『ブレイヴイマジン』第8章 ラストバトル③
* * *
先程まで進んできたような通路を抜けると、また石扉が出現した。中から、微かに剣戟が響いてくる。覚悟を決めて押し開けると、そこではユリアとレーナが激しく斬り結んでいた。
「妖魔蝕命啍!」
「スパイラルストリーム!」
レーナの突き出す二本のヴァルキュリアピアサーを、ユリアがレジーナソードで防ぐ。それと同じ事が二回程連続して起こり、やがて身を引いたユリアは訴え掛けるような切実な口調で言った。
「お願いレーナ、もうやめて。この先に行かせてよ……」
「だーめっ! 行きたかったら、レーナを殺してから行きなさい」
「そんな事、やっぱり出来る訳ないじゃない。あなたは、私の親友だった。斬るなんて、出来ないよ……!」
ユリアの声は震え、濡れており、今にも泣き出しそうだった。俺は、心の中でもう一度彼女に頭を下げる。やはり、かつての友達と二人きりで戦わせるのは、残酷すぎた。
俺は、ユリアに声を掛けようとする。しかしその時、レーナが高笑いした。
「都合のいい時だけ、友達面をするのね! だからお嬢様は我儘なのよ、そんなのは遠い昔の話。今はレーナ、ユリアちゃんの事大嫌いだもん」
「レーナ……」
「ちょとは自覚してきたかと思えば、ケント君にべったりだったりあたしに執着したり、見ていて凄く不快なの。どっかに消えて欲しいわ」
ぞっとするような冷たい台詞だった。
俺は、自分が殴られたかのように立ち尽くした。全身の血液が凍ってしまったかのような寒気に体が震えたが、ショックそうに顔を歪めるユリアを見ると、それはたちまち沸騰するような怒りに変わった。
「おいレーナ!」
俺は叫ぶ。二人はそこで初めて俺の存在に気付いたかのように、同時にこちらを見る。ユリアは一瞬、救われたかのように顔に光が差したが、それはすぐに悲しそうなものに変わった。
レーナの方は相変わらず、ニヤニヤと酷薄に嗤っている。俺は罵りの言葉が口を突きかけたが、それをぐっと呑み込んだ。今は、ユリアと共に想いを伝える方が先決だと思い、ゆっくりと口を開いた。
「レーナ。ギデルはさっき、逝ったよ。君の逃げ場はもうない、大人しく投降するんだ。地下牢行きは確定だけど、罪をちゃんと償ったら、またユリアと……」
「やーだよっ!」
俺が言い終わらないうちに、レーナは声を上げた。
「さすがケント君、ギデルを倒しちゃうなんて凄いね。彼はもしレーナの手持ちだったら、魔物の王様になれるくらいだったんだけど」
「君は……知っていたのか?」
「そりゃ勿論。でも、レーナはああはならない。自分が魔物だか人間だか分からなくなって勝つんじゃなくて、余裕で、本気のあんたたちを倒さなきゃ気が済まない。自分で言うのも何だけど、レーナ、プライド高いんだ。だから、もう生温い手抜きなんかしないでちょうだい」
「ケント君……」
ユリアは、蹌踉とした足取りでこちらに歩いて来る。チュニックは一部が大きく切り裂かれ、その周辺に血飛沫の染みが散っていた。レーナが、反撃出来ない彼女に容赦ない猛攻を繰り出したのだろう。
俺は、彼女を労わるべく抱き締めようと腕を広げた。
その刹那、レーナの投げた短剣がユリアの足首を貫いた。
「きゃあっ!」
「ユリア!」
よろめく彼女を支えると、レーナはまた高笑いをした。
「そういうところだよ、ユリアちゃん。次は真っ直ぐ、背中から心臓を狙う。あんたが友達だって言ってくれるから、レーナも特別にお情けを掛けてあげるわ。苦しまないように、一発で仕留めてあげる」
「爆炎天翔斬!」
俺は耐えられなくなり、レーナに突進した。短剣は一本になったが、彼女は余裕ぶった笑みを消そうとしない。
「レーナは魔法も使えるのよ。……原義不明の混沌は、虚ろなる胞衣の孕みし奇形の夢……ドグラ・マグラ!」
彼女が詠唱すると、突然目の前に黒紫色の泥沼が現れた。勢いを殺しきれずに足を踏み入れると、そこから湧き上がった粘液のような泡が俺の周囲に浮かび、次々に爆発する。その度に、苦痛に悶える人面のエフェクトが次々に明滅した。
「うわああっ!」
「ケント君に何するのよ!」
