『ブレイヴイマジン』第1章 リアルデスゲーム②
バーンッ! という轟音が、先程俺が転移した広場の方で響く。驚いてそちらを見ると、竜、魚、その他諸々の動物を合わせたような姿の魔物が、そこに降り立っていた。
「ジャバウォックだ! 君、逃げろ!」
男性は、俺を突き飛ばすようにして走り始める。だが、俺は吠える魔物を見つめたまま硬直してしまい、動く事が出来なかった。頭の中では、ただ混乱が渦巻き続けている。このような事が、許されるはずがないと思った。
ゲームの常識的に考えて、それは最初の村付近では絶対に登場しないであろう強敵に思われた。しかも、村の中は安全圏内であり、魔物が入って来る事がないというのは、RPGの”お約束”ではないのか。
村人たちが、買い物袋を放り出して村の奥の方へと走り出す。暫し立ち尽くして見ていると、決定的な瞬間が訪れた。
俺と、魔物──ジャバウォックの視線が、交錯してしまった。俺の目に浮かんだ恐怖──そうだ、俺は純粋に敵に対し、怯えの気持ちを抱いていた──、決して友好的とは言い難い感情を見て取ったらしく、ジャバウォックの瞳がギラリと危険な輝きを宿す。
「グルルルッ……!」
唸り声を上げながら、魔物がゆっくりと向きを変えた。土の地面に鉤爪の痕を刻みながら、じりじりとこちらに歩いて来る。次第に翼脚を用いた六足歩行のような姿勢になり、速度を上げ始める。
防衛本能的に俺が後退ろうとした時、ジャバウォックが地面を蹴って跳躍、否、飛翔した。大口を開け、俺を頭から丸呑みせんばかりに降下してくる。俺が思わず目を瞑った瞬間、次の出来事が起こった。
突然、視界の隅から一筋の光芒が目の前に現れた。それはジャバウォックに当たるとガシンッ! という硬質な音を立てる。魔物は咆哮し、口から血液混じりの唾液を零しながら、押されて土の上に落下した。
「えっ?」
俺は、いつの間にか腰を抜かしていた。翻筋斗打つように倒れながらも、憎々しげな声を上げながら再起しようとする魔物を見つめていると、俺と魔物の間に軽やかに降り立った姿があった。
「あなた戦うの?」
凛とした声が投げ掛けられ、俺は面食らう。視線を手前側にフォーカスすると、そこに立っていたのは細身の少女だった。艶やかな茶髪に白いワンピース、そして右手には片手直剣が握られている。
「お、俺は……」
しどろもどろになっていると、群衆の中からまた別の少女が駆け出して来る。そちらは魚の鱗の如く光る銀色のスーツを纏い、髪は現実の自然色では有り得ない深い水色をしていた。
「戦うって?」
「腰に剣提げているでしょ、デュアルブレード! それで戦うのかって聞いているの!」
最初の剣を持った少女に言われ、俺は咄嗟に腰から自分の剣を抜く。デュアルブレード、なるほどそれは諸刃の直剣で、黒鉄色の重々しい輝きを放っていた。
何処か既視感を感じて首を捻り、すぐに思い出す。それは、サイコドライバーに接続される前の検査で、俺たち被験者が素振りをさせられた剣と同じ外見だった。何故完全に同じ外見のオブジェクトが、仮想世界の外である現実にもあったのだろう、と疑問が浮かぶ。
俺の反応が鈍いからか、少女は焦れったそうに早口で言った。
「戦うのね!? はっきりして、でないと足手まといになるから!」
「も……勿論俺も戦うよ!」
彼女の勢いに押され、俺は肯く。無論、本物の剣の使い方など知らないが、やってみなければいつまで経っても慣れないだろう。村にまで、しかもいきなりこれ程の魔物が入って来るゲームなど聞いた事がない。ログインから現在まで理不尽極まりない状況が続いているが、何らかのアナウンスがあるまでは、俺がこちらの世界に合わせるしかないのだ。
「ユリア様……」「お気を付けて……」
群衆はいつの間にか、俺と二人の少女、ジャバウォックを取り囲むように周囲に集まっていた。彼らの中から、ぱらぱらと声が掛けられる。いずれも不安そうであり、また彼女らに依頼心を寄せているようにも感じられた。
茶髪の少女は「任せて下さい」と言い、剣を鞘に納めると、何処からかメダルのようなものを取り出して体の前方に突き出した。
「行くよ、シルフィ!」
「はーい!」
次の瞬間、水色の髪の方が液体の如く融け崩れ、そのメダルの中へと吸収されていった。メダルは青く発光し、ジャバウォックは動揺したように頭を下げ、じりじりと後退る。
固唾を呑んで見ていると、茶髪の少女はメダルを掲げて叫んだ。
「トランスフォーム『シルフィ・アクア』!」
その時、メダルを中心に魔方陣が空中に広がった。それが体に重なった瞬間、少女の姿が変化する。
全身が青白く発光し、その光が形を変え、弾けるように新たな服装が出現する。白いワンピースは消え、グレーの地に水色のラインをあしらった短衣と青いスカートに変わった。胸元にはブローチとリボンが、腰には群青色のベルトが出現し、ハート型のバックルが湧き出るようにそこに下がる。最後に、髪を付け根から先端までなぞるように光が流れ、茶髪はシルフィと呼ばれた少女のそれの如く、水色へと変化していった。
