『ブレイヴイマジン』第8章 ラストバトル⑧
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俺やユリアには二度目となるグニパヘッリル回廊へ踏み込んだ時、その猛烈な魔界の気配は、空気全てを導火線に変えてしまったかのような錯覚を抱かせた。ヘルヘイムへの扉が開放されたせいか、魔神族の存在は昨日よりもずっと身近にあるようだった。
俺を含むブレイヴ八人は、回廊を進み出す前に全員が変身を済ませた。とうにヘルヘイムから出たであろう魔王が何処まで来ているのか分からない以上、用心して進む以外に対処法もない。
昨日俺がガーディさんと戦った最後の石室に至り、その扉を引き開けようとした瞬間、俺の目の前で爆発が起こった。狼狽の声を上げる間もなく爆風で吹き飛ばされた俺は、すぐ後ろに居たゼドクに背中からぶつかった。
「ケント、大丈夫か!?」
「まだ来るわ、気を付けて!」
ユリアが鋭く言ったコンマ数秒後、立ち込める煙の中を三つの光球が飛来するのが目に入った。マティルダが進み出、ツインクリングタクトを突き出す。
「プリヴェントファクター!」
防御魔法が発動し、仲間たちへの直撃は防がれた。しかし衝撃は凄まじかったようで、マティルダはがくりと片膝を突いた。
「マティルダ!」
アスタークが妹の名を叫び、細剣を抜いて扉の中へ駆け込んだ。俺たちは警告の声を上げ、彼を追って広間に突入する。そこに、赤黒い竜巻のようなオーラを纏った、三メートル以上ある異形の怪人が立っていた。
「お兄ちゃん、無茶しないで!」
「ツインタービュランス!」
アスタークは、二段突きでその怪人へと突進する。敵はオーラの向こうで影のような姿にしか見えなかったが、突進した彼の方を向いた時、炯々と光る赤い目が一対、くっきりと浮かび上がった。
「ヴヴヴヴヴヴヴヴ……ッ!!」
唸るような声を漏らし、相手は渦の中から腕を突き出す。それは、赤い鉤爪の生えた漆黒だった。
「アン・サクリフィシオが来る! お兄ちゃん避けて!」
マティルダは叫んだが、間に合わなかった。光球が三度射出され、アスタークはそれを胴に受けて床の上をバウンドした。
「アスターク!」ユリアが叫ぶ。
「心配しないで下さい! 辛うじて防ぎましたから……!」
彼は、床に手を突いて起き上がる。俺たちは、怪人──遂に姿を現した魔王ディアボロスを見つめ、戦慄が足から駆け上がってくるのを自覚した。
「エヴァンジェリアの技も、使えるんだ」
リビィがそう言うと、
「そりゃまあ、そうだろうね」イヴァルディさんがそれを受ける。「ケント君だってここでは、アロードの技を使っているんだから」
「向こうは飛び道具を使ってくる、ならこっちも!」
フィアリスが、壁際から弓に矢を番えた。
「熾燕弓!」
「ヴォオオオッ!!」
魔王は、纏った黒いオーラを一層強く立ち昇らせる。フィアリスの放った火矢はそこに当たると、木っ端微塵に砕け散った。
反撃とばかりに、魔王がまた黒い腕を、今度は両方突き出す。波動を放つように手首を合わせ、こちらに向けられた掌から枝分かれする木のようなエフェクトが出現し、また果実の如き球体が現れた。
射出されたそれはフィアリスへ向かって一直線に飛び、彼女が弓矢で迎撃する間もなく爆発した。傍に居たスティギオ、コーディア諸共吹き飛ばされ、壁に背中をしたたかに打ちつける。
「フリュイ・デファンデュ……古の魔法を、こんなにも簡単に……」
「痛ててっ……あたしの矢が弾かれるようじゃ、接近しても攻撃は通用しないだろうね……」
フィアリスが、岩にめり込んだ肩を抜きながら呟いた。
俺たちは、ディアボロスを包囲したまま視線を交わし合う。このまま同じ事を続けても、埒が明かないようだ。強いて収穫を挙げるなら、今の状況では数の利は殆ど意味を成さない、と分かった事だろうか。
プレッシャーに負けぬよう、俺は声を張った。
「攻撃パターンはまだ分からないけど、ディアボロスの技の中に、攻撃のタイミングでバリアから腕が出るものがある事が分かった! 無防備になった時に怯みや遅延を狙えれば、あれを解除させる事も出来るかもしれない! それと……まだディアボロスは目が覚めたばかりで、外界を上手く知覚出来ていないのかもしれない。だから、自分から攻撃を仕掛けたアスタークやフィアリスを標的に定め、集中的に反撃を行ったんだ。ターゲットは、比較的取りやすいと思う。
