旅立ちの一歩
携帯電話のない時代の大学生活。そんな時代の青年が、親元を離れどういったぶつかりの中で生活を送っていたのか。最高の仲間との出会いから社会人へと育っていく姿を、リアルな心情と共に描きます。
鶴端亨、18歳の春。
電車で4時間。今ではスマホで簡単に調べられる電車経路も、切符売り場で路線図を見上げながらの移動だった。千葉で生まれ育ち、一人で千葉を出たことすらない俺が、数回電車を乗り継ぎ神奈川の山の方へ引っ越した。
高校卒業後、合宿免許で自動車免許を取得した俺は、取ったその日のうちに生まれ育った家を後にしてアパートへ引っ越した。引っ越しといっても白物家電らの大物家具類はちょうど一人暮らしを終えて実家に戻った姉のアパートから運び込まれていたため、あとは自分の体とスポーツバッグ1個の衣服を持ち込むだけだった。実家を後にする寂しさは何一つなく、あの頃とにかく早く家を出たい自由への願望しかなかった。
どれくらい電車で時間が掛かるかも分からなかった当時、座って寝過ごさないように車内ではずっと立っていた。今では笑い話だが、急行、普通の違いも分からなかったので、長い路線を各駅停車で向かってしまった。慣れない電車の4時間は予想以上に私の足腰を疲弊させ、とにかくしんどかったのをよく記憶している。
両親から手渡された手書きの地図をたよりに、自分のアパートへようやく辿り着いた時はすっかり夜も更けていた。初めて入る自分の部屋。ドアに鍵を入れ開けた時は、自分の部屋が無かった18年間の狭い家での生活から開放された高揚感で一杯になった。
アパートは新築だった。学生の街にはいくらでも築数年の中古で安いアパートが乱立していたにも関わらず、高い新築物件が根城となった。親の愛情が形となっていた。汚れ一つない部屋に入り荷物を置き、とにかく喉が渇いていたので台所に行き、コップに入れた水を一口飲んだ。そして次の瞬間に吐き出した。何だこの水は。あまりのまずさに驚いた。本当に飲んではいけない水かと考えてしまった。ずっと井戸水を飲んで育った有難さを、この時初めて実感し、こんな水を飲んで生活していくのかとカルチャーショックにも似たものを感じながら、俺の大学生活は始まった。