1掛けられた呪い(1)
「ニーナ、そこをどいてくれないか」
「私を魔法使いとして勇者のパーティーに入れてくれるなら、この道を喜んで譲りましょう」
「――そうか」
勇者が旅立つ森の入り口。
そこまで言うなら仕方ない――とでも言いたげに深く息を吐いた勇者ルイは、鞘から取り出した剣を容赦なくニーナに突きつけた。
「ならばニーナ・ジャスミン、君を斬ってでも押し通る!」
「!?」
(な、な、な、、、なんでーーー!? こんな未来、聞いてない!)
これはへっぽこ魔法使いニーナと、勇敢で透明な勇者ルイの命を懸けた死に戻りラブコメディだ。
*****
――時は遡り、記憶の彼方。
『ごきげんよう、ニーナ・ジャスミン。貴方への依頼よ、ポッポー』
夜の窓辺に止まった一羽の鳩は、『この依頼書に詳細が書いてあるわ』とだけ告げていつものように飛び立った。
(今日も殺しの依頼かあ。そんなことより、ルイとの婚姻届け持ってきてくれないかな。はあ~、神様、いつか私をルイのお嫁さんにしてください。よろしくお願いしたからね、神様!)
毎日願うことを今日も相変わらず願い、ニーナ・ジャスミンは窓辺に置かれた依頼書を手に取る。
【14日後の日没にて】――その文字と共に、とある地方の地図に赤丸が記されていた。
「え、情報これだけ?」
いつもならターゲットの名前、年齢、性別などの特徴が書いてあるはずだ。なにか暗号があるのかと月明かりに当ててみたり木筆で塗り潰してみるけれど、変化はない。
火で炙るのは昔ボヤ騒ぎになりかけたから今日はやめとく。
(とりあえず、ここに行けばターゲットがいるってことでいいんだよね?)
赤丸が記されているのは冬の国にあるアリッサム岬。ニーナ・ジャスミンが住む春の国の中心都市クレマチスからは、馬車を使っても10日間はかかるだろう。
道中魔物に遭って時間を取られることを考えれば、明日にでも出発したほうがいいかもしれない。
深く考えず納得したニーナ・ジャスミンは電気を消し、早朝の出発に備えて眠りについた。もちろん、日課であるルイとの将来を「デヘヘ…」と妄想しながら。
【ニーナ・ジャスミン】――通称ニーナは春の国の菓子屋の一人娘として生まれた。しかしそれは仮の姿、ジャスミン家は代々暗殺業を生業にしている殺し屋だ。
「ニーナ、この世界には罪の意識もなく悪事を働く者がたくさんいるんだ」
「そんな悪い人たちをこっそり消す、そして世界を平和に導くのが私たちジャスミン家の仕事なのよ」
幼い頃に聞いた両親の言葉はニーナの胸に深く刻まれた。
世界を平和に導く、それはまるで勇者ではないか。
幼い頃から殺しのノウハウを真摯に学び、齢17にして彼女は各国に散る殺し屋の中でもトップクラスの実力者となった。けれど今となってはニーナの関心はすっかり幼馴染のルイに向いている。
恋に焦がれる17歳の純情な殺し屋だ。
だからこそ今回の依頼を疑問に思うこともなかった。いくらトップクラスの実力があっても、春の国から遠く離れた冬の国での依頼は初めてだというのに。
わざわざニーナに依頼が来るということは、相当の悪事を働いた世界的な大物か、もしくは突出した強さを持つ相手がターゲットということだ。
早朝に支度を済ませたニーナは家を出て馬車に乗った。
夏の国に入る前に2度魔物と対峙し、夏の国を出たところで4度、秋の国では数え切れなほどの魔物を倒した。
そうして冬の国の最南端に位置するアリッサム岬に到着したのは、依頼を受けてから丁度14日後のことだった。
年間平均気温マイナス20度。太陽が顔を出すことは極めて稀で、1年のほとんどが猛吹雪、時々雪。冒険者の3分の1は魔物ではなく寒さに凍えて命を落とすと言われている広大な冬の国で、ニーナは暴風雪のなか平然と立っていた。
(まさか到着までこんなに時間がかかるとは……。ルイと結婚する前に、遅刻して組織に抹殺されるところだったじゃない)
冬の国に向かってわかったことがある。
ニーナが思っている以上に、この世界は魔王軍に侵略されているということだ。
魔王城がある冬の国から一番遠い春の国は、比較的平和が保たれている。
だからこそニーナの家系のように、途切れることなく家業を引き継ぐ者たちが多くいる土地でもある。
けれど他国はどうだろう。
冬の国に近ければ近いほど、人々は魔王軍に怯えて暮らしているではないか。
(でも、そんな生活もあと少し。だってルイも勇者として、今頃冬の国にいるはずだから。……ふふ、ふふふふふ。同じ国にいると思っただけで体が熱くなっちゃう)
幼馴染のルイ・フリージアはジャスミン家の隣に住む幼馴染の男の子。
フリージア家は代々勇者の家系として世界に名を残す名家であり、魔王の封印が解かれる100年に1度その務めを果たす。
年頃の息子を勇者として旅立たせ、仲間と共に魔王城を目指すのだ。
そして今がその100年目、17歳の誕生日、ルイは仲間と共に旅立った。
ニーナのように目的地までの最短距離を進むわけにはいかず、勇者一行は各地を回り魔王軍の侵略を阻止しながら旅をしている。
順調に進んでいれば、数ヶ月かけて今頃魔王城があるこの冬の国に到着している頃だろう。
