『ブレイヴイマジン』第2章 ウィンド④
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暫らく茂みの中でそのまま待っていると、建物からレーナが出て来た。
「もう、ガーディの分からず屋!」
「ならば、そのまま交渉を継続しろ。指くらいなら切っても問題はないだろう、それを一本ずつ、自警団に送り届けるとかな」
ガーディさんの声が聞こえる。レーナはくるりと方向転換し、戸口まで出て来たらしい彼を睨みつけるように前屈みになった。
「約束をずるずる引き延ばしたら、自警団の奴らがブラフだって思っちゃうでしょ。あの女を殺して、もう一回この村に襲撃を掛ければ済む話じゃない」
「しつこいぞ、レーナ。結論は出ている、その為に俺がわざわざ待機しているのだろう。力で押す事だけを考えるな」
「あんた、ギアメイスでも雀ちゃんが行くまで何もしなかったって聞いたけど? まさか、今の人類を殲滅するっていうのに情を持ち始めて、なんて馬鹿な話じゃないでしょうね?」
「あれは予想外の事だった。俺が行動を起こす前に、あの娘はAクラスの魔物にやられ、屋敷の中で眠りに就いていた。手出しを出来る状態ではなかった」
「チャンスだったんじゃない! 屋敷を襲えば良かったのに」
「ギアメイスの戦力が不明だった」
「ガーディが負けるなんて、そうそう……」
「今は」ガーディさんの声が、そこで強まった。「お前の責めの話をしている。そして、それについての結論は出た。交渉を続けろ、そして連絡があれば、HMEで送信しろ。わざわざ、こうして出向く必要はない」
レーナはまだ何かぶつぶつと呟いていたが、そこでやっと踵を返した。彼らが何で揉めているのかは不明だったが、少なくともリビィの殺害はまだ行われていないらしい。
ヴァレイが拳を握り締めた時、突然建物の方へ大勢の足音が近づいてきた。
俺は声を出しそうになり、ユリアから口を手で押さえられる。革靴の音と共に現れたのは、私服の上から金属板を繋ぎ合わせた軽装鎧を纏った一団だった。先頭の男が槍を構え、ヴァレイが低く言った。
「グリム団長……」
「単身乗り込んでくるとは、いい度胸だな」
槍を構えた男は、レーナに向かって言い放った。建物の中からガーディさんが姿を現し、背負った鞘の太刀に手を掛ける。レーナは「構わないで」と言うと、ブレスレットに指を添えた。
「今度は二人だけのようだな。リビィをどうした?」
「約束通り、これから殺すわよ。あんたたちも薄情ねえ、元々村に居た訳でもないイマジンを庇って、元々村に居た子を見捨てるの?」
「……っ!」
グリム団長と呼ばれた彼が、悔しそうに歯を食い縛る。しかし、周囲の自警団メンバーたちが彼の横に進み出て口々に声を上げた。
「こいつらを倒せば、駐屯地の脅威は減るんです。リビィがまだ生きているというなら、それで俺たちは助ける事が出来ます!」
「村の中にもヴェンジャーズが潜んでいたとは……許しておけません」
「幾ら相手が強者だったとしても、この人数差なら!」
「あら、忘れたの?」
レーナはせせら笑い、顔に獰悪な影を刻み込んだ。
「レーナが、ビーストサモナーだって事? この村なんか、その気になれば一瞬で目茶苦茶に出来ちゃうんだって事」
「やめて!」
ユリアが、いきなり茂みから飛び出した。俺が止める間もなく、彼女は建物の方へと走る。レーナたち、自警団の目が一斉に彼女へと集まった。
俺たちが慌てて後を追うと、彼女は双方の間で止まった。両手を広げ、レーナとガーディさんの方を向く。
「あなたたち、ヴァレイのフォームメダルを奪うっていう目的は、もう達成したんでしょう!? 何でまた、そんな意味のない虐殺をしようとするのよ!」
「ユリア!」
俺が駆け込んだ時、レーナは目を丸くしてユリアを見つめていた。彼女の中でも、ユリアの思い出が消滅していた訳ではないらしい。が、それは俺たちを安堵させるようなものではなかった。
レーナは突然高笑いすると、唇の端を曲げて不敵な表情を浮かべた。
「久しぶりねえ、ユリアちゃん。水のブレイヴになったって話は聞いていたけど、本当にあのユリアちゃんだったんだね。すっかり大人っぽくなって、可愛くなったと思うわよ。レーナの次くらいに? 近いうちに殺さなきゃいけないのが、本当に残念なくらい!」
「ガーディさん」
俺は、隙あらばレーナの前に飛び出し、臨戦態勢に入ろう、と身構えている彼に声を掛けた。鉄面皮のような彼はそこで、初めて驚いたように目を見開く。その口が、俺の名を紡ぎ出した。
「お前は……ケントだったな」
言い終えると、また険しい表情に戻る。俺は、ドキリとした。その顔が、次第に鬼のような形相へと変わり始めたのだ。
「アロード・ファイヤーと契約したようだな」
「……見ていたんですね」
ギアメイスの村襲撃の時、スパロウ兵長と戦う俺を、彼が見つめていたのを思い起こした。
「すぐに、その契約を取り消せ。そんな事をしたら、俺はいずれお前と戦い、お前を斬る事にもなるだろう。可能であれば、俺はそのような事はしたくない。ケント、お前の血をこのインフェリアブランドに吸わせたくはない」
「それは……俺を殺して、アロードのフォームメダルを奪う為ですか? ガーディさんは、ヴェンジャーズなんですか?」
