『ブレイヴイマジン』第5章 サンダー⑧
* * *
舗装されていない山を下りる頃には、既に時刻は六時半を回っていた。エヴァンジェリアの四季は日本と共通しているらしく、冬の日が短いのも同じだった為、道は既に暗く、下りには登る時以上の時間を要した。
幸い魔物とエンカウントする事はなく、セントラルエリアまで出られた。だが、やっと石畳の道を踏む事が出来た時、俺たちは安堵する前に異変を感じた。
眼下で、人々の騒ぐ声が聞こえてくる。皆、中心部へ程近い一点へと向かっているようだ。坂道を下りながら耳を澄ませると、その声の合間から微かに剣戟の音までが聞こえてくるので、俺はぞっとした。
「ケント、まさか……」
「行ってみよう、急いで!」
俺たちは、声の集まる方へと駆け出した。
日が暮れ、閑静であるはずの港町に響く声を辿り、出来事が発生しているその場所を目指すのは、そこまで難しい事でもなかった。小規模な商店を時折挟み、民家が並んだ住宅街の路上に、住民たちが群がっている箇所があった。俺たちは「避けて下さい!」と声を上げつつ、昼頃に漁業組合の人々を分けながら船の上を進んだ時と同じようにそれを見た。
スティギオが、長身の人影と戦っていた。ユリアも変身し、背後にセルナを庇うようにしながらレジーナソードを正面に構えている。人影は丁度街灯の光が当たっていない場所になっており、シルエットだけが見えたが、その頭部が獣のものに見えたので、俺は亜人の魔物が街に下りて来たのか、と一瞬思いかけた。
だが、すぐにそうではない事が分かった。それは、熊の頭部が付いた毛皮を着込んだ人間だったのだ。頭部を熊の頭ですっぽりと覆っているので顔は見えないが、見たところ山の猟師のようだ。
「スティギオ!」
俺は、アロードに憑依の準備をさせつつスティギオに叫ぶ。俺に何故海鳥を飛ばさなかったのだ、とは尋ねなかった。恐らく、襲撃はつい先程始まったばかりなのだろう。それで彼は、駆けつけるのにそこまで時間の掛からないユリアとシルフィを先に呼んだのだ。
スティギオは俺の接近に気付くと、「ケント!」と叫び返してきた。
「こいつはロードランナー、山の猟師たちの中でも、特に自然に精通して山野を抵抗なく駆け回る術を取得した、エリート中のエリートだ。俺も山に居た頃、祖父ちゃん以外に見た事がねえ」
現実でいう、東北地方のマタギのようなものか、と思いながら俺は肯く。だが、問題は相手が誰かという事ではなかった。
「何で、そんな相手がスティギオを襲うの!? ここ十ヶ月間、彼らが君を探すような動きはなかったんだろう? よりによって、こんな時に……」
「分からねえ。でも……そうだケント、山での話は?」
彼がそう問うてきた瞬間、ロードランナーと呼ばれた狩人が動いた。振り上げられた手元で、街灯の光がギラリと煌めく。その手には、刃毀れした巨大な牛刀が握られていた。
「危ない! 覇山焔龍昇!」
俺はブレイヴに変身し、抜刀と同時に技を使う。スティギオの前に飛び出し、敵の斬り下ろしを防御する。さすがに重量のある牛刀でも、通常攻撃ではブレイヴの剣技には敵わなかったらしく、その刀身は半ばから折れて宙に舞った。急に抵抗を失った狩人は、反動で大きく蹈鞴を踏む。
即座に追撃を掛ければ、斬り倒す事も可能だった。だが俺は、それをせず足を振り抜き、傾倒しかかった狩人の太い首を狙った。
「廻鳶脚!」
──気道を潰してしまったら、殺してしまう。
ちらりとそう思ったが、爪先が毛皮の首に触れた瞬間、そのような心配など無意味なのだと悟った。
ロードランナーが気絶したらしく、倒れ込む。同時に、回し蹴りを繰り出した俺の足に、爪先から鉄パイプを撃ち込まれたかのような激痛が走った。相手の頸部の筋肉は、言旧られた表現になるが、鋼鉄のようだった。
「ぐふう……っ」
倒れ込んだ狩人は、溜め息のような音を漏らして動かなくなる。普通の人間であれば首が潰れる程の威力を持った体技だが、それがクリーンヒットしても狩人は気絶のみで済んだようだった。俺は足首を押さえながら、”海の男”とはまた異なる”山の男”の頑強さに戦慄する。
スティギオは倒れ伏した狩人を暫し呆然と見つめていたが、やがてはっと我に返ったように、群衆を振り返って叫んだ。
「誰か港に行って、係留用の鎖を拝借してきてくれ! ロードランナーに、普通の縄は効かねえ。鎖で拘束するんだ!」
