『ブレイヴイマジン』第2章 ウィンド②
* * *
走るに連れて、風速は見る見るうちに上がっていった。砂や枯れ草が、容赦なく体に打ちつけて皮膚を微かに切り裂く。
風が吹き曝しの荒野の中、一人の少年が土の上に横たわっていた。その周囲を、三羽のインペチュアスが羽根を撒き散らしながら飛び回っている。少年は悲鳴を上げているが、両手の指を土に突き立て、その場を動くまいとしているようだった。
「あいつ……」アロードが舌打ちした。
少年の髪は現実では絶対に有り得ないようなエメラルドグリーンで、激しく瞬きを繰り返す瞳や、激しくはためくTシャツも同色だった。もしかして、と思い、俺はユリアに囁き声で尋ねた。
「ユリア、彼って……」
「そう。あの子が風属性のイマジン、ヴァレイ・ウィンド」
ユリアが首肯すると、アロードは毒吐いた。
「何だよあいつ、何で逃げようとしねえんだ? あんな場所に寝っ転がってさ、死ぬ気かっつうの! それに魔物を統べる力もなくなっちまったっていうのに、何でわざわざ危険地帯に出てきてやがるんだ」
「本当に世話が焼ける坊やね。ユリアちゃん……」
「分かってる。行くよ、シルフィ!」
ユリアが、フォームメダルを握り締める。俺もメダルを目の前に構え、彼女と視線を交わす。そして、声を揃えて叫んだ。
「トランスフォーム!!」
「『シルフィ・アクア』!」
「『アロード・ファイヤー』!」
俺たちは変身し、それぞれの剣を抜いてインペチュアス三羽に飛び掛かった。
* * *
最後の一羽が俺のアグレッシヴブレイズを受けて炎に包まれ、倒れると、俺たちはヴァレイに駆け寄った。彼はまだ震えていたが、俺とユリアが接近すると戸惑ったようにこちらを見つめてくる。俺たちからアロード、シルフィが分離すると、上体を起こして声を出した。
「あれ……アロードとシルフィ、どうしてここに居るの?」
「どうしてここに居るの、じゃねえよ!」
アロードは唐突に怒鳴りつけ、彼の襟首を掴み上げた。
「お前、今自分が何をしてんのか分かっていねえのかよ? やられたならやられたなりに、大人しくしていやがれ! のこのここんな所まで出てきやがって、死ぬ気だったのかよ、ああ!?」
「ちょっとアローちゃん……」
シルフィが窘めようとしたが、それよりも早く、アロードの怒声に耐えるかのように俯いていたヴァレイが顔を上げた。その双眸に燃える怒りは、横から覗いている俺にもはっきりと伝わってきた。
「……黙っていてよ、不良は」
普段強く言う事の出来ない大人しい生徒が、全霊でスクールカースト上位者に歯向かったような震えを帯びたその声に、俺はびくりと身を震わせる。アロードは意に介さない様子で「ああ?」と言いかけたが、ヴァレイは次の瞬間立ち上がり、拳を震わせて叫び返した。
「そうだよ、死ぬつもりだったんだよ僕は! あの子を、いや、世界を救う為に弱い僕が出来る事は、それくらいしかないからね! ……最後くらい、イマジンとしての務めを果たさせてくれてもいいじゃないか」
ヴァレイは手を持ち上げ、自分の襟首を掴んだアロードの両手首を握って引き離した。
「んだとこの野郎……!」アロードは、彼の手を振り払う。「死ぬ事がイマジンの務めだと? 何甘えた事言ってんだよ!」
「二人ともやめなさい!」
シルフィが、二人の間に割り込んで引き分けた。
「何やってんのよ、イマジン同士で争って! 騒ぎすぎて、またインペチュアスが来ちゃっても知らないよ!」
「………」
両者は、やや暫し黙って睨み合う。やがてヴァレイの方が下を向き、両手で顔を覆った。肩を震わせ、嗚咽のような声を漏らし始める。アロードははっとした表情になり、声を落とした。
「おい、泣くなって」
「仕方ないだろう……もう、時間がないんだ。僕が駄目なんだよ。こうしなきゃ、僕の大事な人がヴェンジャーズに殺されてしまうんだ……!」
ヴァレイは言うと、がくりと膝を折る。要領を得ない発言に俺は困惑したが、ユリアは彼の傍らに跪いて問い掛けた。
