『ブレイヴイマジン』第2章 ウィンド③
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スピナジアの村は、元来怪鳥湧出地帯に生息している魔物たちの暴風を防ぐ為か、高い壁に囲まれ、建物は全て石を積み上げて造られていた。お陰で、突風の吹き荒れる外とは異なり村の中の風は穏やかに凪いでいる。
しかし、四角く切り取られた空は、上空を渡る砂埃が雲の如く滞留し、黄土色だった。薄赤い太陽光線が村に届き、石積みの建築物群を如何にも有害そうな色に染め上げている。それらの建物は、二ヶ月前の「空襲」で大分破壊されたのだろう、半壊、もしくは全壊しているものが多く見られ、工事現場のようなシートが張られたり、規制線に囲まれている場所も多かった。復元工事が追い着いていないのだろう。そういった住居に住んでいたと思われる村人たちは路傍にテントを経営し、昼食の為の煮炊きを始めていた。
幸か不幸か、空を覆う砂嵐の為、ヴァレイの力が失われた今でも凶暴な魔物たちは村へと降下して来る事はないようだ。しかし、もしもまた件のレーナが魔物をけしかけ、外壁を破壊などしたら、村はたちまち野生の魔物たちが巻き起こす風で吹き飛ばされてしまうだろう。
「多分だけど、スパロウ兵長が直接指揮する部隊は、ヴァレイのフォームメダルを奪ってからすぐにギアメイスの村を襲う予定だったのよ」
ユリアはそう考察した。
「ヴェンジャーズが大規模駐屯地を形成して、すぐにスピナジアを襲わなかったのと同じ。ブレイヴを相手にするには、戦力が不足していると思ったのかも。ギアメイスの時も、ケント君が居るって分かった瞬間、スパロウは戦おうとしなかった。あいつはブレイヴに対して、殊更に警戒しているのよ」
「確かに、幾ら街道を抜けるのに時間が掛かるとはいえ、近い村同士で二ヶ月も移動時間を要するのは変だな。かといって今まで見てきた村の間に、ヴェンジャーズが駐屯していそうな場所はなかった」
アロードが、彼女の言葉を受けて答える。
「本当なら、そのレーナってビーストサモナーと一緒にギアメイスを襲うつもりだったんだろうな。だけど、そのレーナが駐屯地に留まって、ヴァレイを利用した別件の計画に手を染めていたせいで、時間が掛かる事になった」
「っていう事は、やっぱりあいつらは僕を……?」
ヴァレイが呟く。俺たちは村の門付近まで来ると、そこにあった日時計の傍で話し合った。
「それともう一つ、レーナがここに留まっていて、まだその〝別件〟とやらを遂行出来ていないなら……スパロウ兵長が、それよりも早くギアメイスを襲った事は道理に合わないんじゃない?」
シルフィは胸の下で両腕を組むと、証明問題の解説をするかのように右手の人差し指を一本立てた。
「もしかしたらあの時、ギアメイスの村の近く、或いは村の中に、レーナと同等級の幹部が居た可能性がある。そしてそいつは……」
『警告!』
局所的に立てられた村内スピーカーからサイレン音と共に警報が流れ出したのは、その時だった。
『ヴェンジャーズ到来! ヴェンジャーズ到来! 屋外に居る人は、直ちに安全な建物内へ避難して下さい。繰り返します、ヴェンジャーズ到来……』
村人たちが、狼狽の声を上げながら避難を始める。テントに居た人々も、そわそわと出入口のファスナーを閉め始めた。俺はぎょっとし、思わずきょろきょろと辺りを見回す。
「ヴェンジャーズ!? まさか、ヴァレイを捕まえに……」
「時間切れって事?」とシルフィ。
「嘘だ! だって……」
ヴァレイが声を上げかけた時、空から大きな鳥のような魔物が舞い降りてくる。真っ先にユリアが「隠れなきゃ!」と叫び、街路樹の下に密集している茂みを指し示した。俺たちは押し合うようにして、そこに飛び込む。
魔物は少し先の広い道に降り立ち、翼を畳んだ。その背から、人影がぴょんと道に飛び降りる。
「はああ、皆警戒しすぎ。レーナ、今日は自警団にも手出ししなかったじゃない。そんな、人の事怪物みたいに言っちゃってさ」
ぶつぶつと呟きながら服の裾を払っているのは、山吹色のふわふわとしていそうな髪の少女だった。赤い帽子の飾りが付いたカチューシャを装着し、白いノースリーブのワンピースの上に同色の羽のようなケープを羽織り、服装は白ずくめだった。腰に巻かれたベルトだけが唯一黒く、そこに差されたショッキングピンクのハート型短剣が目を引く。
