『ブレイヴイマジン』第5章 サンダー⑱
* * *
「ケント君!」
ぼんやりと目を開けた瞬間、温かいものが俺の体に覆い被さった。ぎょっとして体が硬直したが、すぐに頰を柔らかな栗毛がくすぐり、ユリアだと分かった。俺はそっと彼女の体に手を回し、起き上がった。
辺りを見回すと、そこは病院の一室のようだった。窓の外は既に暗闇となり、仄かに海が反射する月光が見える。遠くにぽつぽつと浮かんでいるのは、海の漁師たちの漁火だろうか。
俺の横たわるベッドの傍らには、アロード、シルフィ、セルナ、スティギオとフィアリスが並んでいた。皆心配そうな顔をしていたが、俺が向いた途端にほっと安堵したように息を吐く。俺は咄嗟に混乱したが、直前に何があったのかを思い出そうと頭を捻った。
「俺、どうしてここに……? ヴェンジャーズと戦っていたはずじゃ……」
「ノーアトゥーン神殿で流されたんだよ」
フィアリスが言う。
「満潮の時に洞窟との境目が開いていると、半分近くは浸水するみたいだね。ヴェンジャーズがあんたたちを襲った辺りで、皆打ち上げられていた」
「ヴェンジャーズの三侯も一緒だったけど、俺とセルナが目を覚ましてすぐ覚醒してさ。でも、それ以上やり合うのは無謀だって向こうも判断したみたいで、大人しく引き揚げて行った。ブレイヴフォースにも失敗したし、ブレディンガルへの長居は無用って思ったのかもう街からは退散したみたいだな」
スティギオが言うと、フィアリスはやれやれと首を振った。
「幸運の連続だったんだよ? もし三侯の誰かだけが最初に目を覚ましていたら……それ以前に、引き潮に浚われていたら。あたしたちは一巻の終わりだったって訳だけど、よくもまあ皆揃って助かったもんだ」
ユリアはそうじゃないみたいだけどね、と付け加えられ、俺はベッドに腰を下ろした彼女を見る。ユリアは俺から体を離すと、微かに赤くなりながら膝を抱え込む。何か、恥ずかしがっているようだった。
「皆ヴェンジャーズが出て行った後に、次々目を覚ました。でも、ケントだけはいつまで経っても起きなかった。傷も、いちばん酷かったのはケントだしね。貧血気味だったユリアやスティギオよりも回復が遅かったのさ。でも、スティギオが漁業組合の人たちを呼んで来てくれたから、手遅れになる前にすぐに病院へ運ぶ事が出来たんだよ」
「ドダイさんやバウエさんも、港で俺たちが『潮騒の洞窟』方面に移動した事を見ていたらしい。それで、後からヴェンジャーズが入ったからびっくりしたって言っていたんだぜ? 俺が助けを呼んだらすぐに駆け付けられるように、スタンバっていたらしい」
「眠っていたから分かんないかもしれないけど、ケント君、何針か縫われたんだからね? 輸血もされたし。こうして病院に運び込む間、ユリアちゃん、ずっと心配していた」
シルフィは言うと、そこで表情を急に俗っぽいものに崩し、両手を組みながらユリアの口真似をする。
「ケント君が死んじゃったら、私どうしよう、一生独身で通すわ! って……」
「シルフィ! 変な事言わないでよね!」
ユリアは両手を突き出して小刻みに振り、シルフィを遮る。シルフィはすっと身を引き、くすくすと笑った。「シルフィの意地悪……」と頰を膨らませるユリアに、俺は声を掛けた。
「ありがとう、ユリア。心配してくれたんだね」
「それに、今度はユリアちゃんがケント君を助けたしね。輸血に使った血の半分は、ユリアちゃんが自分から採って下さいって頼んだんだよ? 彼女だって出血が酷かったはずなのに、回復するや否やすぐに」
「そうだったんだ……」
俺は、改めて彼女に「ありがとう」と言う。ユリアは暫し拗ねたように黙っていたが、やがてはにかみながら「どういたしまして」と応えた。
「あたしは山に行って、ヴェンジャーズが出て行った事を伝えて来たよ。あたしが彼らと戦った事を聞いたら、祖父ちゃんは雷を落としたけど……それでも、祖父ちゃんもアタランテスさんも、スティギオを手に掛ける事にならなくて良かったって安心しているみたいだった。
……勿論、あたしたち山の猟師がスティギオたちに酷い事をしたのは事実だし、ちゃんと償いはするよ。『潮騒の洞窟』の中で発生した魔物がノーアトゥーン神殿経由で海に進出する可能性もあるし、今のところ管轄が曖昧になっているそこでの魔物討伐を、山が引き受ける事になった」
「でも、うちが逃げ込んだせいで、山の皆の生活を目茶苦茶にしてしまった、っていうのも事実。だからうちも、スティ君と契約してブレイヴを見つけられた事だし、それに協力する事にした」
セルナは言い、スティギオをちらりと見た。
「結局、もれなくスティ君まで駆り出す事になっちゃうけど……」
