『ブレイヴイマジン』第1章 リアルデスゲーム④
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俺が眠っていたのは、ほんの一時間程度に過ぎなかったようだった。まだ日は傾き始めたばかりで、窓の外から差し込む光もまだ夕日の飴色には染まっていない。
起き上がり、周囲を見回した。どうやら、眠っても自動ログアウトはされなかったようだ。調べようのない事なのかもしれないが、運営側から事情説明があった様子もない。俺は落胆したが、少々ほっとしている自分も居た。ここでログアウトが起こったら、何もかもが尻切れすぎると思ったからだ。
そこまで考えた時、眠っている間にシギンさんが来なかっただろうか、という事を思い出した。慌てて窓の外を見るが、村長の屋敷ではまだ特に何も変化は起こっていないらしい。俺はひとまず安堵したが、この後また手持ち無沙汰の時間が続く事を悟って考え込んだ。
体験会というからには、後で参加者にはレビューが求められるかもしれない。俺の現時点での気持ちとしては、『ブレイヴイマジン』はリアリティに富み、ビジュアルや没入感は完璧と言っていいレベルだが、リアルすぎるという点が瑕瑾でもある、という事だった。
事前説明もなく固有名詞が飛び交う点や、設定として意味があるのだとしても突然村に小ボスレベルの魔物を突入させてくる点、そしてややもすれば、NPCの気絶から覚醒までの時間を実際の人間と同じくらいに長くしているであろう点などに、プレイヤーが操作を行うゲームという大前提と、リアリティが主客転倒している感が否めなかった。自由度は比較的低いのかもしれない。
特に、イベント間の待機時間が長すぎる。その間村の外に出る訳にも行かないし、俺はこれからシギンさんの来るまでの待ち時間をどうやって潰せばいいというのだろう。
(魔物が増えている事とかについては、ユリアさんやガレット村長が説明してくれるはずだから、情報収集する必要もないよな……)
俺は考えながら、部屋を出た。今度は外から鍵を掛け、階下に降りて女将にそれを預けると、外にぶらりと彷徨い出る。あまり遠くまで出歩くとシギンさんの来た時に困る為、宿屋からはそれ程離れない方がいい。
取り敢えず、今後ボロを出すといけないので、このエヴァンジェリアについてある程度基本的な知識を身に着けておいた方がいいかもしれない。ミッドガルドだの何だのと情報が錯綜しているが、シギンさんは先程確かに「エヴァンジェリア」と口に出した。この作中でも同じ呼び方をされている事は確かなようだ。
また、通り掛かった人に何か話を聴くか、と思い、俺は歩き出そうとした。まさか情報を求めるだけで怪しまれたら、理不尽な仕様としか言いようがない。
その時、路傍の草叢で何か光るものがあった。光の反射に目を軽く射られ、眉を潜めながら目を凝らすと、そこに剣が落ちているのが見えた。すぐに、ジャバウォックとの戦闘でユリアの手から弾き飛ばされたものだな、と分かる。
(後で届けた方がいいよな)
俺は、それを拾い上げようと草叢の方に進んだ。
が、まさにそのタイミングで横から手が伸び、剣を掴んだ。俺はあっと叫び、相手もそこで俺に気付いたらしく声を上げる。顔を見ると、それはユリアに憑依していたあの水色髪の少女──シルフィ・アクアと呼ばれていた──だった。
「あなた……ケント君?」
「あ、ああ……」
俺は急に名前を呼ばれ、少々面食らう。だが、彼女もまたシギンさんから俺の名前を聞いていたのだな、とすぐに気が付いた。
「君はシルフィ?」
「そうだよ。ユリアちゃんと契約している水のイマジン。さっきは、あなたにも助けられたね。ありがとう」
シルフィは微笑むと、ユリアの剣を抱き抱えた。「重いなあ、これ」
「一つ、教えて貰って大丈夫かな?」俺は、これ幸いと彼女に尋ねた。「さっきからよく聞くんだけど、ブレイヴとかイマジンとかって、一体何なの?」
「えっ? ケント君、知らないの? こんな情勢なのに?」
シルフィはそこで目を見開き、俺の顔を凝視した。俺は、どんな情勢だ、と聞き返したかったが、ぐっと堪える。この辺りはユリアたちからも説明されるはずだ。俺が次の言葉を探していると、今度はシルフィが逆に尋ねてきた。
「ケント君は何処から来たの? ユリアちゃんやあたしに攻撃しなかったから、ヴェンジャーズではないみたいだけど」
「俺は……」
言葉に詰まる。このゲーム内で、主人公の設定がどうなっているのかも俺には分かない。このギアメイスの村も主人公の故郷とは異なるようだし、先程村人から「村の住人は皆お互いに顔見知り」とも言われた。下手な台詞は言うべきではないな、と思ったが、俺は他に言い逃れる方法は思い浮かばなかった。
「記憶ないんだよね、俺」
苦肉の策として、俺はそう言った。
「今まで喋ってきた人には『アルヴァーラントに行こうとする間に気付いたらこの村に入り込んでしまった』って言っていたんだけど、本当は村の入口に倒れていて、何が何だか分からないまま村に入ったんだよね」
無理のあるごまかしか、とは自分でも思った。しかし、俺がそう答えると、シルフィは首を傾げて「もしかしたら」と言った。
「ルーラーの『見えざる手』にやられたのかもね」
「見えざる手?」
