『ブレイヴイマジン』第6章 ダークネス③
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ケーンズ地区に行くと、道路脇にゴミの山が乱立する、スラム街らしい場所が見えてきた辺りで通行規制が掛けられていた。住民と思しき人々の中で、有志と思われる数人が誘導灯を振り、規制線の前で交通整理をしている。ストレッチャーで運ばれている人も居り、渋滞した道路では衝突などが勃発したらしく、至る所で乱闘が発生していた。
「あちゃー、やっぱりスラム街ね……」
ユリアは呟いたが、すぐに頭を振って「それだけでもないか」と言った。
「今日は何か、特別酷いみたい。そもそも、この渋滞はどうして……」
彼女はぶつぶつ呟きながら、交通整理をする男性の方へ歩み出す。俺は慌て、「あんまり不用意じゃ危ないよ」と声を掛けた。
「ちょっと様子を聞いてくるだけだから。でも、確かに皆気が立っているみたいで怖いなあ、本当に何があったんだろう」
「さあ……でも、こんな状態でコーディアとロゼルを探す事なんて」
出来るだろうか、と言いかけた時、俺の肩が誰かにドンッとぶつかった。俺は反射的にすみません、と言いかけたが、顔を上げた瞬間短髪にサングラスの男が俺を見つめていた。全身がびくりと硬直する。
「す、すみ……ません……」
「痛ってえな、何してくれんだよ」
短髪の男は俺の両胸を手で押す。チンピラに絡まれてしまった、と思った時、その男の横から、毛の跳ねた頭の、ひょろひょろとした体格の男が進み出て来た。三白眼で、俺を睨め下ろしてくる。
「あ? 何だ何だ、喧嘩かよ?」
「大方、掏りでも働こうとしやがったんだろう。連中が避難する混乱にかこつけて、何かかっぱらっていくつもりだったんだ」
「おい、何シカトしてんだよ、ガキ。俺たちを舐めてやがんのか?」
ひょろひょろの男が、短髪の尻馬に乗るように俺に言ってくる。俺は不良に絡まれるなどという事は初めてで──しかも現実世界でではなく、異世界、メタバース空間で──、戦闘の時とは異なる緊張が湧き上がる。ヴェンジャーズの方が余程危険度は高いはずだが、俺自身の心の持ちようが異なるせいだ。
俺が曖昧に声を漏らしながら口をぱくぱくと動かしていると、短髪の男に胸倉を掴まれた。
「何とか言えよコラアッ!」
「何なのよ、あなたたちは! ケント君に絡まないで!」
ユリアが間に入り、俺とチンピラたちを分ける。俺は、ケーンズ地区に来る前に彼女に、治安が悪くても自分が守るから心配するなと言った事を思い出し、逆に庇われる自分が情けなくなった。
村長の娘であり、ブレイヴのユリアの態度は堂々としたものだったが、無知な者たちにとってはそれも効力を持たない。彼女の闖入に、チンピラたちは一瞬怯んだようだったが、すぐに相手が少女だと分かると、ニヤリと笑った。卑猥な目つきで、ひょろひょろの方が口を開く。
「何だよこの女、そのガキの連れかよ?」
「なかなかいい女連れてんじゃねえか。気に入らねえな」
短髪は言うと、いきなり手を伸ばした。
戦闘中であれば、ユリアは反応出来ただろう。だが、不意を突いたそれには、彼女も、また俺も反応しきれなかった。ユリアは腰に手を回され、俺から引き剝がすように短髪に引き寄せられた。
「こいつで勘弁しといてやるよ。安いもんだよな」
下卑た笑みを浮かべる男の顔を見た時、俺の頭にかっと血が昇った。恐れはたちまち蒸発し、代わりにふつふつと湧き上がったのは、不真面目に生きている人間に対する、俺が現実で感じていたのと同じ、腸が煮え繰り返るような怒りだった。久々に感じるそれに戸惑いながらも、俺は理性で、ここからの行動を感情に委ねる事を決めた。
俺は拳を握ると、さすがに盾通拳は使わなかったものの、戦闘職としての力を込めたパンチを短髪の鼻面に叩き込んでいた。
「薄汚い手で触るな、DQNが」
「ぐふっ……!」