俺は、呆気に取られてただその様を見つめ続けた。あたかも、魔法少女の変身を目の当たりにしているかのような気分になった。
彼女の”変身”中、魔物は警戒するようにただ様子を窺い続けていたが、彼女が再び剣を引き抜くと、
「グオオオオオオオオッ!!」
自らを奮い立たせるかのように咆哮し、鉤爪を振り上げながら突進してきた。
「はあああっ!」
少女はそれに対抗するように、裂帛の気合いと共に魔物に向かう。彼女が剣を振るうと、水玉のようなエフェクトが飛び散った。
「スピニングマリン!」
「グオオッ!」
ジャバウォックは尻尾を前に出し、斬撃を受け止めると、反撃とばかりに体を捻って少女にその尻尾をぶつけようとする。俺も攻撃しないと、と思い、デュアルブレードを振りながら魔物に突進した。
少女がひらりと躱した隙に、俺は飛び込んで剣を振るう。ジャバウォックの翼膜が浅く切り裂かれるが、それは掠り傷程度のダメージに過ぎないようだった。
「オーシャンスラスト!」
少女は空中に跳躍し、ジャバウォックに剣を向ける。その刀身から螺旋状の水を含む波動が射出され、魔物の側頭部に直撃した。ゲームの中ではありがちな、よく見慣れた攻撃方法だが、こうして三次元的に目の当たりにすると思わず息を呑んで見入ってしまう。
立ち尽くしていると、
「何ぼーっとしてるの! 手を止めたらそこで終わりよ!」
少女に叱咤された。慌てて、再びデュアルブレードを振り上げた。俺も技を使えないだろうか、と思ったが、やり方が分からないし、それを模索している余裕はなかった。ジャバウォックの爪をよろめくように避け、地面に振り下ろされた前足を縦に斬り下ろす。
魔物の目標が、完全に俺に移ったようだった。その口元に、黒みがかった紫色のエネルギーが集中し始める。経験則から、何が来るのかは俺にも予想出来た。
ブレス。攻撃判定を持つ特殊な息。
直撃したら、俺はどうなるのだろう?
考えずとも明らかだった。まず、間違いなく死ぬ。この世界で死を迎えたら──ゲームオーバーとなったら、どうなるのか。まさかとは思うが、ログイン直後から続く異常の事もあり、嫌な予感しかしなかった。もし現実で死ぬような事はなかったとしても、ネットワーク空間の何処か分からない場所に放り出され、戻れないような事があったりしたら。
俺は、魔物のブレスが放たれた瞬間に全力でダッシュ回避をしようと身構えた。刹那、ジャバウォックの側面に回り込んでいだ少女が動いた。
「スパイラルストリーム!」
刀身が青く輝き、大量の水を纏って巨大な円錐形の槍のような形になる。それは魔物の体側に突き刺さり、その後高水圧が一直線にその体躯を貫いた。魔物は絶叫し、悶えるかのように翼脚を振り上げた。
形勢が裏返ったのは、まさにその時だった。
翼脚に殴打された少女の手から、剣が離れた所に飛んでしまったのだ。
「レジーナソードが……」
少女が呟いた瞬間、ジャバウォックが物凄い勢いで尻尾を振った。ドスッ! という鈍い音が響き、彼女は吹き飛ばされて声を上げる間もなく、傍に生えていた立ち木に背中から激突した。チュニックとスカートは消えて元のワンピース姿に戻り、髪も元の茶髪に変じる。手から、変身に使っていたメダルが転げ落ちた。
「ユリア様!」「ご無事ですか!?」
村人たちは口々に叫ぶが、誰も彼女に駆け寄ろうとはしなかった。駆け寄りたくても、魔物が怖くてそれが出来ないのだろう。
ジャバウォックは一際大きく咆哮すると、大穴を穿たれた胴体から血液を零しながら、少女の方に向かって行こうとした。それを見た俺の頭の中は、最早真っ白になっていた。
「こいつめ……!」
俺は声を上げ、魔物の横から渾身の力で剣を振り下ろした。やけに生々しい赤い傷口──ややもすれば体の中身まで再現されているのではないか、と疑われる程の──を、引き裂くように大きく縦に斬った。
魔物はそこで力尽きたように倒れ、動かなくなった。
* * *
魔物の息が完全に止まった事を確認しても、俺は暫し動けなかった。
俺がそうして固まっている間に、戦闘の様子を見守っていた人々が一斉に駆け寄って来た。「ユリア様を護送しろ!」
誰かが叫び、皆口々に指示や状況説明のやり取りを開始する。木に凭れ掛かるようにして倒れている少女を見ると、彼女は気を失い、衝撃で呼吸も困難になったのか顔面は蒼白だった。村人たちは彼女に駆け寄り、中の一人が横抱きにその体を抱え上げた。
彼らが少女を、丘の上の風車がある建物へと運んで行くのをおろおろしながら見送っていた俺だったが、そこで中年の男性が声を掛けてきた。
「君、名前は?」
「ケ……ケントです」
咄嗟の事に動揺したが、脊髄反射的に答えた。しかし、なるべく、どのような国でも通用しそうな響きに聞こえる事を祈ってはいた。英語圏では「Kent」という人名は存在するので、それで通じて欲しい、とも思った。
男性は、素早く肯いて言った。
「そうか。ではケント君、まずありがとう。ユリア様を助けてくれた事についてね。君は、私たちの救世主だよ」
救世主? 俺が?
