『ブレイヴイマジン』第8章 ラストバトル⑤
* * *
アーチェスレリアの病院。その一室でガーディさんが再び目を開けたのは、黄昏時をとうに過ぎ、夜の帳が完全に降りた頃だった。
彼の治療をした医師によると、相当弱ってはいるものの危険な状態はひとまず脱したとの事だった。それを聴き、俺は安堵のあまり泣き崩れそうになった。俺の全身を切り裂き、世界を滅ぼしかけた彼の命が無事だと知ってこれ程嬉しかったのは、きっと心の中でずっと、彼の良心を信じていたからだろう。
「ガーディさん……生きてて良かった……」
彼のベッドの傍らで、俺は呟いた。目を開けたばかりの彼は、暫し虚空に視線を彷徨させた後、ゆっくりと顔を俺の方に向けた。
「ケント……お前が、俺を助けたのか?」
「斬ってしまったのも、俺ですけど……」
俺が目を伏せると、彼は苦笑した。
「斬った相手を病院まで運んで、助けるとはな」
「殺せませんよ。あなたの昏い過去を何も知らない俺が、ただ『敵だから』なんて言って……」
アロードは、俺とガーディさんの関係に配慮してか、病室を出ていた。一度顔を見せたユリアによると、チャクラバルティンはイヴァルディさんが立ち会った上で、中から起爆装置を解除され、地脈からの干渉を切断して地上に下ろされたという事だった。遅れて到着した部隊も含め、ヴェンジャーズは皆武装解除し、アーチェスレリアに投降したという。ラージェス兵長は、総督府の地下牢に送られた。
俺が訥々とそのような事を聞かせると、ガーディさんは溜め息を吐いた。だがそれは、背負ってきた何かから解放されたように穏やかだった。
「ケント、お前は本当に、勇者として在るべき結末を迎えたのだな……だが、物語には勇者に倒される悪役も必要だ」
「分かっています。俺は──勇者ケントは、魔王ディアボロスの配下・太刀使いガーディを倒し……同じく、世界を救うべく戦った勇者・近衛公威を許します。それで、戦いはもう終わりです」
俺は宣言し、彼に微笑んだ。「でも、まだ俺……慣れないから、あなたの事をガーディさんって呼んでもいいですか?」
「好きにしろ。ガーディというのも、かつてお前と同じように戦った俺の名前だ。まあ、お前程立派にやり遂げる事は、出来なかったがな」
俺はガーディさんに、フロントワールドで彼に何があったのかを尋ねようと口を開きかけた。だが、現実の彼の過去を──彼のひた隠していたそれを暴く事に、大きな意味はないような気もして、やめた。全てを知る事が分かり合う事でもないし、彼がどのような過去を抱えていたとしても、俺が今の彼を慕う気持ちは、何も変わる事はないだろう。
代わりに、俺はこの世界での彼の事を尋ねた。
「ガーディさんは、ユリアたちとどんな冒険をしたんですか? ゲームの体験会だとばかり思い込まされていたんですから、最初に設定とか辻褄合わせをするの、大変だったでしょう?」
「そうだな、特にこの世界での知識がない事を、どう弁明するか悩んだ。俺はユリアが気絶する以前に……そうだな、お前が俺と出会ったあの下りを経ず、村を襲った魔物を倒した。それでも礼を言われ、屋敷に導かれ……あとは、殆どお前と同じだろうな。だが当然彼女の恋は、エヴァンジェリアの因果律を外れた誰かに向けられたものなのだから俺には発露しなかった」
「俺、何で彼女が俺を好きだっていうのか、まだ分からないんです」
「分からなくていい。それが、愛というものなのだろう」
「でも……」
「蓼食う虫も好き好き、と言う」
「俺は蓼ですか?」
苦酸っぱい草、という漠然としたイメージだけは持っていたので、俺は顔を顰めながら軽口を叩いた。ガーディさんは仄かに和やかな表情になり、それから様々な事を語ってくれた。
アロードと契約したものの、性格が対立して非常に不仲だった事。ユリアとの旅が始まってから、彼女は俺に見せるような可愛らしい面はあまり見せなかった事。宿泊する先々で、自分たちの歳に差のある事を気にされ、「ロリコンではないか」とまで疑われて辟易した事。それでも、彼女や旅で出会った仲間たちと共にフォームメダルを取り戻す度に達成感を感じた事。