短髪はユリアから手を放し、解放された彼女はよろよろとこちらによろめく。俺はその肩を支え、後ろに下がらせた。
「ケント君……」
「大丈夫だよ、ユリア。俺は確かに、アロードみたいな肉食系じゃないし、どっちかっていうと彼の言ったロゼルの性格に近いみたいだけど……でも、ユリアに手を出す奴なら別だ」
俺は言うと、短髪を睨みつける。彼は鼻頭を押さえ、オットセイの鳴き声のようなおうおうという声を上げていた。手からは鼻血が滴り落ちるのを見、俺はやりすぎたかな、と持ち前の弱気が顔を出した。
「ビーフ君!?」
ひょろひょろの男は動揺したように声を上げるが、既に腰砕けになっていた。手を差し伸べるでもなくわなわなと震える彼に、短髪が怒鳴る。
「ホスミ、何やってやがる! こんなガキ、とっとと絞めちまえ!」
「ひっ! ……お、おいてめえ! よくもビーフ君にDQNと言ったな! 刺すぞ、本気で刺すからな! いいか!」
男は震え声で言い、ポケットからカッターナイフを取り出す。やはり不良のやる事は何処でも同じなのか、と思い、すぐにレーラズが現実の情報を基にゲームを設計しているのだと思い出す。何も、こんなものまで再現しなくていいのに、と俺は呆れたが、『ブレイヴイマジン』のリアリティ追及についてあれこれと言うのは、今更という感じだ。
「おらあああっ!」
チンピラが、ナイフを両手で突き出しながら突進してくる。しかし、ガーディさんや魔物の攻撃を受けては捌き続けた俺にとって、相手を戦闘の対象として見れば危険度はEクラスにも満たなかった。
俺とユリアは顔を見合わせ、困惑した。
「ケント君、どうするの?」ユリアが問うてくる。
「俺も不本意だけど、こんな所で時間を食う訳にも行かないし……仕方ない」
答えると、俺は鞘ごと剣を腰から外した。諸刃の剣であるだけに、峰討ちは出来ない。鞘の重量はデュアルブレード本体の七割くらいであり、重みは増すが、流血沙汰にして騒ぎを大きくすれば、ここにもパトリオットがやって来るかもしれない。小規模な喧嘩なら、喧嘩が日常茶飯事の街に隠蔽出来る。
男が制空圏に入るや否や、俺は剣を軽く振ってその右手首を打った。男はナイフを取り落とし、手首を押さえて座り込む。この世界で斬られ慣れた俺には少々大袈裟にも思えたが、約二ヶ月前までは俺も、武器で殴られる事などとは無縁の日常を送ってきたのだ。
やはりやりすぎか、と思い、こちらに非がないとはいえそろそろ謝った方がいいだろうか、などと考え始めた時だった。
「このガキ、剣なんか持ってやがる! ヴェンジャーズだな!」「ヴェンジャーズって、ヤベえじゃん!」「誰か、詰め所に知らせて来いよ!」「お前が行けばいいだろうが!」
群がっている人々が、突然騒めき出した。どうしよう、と思った時、ユリアががしりと俺の手を掴んだ。「逃げるよ」
「逃げるって……」何処に、と言いながらも彼女に従って駆け出そうとした時、俺は足首に抵抗を感じ、躓きそうになった。ひやりとして見下ろすと、ひょろひょろの男が器用に足を使い、俺の両足を絡め、固めていた。
「ビーフ君、今だ!」
「でかしたぞ、ホスミ!」
短髪の男は言うと、近くにあったゴミの山から折れ釘の刺さった鉄の棒を拾い上げる。俺はそこで、今度は戦場での意味で危険を感じた。
あんなもので殴られれば、大怪我をする。もし頭をやられたら、死んでしまうかもしれない。ユリアもさっと青褪め、俺の手首から手を放し、ひょろひょろの男の背後に回り込んで引き剝がそうと試みた。だが、彼も何の執念か、足をしっかりと固めて離そうとしない。
「あんたたちのせいだからね……!」
ユリアは意を決したように言い、レジーナソードの鯉口を切る。彼女は抜刀し、短髪の鉄棒を迎撃する気なのだ、と気付いた俺は、制止の声を上げようとし、本当にそれでいいのか、と迷った。
相手は逆上しており、加減をするという意識が抜け落ちている。ここでユリアを止めたら、その傷害を受けるのは彼女なのだ。
(こんな、馬鹿な事で!)