「……さっき、『あの子』って言ったわね?」
「………? 君は?」
彼は顔を上げ、そこで初めてユリアと俺を認識したようだった。
「私はユリア、シルフィと契約している水のブレイヴよ。で、こっちがアロードのブレイヴ、ケント君」
ユリアが俺の方を示す。俺も、ヴァレイに向かって軽く会釈をした。
「シルフィもアロードも、ブレイヴが出来たんだ……」
「もう、確定でフォームメダルを守れているのはあたしたちだけになっちゃったからねえ……あたしたちはギアメイスの村でユリアちゃんに匿われていたけど、そろそろ村も限界で。本格的にしなきゃいけなくなったんだ、世界回復の旅を。あなたのフォームメダルも、取り戻すつもりだったのよ」
シルフィは言うと、深々と溜め息を吐く。
「それなのに、独りで勝手に死のうとするんだから……あなた、いちばん最近メダルを取られたんでしょう? 風属性の被害が増え始めたのも、つい最近。ヤークトが来るまで、せめて粘ってみせなさいよね」
「ごめん、シルフィ。だけど……」
「『あの子』、ね」ユリアは言った。「ねえ、教えてよ。ヴェンジャーズが、あなたに何をしたの? あなたの大切な人って誰? その人は今、どういう状況に陥っているの?」
「ひとまず、スピナジアの村まで連れて行ってくれ」
俺は、少しでも会話力を上げる為に喋った。
「その道々、何があったのか話して欲しい」
* * *
「あれは、二ヶ月前の事だな……」
突風に搔き消されそうな声で、ヴァレイは語り始めた。道中、風に吹き飛ばされないようアロードとシルフィと両手を繋いでいるのだが、その様子がかなり不本意そうだった。
「この辺り、風属性魔物が多いでしょ? 魔物の監視を直接出来るように、僕はスピナジアの界隈に身を置いているんだ。村の自警団に、リビィちゃんって女の子が居てね、居候させて貰っていたんだ。
彼女は昔にご両親を亡くしていてね。父親の知り合いだった自警団の団長に、金銭面を始め、色々な援助をして貰いながら生活していたんだ。でも優しくて真っ直ぐな子で、いつも団長に恩を返したいって願っていた。僕はこの通りドジだし、イマジスハイムから派遣されて最初の夜に、自警団の夜狩りの現場に踏み込んじゃってさ。魔物に襲われて、そこをリビィちゃんが助けてくれたんだ。そこで、彼女とブレイヴの契約をした。僕が彼女を自警団の絶対的な主力戦士にして、組織に貢献出来るようにする。その代わりに、彼女は僕の居場所をくれる、っていう。
……最初は、本当にそれだけだったんだ。お互いに利害が合って、契約を結んだ。ごく普通に、イマジンが人間とする当然の事だよ。だけど、僕……いつの間にか、それ以上にリビィちゃんと関わって、時間を共有するようになっていた。きっと、家族とか友達ってそういう事なんだ」
「ブレイヴ、ヴァレイに居たんだ……」
シルフィが、クラスで目立たない引っ込み思案な生徒に交際相手が居た、というような驚きを孕んだ声を出した。ヴァレイは恥じらうように声を低めると、「でも」と言った。
「二ヶ月前の夜、ヴェンジャーズが村に襲撃してきた。元々秋の初め頃、防風林の向こうにヴェンジャーズの大部隊が駐屯地の建設を始めて、僕のメダル奪取に向けて作戦を始めようとはしていたんだ。だけど、他の今までヴェンジャーズに襲われた皆と僕が唯一違うのは、ブレイヴが居るって事だったから……
敵の部隊を率いていたのは、確かスパロウ兵長とかいう幹部級だった。腕利きの戦士ではあるんだけど、ブレイヴのリビィちゃんを警戒しているみたいで……自警団もそれを分かっていたから、僕たちを中心に牽制を続けていた。敵が攻め込んでくるなら主導権はこっちが握れるけど、逆に駐屯地に攻め込むには戦力不足だから。自警団はあくまでも、自衛の為の戦力だしね。