それは、同じ因果律を下敷きとしながら、俺の体験した旅とはがらりと様相を変えるものだった。俺はそれを聴きながら、彼が今まで言っていたような宿命など、最初から定まってはいないのだという事、俺たち次第で、世界は全く異なるフィードバックを返すのだという事を感じた。
そして彼の話は、ルーラーが「失敗した」と言っていたロゼル・ダークネスの章まで至った。
「お前たちの行動に対し、全て先回りしていたのは、お察しの通り俺が以前に同じ事を経験していたからだ。ガス管の調査の前に、俺はユリアやコーディア、イヴァルディと呼ばれるデイビル王子と共に、地下から王宮に入ってステファン王を救出した。だがそこで、ギュスターヴに気付かれてしまった。元々の因果律でも、勇者が王宮への侵入作戦を実行した時に見つかる、というのは変わらなかったようだな。俺はそれ以前に、ユリアたちを待ち伏せるよう命じたが。
戦闘は当然の如く勃発し、ステファン王とデイビル王子は戦死した。そして俺たちは本拠地に連れ去られ……コーディアとマンティス総統の悲劇を目の当たりにした。そして、ギュスターヴはフォールン・セラフを使い、セイバルテリオの東側半分を壊滅に追い込んだ」
「それなら」
俺は、指摘せずにはいられない。
「ガーディさんは、ユリアたちを待ち伏せてそのまま本拠地に、無抵抗で連行した事で、少なくともイヴァルディさんが死ぬ事は防げたって事ですよね? その後も、フォールンをチャクラバルティンに改造した事で、レーナが街を滅ぼそうとするのを間接的に防ぎましたし……」
「全ては結果論だ。因果律に囚われないアポストルでも、未来を予測するなど不可能だからな。それに俺は……お前が止めに来なかったら、セイバルテリオの半分とは比べ物にならない犠牲を出していただろう」
「それなら、俺のだって結果論です」
俺は、本当にそう思いながら言う。この戦いは、俺たちと関わりのない何かが介入する余地などない、意志と意志とのぶつかり合いだった。きっと、リセットされた過去にガーディさんと戦ってきた勇者たちも、たとえ敗れたのだとしても、そうだったのだろうと思った。
そこで俺は、大前提に当たる部分を思い出してふと疑問が湧いた。
「ガーディさんは、リセットが行われる度に、ギアメイスの村を訪れていたんですよね? ルーラーの招集したアポストルを全滅させる事が目的だったなら、何で俺たちが何も知らないうちに、村で殺そうとしなかったんですか? 俺に至っては、宿代を肩代わりするような事までしてくれて……」
口に出すと、彼は不意に言葉を途切れさせた。言葉を探すように、顎を引いてじっと考え込むような表情を作る。彼の言葉を待つ間、俺は自分でもそれについて考えを巡らせた。
「……さあ、何故だろうな」
ガーディさんは、考えても分からなかった、というように呟く。
一方で俺は、彼は自分と同じ宿命を背負って招喚された勇者たちを、少しは信じようとしたのではないだろうか、と考えた。俺のように、彼が選べなかった道を歩き通した者が現れる事を、心の何処かで。世界の敵である自分を、全力で止める事の出来る人間があれば、彼自身も世界を見限らずに済むと思ったから。彼はもう一度、世界を愛したいと思っていたのかもしれない。
「だが、ケント。俺がその後、お前とは戦いたくないと思った事は、唯一俺が、自分の宿命に抗おうとした結果だ」
「えっ?」
彼が続けた言葉に、俺は思わずその目を真っ直ぐ見つめる。
「初めて会った日、お前は俺の事を、何と言ったか覚えているか? 嫌いじゃない、そう言ったんだ。今まで俺は、生まれてこの方、災いを招くとして忌まれ、嫌われ続けてきた。その俺を、初めてそのような目で見た人間なんだ、お前は……俺が、もう一度愛せるかと思えた”人間”そのものだった」
そこまで言うと、ガーディさんは泣くのを堪えるかのように、くしゃりと顔を歪めて叫んだ。
「斬れる訳がないと思ったんだ! そうだろう、見知らぬ俺に、あれ程親切にしてくれた人を。勇気をくれた人を。……人付き合いが苦手な俺に、丁寧に歩み寄ってくれた人を」
(ガーディさん……!)
