『ブレイヴイマジン』第6章 ダークネス⑬
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「お父さん、マンティスは元々王城に住んでいて、王家に仕える家臣であり、魔法使いだったの」
夕暮れの街をケーンズ地区に引き返す間、コーディアは目尻に浮かんだ涙を拭った後、ずっと無表情を貫いていた。魂が抜けてしまったかのように目は虚ろで、一言も言葉を発しなかった。
ケーンズ地区の自宅に戻るや否や、彼女はすぐに眠ってしまった。あたかも、思考の閉じた内面世界へと逃避するかのように。俺たちは何も言葉を掛ける事が出来ず、眠ってしまった彼女に何が出来る訳でもなく、ただ自分たちで食事を摂り、同じように早めに就寝した。
コーディアが語り出したのは、翌朝、身支度を整えてからだった。俺たちより早く起きていた彼女は、「おはよう」と挨拶したきり言葉を探して沈黙する俺たちに、神妙な態度で「昨日はごめんなさい」と言った。
「イヴァルディさん──デイビル殿下は七歳頃まで、発達障がいを抱えていた。公にされている事じゃないけど、そうよね?」
「ああ」イヴァルディさんは、話の先が見えない、というような顔ながらも、彼女の確認に肯いた。「結構重度のもので、皆心配したらしいんだ。何しろ、言葉を発する事さえ出来なかったんだからなあ。その代わり、八歳からの知能発達は凄まじい速度だった。法典を全部暗記したり、戦略書を読んでその応用まで自力で考え出したりしてね」
自慢じゃないけれど、と付け足す彼に、俺は思わず肯いた。
実際、有り得ない事ではないらしい。現実でも、九歳で自力でピタゴラスの定理を証明したというアインシュタインも、五歳頃までは言葉を殆ど発する事が出来なかったという。一説には、幼少期に高機能自閉症や学習障がいを患っていたとも言われているそうだ。
「それで、イヴァルディさんが幼い頃、将来の王位継承は困難だっていう話が王宮に流れていたの。場合によっては第二王子の誕生を待つか、姫を生ませて、名門から優秀な子供を婿入りさせよう、っていう考えもあったみたい。
そしてどんな時代にも、強硬派が存在する。ステファン陛下が王位を継いで間もない頃の顧問官の一人、魔法使いのギュスターヴがそうだった。彼は、陛下の実の娘、イヴァルディさんの妹である第一王女と、同僚のマンティスの娘……私をすり替えたの。何故なら、陛下の第二妃は難産で、結果として姫は流産同様だったから。将来の見込めない第一王子に続いて、やっと王家の希望が生まれるはずだった。にも拘わらず、その結果が流産だった。ギュスターヴは、同じ頃に出産されたマンティスの実子を無事に誕生した姫とする事で、偽装を図った」
それがカルデア、と呟いたコーディアに、俺たちは何も言葉を発する事が出来なかった。最初に口を開けたのは、ロゼルだった。
「その事……コーディアさんの、お母さんは……?」
「知らなかったみたいよ、第二妃も勿論。分娩に立ち会ったのはどっちも同じ王宮付きの侍医だったけど、出産は眠っている間に行われたんだから。それに妃殿下の方は難産で体が相当消耗していたみたいだから、私の実のお母さん、シャーナよりも大分目を覚ますのが遅かったの。
侍医も、王家の将来の為だってギュスターヴに言われて、取り替え子の計画に加担した。そして、一件が済むや否や口封じに毒を飲まされた。この事については、歳をとっていた彼が二件同時の出産で、心労が祟って体調を崩した、っていう報告をされた。
そして私自身も両親も、ステファン陛下や妃殿下たちも、皆私の事をお姫様だって思って一年間を過ごした。だから本当は私とイヴァルディさん、顔を合わせているかもしれないんだよ。私は一歳にもならない頃で記憶がないし、イヴァルディさんも当時の事は覚えていないだろうけど」
「それで……コーディアはイヴァルディさんに対して、複雑な気持ちを抱えていたのね。彼の発達障がいがなければ、後にこういう事が起こらなくて済んだ、しかも当の彼はその事を覚えていないから……」
ユリアが言うと、イヴァルディさんは深々とコーディアに頭を下げた。
「ごめん。全部、僕から始まった事だったんだね」
「いいんです、イヴァルディさん」コーディアは、弱々しく微笑む。「障がいは、誰も悪くない。イヴァルディさんがなりたくてなったものでもないし、あなたを責めた私が間違っていた」
「それで……そこからどうして、マンティスがヴェンジャーズを立ち上げるに至ったの?」俺は尋ねる。
「まず、ギュスターヴの計画が露見した。一年くらい経った時、第二妃が体調を崩した。新しい侍医が調べたら、流産した際に胎内に蓄積されていた毒素が原因だって分かった。それで、本当の姫が実際は死んでいたって事がバレたの。