その腕に、金色のブレスレットと大量のミサンガがあるのが目に入り、俺ははっと気付いてユリアに尋ねた。
「あの子がレーナ?」
「……ええ」
彼女は首肯する。俺は、信じられない、と思いながら少女を見つめた。
ユリアは同い歳だと言ったが、童顔の為かかなり幼く見える。彼女が、二ヶ月前にこの村を壊滅させかけたヴェンジャーズの幹部だとは、俺には俄かには信じ難い事だった。
レーナが手を翳すと、鳥の魔物は魔方陣に包まれて消え、くるくると回転しながらブレスレットに吸い込まれていった。彼女は満足そうにブレスレットを指先で撫で、ある一戸の建物に向かって歩き始める。様子を見ていると、レーナは入口の扉に近づき、あらかじめ決められていたかのようなリズムでノックする。扉が開き、中からちらりと顔を覗かせた者があった。
その顔を盗み見た時、俺は思わずあっと声を出してしまった。
「どうして、ガーディさんがこんな所に居るんだ!?」
「えっ、ケント君?」ユリアが、目を丸くする。「ケント君、ガーディの事を知っているの?」
「一回だけ、話した事があるんだ。ユリアが、気を失っている間に」
レーナが声を掛けた相手は、太刀使いガーディと名乗ったあの青年だった。ユリアは俺の言葉を聴くと、何かを思い悩むように俯き、やがて意を決したように再び口を開いた。
「そっか……そういう事だったのか……」
「どういう事だよ、ユリア? ガーディさんって、一体何者なんだ?」
独りで納得しているような彼女に、俺は問い掛ける。彼女は、心配そうに俺を見ながらそれに答えた。
「あいつ、ヴェンジャーズよ。三侯の一人で、組織で最強の男って言っても過言じゃないと思う。闇属性のイマジン、ロゼル・ダークネスからフォームメダルを強奪したのは、あいつなの」
「嘘、そんな人には見えないけど……」
俺は、信じられない気持ちで呟いた。幻滅というより、認めたくない、というショックが大きかった。
彼は、俺を励ましてくれた。勇者の始まりは、いつでも小さな勇気から──あの言葉があったからこそ、俺はこの世界で戦う覚悟が出来、ユリアと共に旅に出る事に対しても恐れに呑み込まれずに済んだのだ。
俺の人を見る目が信用に足るものなのか、正確な事は言えない。だが、それでも彼の優しさは嘘ではないと感じた。そのガーディさんが、世界を滅ぼすヴェンジャーズの筆頭? あの時彼は、ユリアに用があるような発言をし、またアロードを探しているようだった。あれはまさか、彼女を手に掛けてシルフィのフォームメダルを奪い、またアロードの存在を確かめるという事だったのか?
「ケント君、あいつと話したのね?」
ユリアの声は、今まで聴いた中で最も厳しいものだった。
「あいつは、魔王ディアボロスの手先だから気を付けた方がいいよ。何をされるか分かんない」
(本当かな……)
俺は、少々悲しくなった。ガーディさんは、自分について「災厄を招くと恐れられる」「嫌われ者だ」と言っていた。彼が、人を人とも思わない悪人なのだとしたら、あのような台詞を言うだろうか。
ガーディさんは、本当はいい人なのだと思いたい。NPCではあるが、あのように俺と話し、俺の出す〝結果〟ではなく、俺という人間そのものを認めてくれた人は、彼が初めてだった。彼とは戦いたくない。
俺たちが見ている前で、建物の扉は閉まった。一瞬ガーディさんがこちらに顔を向けたように思い、俺は慌てて茂みの中に頭を引っ込める。
ユリアはもうガーディさんの事を口に出す事はなく、「レーナ……」と呟いた。
「本当にレーナが、民間人を虐殺なんてしたのかな……?」
ユリアの独白を拾い、俺は先程からずっと抱いていた疑問を、口に出さずにはいられなかった。
「あの……さ。ユリアとレーナって……知り合い、だけじゃないよな?」
「ケント君、私は……」
「話したくないって言っていたよね」俺は、申し訳ないと思いながらも続ける。「だけど、俺たちはこれからあのレーナとも戦わなきゃいけないんだろう? もし何か、ユリアが彼女と特別な関係なら」
「戦う時に、辛くなっちゃうかもしれない。でしょ?」
シルフィが、俺の後を引き継いで言う。彼女は厳しい顔で言った後、ふっと息を抜いて表情を和らげ、ユリアの手をぎゅっと握った。
「ケント君は、興味本位で聞いている訳じゃないんだよ。あたしだって、ユリアちゃんがずっとそんな調子だったら気に掛けちゃうし……お願い、ごまかさないで教えてくれない?」
