『ブレイヴイマジン』第8章 ラストバトル④
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今までよりも少し長い通路を抜けると、開け放たれた第三の扉の奥に、その光景が見えた。
前方に見えるのは、体育館程の大きさの石室。正面には、禍々しい魔神族の彫刻が施された巨大な両開きの扉がある。それは、緑色の松明の炎に照らされてギラギラと輝き、その向こうの巨大な影を浮かび上がらせていた。
あれが、魔王ディアボロスか。実体は見えないが、その名の通り世界を滅亡に追い込む「ラスボス」としてのオーラがひしひしと伝わってくる。
扉の前には、燕尾服のようなマント付きのローブ──ヴェンジャーズ総統の衣装を身に着けたガーディさんが立っていた。足元に、黒ずんだ水溜まりが出来ている。目を凝らすと、それが血だと分かった。彼はインフェリアブランドの刀身を直接手で握って掲げ、掌から血を流しているのだ。
俺が駆け寄ろうとした瞬間、彼の足元に魔方陣が展開された。赤黒い波動が立ち昇り、それを浴びた扉にも同様の陣が出現する。赤々と照らし出され、扉の奥に居る影が大きく咆哮したように見えた。
「ガーディさん!」
俺は、彼に向かって声を掛ける。ガーディさんはこちらを向き、冷徹な表情のまま淡々と言った。
「来たか、ケント。だが、もう遅い。俺はディアボロスを招喚し、更なる魔神族の力を得た。あとはこれを以て、世界樹ガオケレナの頂上でチャクラバルティンを使用すればいい」
「近衛公威さん!」
俺は、彼の本名を呼ぶ。ガーディさんは一瞬、はっと視線を上げた。
「……イマジン・ルーラーは、そこまでお前に話したのか」
「あなたがフロントワールドで、どのような人生を送ってきたのかは、俺には分かりません。ルーラーは俺たちをアポストルに選んだのは、投げ捨てられそうになった命を有効利用する為だと言いました。しかしあなたは、彼らのその命を奪う事で……この世界を救う勇者を殲滅する事で、それ以上にフロントワールドから犠牲が出る事を避けようとした。やり方はどうであれ、あなたには、自分が生きた世界への想いがあったはずです。それなら……ここでディアボロスを呼び出し、自らも死に、フロントワールドに帰れないなんて、駄目です」
俺は、彼に向かって歩み寄りながら言葉を続けた。
「帰りましょう、俺と一緒に。俺は気付けました、今までずっと、辛いとばかり思っていたあの世界に、喜びがあった事を。そして、それはこの世界にも同じ事が言えます。俺は、エヴァンジェリアが好きです」
「生憎だな。俺は勇者として戦い、ルーラーの望む結末には至らなかった。だから、用済みとされたのだ。俺の足跡は全て、リセットによって消された。そのようにして使い捨てられるのが、世界の序列で下位に属する者の宿命だったのだ。ただ俺たちフロントワールドは……そこまで、科学を極められなかった」
「ルーラーの存在を実証出来ず、エヴァンジェリアの為に失われた命が、もう戻る事はないと?」
それは、確かに事実ではあった。
「だが、摂理とは本来そうで在るべきなのだ。個々の世界の事ではない、マルチバース全ての宿命としてな。神は不要だ、滅びに向かいつつあるのがこの世界の潮流ならば、それを変えるべく俺やお前のような存在が犠牲の山羊とされる必要は、何処にもなかった」
ガーディさんは言い、インフェリアブランドの柄を握り直す。
俺は、「それでも……」と呟いた。
「それでも、俺はここまで来られた。勇者が死ななくても滅びを止められる未来は、確かにあったんです。だから俺は、諦めません」
「この世界は、俺たちとは無関係だった」
「何かに出会う前だったら、誰にとっても、どんな世界だってそうです。俺は、ユリアたちの生きるエヴァンジェリアを愛している。もう、無関係な世界ではないんですよ。あなたにとって、この世界には価値がないんですか? リセットされてしまったとしても、あなたには確かに、勇者として戦い、俺と同じように喜びの思い出があるはずでしょう?」
「そのようなものは……全て、穢れてしまった」
