『ブレイヴイマジン』第3章 クライメット⑨
* * *
壊された有刺鉄線の先は、半年間誰も入らなかった事もあり、かなり荒れ果てていた。空気は黴の臭いが充満し、壁や天井はひび割れて蜘蛛の巣が無数に貼り付いている。床には、埃が厚く積もっていた。
「酷い汚れ方だな……っていうか、そんな危険な魔物が湧くような場所だって分かったなら、観光スポットになる前に埋めちまえば良かったのに」
アロードが顔を顰めながら言った。見るからに、目や鼻孔に侵入してくる埃に辟易しているようだ。アスタークが、壁画を見ながら説明してくれた。
「この神殿、ハルバードルズが出来るずっと前にあった、古代都市の守護神を祀っていたんだそうです。エーテルのマナ転換についてはまだまだブラックボックスなところもありますが、そういう神聖な場所はマナ濃度が濃い傾向にありますからね。ここを埋めてしまっては、地上の発展が停滞すると思われたのかもしれません。実際その古代文明は、新しい鉄の文明に滅ぼされたみたいですし、壊滅した地上を復活させるにはここのマナが必要だったんでしょう」
「その頃から、オブリヴィオンは居たのかな?」シェリカが呟く。
「さあ……でも、街中に魔物が湧く事がないように、人がちゃんと使っている場所には魔物は発生しにくいんじゃないかな。ましてや、Sクラスなんて」
「そう考えると、ハルバードルズも皮肉な街ではありますよね。今生きている私たちの祖先、新天地を求めてこの地に来た人たちが、自分たちの街を作った結果魔物の誕生を招いてしまったんですから」
マティルダは呟く。俺は、もしかしたらオブリヴィオンは彼らの得た”新天地”の代償だったのかもしれないな、と思った。だが、今生きているマティルダやアスタークにまで、その報いが降り掛かる必要はない。
「レーナたちも、あんまり暴れなきゃいいのに……」
ユリアは、皮肉でも嫌味でもない純然たる心配から、そう呟いたようだった。やはり、自らの因縁への決着が、自分の意思で着けられないという事は不条理さを感じさせるらしい。
しかも、このように薄暗く、危険な地下で。俺もまた彼女に釣られるように、拳をぐっと握り込んだ。その時、突如闇の中から声が響いた。
「はーいっ! 誰か、あたしの事呼んだかなー?」
「………!?」
皆の空気が強張る。思わず身構えて前方を睨むと、
「闇の中から美少女登場! ビーストサモナーのレーナちゃんでーすっ!」
指先でヴァルキュリアピアサーを回し、レーナが現れた。
「やっぱりお前かよ!」アロードが毒吐くと、
「あら、ご無体な事言うのね」彼女は身をくねらせる。
「ユリアちゃんたち、今度は八人で来たの? よくこんなに仲間増やしたね!」
「レーナ……」
ユリアは一歩進み出ると、心配を湛えた表情を崩さないまま声を掛けた。
「すぐ、ここから出た方がいいよ。この神殿で戦ったら、オブリヴィオンって魔物が目を覚ましちゃう。そしたらここに居る全員は死んじゃうし、ハルバードルズの街は目茶苦茶になっちゃう。あなただってただじゃ済まないよ。……お願い、逃げてレーナ。あなたを陥れる計画とかじゃない。本当の事なの」
真摯な口調に、俺は息を詰めて彼女を見つめた。レーナは神妙な顔で、黙ってそれを聴いているようだったが、やがてふっと失笑を漏らした。それは瞬く間に顔全体に広がり、いつもの嘲るような高笑いとなった。
「お気遣いどうもありがとう。でも、レーナはどうせすぐにここを出るつもりだったよ。あの光のブレイヴ、どうにもしつこくってさあ、今ギデルとやり合っているみたいだけど、レーナ、はぐれちゃった。もういいよ、その分じゃあの二人出てくるの、無理そうだし」
「レーナ!」
ユリアが叫ぶと、レーナは「うるさい」と手を振る。虫でも追い払うかのようなその仕草に、俺は無意識のうちに眉根が寄った。
「そんなにレーナの事心配してくれるなら、手っ取り早くレーナの目的を果たさせてくれたっていいんじゃない? シェリカ、こっちに寄越して」
「それは無理よ!」
ユリアもそこで、遂に感情的に叫んだ。
「シェリカは、マティルダやアスターク、多くの人にとって友達なの! そんな、モノみたいな言い方……」
「あっ、そう。じゃあ、奪っちゃおっと!」
彼女はいきなり言い、ブレスレットを回した。魔方陣が五つ出現し、ボロボロのフーデッドマントを着込んだ、武装した亡霊剣士のような魔物が同数現れる。Cクラスだな、と俺は睨む。