膠着状態が変わったのは、スパロウ兵長の部隊に新しい幹部が派遣されたからだった。襲撃時の兵士たちの態度態度を見ると、多分スパロウ兵長より上位の人なんだと思う。だけど僕には、まだそれが実感湧かないんだ。……その人、ウェーブが掛かった黄色い髪の女の子だったんだ。金色のブレスレットと大量のミサンガっていうかなり目立つ格好だったから、よく覚えているよ。まだ、僕たちと同い歳だったんじゃないかな」
「えっ?」
ヴァレイがそこまで言った時、ユリアが不意に顔を上げた。吹き荒ぶ風や砂埃を忘れたかのように、じっと彼を見つめ続ける。彼は怪訝な顔になったが、何も問おうとはせず話を続行した。
「その子は兵士たちの指揮と同時に、魔物を操っていた。『空襲』って言って、飛行系を大量に村にけしかけたんだ。自警団も多くが眠っていたし、サイレンを鳴らす間もなく多くの人が犠牲になった。警報を発する事が出来ても、今度は逃げようとして外に駆け出した人たちまで……」
「ビーストサモナーだったんだ……」
シルフィの呟きに、俺は「何それ?」と口を挟む。アロードが説明してくれた。
「魔物招喚士、魔物を使役して戦わせる、まあ一種の魔法使いだよ。基本的にはオブシデントの闇の妖精族に多いんだけど、ミッドガルドにもそこそこ居るな」
「まさか……レーナ?」
ユリアが、啞然とした表情のまま独白を零す。俺たちは、一斉に視線を彼女に集めた。
「心当たりがあるのか?」
「ウェーブが掛かった黄色い髪と大量のミサンガ……で、ビーストサモナーだったんでしょ? 多分、ヴェンジャーズ総統マンティスの側近中の側近、三侯の一人レーナだと思う。だけど……私、彼女の事はあんまり話したくないんだ」
そう言う彼女の顔は、何処か寂しそうだった。
「彼女、ヴァレイや、そのリビィちゃんって子に酷い事したんでしょう?」
「……そうだね」
ヴァレイは、拳をぎゅっと握り締める。両手を握っているシルフィ、アロードはその力に、痛かったのか顔を歪めた。しかし、ヴァレイ本人の表情の歪みは、彼らの比ではなかった。
「村は一時的に、壊滅状態になった。僕たちは善戦した方だと思うけど、フォームメダルは奪われちゃった。しかもそのレーナって指揮官は、それだけで済ませようとしなかったんだ。
……自警団の多くが、死に追いやられてしまった。中には勿論、非戦闘職の奥さんや子供を持つ男の人だって居た。残された家族は、そのやり場のない怒りを──怒りというより、悲しみの方が強かったんだろうけどね──ブレイヴでありながら村を守れなかったリビィちゃんに向けたんだ。彼女も、本当に悩んだんだよ。だって、奴らに目を付けられる要因の僕を匿ったのは、彼女の意志だったんだから……僕だけが責められるなら、まだ甘んじて受けたかもしれない。それに皆も、本当はリビィちゃんが悪い訳じゃないんだって分かっているんだ。だけど、不条理に家族を奪われた悲しみは、理屈じゃ消せないから。
心の優しいリビィちゃんは、それに思い悩んだ。僕に、何度も『ごめんね』って言った。僕は、君のせいじゃないって何回も言ったのに……そして彼女は、二週間前に突然居なくなった。独りで、僕のフォームメダルを取り戻す為に駐屯地に乗り込んで行ったんだ。その事は皆すぐに分かったけど、確証が得られなかった。そんな中で、一週間後にレーナから手紙が届いた。
リビィちゃんを……捕虜にしたって。一週間以内に僕が一人で駐屯地に行かなければ……彼女の命はない、って……!」
「おかしくね、それ?」
アロードは声を詰まらせるヴァレイを見て、一瞬言葉を掛けられなくなったようだったが、すぐに再び発言した。
「フォームメダルはもう奪ったのに、何でお前を呼び出す必要がある? お前を殺したら、全部がパーになる事は奴らも分かっているはずじゃねえか」
「ああ、だから……きっと何か他に、僕たちの知らない計画を、奴らは企てているんだと思う。だから僕が行こうとした時、団長には止められたんだ。もし僕が行って、リビィちゃんが解放されたとして、彼女は僕が何かに利用されて酷い目に遭わされるような事があったら、また形振り構わず駐屯地に行こうとするに決まってる、状況が泥沼化するだけだ、って。
