『ブレイヴイマジン』第2章 ウィンド①
ギアメイスの村を出て、三日後。
俺とユリアとイマジン二人は、道中で替え用の服やその他旅行用品を買い、かなり重くなった鞄を持って荒地を歩いていた。ユリアの指定した最初の目的地は、ギアメイスの村から最も近いスピナジアの村、風属性のイマジンであるヴァレイ・ウィンドが身を置いているという。
ゲームが始まってから、これで五日目だった。しかし、依然現実世界からの連絡は届かない。日を追うに連れ、俺は段々アナウンスが入っているかどうか、ヘルプやメニューが出るように修正が入っていないか、といった事を確認しようという意識が減っていた。それは、案内が来さえすればすぐにログアウトしよう、という思いが減殺されていた事が要因かもしれない。
俺は現在、ユリアと共にエヴァンジェリアを救うのだ、と強く思っていた。無論、この世界はプログラミングの結果動いているゲームである、という認識が消えた訳ではない。しかし、俺の予想が正しければ、このシステムは痛覚や死の際のショックを緩和されるように設計されていない。この世界で心臓が止まれば、向こうでも止まる可能性がある。一昔前からサブカルチャーの世界で、テーマとしてよく取り上げられていた「リアルデスゲーム」の概念そのものが具現化したのだと言えた。
アバターの死が、現実の死に繋がる。
探せば細かな差異はあるだろうが──NPCの感情は擬似的なものに過ぎない、など──、この世界は単なる娯楽の為の電脳空間ではなく、現実世界とは地続きでない異国の地なのだ。
そう認識した事で、俺はこの世界を”もう一つの現実”という風に捉えるようになっていった。勿論俺とサイコドライバーとの接続が切れれば、この世界の出来事は一切が一時停止する。同じ世界が他にもサーバーに存在し、無数の主人公やユリア、シルフィやアロードが居る。だが、今俺の目の前には唯一の彼らが存在し、動き、喋っている。いわば夢の中に居る俺以外の人間が、その体験や知覚を否定する事は出来ないはずだった。
現実世界の減少が再現されすぎているだけに、ゲーム内なのに、という融通の利かなさや桎梏から解放されない面はあった。だがそれは、現実での動きから特に大きな変形もなく、同じアクションを起こせるという事でもあった。
荒地に入り、小一時間程歩いた時、ユリアが言ってきた。
「ケント君、手繋いで」
「ええっ!?」
一度経験があるにも拘わらず、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「まーたユリアちゃん、乙女になっちゃって」
シルフィが揶うが、ユリアは首を振った。
「違うの! もう少し進むと、物凄く強い風が吹く所に出るの。ヴァレイのフォームメダルが奪われたせいで、風属性の魔物たちが野放しになっているのよ。その魔物たちの特性が『風起こし』だから」
「手を繋がなきゃ吹き飛ぶくらいの風? それで、人は本当に通れるの?」
如何に魔物たちが暴走状態とはいえ、野生に生息している魔物なのだから、平常時でもそれらのスキルは土地に影響を与えているのだろう。それで本当に大丈夫なのだろうか、と思いつつ、俺はどぎまぎしながら彼女の手を取る。何故か指を絡める繋ぎ方にすると、彼女はやや仰々しい地名を口にした。
「怪鳥湧出地帯、だって。正確な名称は分からないけど、多くの人はそう呼んでいるみたい。風属性の魔物、特に鳥の姿をした飛行系が多いのよ。空中からの攻撃に警戒するって結構難しいし、街道に面している訳じゃないから、人は滅多に行き来しないはずよ」
「怪鳥湧出地帯?」幾ら何でも、ゲームらしすぎる地名だ。
「ええ。もう少しどうにかならないのか、って名前だけど、それだけに恐ろしさがダイレクト表現されているよね」
「そんな場所を、俺たちは通るの?」
「まあ、ギアメイス・スピナジア間往復の正規ルートを通ると、あと一日か二日移動時間が増えちゃうしね。それに最近じゃ、そっちの方にも容赦なく魔物が出てくるから、怪鳥湧出地帯を行くのとあんまり変わらない。しかも私たち、丸腰の旅人じゃなくてブレイヴだもん」