「ま、簡単に言えば、『また仲良くやっていこう』ってこった」
スティギオは晴れやかに笑う。既に山との軋轢やトラウマは解消されたようで、憑き物が落ちたかのような表情だった。
「だけど……それでも、うちにはもう一つ償わなきゃいけない事がある」
セルナの言葉に、俺は首を傾げる。彼女は俯きがちに、
「ロゼルの事」
と言った。「何よりもうちは、最初にロゼルを見捨てて逃げた。そして……彼女はあのガーディに、メダルを奪われたんだ」
「心配しないで、セルナ」
シルフィは優しく言うと、俺やユリア、アロードを順に見た。
「あたしたちが絶対に、彼女を助ける。次の目的地はセイバルテリオ、帝都でヴェンジャーズの本拠地もあるし、作戦は今まで以上に困難を極めるものになると思うけど……」
「私たちは、絶対に恐れないわ。次が最後の冒険だけど……本当にこの世界の危機を終わらせるには、ヴェンジャーズを終わらせなきゃいけない。私たちだったらそれが出来るはず。そうだよね、ケント君?」
ユリアに言われ、俺も「ああ」と肯いた。
「でも……」少し躊躇ってから、俺は付け加える。「でも、今日の戦いで分かった。やっぱり戦うって事は命の選択で、そんな事は、きっと誰もがしたくないはずだって事が。ユリアだって本当はレーナの事、まだ諦めきれないんだろう? だから……犠牲は、出来るだけ出したくない」
「……私も」
ユリアは俺の言葉に、安堵したようだった。
「レーナはね、確かに意地悪で残酷なところがある。でも、それでも私の親友だった人なんだよ。一緒にミサンガ作って、それが切れる度に『願い事が叶いそう』って笑って……そう、笑ったの。ちゃんと笑う事が出来る子なんだよ、彼女は。ケント君が信じたガーディだって、ギデルだって、多分そう。
ヴェンジャーズに加わった人たちは皆、この世界に嫌気が差した人たち。皆、根っからの悪人じゃない、辛い事とか、それぞれの理由があって、ディアボロスに従った人たちなのよ。勿論ヴェンジャーズを擁護する訳じゃないけど、彼らを変えたのはきっと、世界の方……」
「……そうだよね、きっと」
俺は言ってから、ガーディさんの言葉を思い出した。
彼は、理に使い捨てにされる勇者たちを全滅させ、不可逆的な滅びをエヴァンジェリアにもたらすと言った。何やら、俺たちがこの世界によって犠牲を強いられているような口振りだった。そして、あの古びたデュアルブレード。あれもまた、疑問の一つだ。
『ブレイヴイマジン』の主人公は、今までそれではないかと思われていた使徒の設定なのだろうか。世界の外側から招かれた人間という設定なら、その武器が複数存在するのはおかしい。もしアポストルが複数人招喚されたなら、と考えてみても、それでは今までこの世界でその実在が確認されていない事に、説明が付かないような気がした。
ガーディさんは、この世界の秘密を何か知っているのだ、と俺は思った。恐らくはそこで、彼の絶望は萌芽し、心の奥に確かな優しさを秘めた彼を、世界の敵へと変えてしまった。
俺も知りたい、と思った。きっと俺なら──どん底を知り、そこから立ち上がる事が出来るという事を知った俺なら、それと向き合い、ガーディさんを救い上げる事が出来るのではないか、と。
「とにかく、その為にも……今はケントが助かって良かった。でも、まだ重傷である事に変わりはねえんだ。数日間様子を見て、それから出発だな」
アロードの言葉に、スティギオは立ち上がった。セルナとフィアリスも、その後から続く。
「じゃあ、俺たちも検査が済んだ事だし、そろそろ帰るよ。組合に説明する事は、まだまだ残っているしな。……改めて、この二日間は本当にありがとな。ケントが退院出来るまで、俺たち、毎日来るから。何かあったら、どんな事でも俺たちに言ってくれよ」
「うちらが皆にして貰った事を考えると、本当に些細な事だけどね」とセルナ。
「今日は大冒険だったからねえ……もうこの街で心配する事はないんだから、ゆっくり休みなよ、ケント」
彼らが去って行くと、ユリアはベッドから立ち上がり、脇にあった椅子に腰を下ろした。
「私とシルフィとアロード、泊まり込みで付き添うからね」
「ありがとう。でも俺……今日の事、後悔はしないよ。ユリアが俺の相棒で良かったって、本当に思うから」
「私もよ、ケント君」
微笑むユリアを見、俺は再び目を閉じた。
* * *
俺が次に目を覚ましたのは、恐ろしい夢からの韜晦によってだった。