マティルダ、フィアリス、君たちは遠隔攻撃で、ディアボロスのターゲットを引き受けてくれ。勿論、遠距離以外の攻撃手段を持たない二人が距離を詰められると大変だから、アスターク、スティギオが彼女たちを掩護して。
残り全員は、包囲網を狭める。右翼はリビィとジーゼイドさん、左翼はイヴァルディさんとコーディア、後方はゼドク、ユリア、正面が……俺だ」
「了解!」
皆が持ち場へと動く。ディアボロスの目標はまだフィアリスにあるのか、その手がまた巨大な果実のエフェクトを生成した。「ヴォオッ!」
「今度こそ見切ってやるよ……禍僻侵空裂!」
稲妻を纏った、高速の射撃。それは射出された光球を爆発させ、周囲に拡散したエネルギーは地面を大きく凹ませた。突き出された腕に向かって、両サイドからリビィとイヴァルディさんが反撃を仕掛けていく。
「裂天旋風撃!」「虹依殿・月宮!」
「深く踏み込みすぎず、ヒットアンドアウェイを心掛けるんだ!」
俺は言いつつ、彼らとすぐに交替出来るように腰を落とし、両足の撥条に力を溜める。ディアボロスが腕を引っ込めるより前に技を出し、それで一時的にでも怯ませる事が出来れば、主導権はこちらが握れると思った。
と、その時だった。
二人の剣技がディアボロスに当たるか当たらぬか、という瀬戸際、魔王の手元でバチバチと閃光が走った。いつの間にかその手には荘厳な幅広剣が握られており、攻撃に出ていた二人が目を見開いた瞬間、それが炸裂した。
それは、爆発が起こったのか、と錯覚を抱かせる威力だった。リビィ、イヴァルディさんは何処をどう薙がれたのか、空中に血飛沫を跳ね上げて飛ぶ。地面に何度も叩きつけられたその体は、俺のすぐ足元まで転がってきてピクピクと痙攣した。俺は考えるより先に、「大丈夫!?」と声を掛けていた。
「ええ、何とかね……!」「とんだ後出しじゃんけんだよ」
二人は、傷を押さえながら立ち上がる。どちらも、広範囲に渡って切り裂かれたものの、そこまで深い傷ではないようだった。咄嗟の防御が有効に働いたのなら、やはり彼らは卓越した戦士だ。
「分かっていれば、防げない程じゃない!」
俺は己を鼓舞しつつ、覇山焔龍昇で魔王に飛び掛かった。
魔王は唸ると、剣を横向きに構え、正確に刃でそれを受ける。その一撃で、俺は敵の守りが圧倒的に堅い事を悟り、破る事は放棄した。しかし、望んでいた形とは違うとはいえ、確かにその動きは止まった。
「隙が出来た! ユリア! ゼドク!」
「分かった! スピニングマリン!」「光輪斬撃破!」
彼らは側面に回り込み、オーラの外へ突き出されている腕に一本ずつ技を入れようとする。その時、俺の視界に赤い膜が掛かった。
突然の事に、俺はつい腕から力を抜きそうになる。だが、辛うじて意識は俺を自制させ、今の状態に繋ぎ留めた。俺は、幕越しにディアボロスの姿を目で捉えようとする。が、二重の遮蔽物に隠された魔王は、やはり目しか見えない。
代わりに、テレビの砂嵐の如く激しく顫動する視界の膜に、幼い子供が書いたような、蚯蚓ののたくったような文字が現れた。
『下等世界フロントワールドの人間か?』
エヴァンジェリアの言語は、俺たちアポストルの派遣に伴い、ルーラーによってフロントワールドのものに置換された。しかし、世界系の異なるヘルヘイムはその影響を受けていない。俺たちはディアボロスの言葉を認識出来ないので、理が辻褄合わせにその意思を読み取り、視覚情報で共有しているのだろう。
「お見通しのようだな」
俺の声も同じように届く事を願い、問い掛けに応じる。
『貴様らはガーディを破り、人の手によって起こすべくして起こされた災厄を未然に阻止した。下等世界の種族にしてはよくやったと言うべきか、もしくは奴も所詮、下等種に過ぎなかったという事か』
「俺たちのしている事は、運命に抗う事だ。マルチバースという高次元そのものへの反逆だ。しかし、それをお前の言う下等種が成し遂げられるかどうか、確かめてみればいい」
俺は言うと、剣を引いた。後方に下がり、ユリアとゼドクの技が魔王にヒットするのを見る。ディアボロスは咆哮し、その瞬間纏っていたオーラが解除された。黒い岩石のような皮膚に覆われた、鬼のような巨人。それが、ディアボロス本体の姿のようだった。
「全員前に出るんだ! 全力攻撃一本、そしてまた後退!」
俺は叫んだが、その時皆は答えず、動く事もしなかった。俺が困惑し、焦燥と共に更に叫ぼうとした時、やっと最初のダメージを入れたユリアたちが呻きながら目を押さえた。
まさか、と考える。
皆、俺と同じようにディアボロスからの交信を受けているのか。