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第8章 心理的瑕疵のある物件

「『犯人も』っていうことは、理真(りま)、もしかして、()()(もり)さんを殺害した犯人と、今朝、警察へ通報した人物は、別人ってこと?」


 私が訊くと、


「そう。この事件は、互いに関与しない二人の人物によって形作られたものだったんだよ」


 理真は話し始めた。必然、喫茶店へ行く行程は中断され、私たちは――行きがかり上、エクソシスト(ごう)()も加えた――五人、輪になって、理真の推理を聞くことになった。


「まず」全員の顔を見回してから、理真は、「久津森さんを殺したのは、やっぱり、最有力容疑者とされていた、(みな)()さんで間違いないと思う。経緯はこう。

 一昨日の、午後八時四十分から五十五分頃までのあいだに、皆田さんは久津森さんの自宅を訪れて、口論の末か、あるいは最初から殺すつもりでいたのかまでは分からないけれど、ともかく、皆田さんは久津森さんを殺害したうえ、自分の借用書だけを奪って現場から逃走した。この犯行時刻を、八時四十分から五十五分という十五分間に絞ったのは、なぜか」

「はい」と私は手を挙げて、「山越(やまこし)さんが隣家の窓から死体を目撃したのは買い物の帰路で、往路には何も異常はなかった。だから、犯行が行われたのは、山越さんが家を出た午後八時四十分から、約二十分の往復路を経て、再び隣家の前を通りかかった九時までの二十分間に絞られる。ここまでは昨日理真が推理したとおり。さらに、皆田さんは九時二十五分に自宅アパート前で目撃されており、彼のアパートと現場間の最短移動時間は、車を使用した三十分。九時二十五分の三十分前というのは、八時五十五分。よって、犯行時刻は、山越さんが家を出た九時四十分から、皆田さんがアパートに到着するまでの時間を逆算した、八時五十五分と推理できる」

「正解」


 おおー、と保志枝(ほしえ)が拍手をくれたが、いくらワトソンだって、これくらいは分かるぞ。


「つまり」理真は話を続け、「やっぱり、犯人が犯行に及んだ時間と、山越さんが買い物に出ている時間は、偶然に重なってしまっていたんだよ」


 それを聞いた山越は、ブルルと身を震わせた。彼が春の陽気に誘われて夜の散歩に洒落込んでいる、まさにその最中(さなか)、隣家で殺人行為が行われていたということが確実視されたことで、怖気(おぞけ)を憶えたのだろう。

 さらに理真の推理の披露は続く。


「犯人――皆田さんは、とにかく現場から離れることだけを最優先して、照明を落とすこともしないままに逃走した。カーテンは、犯行のときにどちらかの体がぶつかるか何かして、その拍子に少しだけ開けられてしまったと考えられる。わざわざ死体が見えるようにカーテンを開ける理由なんて、どこにもないからね。で、山越さんは、そのカーテンの隙間から漏れた明かりを目に留め、窓越しに久津森さんの死体を目撃してしまった。時間は、さっき由宇も言ったように、午後九時ちょうど。そのあと、山越さんは、すぐに自宅に戻ってしまうわけだけれど……一方、現場のほうでは、殺人とはまた別の、ある重要な動きがあった」

「死体が消えたことですね」


 保志枝の声に、そう、と頷くと理真は、


「この死体を消した人物が、いわば、互いに関与しない事後従犯として、事件を複雑化させてしまった」

「で、誰なんです、その死体を消した事後従犯っていうのは?」


 保志枝が訊き、


「大家さん」


 理真が答えると、ええっ? と私たちは声を上げた。


「たぶん、大家さんは、山越さんが自宅に戻った直後、家賃の取り立てのために久津森さん宅を訪れて、そこで死体を発見したんだよ。山越さんの場合と同様、あらかじめ、その時間に来てくれ、と話をしていたんだろうね。で、死体を発見した大家さんは、このままではマズいと思って……」

「死体を消した」

「そう」保志枝に頷くと、理真は、「乗ってきた車のトランクに隠したんだと思う。であれば、いくら家の中やその周りを探ったところで、死体が見つかるわけもない」

「そういえば、昨日も大家さんは車で来ていましたね」


 保志枝の言葉に、ええ、と山越が、


「あの大家さんの自宅は、賃貸物件から離れた場所にあるので、取り立てのときは必ず車で来ています。車も、昨日も言ったように、必ず裏の道に駐めますので、一昨日に捜索した警察官の目には付かなかったんですね」