そして、カルデア姫が生まれた時、子供が流産したとされていたマンティスは、取り替え子が行われていた事に勘付いた。それから彼がどう確信に至ったのかは聞いていないけど、事実を知った彼は激怒した。そして、王宮から私を攫って、お母さんと一緒に王宮を逃げた。第二妃は間もなく亡くなったわ。
だけど、ギュスターヴは醜聞を恐れて、というより自分の保身を図っただけかもしれないけど、自分に嫌疑が掛かって捜査が行われている隙に、口封じの為にマンティスに追手を差し向けた。そうね、私たちの逃亡生活は四年続いたわ。最終的にギュスターヴは王宮から追放されたみたいだけど、刺客の動きは止まらなかった。私はお父さんから、逃げる間に何度も自分たちが逃げなきゃいけない理由を聞かされたわ。それで私も……悪者は王宮だって信じた。
最後に辿り着いたのはタバルジンクスの村だったけど、そこでお母さんは遂にストレスが限界に近づいて、精神を病んでしまった。そして私を連れて、川に身を投げたの。その結果……私だけが助かった」
だけど、とロゼルが容喙した。
「マンティス総統は、コーディアさんがその時に死んでしまったと思い込んでいるみたいだったけど」
「タバルジンクスの村を通るシミターン川は、セイバルテリオ郊外でこの街を流れる川と合流する。お母さんの遺体はタバルジンクスのすぐ近くで岸辺に打ち上げられたらしいけど、私はそのままこの街まで流された。途中で、溺死したお母さんの腕から力が抜けて離れ離れになったんだと思う。
私、セイバルテリオの孤児院で保護されたわ。王宮では、騒動を防ぐ為かカルデア姫は事故死したって事にされて、それっきりミッドガルド国内では姫の事を口に出すはタブー、みたいな風潮が生まれた。私も同じ名前だって事で珍しがられたけど、まさかその死んだ事になっている姫と同一人物だとは思われなかったみたい。孤児院を出るまで、気付かれなかったわ」
俺は話を聴きながら、それがコーディアが、「完璧」と呼ばれる程に様々なスキルを身に着けた理由なのか、と思った。一人で生きていく為に何でも自分でしなければならなかった、と言った彼女の言葉の裏に、どれだけの悲しみと、強がりが含まれていたのか、想像してもしきれなかった。
「私、二つの気持ちが両方あった。相手がお父さんでも、お父さんだからこそ、私が止めなきゃいけないんだって思った事。それはロゼルを守ろうって決めた時にも思った事だった。その一方で……もしも私が、お父さんと戦う事になったらどうしよう、っていう思い。仕方ないからって言って、私はロゼルの為に、延いては世界の為に、彼を斬り捨てられるのかな、って」
「……今は?」ユリアは、恐る恐るというように問うた。「今はコーディア、戦えそう? どうしても辛いなら、無理しなくたって……」
「嫌だ!」
コーディアは、激しく首を振る。その様は、今までの彼女からは想像がつかない、駄々を捏ねる子供の仕草にも似ていた。
「私、逃げる事だけはしたくない。だってそれで……もし、ケント君たちがお父さんを倒さなきゃいけなくなったら。逆に、私のせいでケント君たちが迷って、あなたたちをお父さんが殺すような事があったら……私、自分を許せない。ケント君、あなただって、ガーディとの戦いに自分が参加出来ないまま、何かしらの決着が着けられたら、そんなの悲しすぎるでしょ」
言ってから、彼女は言い直すように「ごめんね」と口にした。
「ガーディと戦うなら覚悟を決めて、とか、偉そうな事を言っておきながら」
「コーディアにとって、総統は肉親じゃないか」俺はゆっくりと言った。「俺だって自分の事に、結論は出せていない。ロゼルのメダルを取り戻すのも、ユリアを守るのも、ガーディさんを止めるって何回言っても、具体的にどうするのか決めかねているんだ。いざとなった時、俺は彼を斬れるのか」
「ケント君……」
「だけど、昨日の潜入で分かった。倒すつもりで戦っても、俺たちの命がどうなるのか分からない相手だって。だったらやっぱり、究極的な対応を曖昧にしたまま再戦を挑むのは危ないよ」
「ケント君は、ガーディと戦ってどうするつもりなの?」
ユリアが不安そうに尋ねてくる。このような状況でも、まだ俺を気遣ってくれる事に、俺は感謝の念を覚えながら答えた。
「……出来るだけ、戦闘不能で済ませる。でも、そんな悠長な事をしている時間がないって分かった時点で、迷わずに倒す」
決して、口から出任せの言葉ではなかった。コーディアの迷いの表情が、増々顕著になる。俺は、さすがに彼女を焦らせるような言い方だったか、と反省したが、すぐに次の事に思い至った。
マンティス総統が、コーディアが素性を明かした時に言い放った言葉は、彼女への拒絶の言葉だった。彼女はそれにショックを受け、今朝まで茫然自失の状態が続いたのだ。彼女が尚も俺たちと一緒に戦う事を選ぶのなら、取り得る選択肢はないに等しい。ただ一つの宿命めいた道、自分の命を奪おうと襲い来る父親と、どちらかが死ぬ事を前提に渡り合わねばならない、という。