つい、戸惑ってしまう。現実世界では、試験でいい点数を取るなどの場面を除いては影が薄く、このように丁寧にお礼を言われる事など滅多になかった。「永野健斗はそのようなタイプだから当然」というような空気があり、俺がそれを維持する為に行ている”無理”については見向きもされなかった。
何か話を続けなくては、と考え、俺は口を開いた。
「ユリアっていうんですか、さっきの女の子……強かったなあ……」
それに、かなり可愛らしい顔をしていたような気がする。彼女が、先程俺が話を聴いた村人の言っていた「村で唯一武器を持ち、戦える人間」なのだろうか。
男性はやや感傷的な表情になり、「可哀想な事だ」と呟いた。
「まだ齢十七だというのに……彼
女は、このギアメイスの村を治めるガレット村長の娘でね。水のイマジン、シルフィ・アクアを匿われた事から、ブレイヴとして戦う事になった。無論、周囲が強いた訳ではないよ。彼女自身が選ばれた道ではあるのだけれど……それだけに、いじらしくもある」
「この村って」俺は、どうしてもそれを尋ねずにはいられなかった。「さっきみたいに、魔物が平気で入って来るんですか? それなのに、あの子一人しか戦う人が居ないと?」
「いや、本来なら戦う必要はなかったんだ。この村の周囲に魔物が多くなったのは、本当につい最近の事でね。ガレット様は以前名うての剣術使いだったが、倒木の下敷きとなって足を痛められてからは引退した。ユリア様は父上である彼の元で、習い事の範囲で剣術を教わっていたから、結果的に村で唯一戦える者となってしまわれた。魔物が増え始めてからは、村を守る為に自ら剣をお取りになられ……」
男性は言ってから「誤解はしないで欲しいのだけれど」と付け加えた。
「先程のジャバウォックのようなAクラス以上の魔物が来た事は、今回が初めてなんだ。ダガルキエス峠にもSクラスの魔物が湧出したし、やはりこれも……エヴァンジェリアが荒廃に進みつつある事の兆しなのかもな」
「はあ……」
俺は、相槌とも溜め息ともつかない返事をする。彼の言葉で、村に魔物が現れた事はシステムの不具合などではないと分かったが、まだ設定の理不尽さについては納得出来ない事が多い。
「ユリア……さんに、もう一度会えないでしょうか?」
思いがけないハプニングではあったが、俺はこれらの話について更に詳しい情報を得る為、彼女にコンタクトを取ろうと考えていたのだ。目的を思い出して尋ねると、男性は腕を組んで考え込んだ。
「そうだねえ……
」
少し間を空け、彼は言った。「私はシギンといって、村長の側役のような仕事をしている。ケント君、君を屋敷に案内して、ガレット様に紹介したいところだが、今ユリア様があのような状態だからね。君は旅人なんだろう、これから何か、急ぎの用とかは?」
「いえ、特にありませんけど……」
言い、最初に話した村人の話を思い出して付け加える。
「本当は……アルヴァーラント、に行く予定だったんです。ですが、その……峠が魔物のせいで通行出来ないと聞いて、暫らくこの村に留まろうかなって」
「分かった。じゃあ、ユリア様が目を覚まされたら、私の方で君に連絡を繋がせて貰うよ。君は村の救世主なのだから、本当は屋敷で待って貰うのが敬意、というより礼儀なのだろうけど、ちょっと、屋敷は今のっぴきならない事情を抱えていてね。申し訳ない」
「構いませんよ。えっと……」
俺は辺りを見回し、宿を指差して言った。
「俺、いや、僕はあの宿に居ます。ユリアさんが目覚めたら教えて下さい。僕も……心配、です」
ゲーム世界に於いてはHPが全損しない限り死ぬ事はないはずだと分かってはいたが、俺は本心からそう言った。この世界に居るNPCたちが、あまりにも人間らしすぎるのでつい現実と同じように考えてしまう。
言ってから、何だ、結構普通に喋れるではないか、と思った。
シギンと名乗った男性は、仄かに微笑んで
「ありがとう」
と言った。