『ブレイヴイマジン』第7章 オープンゲート⑤
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血塗れの彼を二人掛かりで背負い、「雨傘の唄亭」に入ると、受付に居た支配人は驚いたような顔をしたが、すぐに医者を呼んでくれた。俺とアロードが応急手当てをしたのが功を奏したらしく、輸血と傷口の縫合を行った後で、命に別状はないと告げられた。
ルクスには、彼が覚醒した後で俺たちの次の目的を伝え、先にアーチェスレリアに向かって貰った。仲間ではない、あくまで利害関係による契約、と何度も言っていたものの、彼はゼドクの身を案じて「彼が目覚めるまでここに居る」と主張したが、アロードはそんな彼を一喝した。
「ゼドクは、俺たちが絶対に死なせたりしねえ!」
彼はそう言い、ついでに俺たちがまだロゼルと行動を共にしている事、彼女がアーチェスレリアに居る事を告げると、ルクスはようやく去って行った。アロードにも、彼の口から道々説明して欲しいと言い、一緒にユリアたちの元へ向かわせた。
三時間後、宿の一室にてゼドクは目を覚ました。
「ここは何処だ……? 天空の、神々の園ならば、誰か答えをくれ……冥界ならば……その宿命も、俺は許容する……」
俺はほっと息を吐き、「ここは現世だよ」と囁く。彼はちらりと目を上げ、ケント、と俺の名前を呟いてから長い呼吸をした。
「そうか……という事は、この生者の世から消されゆく我が生命を、羂索にて再びこの世に繋ぎ留めしは、お前か?」
芝居がかったような台詞は、彼の標準語なのだろうか。さっきまで死にかけていたにしてははっきりした声で、ゼドクは尋ねてきた。
「ああ。君はヴィーヴルと戦って、大怪我をしたんだ」
「死生命を掬い上げてくれた事には、礼を言う。しかし、一体何故ここにお前たちが居るのだ?」
彼に言われ、俺たちがゼドクに協力を求めに来たという事を思い出した。あまりにも事態が急転し、その後安堵した為失念してしまうところだった。
「ヴェンジャーズが……ガーディさんが、チャクラバルティンで世界を壊滅させようとしている。あと、魔王ディアボロスの招喚も。今、世界樹の警備隊が彼らに攻撃を受けているんだ。止めなきゃ……」
「そうだ、賊どもが樹に……!」
俺が言いかけた時、ゼドクががばりと身を起こした。痛みがまだ抜けていないらしく腹を押さえたが、意志の強さからか立ち上がってからの足取りはしっかりとしていた。彼は入口のラックに掛けておいたジャケットを羽織り、棚の上のクリアレストライトを取って廊下に出る。
「あ、待ってよゼドク!」
俺は慌てて追う。しかし、彼は見向きもせず階段を降りた。
「無茶だよ、まださっきのヴィーヴルだって近くに居るだろうし、その体であんな大軍を相手にするのは! 俺たちも、目的は同じなんだ。だから今回も、協力して戦わないか?」
「断る」彼はすげなく言った。「セイバルテリオで俺は、孤高を貫くという信念を曲げてお前たちと長期間に渡って行動を共にした。これ以上の共闘は、流浪の士としての俺の役回りを拡散させかねない」
受付の前を通り、外へ出て行く。支配人があっと声を出し、俺たちを呼び止めようとしたが、俺は答える余裕もなくゼドクを追って外に出た。彼はそこまで来ると、苛立ったように振り返って俺の襟首を掴んだ。
「これ以上群れる事は、俺の操に反するんだ!」
「何だよ、それ!」
俺は、無意識のうちに叫び返していた。そこであっと我に返りかけたが、俺は感情に自分を委ねようと判断し、言葉を続けた。
「誰でも彼でも、死んでもいいって覚悟で戦うのが格好良いと思ったら、大間違いだよ。さっきみたいに自殺同然の戦い方をして、大怪我をして人に迷惑を掛けるのが君の操か? 行動原理か? 違うだろ、君は世界の為に戦い続ける、俺たちと同じ志を持った勇者なんだろう!」
「俺は、お前たちとは違う。一緒くたにするな」
「俺たちには、仲間が居るから? 一人で戦えないからか? 君だって、ルクスが居なきゃ戦えないはずだ。そしてそれは、絶対に単なる利害関係なんかじゃない。君がどう思っていたって、君が倒れた時、ルクスは心配していた。君の事を、大事に思っている証拠だ。俺たちだって、君が死んだら悲しむ。自分が認めないからって、誰も君の為に悲しまないなんて、悲劇を気取るんじゃないよ!」