「エヴァンジェリアを創ったのはルーラーっていうイマジンだっていわれているんだけど、気紛れな神様みたいでね。世界の秩序を守りはするんだけど、時々悪戯で、人を掴んで何処かに放り出しちゃうの。神隠し、みたいなのかな。凄くレアなケースだし、本当にそんな事があるのかは分からないんだけど。飛ばされると、記憶がなくなっちゃう事もあるんだって」
「へえ……」
それが主人公の設定だろうか、と思いながら肯く。
「でも、本当に何処から来たんだろうね? ケント君はどう見ても人間みたいだし、七つの世界のうちミッドガルド出身な事は確かなんだけど……」
俺は、驚いてシルフィを見つめる。
「世界って七つあるの?」
「あれ、そういう記憶も消えちゃうんだ?」
彼女は、溜め息を吐きながらも説明してくれた。
「エヴァンジェリアっていう世界系のうち、この人間世界ミッドガルドは中央にあって、六本の『界廊』で他の六つの世界と繋がっているの。妖精族の世界アルヴァーラント、小人族の世界リューゼリアース、闇の妖精族の世界オブシデント、火竜人族の世界イグニオラス、巨人族の世界マクロンティア。最後が、あたしたちイマジンの住む世界イマジスハイム」
「なるほど……」
ミッドガルドが”国”のような世界で、それを含めたゲーム世界全てをまとめた名前がエヴァンジェリア、という事か。ややこしいな、と思ったがこれも運営側のこだわりの一つなのだろうと割り切る事にした。
「世界の構造に関する記憶まで消えてしまうんじゃ、イマジンやブレイヴの事を知らないのも当然か。……えっとね、まずこの世界には魔物が居る訳だけど、これがなかなか厄介な存在でね。エヴァンジェリアには地下に八つ目の世界……ヘルヘイムっていう世界があるんだけど、そこに住む『魔神族』が太古の昔からいつも七つの世界を滅ぼそうとしているの。奴らがその為に生み出し、世界に溢れさせた魔法生物が魔物なんだけど、今じゃエヴァンジェリアは、魔物をなくしては正常に動かない世界になってしまった」
「世界を滅ぼす生物兵器が?」
「そう。魔物は大気中のエーテルを、魔力を持った物質マナに転換する事が出来るから。七つの世界はそこまで大きなものじゃないし、資源にも限りがあるからね、それが枯渇しかけた今じゃ、マナが技術産業の根幹を成すエネルギー源って訳。これがなきゃ、食糧増産すら難しいから。
だけど、世界を滅ぼそうとして魔神族が放った魔物のマナ転換作用が、本来いいものであるはずがないでしょ? ……世界に蓄積されたマナは、ある一定の基準値を超えると暴走を引き起こすの。異常気象とか、災害としてね。それこそ、人類を滅ぼしかねない程のレベルで。
それを防ぐ為に、ルーラーは世界の理に関する改定作業を行った。その結果誕生したのが、イマジスハイムとイマジン・ルーラーの分身たちである精霊。本当は世界は六つで、後からこれが追加されて七つになったって訳。あたしたちイマジンは、八つの属性を司るフォームメダルを持って、自分たちと同じ八属性の魔物たちをそれぞれ監視する事になった。マナを維持・管理して、世界に害をなす魔物が居れば退治するの」
シルフィは言うと、屋敷の方を顎で示した。
「でも、あたしたちは生身では戦闘が出来ない。あたしたちの体もまたマナで出来ているからね、直接技を魔物に撃ったりしたら、マナ暴走を引き起こす要因になっちゃう。だからあたしたちは、”宿り木”となる人間に憑依してその力を流し込み、代わりに戦って貰うのよ。その人の事を、ブレイヴって呼ぶの」
「君は、ユリアさんと契約しているんだね?」
「そうよ。だからユリアちゃんは、水のブレイヴなの。あなたも、ユリアちゃんの変身したとこ見たでしょ? すっごく可愛いよね!」
どう反応していいのか分からず、曖昧に肯く。彼女は続けた。
「あたしとユリアちゃんみたいに、イマジンとブレイヴは二人で一人みたいな存在。だからイマジンにとって、契約は欠かせない事なの。でもね、契約する相手はしっかり選ばないと大変な事になる」
「大変?」
「契約は、イマジンをイマジンたらしめているフォームメダルを他人の手に委ねるって事だからね。間違って悪心を抱く人と契約してしまって、その人がフォームメダルを奪って逃げたりしたら? 魔物たちは、監視から解放されてやりたい放題になるって訳よ」
「契約って、命賭けなんだなあ……」
俺は納得した。よく出来た設定だな、と、素直に感心もした。
しかし、そこでシルフィは不意に顔を曇らせた。
「もっと強引な例に行くと、イマジンを襲ってフォームメダルを無理矢理奪おうとする奴らも居るのよ。だから今……」
彼女が言いかけた時、
「ケント君」
屋敷の方から、シギンさんが駆けて来た。シルフィと話している俺を見るとぴくりと眉を上げたが、それに関しては何も言わず俺の方を見た。
「ユリア様が、目をお覚ましになられた。シルフィ様も、もうご心配には及びませんぞ。彼女はケント君に会いたがっておられるらしい」
「分かりました、すぐに向かいます」
俺は言い、シルフィを窺った。彼女は、ユリアの剣──確か、「レジーナソード」という名前だったような──を抱え続けている。俺は数瞬躊躇ってから、勇気を出して声を発した。
「それ、俺が持つよ」
「いいの? ありがとう、ケント君も結構紳士じゃん」
シルフィはニヤリと笑い、肘で俺の胴を小突いてきた。