「そうだ」
彼は、微塵も躊躇う事なく肯定した。
ずきり、と胸郭の内側に鈍痛が走ったのを感じた。だが、ここで弱々しい態度を見せる訳には行かないと思い、俺は更に言葉を放つ。
「……俺だって、ガーディさんとは戦いたくありません」
「それは私情か?」
「はい。何とかして頂きたい。……ヴェンジャーズを抜けて下さい」
本心は、包み隠さず言ったつもりだった。イベントを進める為の演技ではない。それに、この世界ではたとえプログラミングにより生み出された彼らであっても、俺の心を動かす事の出来た人間たちだ。俺の言葉が、機械的に届かないようになっているとは思えなかった。
ガーディさんは激しい怒りの表情を収めたが、代わりに浮かび上がったのは冷ややかな、子供を大人の余裕であしらう無機質な人間の顔だった。
「子供に、指図される筋合いはない。第一、何故俺がヴェンジャーズだとお前と戦わねばならない? お前自身もそれを望まないなら、契約を解く、逃げる、隠れる、幾らでも取り得る方法はあるだろう。アロードを殺せば、そのフォームメダルの意味もなくなるだろうしな」
「出来ません。俺は……俺たちは、ヴェンジャーズと戦って奪われたフォームメダルを取り戻すんです。もしもガーディさんが誰かのフォームメダルを持っているのなら……俺は、あなたと戦う事になります。それに、あなたはシルフィのメダルも──ユリアも狙っているんでしょう」
「お前……」
ガーディさんが、そこで一瞬動揺したかのように見えた。手の甲で額を拭い、倒豎していた眉を、探るかのように潜めて俺を睨んできた。
「……ユリアと、手を組んだのか?」
「手を組んだんじゃありません。友達になったんです!」
俺は叫ぶ。そう、ユリアは友達だ。NPCで、現実には存在しない人物なのだとしても、俺に「友達になろう」と言ってくれた人だ。そんな彼女をガーディさんが斬るような事は、俺はごめんだ。
「言葉遊びだろう、そんなものは」
ガーディさんは、顔色一つ変えずに吐き捨てた。
もう、何を言っても通じないようだ。少なくとも、今は。
俺たちは、今この場で戦闘を起こす訳には行かないから仲裁に入った。しかし、その役目を果たせているとは、お世辞にも言えなかった。レーナはブレスレットを誇示するように突き出し、ユリアは唇を噛みながらシルフィのメダルを構える。自警団のグリム団長らは、武器を油断なく構え続けた。
「待って下さい!」
唐突に、ヴァレイが飛び出した。俺とユリアを押し退けるようにして両陣営の間に入ると、双方を見ながら言う。
「団長、何をしているんですか? 昨日まで、リビィちゃんは助けられないって言っていた癖に……僕に、あんなに悲しい事を言ったのに。ここで戦って、また村を壊滅させる気なんですか!?」
「ヴァレイ君……」
グリム団長は、困ったように槍を下ろす。ヴァレイは、今度はレーナとガーディさんの方を向いて宣言した。
「この人たちの言う通りだよ。二人はブレイヴなんだ。もう戦えないなんて、言わせない。僕たちは絶対に、リビィちゃんを助け出すから」
「ふうん、男の子らしい事言うじゃない」
レーナは、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「でもそれならレーナたち、あんたたちが来る前にあのリビィちゃんって子、殺しちゃうかもよ?」
「そんな事をしたら、僕も死ぬよ。そしたら、僕からフォームメダルを奪った事も全部水の泡になる」
「あんたに、そんな覚悟がある訳ないでしょ!」
レーナが嘲謔する。その時、アロードが前に出た。
「馬鹿みてえだろ? こいつ、さっき本当に命を投げ出そうとしたんだぜ。その、リビィを助ける為にだ」
「アロード……?」ヴァレイは、彼を驚いたように見つめる。
シルフィも、アロードに続いて進み出た。
「馬鹿みたいだけど、この子は一本気よ。辛いから死にたいなんてのは最低だけど、死んでも構わないっていうのは男気だと思う、あたしは。彼、あんたが思っているよりずっと男だから」
「シルフィまで……」
ヴァレイが堪えきれなくなったように目を潤ませた時、レーナは既に悪意のあるニヤニヤ笑いを消していた。唖然としたように、今まで自分が狩る側だったイマジンたちの抵抗を受け止めていたが、やがて「ふふっ」と面白がるように小さく笑い声を発した。
「じゃあ、囚われのお姫様を助けに来てみせなよ。ユリアちゃん、レーナあんたに会えて嬉しいよ。あんたの相手するの、楽しみにしてるから」
彼女は言い、いきなりブレスレットを回す。彼女とガーディさんの足元に魔方陣が出現し、そこから鳥の魔物が二体湧き出してくる。彼女らがそれに跨るような姿勢になり、自警団は再び警戒を始める。
しかし、二人はこちらに攻撃する意思は見せず、そのまま魔物に乗ってふわりと舞い上がった。レーナは、こちらに投げキッスするように指を動かした。
「じゃあね、皆。駐屯地に来るつもりなら、こっちもそのつもりで準備は整えておくから。バイバーイ!」
二人はたちまち黄土色の雲の中へと入り込み、シルエットだけを見せながら西側へと飛び去って行った。俺が呆然と立ち尽くしている中、ヴァレイは遂にわっと泣き声を上げて地面に蹲ってしまった。