 理真の推理を補完した。


「でも、そもそも、どうして大家さんは、警察に通報せずに、死体を隠すなんて真似をしたんですか? 自分が犯人でもないのに」

「それはもう」保志枝の疑問に、理真が、「そこに死体があっては、正確に言うと、そこで死体が発見されては困るからだよ」

「あっ」私はその理由が分かった。「事故物件!」

「そう。賃貸物件で殺人事件が起きたりしたら、間違いなく価値が下がっちゃうから、相場よりも家賃を低くしないといけなくなるでしょ。だとしても、人殺しがあったような家に、そう簡単に借り手がつくとは限らない」

「それを隠蔽するために……」

「恐らく大家さんは、死体をどこか別の場所に遺棄してしまうつもりだったんだろうね。で、死体を車に積み込み、床の血痕もきれいに拭き取って、ひと仕事終えた、と安心していたところに、突然の来訪者があった」

「山越さんの通報で駆けつけた警察官だ」

「うん。大家さんは慌てただろうね。無視を決め込もうかとも思っただろうけれど、現場となったダイニングキッチンの照明を消していなかったことを、カーテン越しに見られたと感づいたかもしれない。窓の外で山越さんと警察官が会話を交わす声が、開いた窓越しに大家さんにも届いただろうし。それに実際、物音を立てて、それを外にいる山越さんたちに聞かれてしまっている。ともかく、このままだんまりを決め込んで、怪しまれた警察官に踏み込まれてしまうよりはと、大家さんは呼び鈴を押した警察官に応対することに決めて、その際、そこの借主である久津森さんを名乗ることにした。これは、いかな大家とはいえ、借主もいない家に、ひとりで入り込んでいることを怪しまれるのを避けるためという理由からだと思う。血痕など、死体があったことを裏付ける証拠は完全に処理したから、警察官に屋内を探られても何も怪しまれることはないという自信はあった。血液というのは、いくら拭き取ったとしても、しかるべき検査をすればその痕跡は暴かれるものなんだけれど、まさか急に訪れた警察官が、血液反応を取るなんてことするはずないしね。午後七時半からずっと家にいた、という言葉も、咄嗟に出たものだったんだろうね」


 その発言が結果、その時間まで久津森が生きていたという誤認を生み、事件の複雑さに拍車をかける要因となってしまった。さらには、家主(と思われた)人物が、午後七時半からずっと在宅していたという虚偽の言葉が、山越の「死体を目撃した」という証言の信憑性を薄める効果まで与えることになった。


「そうして、首尾よくその場を誤魔化すことに成功した大家さんは、ようやく現場を離れることが出来た。本来なら、一刻も早く死体を処分してしまいたいところだけれど、突然のアクシデントとその処理に追われた疲れから、死体は車のトランクに残したまま、その夜は就寝してしまったんだろうね。で、翌日を迎えることになってしまったけれども、死体をどう処分するか、まだ決めかねていた。それはそうだよね、死体なんてやっかいな代物、簡単にどうこう出来るはずもない。昨夜は、自身の借家を事故物件にしたくない、という一心で死体を運び出してしまったけれど、もしかしたら、軽率な行動だったと、大家さんは後悔していたかもしれない。そうこうしているうちに、用事に出かける時間となり、大家さんは車に乗った。その用事というのは……」

「山越さんから家賃を取り立てること」


 保志枝が言うと、


「そう」と理真は頷いて、「昨日、山越さんが呟いていましたよね、『この時間に約束していたんだった』と」


 視線を向けられた山越は、


「そうです、そうです」と首肯して、「大家さんは、取り立てに決めた日時に遅れたことは一度もありません」

「ええ」その言葉を受けて、理真は、「約束どおりの時間に山越さんの家を訪れた大家さんは、私たちが話している声を玄関のドア越しに聞いたんだと思う。で、その内容に興味をそそられた大家さんは、すぐには呼び鈴を押さず、じっと私たちの話に耳を傾けて、結果、まさに渡りに船ともいうべき情報を入手することになった」