「……無責任な言い方かもしれないけど」
イヴァルディさんが、そこで長い沈黙を破った。
「マンティスは、びっくりしたんじゃないかな。彼は、王宮や貴族、彼の言う”力ある者”なら何をしても正当化される、そんな世界の構造を壊そうとした。その動機となったのは、最愛の娘である君が、二度も奪われたからだ。一度は、彼の娘としての存在を。もう一度は、命を。その君が、カルデアと同じ心臓の名前を持って自分の前に現れた事は……彼に、自分の行動の意味を揺るがしかねない事態だったんだよ。だけどそれは、奇跡のはずだよ」
「奇跡?」
「本当はもう会えないはずの娘が現れた。喜ぶ前に、マンティスは驚いたんだ。だから……総統は元々、世界を愛していたんじゃないかな? 彼の動機が単なる復讐だったら、きっと同じように経済格差を憂う人や、世界に嫌気が差した人たちまでを集めるはずもない。”力ある者”だけじゃない、この世界を間違っているとして否定したのは、彼なりの理想の世界が、元々彼の中にあったからだよ。コーディアさん、君が生きていたとしたら……マンティスは、君が生まれた世界すら、嫌ったのかな? 僕には、そうは思えない」
「イヴァルディさん……」
コーディアは、涙の溜まった瞳でイヴァルディさんを見つめた。彼女は、自分やマンティス総統の人生を狂わせたものがギュスターヴという家臣の悪心だったせよ、そのきっかけがイヴァルディさんであった事について、頭では分かっていても、まだ彼への蟠りが消せなくても仕方がないだろう。
しかし、彼女はイヴァルディさんの言葉を噛み締め、反芻し、それを仲間としての彼自身の言葉として受け止めたようだった。手の甲でごしごしと目を拭うと、彼に向かって「ありがとう」と言った。
「私、お父さんともう一回話すよ。お父さんだって、私がカルデアだってちゃんと分かったら、憎んだりするはずがないもの。今までと同じに、私がやれる事をちゃんとやる」
「コーディアさん」
ロゼルは、彼女に釣られたように目を潤ませながら呟いた。それからすぐにあっと声を出し、もじもじと上目遣いに彼女に尋ねる。
「ごめんね、カルデアさんって呼んだ方がいいのかな?」
「いいよ、ロゼル。お父さんにとって私はカルデアだし、私たちにとってデイビル殿下はイヴァルディさん。ロゼルにとっての私は、コーディアでしょ?」
彼女は言うと、今度こそ今まで通りの笑顔をロゼルに向けた。ロゼルもぱっと顔を輝かせ、コーディアに抱きつく。俺もそこで、昨日から続いていた重苦しい空気が少しは軽くなったように思えた。
「ケント君、ユリア、イヴァルディさん。アロード君とシルフィも」
コーディアは、ロゼルを抱き寄せながら俺たちの名前を一人ずつ呼んだ。
「本当にありがとね」
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もう一度ヴェンジャーズ本拠地へ挑むに当たって、俺たちはフォールン・セラフへの対策を行わねばならないと考え、今度は皆で地下へ降りた。
囚われていたユリアたちには、俺たちが地下で見たフォールンがどのような存在なのか、本拠地で俺たちが現れた時レーナが何をしようとしたのかについて説明していた。フォールンから核融合によって生み出されたエネルギーが消滅していたのは、ヴェンジャーズにとっても予想外の事態だったらしい。だが、もしもこの奇跡的なトラブルが起こっていなかったら、数万人の命が一瞬で消滅していた。
否、この事態が本当に「奇跡的なトラブル」なのかどうかも分からないのだ。魔科学兵器に転用されていた膨大なエネルギーが、装置の不具合か何かがあったとしても完全に自然消滅する事はない、とロゼルは断言した。ならば、誰かが人為的にエネルギーをどうにかした事になる。消し去ったのか、それとも魔科学兵器ごと何処かへ運び去ってしまったのか──。
ロゼルは、装置自体の解除は難しくないと言った。だから、もしかしたらゼドクやルクスがどうにかしたのか、とも俺は考えた。しかし、ヴェンジャーズに監視されている以上下手に手を出せば即座に起動され、街を危険に晒すかもしれないそれに対して、彼らが”賭け”に出るとは思わなかったし、そもそも幾ら解除が簡単でも、それは魔科学の知識に精通した者──ロゼルなど──が居る事が絶対条件だ。
彼らが動かしたのでないとすると、ヴェンジャーズの身内による独断行動か、或いは悪心を抱く第三者が存在するという事なのか。
それを確かめるべく俺たちは行動したが、その結果分かった事は想像を遥かに超えていた。それがいい方になのか、悪い方になのかすら、俺たちの中に居る誰もが判断出来なかった。
ガス管イグナイター、フォールン・セラフは、粗雑に繋ぎ合わされたパイプだけを残し、忽然と設置場所から消えていたのだ。




