2掛けられた呪い(2)
「…――い、――おい」
誰かがニーナの頬をぺしぺし叩いている。一体どんな夢を見ているのか、それでもニーナは「デヘヘ…」と頬を緩めて眠りこけていた。
「いい加減起きろ、ニーナ・ジャスミン。死んだからといって寝すぎであるぞ」
「……………………はっ、死!」
ニーナは『死』という言葉を寝惚けた脳内で咀嚼したあと、琥珀色の瞳をぱちりと開けた。開いた瞳に映ったのは、見知らぬ人物がニーナの顔を覗くようにして見下ろす姿。
銀色の長い髪が顔にかかってくすぐったい。
(誰? 顔が近い……あと、髪が長すぎると思う)
「やっと起きたか。待ちくたびれたぞ」
目覚めたのを確認したその人物は、長い髪とともにニーナの顔から離れていった。
陰っていた視界が開けたことでニーナも体を起こし、自分がいる場所が終わりの見えない白い空間ということを知る。
切れ長の鋭い瞳を妖しく光らせ、中世的な顔立ちの人物は空間にただ1つだけある玉座のような椅子に腰かけた。足を組み肘掛けに頬杖をつくその態度から、謙虚さの欠片も持ち合わせていないことが伺える。
「ええと、あなたは」
「これほどの美貌を持つ者は<神>以外におらぬであろう?」
目の前の人物が神ということを、ニーナはすぐに受け入れた。
ここまで自意識過剰で態度が大きいうえ、妙なオーラを放つ人間を確かに見たことがないからだ。
なにより、あの時自分は死んだはず。そのあと行きつく先なんて、神の元か天国か地獄以外にないだろう。
寝起きの頭だとしても、最期の記憶はハッキリしていた。
自分の首を斬るなんて強烈な出来事なのだから当然だけれど、首に触れても傷がないことにこそニーナは強烈な驚きを持った。
「死んだ人は全員神様に会うんですか? 天国行きか地獄行きか決めてもらうとか?」
「大抵のものはここには寄らず無に返る。お前の場合なにか強い想いがあって、ここへ迷い込んだのであろう」
(強い想い……)
ハッ!と息をのんだニーナは曲がりなりにも神の胸ぐらを豪快に掴み引き寄せた。そんな乱暴な扱いを受けたこともなかった神は、自慢の美を一瞬崩し目と口を実に間抜けに開けてしまった。
「ルイは! あのあとルイはどうなったの!?」
「か、神相手になんと無礼な」
「教えて神様! ルイは無事なんだよね!?」
ニーナの手を煩わしそうにぱしっと払い、神は乱れた髪を整える。
「あの男は無に返った」
「それは、つまり……」
「殺し屋に命を奪われた。現在、勇者が死んだ世界は魔王に支配されておる」
ニーナはその場にへたり込んだ。
生きていてほしかった、助かってほしかった。……その願いは叶わなかった。
「戻りたいか?」
続いて襟元を正し終えた神は、魔法のように無から葡萄酒を生み出しご満悦に嗜み始める。
「丁度ヒマを持て余していたところだ。戻してやってもよいぞ、過去に」
「ほ、本当?」
「ただし、これまでお前は殺しという悪事を繰り返してきた。その罰として、死に戻った先では呪いつきの人生を歩んでもらうとしよう」
実に愉快そうに神が笑う。
罰なんて言っておきながら、人の生死も人生も、神にとっては退屈しのぎの駒にすぎないのだと、質の悪い薄い笑みが物語っている。
それでも迷いはなかった。
ルイを死なせないために(あと、ルイのお嫁さんになるために)、ニーナは神に縋り、願った。
「神様お願い、私を戻して! あと、ルイと結婚させて!」
「……なんと図々しい。――全てはお前次第じゃ、ニーナ・ジャスミン。決して忘れるな。どんな世界が待っていようと、立ち向かわなければ現実は変わらぬことを」
神の言葉に頷いた瞬間、白い光が辺りを包む。
耐え切れない眩しさに目を閉じると、ニーナは再び眠りの世界へ落ちていった。
*****
「ルイ! ルイはどこ!?」
次に飛び起きた時、そこはベッドの上だった。
辺りを見渡せば見覚えのある壁紙と窓、けれど自分の部屋よりもどこか幼い印象を持つ。
(ここは、私の部屋……?)