そこで、熱が入りすぎていた事に気付く。俺こそ、他人の生き方に容喙するような傲慢な台詞を言っている、と思い、小声で謝った。
「偉そうな事を言って、ごめん。だけど俺には、君のやり方が分からないよ。どうしてそんなに、仲間を作る事を拒絶するの? 確かに、孤高の士として戦い続けるのは格好良いかもしれないけど、自分一人じゃ出来ない事を仲間に求めて、仲間の出来ない事を自分が助ける、そんな関係だって、素敵な事だと思うよ。俺、今までずっと独りだったから……」
「………」
ゼドクは、暫し俯き気味に緘黙を続けていた。が、やがて小さく零した。
「喪失を、心から恐れているからだ。……失う事が、怖いんだ」
「えっ?」俺は、思わず耳を疑う。全く、予想していなかった答えだったのだ。
「話せば、俺の生い立ちから語る事になるが?」
「頼む。教えて欲しい」
俺が食い下がると、彼は訥々と語り出した。
「俺が生を受けたのは、巨人国マクロンティアとミッドガルドの国境、ユートゥンハイメン山脈の麓の小さな村だった。その名はヴェスカトラス、人里離れた場所で知る者も少ないが、劇団の養成が盛んだった。俺の父母も役者であり、幼い頃は彼らの演じる芝居ばかりを観ていた。
故に俺は、つい最近までお前たちの言う『標準語』とやらが、本気で分からなかった。今では直そうと心掛けているが、どうだ?」
「直っていないね……多分」
ゼドクが自らに課したキャラクター付けではなかったのか、と思いながら、俺は肯いた。それから、ヴェスカトラスという村は、日本でいうところの宝塚に相当するのだろう。彼が芝居の台詞じみた言葉を話し、人生を劇に喩えていた理由もよく分かった。
「二親はどちらも、俺が幼かった頃に事故で神々の元へ召された。魔物の顎から逃れようとし、崖から転落したらしい。孤児となった俺は劇団に引き取られ、日々をシナリオの中で過ごした。元々、ゼドクなどという叙事詩の主人公めいた名だったのもあり、俺はたちまち演劇の世界の住人となってしまった。元々、素で芝居の台詞が口を突く子供だったからな。
同時に、物語の中に登場する英雄に強い憧憬を抱いた。いつか現実でも、英雄としてマクロンティアの巨人族と戦いたいと思っていた。当時は、巨人族は人間に害悪をもたらすと信じられていたからな」
「今じゃ、人間と巨人族は和解しているけどね……」
旅の途中で、ユリアに教えて貰った事を思い出す。
「その唾棄すべき偏見が、破局を招いた。ある日、対巨人国戦線がマクロンティアの首都ウートガルドに攻め込み、次なる巨人国の王ウートガルザ・ロキを殺してしまったのだ。巨人たちは怒り狂い、界廊を渡って山脈を越え、ヴェスカトラスへと押し寄せてきた。劇団の、かつて俺の友だった者たちは皆、巨人の手に掛かって命を落とした。俺も大怪我をしたが、非情にも生き延びてしまった。故に……」
ゼドクは不意に顔を歪め、深く俯いた。
「俺はもう友を……大切なものを失いたくないんだ……!」
これ程感情を表に見せた彼は初めてだ、と思いかけた時、俺はふと既視感に襲われた。少し考え、瞬時に思い出す。
ヴェンジャーズ本拠地にて、コーディアが父マンティスを看取った時、彼は目を伏せ、痛みを堪えるように俯いていた。あの時彼は、自らのかつて経験した痛みを想起して、苦しんでいたのだ。
「もしかして、ルクスと会ったのもその頃?」
「ああ。巨人に殺されかけた俺は、森に逃げ込み、ランストゼルドの村外れで力尽きてしまったのだ。その時、消え逝く生命をこの身に繋ぎ留めてくれたのが、ルクスだった。その時俺は、壊滅した村を目に焼き付け、もうこの苦しみを味わうのは嫌だと思った。喪失した穴を、喪失のまま保つ事に決めた。失わない為に、最初からもう誰とも打ち解けまいと誓った。俺を助けてくれたルクスにすら、最初の一ヶ月間は口すら利かなかったのだ。