「そっか……」
俺は、辺り一面に広がる荒野を見る。行く手には濃い霧が掛かっているように見えたが、それはよく見ると天まで立ち昇るかと思われる砂嵐だった。
「油断大敵だよー」
シルフィが、ユリアの反対側の手を握りながら言う。
「怪鳥湧出地帯の飛行系魔物は、全部凄く大きいし気性も荒いから。その中でも最強なのが……」
彼女が言いかけた時、突然頭上から影が降ってきた。一瞬で辺りが暗くなった為、俺は咄嗟に足を止め、辺りを見回す。頭上の太陽に雲でも掛かった、とも思いかけたが、そうではなかった。
「きゃっ!?」
突然、俺と繋いでいたユリアの手が解かれた。彼女は悲鳴を上げ、宙空に浮き上がる。俺はぎょっとしたが、反射的に空いた手を伸ばし、彼女の右足首を掴んで引き戻そうとした。
見上げると、視線の先に巨大な鷲に似た怪鳥が居た。足の鉤爪で彼女の肩を掴み、ばさばさと翼をはためかせて虚空の彼方に飛び去ろうとしている。
「助けてケント君! 私、上下に引っ張られてちぎれちゃう!」
「トランスフォーム!」
俺はアロードを憑依させ、デュアルブレードを振り上げた。魔物が飛んでしまわないようにユリアの足を掴んだまま、土を蹴って跳躍する。
「覇山焔龍昇!」
魔物の下腹部から左翼の付け根を狙い、切り裂く。
「キエーッ!」という耳殻を劈くような甲高い声を上げ、怪鳥は落下した。ユリアが捻挫しないよう、シルフィに向かって叫んだ。
「受け止めろ、シルフィ!」
「ええ!? ……ああ、はい!」
魔物の爪から放り出されたユリアに、シルフィが手を伸ばす。早期に対処した為そこまでの高さはなく、華奢なシルフィの腕でも彼女の落下を抱き留める事が出来たようだった。
魔物は切り裂かれた翼を振り回し、バタバタと暴れ始める。人間の倍近くある巨鳥が目の前で大暴れ、という状態は恐ろしかったが、俺は竦む足に鞭を入れながら近づき、剣を振り下ろした。敵は騒ぐのをやめ、動きを止めた。
「大丈夫?」
俺は変身を解き、ユリアの手を取って地面に立たせる。彼女は「ありがとう」と言いながら起き上がり、服に付いた砂を払ってから説明した。
「怪鳥湧出地帯で最強なのが、今の魔物よ。毎年多くの人間が犠牲になっているみたいだって、ギアメイスにも噂が入って来るの。でも、ここの荒野は安全だったはずなんだけどなあ……」
「街道にも出るんでしょ、魔物? 今はイマジンの力が弱まっているから、何処もそうなのねえ」シルフィが、しみじみと言った。「安全地帯なんてないのよ」
彼女の台詞に、俺は強く肯いていた。村の中にまで魔物が入ってくるような有様を目の当たりにしては、「何処も」という言葉はあながち大袈裟とは思えない。
「スピナジアに入るには、どうしても今の奴らと戦わなきゃいけない」
「インペチュアスは縄張り意識が強い」
アロードは、腕を組んで考え込んだ。
「しかも若い人間が好物ときてる。捕まったら骨まで砕かれて食われちまう」
「但し、目はそんなに良くないのよね」
シルフィが補足した。
「砂嵐を防ぐ為に瞼が固く、分厚くなって、その分目が頭骨に埋没している。あの砂嵐の中なら、獲物は動くものを中心に襲おうとするはず。風を防ぐのもあるけど、ゆっくり歩くようにすれば逆に安全かも」
インペチュアスというのか、と頭に刻みながら肯く。
その時、不意に荒地の向こうから、微かに悲鳴のような声が聞こえてきた。声変わりしきっていない少年のような、若い声。気のせいか、と思ったが、激しい風の音を縫って聞こえてきたので、空耳などではないようだった。
「ねえ、ユリア。今のって……」
言いかけた時、今度はインペチュアスの鳴き声も響く。場に居る誰もが、表情を引き締めて互いの顔を見た。
「誰か襲われているんだ……!」
「行かないと!」
俺は駆け出す。三人が、あっと叫んで続いてきた。
ここ数日で、自分が随分積極的に行動するようになったな、という思考がちらりと脳裏を過ぎったが、それについて掘り下げている暇はなかった。