「おはようニーナ、起きてたのね」
「ぎゃあ!!?」
母の声に顔を向けた途端、ニーナは悲鳴を上げてベッドの上で飛び退いた。
「ば、化け物……魔物……っ」
「ひどいわニーナ。まだ化粧前だからって、ママを化け物扱いするなんて!」
決してそういう意味で言ったわけではない。
ニーナの目には、母が本当に化け物のように見えているのだ。
顔は真っ黒で目が3つ、口からは牙が生えている。
けれど声は確かに母で、なにがなんだかわからない。
「今日からパパが殺しの基礎を教えてくれるから、少し早めに朝ご飯食にしましょう」
部屋のカーテンをシャッと開けて出ていく化け物を、一瞬も目を離さずに見送った。
警戒しているわけでも殺しの隙を狙っているわけでもない。
だって、あれは本物の母だ。
親子だからだろうか、ニーナにはそれが直感でわかった。
(でも、どうしてあんな姿に。それに殺しの基礎って……)
基礎はとっくに教わったはずだ。
ニーナは早々に殺しの才能を開花させ、14歳にして独り立ち、17歳の頃にはトップクラスの実力者になっていたのだから。
どうやら死に戻りには成功したようだ。
けれど今がいつなのか、どの時点に死に戻るのかまで神に聞く余裕はなかった。
まさか――と、慌てて鏡の前に立つ。
「小ぃっさ!?」
鏡に映る姿は、どう見ても17歳ではない。毛量の多い赤毛こそ変わらないものの、ぺたんこの胸にぺたんこの鼻、ぐっと伸ばしても手足は短く、背丈だってずいぶんちんちくりんだ。
「ママ、ママ! 私って今何歳!?」
慌てて部屋を出て階段を駆け下りながら聞くと、食卓テーブルにフォークとスプーンをセットした母が振り向く。
「なに寝惚けてるの? 先月8歳のお誕生日を迎えたでしょう」
(は、っさい……)
あまりの衝撃に、母の顔が化け物である衝撃が薄れる。
そのまま辺りを見渡せば、リビングと繋がるオープンキッチンで菓子を焼く父の後ろ姿が見えた。
父が焼いた菓子を母が店頭に立って売る。
殺しの仕事が父に入れば臨時休業、母に入れば父が店番もこなす、ジャスミン家はそうして店を営んでいる。
「おはようニーナ」
「ぎゃあ!!?」
後ろ姿こそいつも通りの父は、振り向いたら化け物だった。まるでピエロのような顔でニーナに微笑みかけている。
ニーナは悲鳴を上げ尻餅をついたものの、本来なら魔物や化け物に対する耐性は人並み以上にはあるはずだ。前世で殺しの任務中、遭遇した魔物を倒したことが何度かあるから。
けれど両親が化け物になっているというのは、さすがに心臓に悪すぎるのだろう。
「ニーナ、まだ寝惚けているのかい?」
「……う、うん。そうかも!」
「じゃあこれをお食べ。美味しいものを食べれば目も覚めるさ」
父はニーナの前にしゃがむと、焼き立てのクッキーを口元に運んだ。濃厚なバターの香りに誘わてあむっと大きく頬張れば、大好きな味が口いっぱいに広がる。
(パパが焼いたクッキーの味。……化け物に見えるけど、やっぱりパパなんだ)
それにしても、どうして両親が化け物に見えるのか……。
尻餅をついたまま考えを巡らせ、ニーナは神の言葉を思い出す。
――『これまでお前は殺しという悪事を繰り返してきた。その罰として、死に戻った先では呪いつきの人生を歩んでもらうとしよう』
これは呪いだ。
きっと、自分以外の人類全てが人ならざるモノに見える呪いだ。
それなら、ルイのことはどう見えるのかニーナは気になって仕方なくなった。
「私、ルイのところに行ってくる!」