「じゃあ、その後は? 俺、今でもあなたの言葉を大切にしているんです。勇者の始まりは、いつでも小さな勇気からだって。俺と出会った事も、ガーディさんにとっては悪い思い出なんですか? 俺と会ったこの世界も……ガーディさんを大切だと思う俺が居る世界も、あなたは嫌いなんですか!?」
俺は勢い込んで言う。ガーディさんはぐっと唇を噛んだが、やがて太刀の切っ先を俺の方へと向けた。
「お喋りは終わりだ、ケント。確かに、もうフロントワールドがルーラーの好き勝手にされる事はないのかもしれない。だが、それでも俺は納得が出来んのだ。俺が自ら殺めた、多くの命の事も」
「ガーディさん……!」
「願わくば、俺の戦いがお前で最後となる事を」
「何があっても、俺は負けません!」
俺も、覚悟を決めざるを得なかった。俺とガーディさんは、それぞれの武器を構えたまま摺り足で接近していく。リーチは、相手の方が僅かに長い。
制空圏が重なってからでは遅い。俺は判断し、それが交錯し合う前に横へと跳躍した。ガーディさんは俺の急な動きにも即座に対応し、体を捻るようにして太刀を大きく振るってきた。
「爆炎天翔斬!」
俺は、彼の太刀が俺を捉える一瞬前に、彼の懐へと入り込んだ、武器さえ落とさせてしまえばどうともでもなるはずだ、と判断し、彼の手首を薙ごうとする。だが彼の対応力は、まさに変幻自在と評すに相応しかった。ガーディさんは素早く太刀を引くと、ノックバックで俺から距離を取る。
制空圏の交錯が元に戻ると、彼はそこから飛び道具の技を使った。
「ヘイムスクリングラ!」
マッチを擦るように、インフェリアブランドの先端を床に擦り付ける。俺の方に向かって、五つの光の輪が生じ、飛来してきた。それらは円月輪の如く飛び、俺に斬撃ダメージを与えてくる。切り裂かれた腕から、バッと血が迸った。
(威力は、ガーディさんの太刀と同じ……)
彼が、今までとは異なる攻撃方法で攻めてくる。これは、俺も落ち着いて対処法を模索していくしかない。
「覇山焔龍昇!」
魔神族の力を前面に押し出して使用するのには、やはり大きな代償が必要となるらしい。技を一発繰り出した彼の息は荒く、技後硬直も長いようだ。彼の高威力の技を上手く躱す事が出来れば、反撃の機会が生まれやすいという事でもある。
俺はそこまで観察すると、飛び出した後の斬撃をアロードに委ねる。俺の攻撃がヒットする寸前、ガーディさんの硬直が解け、辛うじて斬撃は相殺された。だが、俺は技のコントロールをアロードに委ねつつ、自身では体技を繰り出すべく左拳を握り締めていた。
「盾通拳!」
一時的な気絶を狙い、彼の頭部に打ち込もうとしたが、
「ビューレイスト!」
彼には、その程度では通用しなかった。俺の剣速を殺しきると、彼はデュアルブレードを押さえていた太刀を抜く。肉薄しつつある俺の拳にその先を向けると、雷鳴のような音が鳴り響いた。
雷属性の光線。それは、俺の拳頭を削り取り、遥か後方の壁に当たって爆発を起こす。削られた軟骨が炭と化し、焼き固められて血液は漏れ出さなかったが、左手が機能しない程の激痛に俺は悲鳴を上げた。
「まだ終わってはいない!」
デュアルブレードを突き出したままの俺の右腕に、ガーディさんの肘が打ち出される。右肘の関節を痛撃され、俺の腕がだらりと下がった隙に、彼は太刀を左手に持ち替えた。再び稲妻は迸り、今度は俺の鳩尾より僅かに右にずれた位置を射抜いた。俺は吹き飛ばされ、床の上を転がった。
「あああっ!!」
「魔王ディアボロスは、血の匂いを好む」
ガーディさんは、つかつかと歩み寄って来る。
「こうして今、奴に最も近い場所で、俺たちは殺し合っている。招喚術式は既に発動を終えた。俺とお前、どちらの命が尽きても、血は奴の渇きを満たすだろう。俺たちの血を以て、終焉を始めよう」
「まだですよ……アグレッシヴブレイズ!」
俺は身を起こすと、彼が飛び出す前に動く。やはり、ガーディさんの動きは鈍くなっていた。今度の俺の剣技は、確かにガーディさんを捉え、肩口を焼き斬る。
「赫閃燃導劔!」
「紅蓮千剣獄!」
俺たちの激しい斬り合いが開始された。互いの剣技が、互いの肉体にダメージを刻み合う。飛び散った血液が床に染みを作る度、扉の向こうで蠢くディアボロスの動きが速くなるようだった。
「腕を上げたな、ケント」