ユリアが、やっと心を決めたようだった。足首に突き刺さったヴァルキュリアピアサーを抜いて投げ捨て、レジーナソードを振り被りながら走って来る。
俺を襲った魔法は解除されたものの、俺は連続したダメージで再起に手間取る。その隙に、レーナは短剣を振るった。
「コールドストローク!」
断続的な爆発により焼けつくような痛みに苛まれていた俺は、そこから一気に体温を下げられ、眩暈を感じた。
「激流推剣!」
ユリアが、俺のすぐ横まで到達する。レーナに向かって水柱を放つが、彼女はコールドストロークを繰り出したまま短剣を薙ぎ、その水流を空中で凍結させた。
「刀身が……」
特殊攻撃を行っていた刀身を凍結され、ユリアはその重みでか前方によろめきかけた。彼女の手から落下した氷が、足元でガラス片の如く破砕する。レーナは空いた空間を跳躍し、一気に彼女との距離を縮める。
「レーナ!」
砕け散った氷からレジーナソードを抜き、ユリアは更に刺突しようとする。が、その瞬間レーナが満面の笑みで短剣を薙ぎ払った。首筋を掻き切られそうになったユリアが大きく仰反ると、レーナは不意に笑みを消し、その胸倉を掴み上げるや否や顔を突き付けた。
「あんたさあ! いい加減にしてよ!」
頭突きしそうな勢いで、彼女は怒鳴りつける。ユリアはびくりと身を震わせ、無意識的な動きで彼女の瞳から目線を逸らそうとする。が、レーナは短剣の柄でその顎を押し上げ、強制的に自分と目を合わせた。
「あんたはあたしが、ギアメイスの村を出て行った後何をしてたの!? あたしが父さんや母さんを殺されて、親戚からも見放されて、デックアルヴの怪しい宗教団体に身を寄せるしかなかった時……独りで苦しんでいた時、あんたは何してたのよ! どうせ、何も知らないで笑っていたんでしょ。絶交した女の子の事なんて、もう考えようともしなかったんでしょ! そんな奴に、今更親友だの何だの、どうして言われなきゃいけないの!? ふざけないでよ!!」
俺は凍えながら、いつになく真剣な怒りを見せるレーナをただ見つめた。
レーナが、これ程までに感情を露わにしたのは初めてだった。今まで抑圧し続けていた彼女の心の闇が、ユリアとの最終決戦という局面まで来て遂に溢れ出したようだった。
「レーナ、私は……」ユリアが言いかけると、
「うるさい!」
レーナは、彼女に平手打ちを喰らわせた。床に倒れ込んだユリアを見下ろし、レーナはヴァルキュリアピアサーを構え直す。
「あたしね、もうあんたを放置しておけないの」
床に横倒れとなったユリアは、レジーナソードを杖代わりに何とか立ち上がろうとする。驚愕なのか後悔なのか、或いは懺悔なのか、彼女は掠れた声でレーナの名前を呼び続けていた。
俺は、レーナがユリアに攻撃しようとしたらすぐに動くつもりでいた。以前行ったように、火属性攻撃で体温が下がる前に体を加熱しつつ、突進を掛けるという方法もある。ユリアの望みとは違う形になったとしても、俺はユリアを失いたくない。それは決して、エゴであっても不純な動機ではないと思った。
だが、次にレーナが取った行動は、俺が全く想定しなかったものだった。
彼女は獰猛な笑みを取り戻し、ユリアに向けていた短剣の切っ先を──なんと、俺の方に向けたのだ。
「ユリアちゃん、あんたの目の前で、あんたの大切なものも奪ってあげる」
彼女は、ユリアの眼前で俺を刺殺するつもりのようだった。動こう、動こうとずっと思っていた俺だったが、今までの示唆から予想を斜め上に越えたレーナの動きに、俺は咄嗟に対応しきれなかった。
「ロイヤルホミサイド!」
──防御せねば、心臓を破壊される。
そう思ったものの、俺の脊髄反射は剣を振るう事よりも、目を瞑る方に働いた。短剣の先端が俺から三十センチもない位置まで迫り、俺は自我を取り戻してデュアルブレードを持ち上げる。間に合わないか。
俺が諦めに近い感情を萌芽させそうになった時、
「駄目───っ!!」
ユリアが、俺とレーナの間に滑り込んでレジーナソードを振るった。振り下ろされたその刃は深々と、レーナの左肩口から反対側の右腰までを斬り割った。
「あっ……」
