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07.廃妃の祟り

 夜は闇の中に溶け、月明かりもなし。


 鈴妃は紅花の身体をずるずると引きずった。部屋を出て、蘇芳殿の裏庭へと向かう。紅花の脇を抱え、休み休み進んだ。


 蘇芳殿の端にある井戸に紅花を横たえる。


「紅妃、恨まないでね。子どもと一緒にあの世で幸せになるといいわ」


 鈴妃は静かに言うと、紅花を抱き上げた。


「酷いのね。せっかく仲良くなれたと思ったのに殺そうとするなんて」


 闇に響く声。


 鈴妃はゆっくりと紅花を見下ろす。紅花はにんまりと歯を見せて笑った。


「紅妃……。なぜ」

「知らないの? 釣りは辛抱強さが大事なのよ。じゃないと餌を食われて終わっちゃうの」


 鈴妃の手が震える。


「最初からおかしいと思っていたのよ。一人目は溺死、二人目は毒殺、三人目は放火、四人目は首つり。だけど、五人目のあなただけ階段から突き落とされただけ。五回目で慣れたはずのなのに、殺意を感じないのよね。私なら、もっと確実に殺せる方法を使うと思うわ。まあ、井戸に落とすなんて残虐なことは考えないけど」


 紅花はすぐ側にある井戸の底を見下ろした。今にも吸い込まれそうなほど深くて暗い。どんな風に恨めばこんなところに人を落とせるのだろうか。彼女の心情が気になった。


 鈴妃が震えた声で言う。


「全部……気づいていたのね」

「ええ。だから、あなたの全部を聞かせて」

「全部?」

「そう。ここにはあなたと私の二人だけ。どうしてこんなことをしたのか。ずっと一人で抱えてきたんでしょ? あなたの心に何が棲んでいるのか知りたいの」


 鈴妃はその場に座り込んだ。


「私は誰よりも美しいわ」


 彼女の鈴のような声が闇夜でリンッと鳴る。紅花は井戸の縁に座り直すと、静かに頷いた。鈴妃は美しい。まるで人の手で作られた人形のように整った枠組みに、はっきりとした目鼻立ち。人よりも色素が薄く、瞳の色も髪の色も薄茶色だ。そこが儚さを際立たせているようにも思う。


「私こそ陛下の寵愛を一心にうけるのに相応しいの。私が入内したとき、陛下は五日続けて私を寝所に呼んだのよ」

「そう。凄いのね」

「五日も続けて呼ばれることなんてそうないのよ? 二ヶ月続いたあなたにはわからないでしょうけど」

「いいえ、わかるわ」


 紅花は囮だ。本当に気に入られて呼ばれたわけではない。それと比べたら五日は長いのだろう。


皇帝とは何度も会話を交わしたが、一人の女に溺れるような人間ではないように思う。その皇帝が五日もたて続けに呼んだのだ。


「最初の懐妊は入内してから半年後だった。陛下も喜んでくれたわ。でも、最初の子は大きくなる前に流れてしまった……」


 紅花は彼女の言葉に静かに頷く。慰めるつもりはない。どんなに悲しい出来事だったとしても、彼女は三人の妃の命を奪ったのだから。


「二度目の妊娠も駄目だったわ。そのあいだに陛下の寵愛は薄れて、ほとんど寝所に呼ばれなくなってしまった」

「だから、寵愛を受けた妃を殺した?」

「そう。私よりも先に身籠もるなんて許せない」

「でも、あなたも身籠もったんでしょ?」


 階段から落とされたという五人目が鈴妃本人なのだ。しかも彼女は懐妊していたと言っていた。


「私だって今度こそ産みたかったわ。でも! 私の身に何もなければ、私が疑われてしまう……」

「だから、自ら階段を転がった?」

「……流すつもりなんてなかった。可哀想な私の赤ちゃん……」


 鈴妃は涙を流しながら自身の平らな腹をさすった。


「……狂ってる」


 紅花は吐き捨てるように言った。その言葉に鈴妃が鼻で笑う。


「そんなの私が一番わかっているわ。そう、私は狂っているの。だから、あなたもあなたの中に居る赤ちゃんも死んでもらう」


 ぬっと鈴妃の腕が紅花の首に向かって伸びた。紅花はその腕を蹴り上げる。衝撃で倒れた鈴妃は顔を歪めて紅花を睨んだ。


 鈴妃は頬に着いた土をはらう。彼女は何も言わずに懐から小刀を取り出した。


「げっ」

「死になさいっ!」


 鈴妃が紅花に向かって突進する。


 小刀が紅花鼻先に突きつけられたところで、鈴妃の動きが止まった。彼女の首筋に突きつけられた剣が、彼女の首に一本の線を描く。


「全て聞かせてもらった」

「……第六皇子……」

「あとは目が覚めてから聞こう」


 雲嵐は短く言うと、鈴妃の首裏を叩く。すると、彼女は足から崩れ落ちた。紅花は鈴妃の隣に座り込む。


 腰が抜けたのだが、そういうのは恥ずかしい。


「死ぬかと思ったぁ……」


 鈴妃が持っていたのは小刀だった。急所さえ外せば死ぬことはないと思う。それでも怖いものは怖い。


「待機してたんだからもっと早く出て来てくださいよ」

「この女がよく喋るから出る機会を失っていた」

「そのせいで私の綺麗な顔に傷がついたらどう責任取ってくれるんですか? 一生養ってもらいますけど?」


 皇位継承権を失ったとはいえ、皇子は皇子だ。しかも、皇帝との仲も悪くはなさそうである。三食昼寝付……。いや、おやつもつけてもらって養われるのもありだろう。


 だらだらと過ごしながら作家業に精を出すのも悪くないと思うのだ。


「怪我はしていないだろ?」

「心が傷つきました」

「心までは責任を負えない」

「ケチ。一人くらい養えるでしょうに。まあ、いいです。これで、私の仕事は終わりですね」

「ああ。助かった。私だけでは到底この女にはたどり着けなかっただろう。まさか……」

「自分の子まで殺すなんて?」

「……ああ」


 言いたいことはわかる。彼女は何と戦っていたのだろうか。後宮には魔が棲んでいる。そうでなければ、ただ美しいだけの女が手を血に染めるだろうか。


(ほんと、おかしな世界ね)


 広い箱の中。外からみれば煌びやかな世界だというのに、中に入ってみれば血生臭い。


 雲嵐は気絶した鈴妃を担いだ。紅花は立ち上がって、雲嵐の隣に立つ。そして、歯を見せて笑った。


「紅妃は今日の事件で心を壊して田舎に戻ったということで」

「……ああ。そのように処理する。今日は良い酒を用意しておいたから、最後の贅沢を楽しんでくれ。今後のことは明日話そう」

「畏まりました。気をつけて」


 鈴妃を担いで歩く雲嵐に紅花は軽く手を振る。彼は振り向きもせず、真っ直ぐ歩いて行った。


「さてと……。急ぎますか」


 紅花は服についた土埃をはらうと、自室へと戻るのだ。



 ◇◆◇



 誰が想像しただろうか。報酬と礼を持って蘇芳殿を訪れた雲嵐は、もぬけの殻になった部屋を呆然とみた。


 文机の上には手紙が一通。


『報酬の代わりに翡翠の腕輪と簪をいくつかいただいていきます』


 たった一行。裏を返しても、他の荷物をあさってもそれだけだった。


 雲嵐は眉根を寄せた。


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