3掛けられた呪い(3)
朝食もとらず家を飛び出したニーナは、そのままルイの稽古場へ走った。
前世でのルイは朝のこの時間、いつも剣の稽古をしていた。
それは旅に出る17歳まで変わらず、一日も欠かすことなく続いたと聞く。
加えて一般教養や魔法大使による専門的な座学の他に、魔法の実践修行、筋力強化のための鍛錬、各国の情勢把握や人々との交流など、ルイは勇者としての努力を決して怠らなかった。
その真面目さと人柄は人伝いに世に広がり、「ルイ・フリージアほど勇者に相応しい人はいない」と、各国から声望を集めたほどだ。
朝が苦手なニーナでさえ、ルイのその姿を見ようと週に2度は早起きをしたものだ。
ルイが剣を習うのはジャスミン家とフリージア家の裏手にある空き地で、そこに剣術の老大家を招き稽古をつけてもらっている。
空地へ走っていく際、まるで骸骨のような化け物とすれ違ってニーナはぎょっと二度見した。
けれど腰に差す剣と歩き方の特徴から、その化け物が例の老大家だと早々に確信を持った。
前世では週に2度顔を合わせてきたこともあり、歩き方の癖やいつも所持している武器に見覚えがあったのだ。
相手の特徴を瞬時に見抜く、ニーナには殺し屋の習性が今もしっかり染み付いていた。
化け物になっても母と父だと疑わなかったのも、今思えばそのおかげだったのかもしれない。
老大家とすれ違ったということは、丁度稽古が終わったのだろうか。
前世の記憶が正しければ、まだ終わるには少し早い時間だけれど。
駆けこんだ空地には、8歳のルイの後ろ姿があった。
1人でいるということは、やっぱり稽古は終わったみたいだ。
「ルイ!」
息を切らして駆け寄ったニーナは、呼吸を整えるために一旦伏せた顔を上げてルイを見る。こちらに振り向いたルイの姿は――
「ニーナ、おはよう」
「……」
拍子抜けしたのか、今回ばかりは驚きの声も聞こえない。それもそのはず、目の前にいる次期勇者は牙が生えているわけでも骸骨でも三つ目でもない。ルイの姿は、無色透明なのだから。
人気のない空地の中、剣術の稽古着がひとりでに動いているように見える。顔も首も手も、肌という肌がなにも見えない。おまけに、髪の毛も。透き通るような黄金色に薄いブラウンを混ぜたようなルイの柔らかい髪の毛は、ニーナの瞳にたったの1本も映っていなかった。
けれどそんなこと、今のニーナにはどうでもよかった。
「ルイ、いるんだよね? そこにちゃんといるんだよね!?」
「どうしたんだニーナ、変なことを言って」
「っ~~~…………ルイーーー!!!」
「うわあ!?」
喜び勇んで豪快に飛びついたニーナの勢いは凄まじく、ルイは地面に尻餅をついた。それでも離れないニーナは土埃のついた稽古着に頬をぐりぐり撫でつける。
透明で顔が見えなくても、ルイが生きてここにいる。それだけで飛びつかずにはいられないほどの喜びをニーナは感じていた。
「よかった、よかった……ルイが生きてる!!!」
「な、なにを言って……」
ルイが困惑しようとも、ニーナの喜びはおさまらない。
まだ同じくらいの体格のルイを、ぎゅぅっと力いっぱい抱きしめ続ける。
(神様ありがとう! ルイにまた会えた! 自意識過剰で態度が大きいなんて思ってごめんなさい! ありがとう神様、大好き!!)
抱きつくことに満足すると、ニーナはルイの体がどうなっているのかやっぱり気になってくる。
体を離して顔を覗き込むけれど、どの角度から見ても透明だ。顔が透けて、向こうの景色が見えるだけ。
それでももっと近づけばなにか変化があるかもしれないと、ニーナは更に顔を寄せた。
「ち、近い! 顔がくっついてしまう……!」
「大丈夫、透明だからくっつかないよ!」
「さっきからなにを言っているんだ、ニーナ……っ」
いくら次期勇者とはいえ、ルイは弱冠8歳。
今は表情こそ見えないものの、ニーナに顔を寄せられて恐らく赤面しているだろう。
やっぱりなにも見えないことを悟ると、ニーナは身勝手に顔を離した。
「ルイ、この後は魔法のお稽古?」
「いや、家に戻って少し休むよ」
「え?」
立ち上がりながら答えたルイに、おかしい――ニーナはすぐにそう感じた。
前世でのルイに『休む』時間なんてほとんどなかったはずだ。
いつも険しい顔をして勉学や稽古に明け暮れ、休みと言っても近隣国の視察や人々との交流に精を出していた。
次期勇者だからといってそこまでしなくていいのでは?というほど、ルイに気が休まる時間なんてなかったのだ。
少し不思議に思いながらも、こうして稽古を続けているのだから特に踏み込むことはせず、ニーナは次の話を切り出した。
「ルイ、話があるの。すごく、すごく大事な話だから聞いてほしい」
「大事な、話?」
斜めを向いていたルイの足先が、真っ直ぐとニーナの方を向く。大事な話を真剣に聞く意思表示を受け取って、透明な顔の、なるべく目の辺りを見てニーナは伝えた。
「お願い、勇者になるのを諦めて!」
ルイが勇者にならなければ、この先死なずに済むかもしれない。
もし勇者になったら、冬の国のアリッサム岬でルイはまた命を落とすかもしれない。
それを回避する1番の近道は、ルイが勇者にならないことだ。
「なんだ、話ってそういう冗談か」
「違う、冗談じゃなくて本気で言ってる」
「ニーナ。僕が勇者にならなくて、一体誰が魔王を倒して世界を平和に導くんだ」
「それは……私! 私が代わりに魔王を倒すから!」
殺しの技術が魔王に通じるかはわからないけれど、試してみる価値はある。
ニーナは本気で考えた。
「どうしたんだニーナ、さっきから変だ。いや、変なのはいつものことだけど、今日はとびきりおかしなニーナだ」
どこか心配するように、稽古服がニーナに寄り添う。
透明で見ることはできないが、恐らく顔を覗いて様子を気にかけているのだろう。
「……だって」
――だってルイは、冬の国で魔王を倒す前に殺されてしまうの。
本当のことを伝えるべきか、それとも黙っているべきか。ニーナは懸命に考え、答えを出した。