互いに大量の血を吸収し、刃毀れが目立ち始めた刀身で鍔迫り合いに突入した時、ガーディさんがそう囁いてきた。彼にはまだ会話を行う余裕があるのか、と思いながら、俺は短く答える。
「対人戦は、散々しましたから」
世界樹の傍まで来てから何人の人を殺めたのか、もう数えられない。このような状況でもまだ、俺はガーディさんを殺したくないと思っていた。
「それにしては、疲れていないようだ」
「ガーディさんは疲れているでしょう?」俺は言葉で畳み掛ける。「ディアボロスの招喚術式で、あなたの体力は削られているはずです。……ガーディさんが覚悟を決めたなら、それは俺も同じです。まだ、招喚が成就した訳ではないんでしょう? 俺たちが血を流して死ねばディアボロスは出てくると、あなたは言いましたが……それを防ぐには、まだ間に合います」
「ケント……っ!」
「このまま俺がラッシュをかませば、あなたの命は残らず吹き飛びますよ」
ブラフのつもりだったが、胸の奥に鈍い疼きが走った。
「三侯の残り二人は命を落とし、ヴェンジャーズはもう解散します。あなたの味方はもう、誰も残ってはいません!」
「俺は!」
ガーディさんが、そこで声を荒げた。俺を押し返すように体を前に倒し、体重を掛けてくる。姿勢が崩れた瞬間、太刀を断続的に打ち下ろしてくる。俺は慌てて防御したが、その速度は先程までより格段に上がり、また衝撃も一撃一撃が重い。彼の憤怒の形相に、俺ははっとさせられた。
「俺にはずっと、味方など居なかった! 親に疎まれ、常に被服は汚れ、悪臭を身に纏い、出会う人間のことごとくに白眼視された……自分が何をしたのかも分からないまま、鬼の子と呼ばれ続けた」
「ガーディさん……いや」近衛さん、と言い直しかけた時、
「もうそれを、どうこうしようとは思わない」彼は、歯を軋ませながら言った。「それは、俺の宿命だった。不条理に甘んじた。だから……エターナル・フリーズとリセット、理の改変、実在した神のご都合主義に、力ある者の特権に、俺は我慢がならなかった! 俺自身の事は、どうなっても構わないんだ。何度世界が流転しても、俺はヴェンジャーズの中ですら、恐れられて独りだ」
彼の刀が、遂に俺の腹を抉る。それは、先程彼の放った光線に貫かれた部位と殆ど同じ位置だった。
「唯一俺の存在を認めてくれた人間をも──同じ世界の、同じ宿世を背負った同族をも、今まさに手に掛けようとしているのだからな」
「近衛……さん……!」
俺は、逆流した血を吐き出しながら呟く。彼は本気で、俺を殺す気だ。
「ケント、覚悟はいいか!」
インフェリアブランドが、高々と掲げられた。剣技ではない通常攻撃のようだが、俺は今満身創痍の状態だ。それが攻撃であれば、何を喰らっても死は免れない。そう思った俺は、無意識のうちにデュアルブレードを構えていた。
「分からず屋……!」
座り込んだ姿勢から、床を蹴って自分の体を押し出すように跳躍した。幾筋もの朱の緒が、空気中に縷々(るる)と引かれていく。
「俺じゃ、不十分だっていうんですか……」
彼のがら空きとなった胴体に、デュアルブレードの刀身が引き寄せられる。
「それで、十分じゃないですか!!」
叫ぶと同時に、ザクッ! という手応えが伝わってきた。
数瞬後、返り血がデュアルブレードを紅に染めた。彼の手から、太刀が滑り落ちてカシーン! という鋭い音を広間に谺させる。彼は目を見開いて立ち尽くしていたが、やがて崩れ落ちるように俯せに倒れた。
俺は我に返り、血に塗れた剣を鞘に納めた。ガーディさん、と呼び掛け、彼を助け起こす。幸い斬撃は急所を外していた上、これまで立て続けに何人もの敵を斬った俺の剣の切れ味が落ちていた為、致命的な臓器や動脈を破壊するような傷の深さには至っていなかった。
彼から流れ出した血液が、床に広がっていく。その流れ方がじわじわと速度を落とし、やがて止まった途端、扉の向こうから鼓膜を破らんばかりの咆哮がびりびりと空気を震動させた。
「グオオオルルルルアアッ!!」
赤い光の満ちる扉が、ゆっくりと開き始めていた。
(ここから出ないと……!)
俺は思い、気を失ったガーディさんを背中に負った。俺より背の高い彼なので、下半身を引き摺るような形になってしまった事を、俺は心の中で詫びる。
──まだ助かる。死なせてなるものか。
俺は歯を食い縛り、全速力で石室を飛び出した。