を迎えたのだった。