反射的な行動だったらしく、ユリアは小さく悲鳴のような声を出した。
一秒後、レーナの白いワンピースが、噴き出した血液で真紅に染まった。レーナは呆然と口を開け、両の目を丸くしていたが、やがて全身の力が抜けたかのようにがくりと頽れた。俺に突き立てられようとしていた短剣を握る腕はだらりと垂れ、その体が前傾していく。
「レーナ!!」
ユリアは剣を放り出すと、レーナの前に屈み込んでその体を抱き止めた。膝から座り込み、自分の全身で傷口を押さえ込むように彼女を抱く。
俺が思わず覗き込もうとすると、ユリアは涙声で言ってきた。
「ケント君、人を呼んで来て」
「えっ、でも……」
「早く! そうじゃなきゃレーナが死んじゃうの!!」
彼女は叫んだが、俺は動けなかった。外では今、激戦が繰り広げられている。俺が上手く脱出してアーチェスレリアに行き、この傷を治療出来る専門の医者を呼んだところで、ここまで連れて来られる訳がない。それに、傷の程度から考えて、もうそのような悠長な時間は残されているはずがなかった。
ユリアも分かっているのだろう、ただレーナを抱き締め、小刻みに肩を震わせながら嗚咽を漏らし続けている。
その時、ぐったりとしていたレーナが微かに瞼を開いた。血の気の引いた唇が戦慄き、弱々しい声が紡ぎ出される。
「ユリアちゃん……あんた、馬鹿なの……? あたし、敵だよ……あんたの事……殺そうと、したんだよ……?」
ユリアは、激しく頭を振る。
「そんな事関係ないわ! レーナは友達だもん! 今じゃ敵になっちゃったけど、私の親友だもん!」
「ユリア……」
俺はやりきれない気持ちで一杯のまま、そっとユリアの肩に手を置いた。間接的にではあれど、こうなったのが俺の責任である以上、何も言えなかった。
暫らくの間、石室にはユリアの啼泣だけが谺していた。数十秒なのか数分間だったのかも分からない、しかし随分長い時間に感じられたその後、
「ユリアちゃん……」
レーナが、不意に声を出した。俺はその顔を見、はっとする。
彼女の目からもまた、涙が流れていた。ユリアはそれを見ると、血に塗れたレーナの手を取る。頰にそれを当て、「何……?」と促した。
「あたし……ね、ユリアちゃんの事……大嫌い、だったけど……」
声が、そこでフェードアウトした。
「大好き……」
それだけを言い残し、レーナはゆっくりと目を閉じた。二度と開かれる事のない瞼には、透明な雫が光っていた。ユリアは指先でそっとそれを拭い、自らはまだ泣きながら顔を伏せ、言った。
「私、もうこんなの嫌だよ……ギデルにもレーナにも、死んで欲しくなかった」
「俺もそうだ」
言い、俺はユリアの両肩に手を回す。彼女を慰める為、とは思ったが、俺自身もそうしていないと、泣き出してしまいそうな気がした。
「二人が、ヴェンジャーズに入っていなかったら……そう考えてしまうけど、彼らは望んで、自分たちの道を進もうとした。ヴェンジャーズの目的は挫きたい、でも彼らを出来るだけ死なせたくない──最初から、俺たちはその難しさに気付いていたはずなんだ。エゴが、俺たち自身の首を絞めたのかもしれない」
「だけど」
ユリアは目を擦り、俺の腕に指先を添えた。
「私たちのしている事、絶対間違いじゃないよね。そうだとしたら、あんまりにも二人が可哀想だもの……私たちが、勝手に救おうとして手を差し伸べて、それが届く前に切れた、なんて」
「ああ、絶対にそんな事はない。俺たちは、この道を歩き通すんだ。大丈夫、出来る事はまだあるから」俺は、顔を上げて彼女に言った。「地上に戻って、皆に言ってくれ。『幹部の二人は死に、ヴェンジャーズの指揮系統は崩壊した』って。ヴェンジャーズは、これで解散だって」
これ以上、犠牲者を出さないように。俺たちは、もうそれが叶うところまで来たのだ。それを先延ばしにするのは、俺たちの信じた線路で死んでいった彼らに対し、申し訳が立たない。
「分かった。ケント君も、絶対にガーディを止めてね」
「勿論だ。そして、生きて帰るから」
俺はユリアに応えると、立ち上がった。彼女が身を翻し、石室を元来た方向に戻って行くのを見届け、反対側の出口から更に奥へと進む。