俺が唇を噛んだ時だった。
「やめるんだ、ビーフ、ホスミ!」
毅然とした声が響き渡り、人々の騒めきがそれを合図にしたかのように、一斉に止んだ。ビーフと呼ばれた短髪は呻き声を上げ、よく見ると彼は、背後から誘導灯を持った第三の男に羽交い締めにされていた。その手から、ガラン! と音を立てて鉄棒が落下した。
「何をやっているんだ、あんたらは! 私は早く、ここから離れろと言ったはずだ。下らない事で諍いを起こしている場合か!」
ごろつきめいた周辺の者たちと比べ、比較的堅気っぽい、むしろ一般人よりも優男のような風貌をしたその男は、野次馬たちに向かって「あんたらもだぞ!」と矛先を向ける。皆、ばつの悪そうな顔をしてその場から踵を返した。
ホスミと呼ばれたひょろひょろの男は、俺から足を離し、悄然とした様子でポケットを探る。財布を取り出し、悔しそうに差し出してくるので、俺は動揺しながら首を振った。「要らないけど……」
「全く、ビーフたちは本当に困った奴らだ」
ぶつぶつと言い、彼はビーフを解放する。彼は悔しそうに俺たちを一瞥したが、やがてホスミを引き立て、他の人々に紛れて駆け去って行った。
「えっと……ありがとうございます」
ユリアは剣を納め、ぺこりと頭を下げる。俺もそれに倣ったが、交通整理をしていた男は「いやあ」と照れたように言いながら頭を掻いた。
「すみませんね、彼らをまとめるのも至難の業で」
「それで、あなたは?」
「私はゼフレアだよ。ケーンズ地区町内会の、一応まとめ役って事になっている。まあここじゃ秩序なんて、その時その時に応じて作られるけどね。だけど今は、皆にとってピンチなんだからさ。火事場泥棒とか、そういう事をしている余裕があるなら早く逃げろっていう話」
彼は続けて、「君たちは?」と尋ねてくる。
助けて貰いながら不義理な気がしたが、何処にパトリオット兵が居るか分からない以上俺たちは素性を明かす訳には行かない。俺はユリアと視線を交わし、話を合わせてくれ、と手を握って指先で文字を書き、伝えた。
「俺たち、頼まれ屋のコーディアさんに依頼があるんです。俺たちの格好を見ても分かると思いますけど、冒険者で……これからちょっと強い魔物と戦うので、助太刀を頼みたくて」
「でも、ここに来てびっくりしました」ユリアが、後に続ける。「何かトラブっているみたいでしたし……一体これは、何の騒ぎなんですか? 皆にとってピンチって、一体?」
「実はね……さっき、地下水道で爆発があったんだ。地下を通っているパイプにはガス管もあるし、もしかしたらって思ってね」
ゼフレアさんの説明に、俺とユリアは声を揃えて「何!?」と叫んでしまった。もしガス爆発だったのだとしたら、ガスは漏れ出し、何処まで地下に充満しているか分かったものではない。もしそれが、何かの拍子に引火したりしたら。
「ああ、あくまでも念の為って事だからね。異臭も地上からは確認出来ないし、皆には一応元栓を閉めるように言ったくらいだよ。それでもこうして、一時的に避難して貰う事にしたのは……ここ最近、帝都のあっちこっちでガス漏れが発生しているみたいだから」
「あっちこっちで?」
「それに、君たちがコーディアちゃんに会いたいって言ったのも都合が悪い。つい何時間か前だけど、ここケーンズでもガス漏れがあったんだ。コーディアちゃんとロゼルちゃんが今、調査に入っている。そこで爆発音が聞こえた訳だから、皆心配でならないんだよ」
ゼフレアさんが言った瞬間、俺は周囲で時間が止まったような気がした。
硬直したまま、何とか視線を動かしてユリアと顔を見合わせる。彼女もまた、先程ビーフに襲われた時よりも顔面蒼白になり、今にも倒れてしまいそうだった。
「おい? 二人とも、どうしたんだよ?」
ゼフレアさんが聞いてくる。しかし、俺はそれに答えず、「すみません!」と断るや否や規制線へ駆け出した。ユリアもすぐに、俺を追って来る。ゼフレアさんはぎょっとしたように、「おい待て!」と叫んだ。
「街にガス爆発が及んだら大惨事だぞ! しかも、中に入ったら……」
「コーディアとロゼルは、そんな場所に取り残されているんでしょう!」
ユリアが、振り向きざまに叫ぶ。
規制線を越えると、マンホールの蓋が開いていた。ガスマスクを着けた数人が、飛び込んできた俺たちを見てあっと声を出した。
「君たちは一体……」
「すみません! 俺たち、嘘吐きました!」
俺は叫び、地下水道に踊り込んだ。