一瞬の後、わっと声を上げて人々が動き出す。ユリアと俺は変身を解除し、セルナと共にスティギオへ駆け寄った。彼は身を屈めるようにして、狩人の被った熊の覆面を引き剝がそうとしていたが、覗き込んだ瞬間俺はあっと叫んでしまった。
彼は、牛刀を叩きつけられたらしく肩の辺りから出血していた。服の生地や皮膚がギザギザとささくれ立っている。
「スティギオ、それは……!」
「大した事はねえ、見かけより浅いよ。……俺も、山の猟師としての戦術が鈍っている訳でもねえらしいな」
「スティ君、無茶はしないでよ……?」
セルナが心配そうに言うと、彼は「本当に大丈夫だって」と微笑んだ。
「でもこいつ、何だったんだろうな? 俺を殺そうとしたようだったけど」
「平然と言うなよな、もっと危機感を持って……」
アロードが言った時、スティギオの手が遂に狩人の覆面を外した。彼はそこで、びくりと弾かれたように跳び退く。彼は、顳顬を伝う冷や汗を手の甲で拭い、「そんな……」と声を零した。
俺も狩人を覗き込み、息を呑む。
大男だと思っていた狩人は、女だった。しかし、体格はやはりスティギオ以上に頑強なようだ。そして、その顔は──。
「フィアリス……?」俺が呟くと、
「いや、違げえ」スティギオは、ゆっくりと首を振った。「でも、顔が似ているのも当然だ。この女は、フィアリスと同じカリュドーンの家の人間だから。彼女の叔母、メーデだ。まさか、ロードランナーになっていたなんて」
彼は言った後、はっと気付いたように俺の顔を見てきた。
「ケント、フィアリスに会ったのか? 何か、話は聞いたか?」
「いや……特に。集落にも、ヴェンジャーズは来ていないみたいだった。彼女、君の婚約者だったんだってな」
俺が言うと、ユリアは「あ、それで」と手を打った。
「昨日、セルナが言っていた……『スティギオの抱え込んでいた問題に決着が着いた訳じゃない』って。それってもしかして」
「……バレちゃったか」
セルナは呟くと、申し訳なさそうにスティギオを見る。彼は、セルナを安心させるように言った。
「まあ、山でも聞き込みをしなきゃいけない以上、ケントが知る事になるとは思っていたし。だけど、決着が着いていないっていうのは本当だけど……ケント、フィアリスは俺の事、何か言っていたか?」
「それも、特に。ただ、自分で選んだ道なんだから自分たちは何も干渉しない、って事を言っていたよ」
「……本当にそうなら、大いに結構なんだけどな」
スティギオはそこで、微かに声を固くして狩人──メーデと呼ばれた女性を見下ろした。「それがカリュドーン一族の総意だったら、どれだけいい事かよ。それにフィアリスは、この件を知らねえのかな」
「フィアリスは本当に、何も知らないみたいだったよ。俺たちがフォームメダル奪還の旅をしていて、今君やセルナと行動している事も、俺が言って初めて知ったみたいだった」
「そうかねえ……」
スティギオは未だに、解せない、という表情だったが、そこで「セルナ」と彼女の名を呼んだ。彼女はびくりと姿勢を正す。
「スティ君?」
「何かのっぴきならない事情が起こって、山から逃げた俺を集落の連中が殺そうとしているなら、まだいい。俺だって、大人しくやられる訳には行かねえ、死ぬ気で抵抗するさ。でも、もし彼らの狙いがセルナで、俺が邪魔だったから殺そうとしたんだとしたら……」
「ちょ、ちょっと待ってよ」シルフィが口を挟んだ。「それじゃあ、山の猟師たちがヴェンジャーズみたいな事をしているって事になるじゃない」
「まさか、そんな事はないと思うんだけど……」
ユリアが応じると、スティギオは首を振った。
「あんな事があった後だから、俺はあんまり好意的にあいつらを見る事が出来ないんだ。フィアリスの事だって、前みたいには見られない。いずれにせよ俺は、メーデおばさんに口を割らせねえと何かを判断する気にはならねえよ。とにかく、セルナも十分に気を付けてくれって事さ。俺も、全力で守る。もしセルナに危害を加えようとする奴が居たら──何人たりとも許さねえ」
「スティ君……」
セルナは、心配そうに彼を見た。
スティギオの態度は、俺がフィアリスに会ったと伝えた時から明らかに強張っているようだった。俺も不安になったが、確かに山の猟師によるこの襲撃の狙いが何なのか、分からないのも事実だ。
スティギオの昔の知り合いだとしたら、そこまで手荒な事をする必要が生じなければいいが、と思いながらも、俺は襲撃者への尋問の可能性を考えていた。