「はーあ! 会いたいなー、ルイ」
岬の先端に立ち、吹き荒れる暴風雪のなか海を眺めて独り言をこぼす。
「ニーナ?」
聞こえた返事に驚いたニーナは、後ろに立っていた人物を見て目を見張った。
「ルイ!!」
数ヶ月ぶりの、運命みたいな再会に心が弾む。けれどそれも束の間、ニーナは焦った。
ニーナが殺し屋だということをルイは知らない。つまり今から殺しが始まるこの場所にいられては困るのだ。
なにを言って誤魔化そうか、どうやってここから立ち去ってもらおうか。
必死に頭を巡らせるけれど、そんなことを考える必要はなかった。
「ニーナ……呆れたな、まさかこんなところまで僕を追って?」
ルイがそう思うのも無理はない。恋に焦がれるニーナは、ルイが旅に出る前はいつもあとを追っていたから。
「ううん、そうじゃなくて――」
「なんだっていい、ここにいられては迷惑だ。大人しく帰ってくれ、今すぐに」
心底呆れるような声で告げ、ルイは背を向け歩き出した。
ルイはいつもそうだ。なにかとニーナをあしらっては必要以上の距離を取る。しかもそれは、ニーナが恋心を抱くずっと前からだ。今思えばルイへの想いを自覚したのも、冷たくされてショックを受けたことがきっかけだったのかもしれない。
こんなに遠く離れた国で再会すれば、普通なら驚いて距離を詰めてくるはずなのに。ルイに関してはここがどこだろうと態度は一切変わらない。
(ルイ……)
勇者であるルイは幼少期から勇者たる振る舞いを教え込まれてきた。
それゆえ誰にでも分け隔てなく親切で優しく、笑顔を絶やすことはない……はずなのだ。
ふわっと柔らかそうな髪と澄んだ碧眼はそれだけで女性の心を射抜き、鍛え上げられた肉体を羨む男性も多かった。
ルイの周りには昔から人が集まる。集まった人にルイは当たり前のように心からの笑顔を向ける。
けれどその笑顔がニーナに向いたのは……思い出すにはもうずっと幼い頃まで遡る必要があるだろう。
嫌われているのかもしれないと、ニーナは幾度も思った。それでもルイを想う気持ちを止められず、自分の乙女心こそを幾度も恨んだ。
『ポッポー!』
ニーナの肩に鳩が降り立つ。
『なにをしているのかしら。早く殺りなさい、ポッポー』
「でもまだターゲットが見当たらなくて」
『ターゲットならあそこにいるでしょう?』
見渡しても立ち去っていくルイの背中しか見えない。
「私には彼しか見えません」
『ええ。彼がターゲットよ、ポッポー』
(……え?)
ザクっと音がする新雪を踏みしめたルイは、そこで足を止め振り向いた。
ニーナが誰かと話しをする声が聞こえて不審に思ったのだろう。
ルイの目に映るのは、吹雪の中一歩も動かず固まるニーナの姿。
既に十数メートル離れた場所からでもわかるほど、ニーナは凍り付いたように動かなかった。
まさか本当に凍っているわけではあるまいと、ルイの足は自分の足跡を辿るように引き返していく。
「どうした?」
遠くから声をかけても返事をする様子はない。
「ニーナ?」
ニーナにはまるで届かなかった。
頬に打ち付ける雪の冷たさも、豪快に髪をさらう強風も、耳をつんざくような暴風音も……
それどころかルイの声も今のニーナには届かない。
……ルイ・フリージアがターゲット。
そう言われたことだけが頭の中でこだましていた。
「……どうして、ルイが」
『それは言えない契約ポッポー。さあ、殺りなさい』
ニーナの懐にはいつも使う鋭いナイフが二本入っている。
この吹雪の中なら3秒あれば気づかれずに近づいて、気づかれぬうちに仕留める自信がニーナにはあった。
いくら相手が勇者でも、人相手の殺しなら負けるわけはないと確信している。
――けれど。
「……………………できません」
3秒がとっくに過ぎても、懐に手を入れることすらできない。
ルイを殺すなんてできるわけないと、ニーナはそれこそを確信していた。
『できない? その場合のペナルティは承知の上、ポッポー?』
「……承知の上、です」
声が震える。足が震える。寒いからじゃない。
依頼を遂行できない場合、家族や友人に危害が及ぶ契約だ。それを回避する手段は1つ。――この場でニーナが自ら命を絶つこと。
今になって懐に手を忍ばせ、鋭いナイフを握った。
それを取り出した頃には、顔がよく見える距離までルイが戻って来ている。
「ニーナ?」
「――逃げて、ルイ」
鳩が肩から飛び立った。ニーナがルイを殺さなくても、次の暗殺者がすぐにここに来るはずだ。
自分が今ここで死なない限り、家族や友人までもが数十分と待たずに殺される。ニーナは組織の惨さを畏怖するほど理解していた。
「……お願い、逃げて。生きて、お願い。それだけでいいから!」
「ニーナ――!!」
ナイフで首を斬ると同時に、ルイは走り込んで血に染まるニーナを受け止めた。
意識が朦朧とする中、ニーナの瞳に涙が浮かぶ。
死んでほしくない、生きていてほしい、だから逃げて。
声に出したくてもニーナの口はもう開かない。
大好きな人の顔を見たくても、涙と血が混ざって見えない。
ルイが何かを叫んでいる、その声ももう聞こえない。
最期の記憶は、真冬の中の温かさ。
まるでルイに抱きしめられているような温もりだった。