皆も、リビィちゃんだけを責めすぎた結果こういう事になってしまったって、責任を感じているみたいだった。だから彼女を取り戻す作戦は実行したいと思っているみたいだったんだけど、最初にも言った通り、自警団は所詮自警団、本物の軍人たちの陣を攻めるような戦力じゃない。それを承知で投入したら、今度こそ村を守る者は居なくなってしまう。
ヴェンジャーズは、目標は何があっても最後まで達成する。こっちが脅迫に屈しなかったからって、人質を殺すだけじゃ終わらない。僕自身が標的なら、きっとまた村に来て、殺戮を引き起こす。だから……結論が出せないまま刻限になって、リビィちゃんの命と自警団全員を秤に掛けて、せめて奴らがまた攻めてきた時戦えるように、彼女は見捨てるしかないって事になった」
しゃくり上げる彼に、俺たちは何と声を掛けたらいいのか分からなかった。シルフィが「ヴァレイ……」と彼の名を呼び、肩に手を回す。彼の話は、それでも尚続けられた。
「僕は、自分の責めは自分で負おうと思った。それも兼ねて、イマジンの最終手段を採ろうとした。……自決して、僕のメダルの効力を失わせる。そして新たな風のイマジンが派遣されれば、ヴェンジャーズがリビィちゃんを拘束し続ける理由もなくなるだろう、って」
俺はヴァレイの覚悟に対し、言葉を出せなかった。悲壮とは、このような事を形容する言葉なのだろうか、と思った。
自警団の者たちを、薄情だと責める訳には行かない。村を守らねばならない、そして一度守り切れなかった彼らにとっても、リビィという少女を助けられないと判断する事は相当な覚悟が要る事だっただろう。団長からすれば、身を引き裂かれるような選択だったのかもしれない。
そしてヴァレイもまた、彼らと同じなのだ。
彼らがリビィを切り捨てる事を選んだように、ヴァレイは自分自身を切り捨てようとした。そしてその結果、先程恐怖に震えていた。
「……馬鹿かよ、お前」
不意に、アロードが吐き捨てた。ヴァレイは「何だって?」と、涙に濡れた顔のまま彼を睨みつける。しかし今度はシルフィも、
「あたしもアローちゃんと同じ意見」
と言った。
「自分が死ねば、ヴェンジャーズも諦める? あいつらの新しい計画が何なのかは知らないけど、あたしはそんな単純な事では済まないような気がする。根拠のない事じゃないよ、今までだってあいつらは、計画遂行の為に草の根を分けるようにしてイマジンを探してきた。それに何より……それでそのリビィちゃんとかいう女の子が生還したとして、彼女が喜ぶと思う?」
「じゃあ、どうすればいいの? イマジンの僕一人じゃ、戦えないんだよ? 自警団も救出作戦は出来ないって言っている。それともシルフィたちも、僕がリビィちゃんを見捨てろって?」
「いいかヴァレイ、よく聞け」
アロードは、ぶっきらぼうながらも真剣な口調で言う。
「男にはな、無茶だって分かっていても戦わなきゃいけねえ時があんだよ。自警団の奴らも、別に駐屯地を壊滅させに行く訳じゃねえ、その女一人救出するくらい、やろうと思えば出来るはずだ」
「それに」ユリアからは、先程レーナの事を口に出した時に見せた煮え切らない調子は消えていた。「今は私たちが居るじゃない。不満?」
「ユリア……さん」
ヴァレイは呟くと、顔を上げた。その目に、また涙が浮かぶ。
絶対に私たちで取り戻す、とユリアは独りごちた。それは、俺たちの旅の目的という大前提以上に強い決意を孕んでいるようで、先程から彼女はどうしたのだろう、と俺は首を捻る。だが、理由はどうであれ、救わねばならない人が居るという事実に変わりはなかった。
「どうして皆、そこまでしてくれるの?」
「俺たちも狙われたんだよ。その、スパロウって奴に」
アロードは、ぐっと拳を握って絞り出した。