「見くびっちゃ駄目だよー? このムオーデルたちの剣先には、毒を塗っておいたんだ。斬撃を一回受ければ気絶、二回目は即死。じゃあ、シェリカ以外の皆、残念だけどバイバイね。助言ありがとっ!」
レーナは言うと、身を翻して跳ねるように駆け去る。ユリアは悔しそうに歯を食い縛り、メダルを取り出して「シルフィ!」と叫んだ。
俺も、アロードのメダルを構える。それを合図にしたかのように、ムオーデルたちが前傾姿勢で突進してきた。
「ユリアの情けを踏み躙って……!」
「仕方ない、早く片付けよう!」
悪態をつくアロードをメダルに宿らせると、自分に憑依させる。ユリアも変身し、俺と視線を合わせて肯き合い、飛び出した。背後から、イヴァルディさんとアスタークもそれぞれ曲刀斧と細剣を抜いて続いてくる。マティルダはツインクリングタクトを取り、シェリカの前に出て防御の態勢に入った。
「覇山焔龍昇!」
「ヒョオオオオッ!」
俺はまず、真っ先に向かってきたムオーデルの一体を斬り伏せ、横に滑った。こちらも四人とはいえ、何らかの拍子に二体分のターゲットが移ったりしてはマズい。また、同じ危険をユリアたちにも背負わせてはならない。
俺は二体目の腕を軽く薙ぎ、浅く切り裂いてまた一体分のターゲットを自分に向けた。俺の前を通過した三体目がユリアに飛び掛かり、剣を突き出したが、彼女は華麗なステップで避け、バランスを崩した敵は前に倒れかかった。
「オーシャンスラスト!」
レジーナソードの先端から放たれた螺旋状の水が、倒れかけたムオーデルにヒットした。相手はマントの中に隠していた左腕を突き出し、そこに握られた円盾で防いだが、水圧に押し込まれ壁際に後退した。
「ユリア!」
俺は相手をしていた一体の右腕を切り落とし、胴体を刺突して倒し、彼女の方へ走った。彼女が押しているように見えて、あれは拮抗状態だ。彼女の技が終了し、次の型へ持ち替える瞬間、ムオーデルは反動を付けて動くだろう。
が、俺が接近した瞬間、ユリアの特殊攻撃を防いでいた魔物が素早く右腕を振るった。何だ、と思った時には、もうこちらに毒剣が肉薄していた。
(投剣!? ヤバい……!)
飛来したそれは、力が掛かっている。薄手の胸甲では貫通される可能性がある、と判断し、叩き落そうとデュアルブレードを構えた時だった。
「避けろ、青少年!」
唐突に、イヴァルディさんが跳躍した。カリンガの曲刀部で剣を絡め取るように防ぎ、地面に放る。ユリアのオーシャンスラストが終わり、彼女が跳び退ると、空いた場所に彼は飛び込んだ。
「金華萼落剄!」
斧頭部を捻じるように振り上げ、ムオーデルの首をすぱりと断つ。断面から、金色の花弁のようなエフェクトがパッと散った。
「凄い、本当に用心棒なんだ……」
ユリアは「ありがとうございます」とお礼を述べると、感心したように呟いた。
「おいおい、通りすがりだからって、皆が皆モブって訳でもないんだよ? まあ、でもさすがに君たちブレイヴには……?」
彼の饒舌が顔を出しかけた時、その言葉が不意に途切れた。彼の目線の先を辿り、俺は何が起こったのか確かめようとする。
回廊に、ムオーデルの骸は三体分転がっていた。それらがゆっくりと消滅する向こうで、アスタークがまた別の一体に突きを繰り出している。魔物の数が一体分、足りないのだ。
何処に行った、と辺りを見回した俺は、ある光景が目に入って脊柱に冷水を注入されたような気分なった。
五体目が、俺たちの遥かに後ろに居た。いつの間にか離れてしまっていたマティルダ、シェリカに向かって、毒剣を振り上げている。二人は怯えたように目を見開いていたが、マティルダは覚悟を決めたように表情を引き締め、ツインクリングタクトを突き出した。
「プリヴェントファクター!」
俺は、考える間もなく床を蹴った。ムオーデルが二人に到達する前に、背後から猛攻を仕掛けて倒すしかない。だが、間に合うかどうか。
ムオーデルは跳躍し、剣を逆手に振り上げる。マティルダは魔術を使用したようだったが、昨日ギデルの凶刃からアスタークを守った光の壁は──非情にも、出現しなかった。
「えっ……」
彼女が呆然と呟いた瞬間、魔物の剣が閃いた。その致死毒の塗られた切っ先が、咄嗟に反応しきれない彼女の胸元に突き立てられる──。