そこに、スティギオに頼まれて鎖を取りに行った人々が戻って来た。
「スティギオさん、持って来たよ!」
「よし、拘束する。目を覚ましたら危ないから、皆は出来るだけ離れて……」
指示を出すスティギオを見ながら、俺は不穏な気持ちを振り払おうと努めた。皆もきっと、俺と同じ気持ちだったに違いない。
時刻はその時点で、午後七時をとうに過ぎていた。
* * *
ユリアたちや、スティギオとセルナの聞き込みの結果も、芳しいものではないようだった。俺たちは拘束したメーデ婦人を岬の家まで連れて行き、裏手の二馬力ボートが繋がれている係留柱に繋いだ。
彼女が目を覚ましたらすぐ、スティギオは尋問しようと一階で身構えていたが、俺の蹴りのダメージが予想以上に凄まじかったのか、メーデ婦人はなかなか覚醒しなかった。軽い夜食の後、業を煮やしたスティギオが外に出て行って蹴りを入れ、セルナが止めるという事態も発生したが、一向に事態は動かない。
「おかしいな」
セルナに、メーデ婦人への攻撃を止められた後、スティギオは呟いた。
「魔物の出る山で気絶するっていう事は、ほぼ死んだものと考えていい。だからロードランナーになる為の条件は、軽度の刺激ですぐに目を覚ます無意識の制御、っていう事が一つなんだ。でも、この通りメーデおばさんは気を失ったまま、俺が蹴っても微動だにしない」
「それなら、あんまり乱暴な事はよしなって」
セルナは彼を窘める。
「ロードランナーだって、寝ている時にちょっとした事で目を覚ましてばっかりいたら休めないし、最悪命に関わるでしょ。もしかしたら、野外じゃない場所ならその特性も有効じゃないのかもよ」
「それにしてもさ……ああ、早く目を覚ましてくれなきゃ、俺もセルナも危ねえじゃねえか。それに、もし取り返しのつかねえ事が起きたりしたら、漁業組合の皆にも迷惑が掛かる。山と海の対立は避けられないし、最悪の場合一世紀前の反目に逆戻りしちまう」
「……スティ君が皆の事、思ってくれているのはよく分かるよ。でも、事実こうなっているんだから仕方ないでしょ。うちはむしろ、今のスティ君の方が心配。漁から戻って、魔物と戦ったり聞き込みしたり、メーデさんに襲われたりしてさ、全然休めていないでしょ?」
「それは……まあ、そうだけど」
「明日からだって調査は続くし、もしかしたらまたこういう刺客とか、ヴェンジャーズ三侯とも戦わなきゃいけないかもしれない。その為には、休む事だって同じくらい大事な事じゃん。おまけにスティ君がこうしていたら、ユリアちゃんたちも寝られないんだよ」
彼らだって疲れているんだから、とセルナに言われ、窓から様子を見ていた俺は何を言えばいいのか分からなくなった。
確かに、俺もユリアも、イマジンたちも疲れていた。一日のうちに色々な事がありすぎて、体感ではもう午前中の事が昨日、一昨日の出来事のように感じる。休みたいのは山々だったが、一方でスティギオの焦燥もよく分かった。
彼にとっては、身内からの襲撃なのだ。セルナが狙われているという事実もある現在、真相が分からねばおちおち寝てもいられない、という気持ちも、誰かが否定出来るものではないだろう。
「ね、お願いスティ君、今日はもう寝よ。うち、スティ君が寝てくれないと寝らんない。うちの為に一緒に寝て」
セルナは駄目押しするように言い、スティギオは唇を噛んだ後「分かったよ」と小さく呟いた。「ケントたちも、ごめん」
「いいよ。……大丈夫、俺たちで、絶対に謎は解くし危険も排除する。スティギオ、勿論君も一緒に。明日から、また戦おう」
「ああ。ありがとう、ケント……皆」
スティギオはセルナに肩を支えられ、家の中に戻って来る。その顔には、やはり疲労の色が濃く窺えた。
「セ・ル・ナ・ちゃーん?」
シルフィが、ソファにスティギオを座らせたセルナに肩をずいっと寄せた。緊張を解く為か、悪戯っぽいトーンで囁く。
「やっぱりセルナ、堂々としてるよね。あたしたちの見ている前で、『うちの為に一緒に寝て』なんてさ」
「シ、シルフィ! だからそういう揶い方はよしてってば!」
「あはは……でも何だか、あんたたち二人を見ていると可愛いんだもん」
シルフィは二人を指差し、「羨ましいなあ」と呟いた。
セルナ、スティギオは顔を見合わせ、どちらからともなく顔を赤くする。やはり、どちらも外見に似合わず初心なのだな、と思い、俺もくすりと笑った。