それが、この間ヴェンジャーズ本拠地で俺が彼に言った言葉だと気付いた時、俺は堪えられなくなって慟哭した。彼の横たわるマットレスに目頭を押し当て、子供のように泣きじゃくる。俺に何かがあったのかと思ったらしく、病室の入口にアロードが顔を覗かせた。しかし彼は、俺と同じように涙を流すガーディさんを見、そっと扉を閉めた。
* * *
一時間後、病室を出た俺は待合室に向かい、そこで待っていたユリア、アロード、シルフィと合流し、仲間たちの集まっている丘に向かった。
そこにアーチェスレリアの衛兵隊やヴェンジャーズの姿は見えなかったが、恐らく今は命懸けの戦いを終え、皆休んでいるのだろう。今、アーチェスレリアの魔法使いが皆戦闘に出た後で、彼らが日頃生計を立てるべく営んでいた宿や店はほぼ全てが営業休止だった。
野営地の入口で、ゼドク、ルクスが俺たちの帰りを待っていた。
「お疲れ様だったな、ケントたち」
ゼドクが労ってくる。俺も「お疲れ様」と返し、それから辺りを見回した。
「ギデルとレーナは何処に居るの? ユリアがさっき、棺を用意して貰ったって言っていたけど……」
「この中だ」
ゼドクは、傍らに並べられていたそれを指差した。ルクスが蓋を開けると、彼らの顔が見えるようになる。二人は、とても悪者とは思えない顔をしており、服装も整えられて穏やかに、今にも目を覚ましそうに思えた。
俺たちは、改めて黙祷を捧げる。彼らとは異なり、俺たちは世界をこのままの形に保ち、行く末をもう少し見守るという選択をした。絶対にそれが間違ってはいなかった、と胸を張って言えるように、これからも頑張らねばならない。彼らももう自分たちを縛っていた呪縛から解放され、俺たちのその選択を何処かで見守ってくれている事だろう、と考えた。
「ガーディは、どうなった?」
今度はゼドクが尋ねてくる。
「命に別状はないみたいだった。あの人ももう、世界の敵じゃなくなったよ」
「魔王ディアボロスは?」
「それについては、これから話す。皆を集合させなきゃ」
俺の脳裏には、数時間前に見た魔王の影が、はっきりと刻まれていた。
十八人の仲間たちを見ながら、俺はグニパヘッリル回廊での出来事を包み隠さず語った。それから、一人一人を見回して頭を下げた。
「皆……ありがとう。ヴェンジャーズを、ここまで命を奪わずに解散出来た事は、皆の協力がなければ不可能だった。主力は全員捕まったし、ガーディさんは改心した。目標は、達成されたといっていい」
一瞬皆が歓声を上げかけたが、俺は片手を上げ、それを制して続けた。
「でも、ガーディさんとの戦闘中、血の匂いがディアボロスを完全復活させてしまった。早ければ明日にも、あいつは地上に姿を現すと思う」
俺は、表情を引き締める仲間たちに頭を下げた。
「申し訳ない。これは、俺のミスだ。でも……今度こそ本当に、ディアボロスとの決着を着ける。討伐でも封印でも何でも構わない、あいつがこの世界に、如何なる干渉も出来なくするんだ。……もう一度、俺と一緒に戦って欲しい。それが、世界を救う最後の戦いになる事を祈って」
「別に頭下げたりなんかしなくても、私たちはケント君に着いて行くよ」
リビィが、そう言ってきた。俺は、ゆっくりと顔を上げる。
仲間たちは皆、微かに笑ってこちらを見つめていた。
「最初からそのつもりで、俺たちはここに集まったんだぜ? 途中で投げ出したりして、どうするんだよ?」とスティギオ。
「俺たちは仲間だ。そう言ったのは、ケントだろう?」
ゼドクも言った。俺は胸が一杯になるのを感じながら、もう一度「ありがとう」と感謝を口にした。
「それじゃあ、今日は休んで。明日は、日が昇り次第作戦を開始する」
そう締め括り、俺は報告を終えた。
エヴァンジェリアでの冒険が始まって、百日目が終わりを告げた。俺の授けられた使命、その終着点は、もう目の前まで来ている。