「させるか! アグレッシヴブレイズ!」
俺は、無我夢中で剣技を発動した。跳躍しながらの不完全な姿勢だったが、幸いデュアルブレードは俺の動作に応えてくれた。燃え上がる刀身が、アシストも手伝って間一髪でムオーデルにヒットした。
「ヒョオアアーッ!!」
マティルダを襲っていた個体が毒剣を取り落とした。炎に包まれながら、力なく地面に落下する。そのまま暫し燃えていたが、やがて火が消え、半ば炭化したマントに包まれた亡骸も空気に溶けるように消滅する。反射で幾分か体を反らせていたマティルダは、後方に転倒した。
俺は着地しようとし、ミスをして両足を捻り激痛が走った。だが、安堵のあまり力が抜けてしまい、それも気にならなかった。
「ケント君!」
声を掛けられ、振り返ると、ユリアと彼女への憑依を解いたシルフィ、イヴァルディさんが駆けて来るところだった。アスタークも敵を倒し終え、細剣を鞘に納めながらそれに加わる。俺も変身を解き、アロードを分離させた。
「セーフだね。早くあのレーナって子を追い駆けないと……」
「待って!」
マティルダの傍らに跪いていたシェリカが、イヴァルディさんの台詞を遮った。彼女の正面に回り、その顔を覗き込む。
「マティルダ……泣いているの?」
えっ、と思い、俺は彼女を見る。その顔は俯き、背中は微かに痙攣していた。時折しゃくり上げるように、濡れた音と共に肩がぴくりと動く。
黙り込んでいるので、俺は躊躇いながらも彼女に声を掛けた。
「怖かったの? それとも、戦えなかったのが悔しかった?」
「違います……」
マティルダは、目を擦りながら顔を上げた。
「魔法が使えなかったのが、ショックだったんです……あの時、お兄ちゃんを守った時、プリヴェントファクターを発動する事が出来たのは、ツインクリングタクトが力を貸してくれたんだって、思っていたんです。私はお母さんみたいに魔法の才能はないし、こんな魔具でも上手に使いこなす事は出来ないけど……あの時もしかしたら、私だってシェリカを守る事は出来るんじゃないかって思いました。
でも、駄目だった……あれはただの偶然で、私はやっぱり魔法使いにはなれないんです。心の片隅で希望を持っていただけに、何というか……拒絶されたような、そんな気がして……!」
「マティルダ……」
アスタークは、気の毒そうに妹を見つめるものの、このような時に何と言葉を掛けていいのか、分からないようだった。
それだけ、彼女はシェリカの事を想っていたのだ。それに、あれば既に失われた命が、繋ぎ止められたかもしれない力だ。そう信じていたものだけに、そのショックは俺たちには計り知れないものがあるようだった。
「……きっと」ユリアが、徐ろに口を開いた。「何かが違うんだよ、マティルダ。アスタークを助けた時とさっきとで、条件が違ったんだと思う。心当たりはない、前にあって、今はなかったもの?」
絞り出すようなその言葉に、マティルダは唇を噛んで暫し考え込んでいたが、やがて不安そうに顔を上げた。
「検証材料は、山程あるような気がします。私……もしかして、戻った方がいいでしょうか? 今のままでは、絶対に皆さんの足手まといに……」
「そんな事ないよ!」
そこでシェリカが激しく首を振り、マティルダの両手を掴んだ。
「あれは、偶然なんかじゃない。そうじゃなきゃ、アスタークもあたしも、皆生きていなかった。マティルダはあの時、ちゃんと皆を救ったの。そうじゃなきゃあたし、運命が信じられない」
「シェリカ……?」
「僅かな可能性でも、マティルダは……あたしだけじゃない、皆を助ける事が出来る子なんだよ。だからお願い、一緒に来て!」
彼女は言うと、マティルダをぎゅっと抱き締める。マティルダは彼女の言葉を嚙み締めるように少し口を噤み、やがて彼女に優しく抱擁を返した。
「……ありがとう、シェリカ」
涙を拭い、シェリカの手を取って立ち上がる。それから、俺たちに向き直って一同を見回した後、ぺこりと頭を下げた。
「引き続き、皆さんに同行させて頂きます。私、ちゃんと考えます。そして、シェリカと一緒に……この戦いを、最後まで見届けたい。いや、見届けるんです!」
「その意気だよ、マティルダ!」
アスタークが、強く肯いた。俺たちも皆、「ありがとう」と口々に言う。
俺は、レーナが消えて行った回廊の奥に揺蕩う暗闇を見据えた。
「じゃあ、進もう」