夢の中で俺は、屍累々たる焼け野原に立っていた。血を吸い込み、赤みを帯びた灰色、蒼鉛色とでも表白出来そうな泥と化した地面。崩れ落ち、稜線がギザギザと綻びたような山々。その前方に、焼け落ちた屋敷が見えた。不吉な予感に囚われつつ視線を彷徨わせると、骨組みだけとなった巨大な造形物が見え、俺はがくがくと震える足を地面に立たせるだけで精一杯になった。
風車。ギアメイスの村、村長の屋敷にあった、まさにその残骸。俺は自分の立っている場所が、ギアメイスの成れの果てなのだと分かった。
「嘘だ……そんな事……」
ひび割れた声を漏らし、俺は歩を進める。死体の半ば埋没した土が、足元でぐしゃりと音を立てる度、心に腐敗の染みが生じるのを感じた。
行く手にガーディさんが見え、俺は立ち止まった。彼はインフェリアブランドを握った手をだらりと下げ、項垂れたようにそこに立っている。俺が「ガーディさん」と呼ぶと、彼はゆっくりとこちらを向いた。爛々と燃える双眸が、真っ直ぐに俺を射抜いている。彼の足元から、邪悪さを感じさせる赤黒いオーラが立ち昇り、彼に姿を重ねるように、巨大な人影がゆっくりと立ち上がろうとする。
その人影が、赤い鬼火の如き両眼をゆっくりと開いた時、俺は自分の腹の底から突き上げてくる戦慄を堪える事が出来なかった。それは鳩尾から胸、喉を震わせ、声帯で音を作り出す。
「うわあああああああっ!!」
絶叫した瞬間、足元の地面が消滅した。暗転する世界の中を、俺は何処までも真っ直ぐに落下していく。ふと、こんな事が前にもあったな、と思い、そのデジャヴの正体はすぐに掴めた。
エヴァンジェリアに──『ブレイヴイマジン』にログインした時と同じだ。果てしない情報の渦の中を、ひたすらに落下していくような感覚。その情報は、先程俺の脳が見た悪夢の残骸なのだとすぐに分かった。俺は今、サイコドライバーによってその光景を見せられた。
だがそれは、幻なのか、それとも来るべき未来なのか──。
『過去でもあり、未来でもあるよ、ケント君』
黒田氏の声が、何処かから聞こえてきた。
『君に、救って欲しかった世界だ』
『ブレイヴイマジン』第二巻目も、ここで終了となります。読み返す度にルビがおかしくなっている箇所が見つかりますが、これは作者の投稿スタイルの影響です。
私は「小説家になろう」への投稿の前に、縦書きの本の体裁にした原稿をWord文書で作り、毎日の投稿箇所を「なろう」の本文にコピー&ペーストしています。その際、Wordでルビを振ると現れる「EQ ¥* jc2 ¥* "Font:游明朝" ¥* hps10 ¥o¥ad(¥s¥up 7(ルビ),文字)」というような文字列──「Font:」の後に書かれているのが文書作成に使用しているフォント、最後の「up」の後は数字がルビのサイズ、半角カギ括弧の中身がルビ、「,」の後の文字がルビを振る文字です──が、自動的に半角カギ括弧になります。「なろう」でのルビの振り方は「|文字《ルビ》」が基本ですが、半角カギ括弧だとその直前の連続している漢字やアルファベットに自動的に平仮名や片仮名が振られます。
私は投稿初期、コピペ後は手作業で「()」を発見しては「|」+「《》」に直していたのですが、当然見落としがありました。最近ではコピペ後、一括変更の機能を使って「()」を「《》」にし、そうすると幾分かルビを振った箇所が探しやすくなるので、最後に手作業で「|」を挿入する、という手順を踏んでいます。今回の修正作業で最も驚いたのは、「火達磨」の後ろ二文字に「だるま」と振っていたルビが、「()」の修正のし忘れで「火達磨」となっていた事でした。
さて、作品内容の方ですが、本作はネット公開に当たっての大規模な加筆修正の際、購読を行うようになってから私が触れた文学作品に由来する小ネタを幾つか取り入れました。例えばブレイヴフォースの秘奥義「オフランド・オウ・ネアン」は中井英夫『虚無への供物』から、ガーディの使用する「天人五衰」と付く技は三島由紀夫『豊饒の海』最終巻の題名から、ここまででは未登場ですがレーナの使用する魔法「ドグラ・マグラ」は夢野久作の同名の小説から来ています。あと、第五章でケントたちの戦う「潮騒の洞窟」というのも、三島由紀夫の『潮騒』を連想させます。
それと、中盤の猫エピソードは本当に必要だったのか? と思われそうですが、これはXでの活動時代にFFの方が飼っていた猫をゲスト出演させよう、という話になり追加したものです。「ユナ・モモコネコ」という名前はその飼い猫二匹に由来しており、虫を食べるというのもその猫の習性でした。エピソード中に登場する「明月洞」や「月香の願い花」という固有名詞もその方のアカウント名に由来するものでしたが、現在の私はこういった内輪だけで盛り上がるネタは使いません。




