『ブレイヴイマジン』第1章 リアルデスゲーム③
* * *
宿屋に入ると、一階の食事スペースに居た客たちが一斉に俺の方を向いた。対ジャバウォック戦から時間はそれ程経っていないはずだが、噂が広がるのは俺の予想より遥かに速かったらしい。
俺自身、たまたま村に紛れ込んだ旅人と名乗っているのだ。それが突然戦闘に参加し、シギンさんの話の通りなら今まで村に現れた事のないような危険度の魔物から、村唯一の戦闘職であるユリアを守った、などとなれば、確かに騒ぎになるのも当然なのかもしれない。だが、俺としてはどうしても実感が湧かなかった。戦闘中、俺はユリアに着いて行くのが精一杯で、最後にしても瀕死状態の魔物に止めを刺した、程度の自覚しかない。
認められたい、と願いながらも、畢竟俺は、賞賛を得る事に慣れていないのかもしれない、と思った。彼らの視線から韜晦するように、俺はそそくさとカウンターへ足を進める。
女将もまた、俺が宿に現れた事に驚いたような顔を隠せていなかったが、すぐに両手で頰を張りながら「いらっしゃいませ」と口に出した。
「どの部屋に泊まりたい? 北側の、村長のお屋敷が見える部屋以外なら全部空いているわよ。何しろギアメイスは、冒険者の人が来たってどうにもならないような田舎だから」
「そうなんですか……」
失礼かもしれませんが、と前置きした上で、俺は尋ねる。
「経営とかって、大丈夫なんですか?」
「まあ、宿自体副業みたいなものだしね。野菜や薬草なんかは自給自足だし、そんなに厳しくはないわよ。これも、村長のお陰なんだけれどね。峠の向こうの世界と、通行手形なしで行き来出来るようにしたお陰で交易がしやすくなって。あたしたちの生活水準も結構上がったわね」
世界、という言葉が気になったが、女将が「で、何処に泊まる?」と催促してきた為、俺はそれ以上質問する事が出来なかった。図面を覗き込み、通りに面した一部屋を選択する。
「かしこまり。五ミッドね」
金額らしきものが口にされた時、俺はそこで重要な事に気付いた。
俺は、今この世界の金銭を持っているのか。慌ててポケットを探り、コートの内側まで手を突っ込んで探したが、財布はおろか硬貨一枚出てこない。それどころか、俺は現在自分の服とデュアルブレード以外に、何も所持品がないという状態のようだった。
(どうしよう……)
心の中で黒田氏に恨み言を言いながら、俺は一言謝って外に出ようとした。シギンさんが来る時、この建物の入口に立っていればいいのだ。
サイコドライバーもまさか体感時間までは調整出来ないだろうし、ログインからの経過時間を考えて、現実では既に夕方になっているに違いない。この世界で夜を迎えてしまい、日付を跨ぐような事はないだろう。このまま原因不明の異常が続けば、強制ログアウトも行われるに違いない。
すみません、と断り、宿泊をキャンセルしようとした。まさにその時、二階から人影が降りてきた。俺の様子を興味津々といった目で見ていたテーブルの者たちが、視線をそちらに移す。
黒いタキシードを纏った、背の高い金髪の男だった。成人はしているのだろうが、俺と年齢はそこまで離れていないような気がする。目つきは鋭く、背中には細長い鞘を背負っていた。
武器持ちは、ユリア以外にこの村に居ないはずでは? と疑問が浮かんだが、そこで俺は、彼が女将の言った「唯一予約されている部屋」の宿泊客なのだろう、と推測した。
「……宿泊の延長を頼む」
先客は、俺を押し退けるようにして割り込むと、カウンターにじゃらっと硬貨を置いた。女将は「ちょっと」と抗議の声を上げかけたが、俺は首を振って一歩下がる。どうせ、宿泊はやめにしようと思っていたところだったのだ。先客の彼は一瞬俺の方を見、ぴくりと眉を動かした。が、すぐに何事もなかったかのように女将に向かって言葉を続ける。
「取り敢えずは一泊分。もし更に延長する事になったら、また追加分を払う。それで構わないか?」
「まあ、鄙びた閑宿だし、迷惑にはならないけれど」
「ならばいい。……それから」
彼は、そこで徐ろに俺の方を指差した。
「こいつの分の部屋も、手配してくれ。金は俺が払う、太刀使いのガーディという名義で結構だ」
「えっ、それは……」
俺は思わず、彼を見て声を出す。ガーディというらしい金髪の男性は、ちらりと俺を一瞥した。「何か、不満があるのか?」
「い、いえ……」
「金がないんだろう? ならば、素直に好意に甘えろ」
彼が言うと、そこで女将は初めて気付いたらしく、「あら、そうだったの」と目を丸くした。俺は幾分かの極まり悪さを感じながら、無言で俯く。ガーディさんは追加のお金を出し、部屋を選んでいたが、やがて女将から鍵を受け取った。
「一泊でいいんだな?」
「はい、まあ」
宿泊の必要はない、と判断したばかりだったが、彼の好意を無下にする訳にも行かない、と思った。俺が返事をすると、彼は「着いて来い」と言って再び階段の方へ戻り始めた。すみません、と言いながら、俺も追った。
* * *
通りに面した一室まで到着すると、ガーディさんは俺に鍵を手渡した。
「延長の必要があれば、俺に言え。俺の部屋は向こうにある」
「はい、あの……」俺は、姿勢を正して頭を下げた。「すみません、初対面の俺の為に、ここまでして下さって」
「気にする事はない。単なる気紛れだ」
彼は言うと、自分の部屋へ戻って行こうとした。俺はつい、彼を呼び止めようと声を放つ。何故か、彼には自分から話し掛ける事が出来るような気がした。