俺は力を欲した。仲間を作らずに生きようと決めたから、己が身は己で守らねばならない。クリアレストライトを手に入れ、盗賊や森の魔物を相手にひたすら戦闘訓練を積んだ。そして初めてルクスに掛けた言葉が……」
彼は言葉を切り、ゆっくり、絞り出すように続きを紡いだ。
「『俺と契約せよ。俺は汝の力を以てして、現世に蔓延る悪を誅戮する。汝は我が身を依り代とし、魔を狩れ。これは双方の利を追求した契りであり、永久の絆という馴れ合いを意味するものではない』。……滑稽だろう。俺は生涯という舞台に於いて、台詞を忘れる事は能わぬのだ」
「ゼドク、君は」
「話は以上だ」俺の言葉を遮った彼の声は、いつもと同じ鋼のようなものに戻っていた。「俺は、今まで他人には絶対に言わずにいた事を、お前に明かした。お前は、それだけのものを暴いたのだ。それを理解しろ。……これで、理由は全て話した。さらばだ」
上げられた顔には、また鋭い表情が浮かんでいた。
俺は、瞬時に躊躇った。それは彼の言葉を聴くうちに、俺の心の中で頭を擡げ始めた決意だった。これを明かす事が、この世界の住人である彼らにどのような影響をもたらすのかは分からない。マルチバースの存在を知るルーラーが、俺を危険視するかもしれない。
だが、俺が迷ったのは一瞬だけだった。決心し、ゆっくりと声を出した。
「ゼドク、俺は……本当は、この世界の住人じゃないんだ。フロントワールドっていう、異世界からルーラーに派遣されたアポストルで……言ってしまえば、局外者なんだよ」
俺が言った時、ゼドクははっと目を見開いた。口元が、数回小刻みに震える。だが俺は、彼が口を開こうとするのを手で制し、続けた。
「この世界を救ったら、俺はフロントワールドに帰らなきゃいけない。それは、この世界で出会った全ての人とのお別れを意味している。そしてきっと、もう二度とここには戻って来る事は出来ない」
「戻る……それは、その場所が自らの居場所と認める事だ」
「君やアロード、シルフィやユリアと一緒に居るこの場所は、間違いなく俺の居場所だよ。それくらい好きになった世界を、俺は失う。だけどね、俺はこの世界で皆に出会った事、後悔した事なんてない」
「ケント……」ゼドクは、小刻みに首を振った。「お前は何故、そこまで強い? 恐れずにいられる? 失って後悔する友は、居ないのか?」
「分からないよ。俺、今までずっと人見知りで、シャイで、コミュ障で、友達と呼べる人なんて居なかった。そんな世界で気を張って生きる事に疲れて、逃げた。毎日に疲れて、独りで腐り続けていた。
だけど、それでもこの世界での出会いが──少し考えてみれば、いつか失ってしまうって分かるはずの出会いが、本当に嬉しいものに感じられたんだ。……ゼドク、出会いと別れを繰り返すのは、この人生のストーリーだろう?」
「………」
「仲間たちは、俺の目の向く先を変えてくれた。出会う事は決して、それを失う苦しみが増えるだけじゃないんだって。だから」
ここが正念場だ。俺は彼に歩み寄り、こちらよりも少し高い位置にある彼の肩に両手を置いた。
「ゼドク。また、俺たちに協力して欲しい。そして、今度こそ本当の仲間になって欲しい。ルクスを信じて欲しい。自暴自棄な戦い方は、もうやめて欲しい」
ゼドクは黙っていたが、やがて睫毛を伏せた。その毛先に雫が光るのが見え、俺ははっとする。彼は、静かに涙を浮かべていたのだ。
「俺も……」肩に置かれた俺の両手を、そっと自分の両手で握る。「俺も、お前たちのようになれるか? 幾星霜もの間孤独に満たされていた、黒白の年月をやり直せるのか?」
俺は、釣られて涙を浮かべながら何度も肯いた。
ゼドクは姿勢を正すと、吹っ切れたように笑った。
「ならば、俺は再び、お前たちと共に戦おう。今度は仲間──友として」
「ありがとう、ゼドク」
その時の俺の笑みは、恐らく今までの十七年間のうち、最大のものだった。
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それから俺たちはアーチェスレリアに戻り、ルクスに詳しい事情を説明した。彼は最初こそ驚いてはいたものの、ゼドクが「改めて友になってくれ」と右手を差し出すと、すぐに笑顔でその手を握り返した。
「宜しく、相棒」