ケント君なりの気遣いだと思ってさ、と、シルフィは俺にウィンクしてきた。ユリアはまたもや少々赤らみ、こちらを見つめてくる。俺は、顔が熱くならないように横を向き、「頼むよ」と念を押した。
「……分かった」
ユリアは胸に拳を当て、心を落ち着けるかのように深呼吸を一つしてから話し始めた。
「レーナはね、友達が居なかった私にとって、唯一”親友だった人”なの。ほら私、村長の娘だから皆近づきにくい感じだった、っていう話をしたでしょ? そんな中、六歳くらいの時──今から十年以上前だけどね──、レーナがギアメイスに引っ越してきたの。
彼女は家族が転勤族で、故郷っていえる場所がないんだって。何処でも友達が出来る前に引っ越しちゃうから、人に慣れていなくって。私のお家に、村長に住民票を貰いに来た時に私と会ったんだけどね。私も昔は家に籠りがちだったし、そこで顔を合わせて、時間が掛かったからどっちからっていう訳でもなく声を掛けて、お喋りして……そこで私たち、お互いに友達が居ない事が分かって、シンパシーみたいなものを感じてね。
何か、私とケント君みたいだよね。私って、一回仲良くなったらもう平気で話せるし、レーナも根は明るい子だからすぐに打ち解けられた。村の子供たちからは、物怖じしないレーナ、結構引かれてもいたけど……親友になった私たち、約束したんだ。いつかまた引っ越しちゃう事があっても、お手紙書いてやり取りして、ずっと仲良しでいようねって」
何だか、小説やアニメでありがち展開だな、と思い、無粋ながらも「そういえばここはゲームの中だったんだっけ」と考えてしまう。俺は頭を振ってその考えを追い出すと、無言で話の先を促した。一言コメントなどで容喙出来るような空気ではなくなっている事に、既に話を聴いている誰もが気付いていた。
「でも、それから私たち十歳になって……色々、ものの見え方とか価値観とか、変わってきた。成長するに連れて小さな擦れ違いとか無理解とかが積み重なって、そういう小さな歪みがいつしか大きくなった。そして気付いたら私たち、口を利かなくなっていた。そんなつもりじゃなかったのに、遅かったんだね。それからレーナは、また家族の転勤で引っ越して行った。ちゃんと、さよならも言わないままでね。私も言えなかったんだけど。
……度重なる引っ越しと、初めて友達になった私との一件で、レーナはいつしか心を閉ざしちゃったのよ。それから、これは後から人に聞いた話なんだけど……彼女のご両親は、レイラインの濃い土地を束ねていた貴族の所有する会社で仕事をするようになって……色々、辛い作業とか危険な事も多くやらされたみたい。その結果、何処かの魔石鉱山を視察に行った時、山崩れの事故に遭って亡くなったんだって。レーナは……心を閉ざして、理解者だった両親もそういう事故で亡くして、人の善性を信じられなくなったんだと思う。
私、レーナっていう年端も行かない女の子が急にヴェンジャーズに入って、ビーストサモナーとしての力を使っていきなり幹部まで上り詰めたって聞いた時、すぐに昔の友達だって思った。それまで仕方なかったって、思い返す事もしなかった彼女なのに、何でかとっても寂しくて……」
ユリアは淡々と語り続けたが、そこで不意に声を詰まらせた。
「心の何処かでは、否定したかった。でも、話を聞けば聞く程ヴェンジャーズのレーナが、私の友達だったレーナだって確信が強くなった。各地でレーナが惨劇を引き起こしたって聞く度に、もう私たちの思い出は過去になって、もう彼女は私の敵サイドの人間なんだって分かった。
いつか戦う事になったら、私は彼女を……レジーナソードで斬らなきゃいけなくなるかもしれない。分かってはいたの、いたけど、こんなに……こんなに早い段階でなんて……!」
その目に大粒の涙が浮かぶのが見え、俺は慌てた。何かと理由はつけたが、彼女に話させてしまったのは俺だ。
「ごめん、ユリア。辛い事話させちゃった。ユリアがそんなに、あの子と悲しい因縁があったなんて考えもしなかった。本当にごめん!」
「いいの……ケント君のせいじゃないよ。ありがとう、私こそごめんね。ケント君も困るよね、こういうの……あっ……?」
そこでユリアが、小さく零した。気付けば、俺は無意識のうちに彼女の右手を自分の両手で握ってしまっていた。咳ばらいをしてごまかし、慌てて離す。そこでユリアは、やっとくすりと笑った。