「あの……ガーディさんは、この村にどんなご用が?」
彼はちらりと振り返り、目つきを鋭くする。何か良くない事を尋ねただろうか、と思い謝ろうとすると、
「村長と、あのブレイヴの娘に会いに来た」
彼は短く答えた。
「しかし、思いがけないトラブルがあったな。あの様子では、屋敷に入る事も出来ないだろう。俺が、ここの予約を延長せねばならなくなったのもその為だ」
「屋敷には今、ユリアさんの失神以外にものっぴきならない事情があるとかって……だから、当分訪ねて行っても駄目だと思いますよ」
シギンさんから聞いた事を口にすると、ガーディさんはそこで声を低め、体を完全にこちらに向けた。
「その”事情”とやらは、アロード・ファイヤーに関する事か?」
「アロード? 人名ですか?」
唐突に尋ねられ、俺は困惑した。彼は「……いや」と呟き、独りごつ。
「もし、本当にそうだとしても……旅人にそれを漏らしはしないだろう」
忘れてくれ、と彼は言った。俺が「すみません」と口に出すと、彼は「お前な」と呆れた顔になった。
「お前、『すみません』を言いすぎだ。勇者であるなら、もう少し堂々としていろ」
「勇者って……」
これ程リアルな仮想世界で、NPCにそのような台詞を言われると違和感がある。彼らはここがRPGの中だという事は知らないだろうし、ゲームの主人公という意味合いでなければ、「職業・勇者」は陳腐もいいところだ。
「俺、勇者なんかにはなれないですよ」
言うと、ガーディさんはぼそりと呟いた。
「……勇者の始まりは、いつでも小さな勇気からだ」
「えっ?」何を言われたのか分からず、俺は瞬きをする。
「魔物に立ち向かった時、お前の中に勇者の起源は萌していたんじゃないか。成り行きだったとしても、そこにはお前自身の選択があった。経験値を積まなければ勇者にはなれない。その為の行動には勇気が要る。お前が今未熟だとしても、選択を行う勇気は心次第だからな」
ガーディさんは言い、去って行こうとする。俺は暫し固まってしまったが、彼の言った台詞の意味が心に浸透してくるに連れ、胸の底が仄かに温かくなったような気がした。
(ああ、この人、俺を励ましてくれたのかな)
「待って下さい!」
俺は慌てて、ガーディさんの背に声を掛けた。
「まだ、何か用か?」
「えっと……ガーディさん。あなたは一体、何者なんですか?」
変な聞き方のような気もしたが、他に言葉が出てこなかった。彼は、もう一度頭だけ振り返って答えた。
「単なる、流浪の嫌われ者だ。災いを招く、と恐れられてな」
「そうなんですか。でも俺はガーディさんの事、嫌いじゃないですよ」
俺は言った。
「こんなに、俺の為にしてくれた人はガーディさんが初めてです。こんな風に、初対面で話す事が出来た人も……ガーディさんに会えて良かった。ありがとうございました!」
俺は久々に、授業や面接での挨拶ではない「ありがとう」を口に出す。何だか、自分でも嬉しい気持ちになってきた。
「……礼を言われる程の事ではない」
ガーディさんは、今度こそ歩み去って行った。俺は、微かに笑みを浮かべながらその背を見送る。彼が部屋に入るのを見届けると、俺も扉を開き、自室に入って中から鍵を掛けた。
デュアルブレードを壁に立て掛け、ベッドに仰向けになる。
時間が経過すると共に、俺は段々不安の対象が現実世界の事から、この世界の事に移り始めていた。危険度の高い魔物は、また襲って来る事はないのか。この世界では現在何が起こっているのか。ユリアは目を覚ますのか。
今俺は、黒田氏からアナウンスが来るのをただ待つだけだという心理状態から抜け出していた。
(勇者の始まりは、いつでも小さな勇気から、か)
先程ガーディさんに言われた言葉を、俺は胸の内で反芻する。謎はまだまだ沢山あるのだ、俺自身がこの世界で戦い、それが解けるのであれば、戦う以外にない。
(俺は……行動出来る人間のはずだ)
自主学習も、受験の時もそうだった。この世界では、それが戦闘であるだけだ。
一つ気掛かりな事があるとすれば、戦闘に負けてこの世界で命を落とした時、現実の俺がどうなるのか、という事だ。不具合が発生しているだけに、ゲームの約束事が信じきれない部分がある。なるべく、戦闘では安全を取るように努めた方がいいかもしれない。
ゲーム内での死は、セーブ地点まで戻ってやり直す事が出来るだけに周囲にある種の「捻じれ」を生じさせる。直前に起こった同じキャラクターの行動、台詞が反復される。しかし、この『ブレイヴイマジン』の世界はあまりに現実に似すぎていて、可逆変化の一切が容認されないような──されたら、違和感は従来のゲームの比ではないような──空気があった。それが、ここはゲーム世界だと分かっていても俺に本能的な警戒を与えていた。
今後の戦闘で集中を欠かないようにする為にも、少し眠ろうと思い目を閉じた。現実の体は眠っているはずだが、ビッグデータと常時接続状態であり、脳は大量の情報を処理し続けている。疲労はしているに違いない。
このアバターを通して行った行為は、新宿に横たわる生身の体には一切届かない。しかし、脳で行う情報処理を完全に停止する睡眠だけは例外なのではないか、と俺は考えた。
もしそれで、サイコドライバーからの情報が遮断され、接続が切れたら?
ふと思ったが、その場合は一度ログアウト出来るという事なのだから問題はないだろう、と判断した。