「渡りに船って、何のことですか?」


 首を傾げた保志枝に、理真は、


「死体の処分方法だよ」

「ええっ? 私たち、そんなこと話してましたっけ?」

「話してた」

「何を?」

「剛田さんのことを」


 理真がそう言うと、皆は一斉に山伏の格好をした大男を見やる。当の剛田は、「?」という表情をしながら、太い指で自分の顔をさした。


「剛田さんと死体の処分方法が、どう繋がるっていうんですか?」


 再び理真に視線を戻した保志枝が訊くと、


「大家さんも、私や由宇と同じように、エクソシスト剛田なる人物のことは知らなかったんだよ。で、琉香ちゃんと山越さんの話から、その剛田さんが、ある非常に奇妙なことを生業にしていると知った。それを聞いた大家さんは、これだ、と思ったに違いない」

「分かった、理真」私は、思わず指を立てて、「除霊だ!」

「そう。剛田さんは、家やアパートの部屋に取り憑いた霊を祓う動画を投稿して人気を博している。その除霊の際、剛田さんは、人死にがあった家や部屋に住み込む。つまり、自分から率先して“事故物件”に居住する奇特な人、ということになる」

「大家さんは、“一度人が居住すれば、以降、そこが事故物件である、という告知をしないで済む”と勘違いをしていたんだ!」

「うん。本当は、由宇が昨日言っていたように、人が住もうが何をしようが、三年間は、そこが“事故物件”またの名を“心理的瑕疵のある物件”であることを告知する義務があるんだけれど、山越さんの話だと、あの大家さんには、そういったことを知らない素養があるという話だった」


 山越は、こくこくと頷いた。


「これで、死体の処分方法は決まった」理真は話を再開して、「大家さんが動いたのは、今日の未明だと思う。死体を借家の、まったく同じ位置に戻し、身元が悟られないように公衆電話から、声も誤魔化したうえで通報する。朝まで通報を待ったのは、念には念を入れてのことだったんだと思う。何か用事があって久津森さんを訪れた人が、関わり合いになるのを嫌って通報した、とでも解釈してくれるのを期待したんだろうね。死体を遺棄――というか、もとに戻した直後の未明だと、明らかに通報者、イコール、犯人、と結びつけられやすくなってしまうもの。そんな時間に他人の家を訪問する人なんているわけないからね」

「確かに」と私は、「そんな深夜に家を訪れるような人なら、ほぼ間違いなく家族や知人に限られるだろうし、だとしたら、通報に際して身分を隠すというのは、明らかに変だ」

「だね。そうして、警察に通報を終えた大家さんだったけれど、しかし、彼にはまだ、最後のひと仕事が残っていた。そのひと仕事というのが……」

「エクソシスト剛田さんに、ダイレクトメッセージを送ること!」


 保志枝が言うと、理真は、


「そう。“事故物件”と化した借家に、すぐにでも住み込んで――除霊を終えて、退散してもらう。その手順を経たら、殺人事件が起きた借家は、晴れて“事故物件”の看板を下ろし、平常運転に戻すことが出来る。あくまで大家さんは、そう考えていた。仮に、そこが過去に事故物件だという情報が漏れたとしても、霊媒師エクソシスト剛田が除霊済み、という付加価値が加われば、そこまで問題にはならない、と大家さんは打算していたのかも知れないね。

 ちなみに、剛田さんにメッセージを送ったアカウントは、その場で大家さんが作成した捨てアカウントのはず。せっかく通報は身元を隠して行ったのに、そっちから身元がばれたら何が何だかわからないものね。警察への通報が七時で、剛田さんがメッセージを受信したのが七時五分ということだから、通報を終えた大家さんが、剛田さんへの連絡用の捨てアカウントを作るのに、それだけの――五分間の時間が――かかったということなんだろうね」

「で、理真先輩。今の、その推理を補完する、何か決定的な証拠などないでしょうか?」


 興奮したように、拳を握りながら保志枝が訊くと、


「一昨日の夜に警察官に応対したのが、久津森さんではなく実際は大家さんだったのだとしたら、その警察官に大家さんの面通しをしてみる必要がある。もちろん、大家さんのアリバイ――まず間違いなくないだろうけど――も調べてみないとね。その結果、警察官に応対したのが、久津森さんではなく大家さんだった、と仮定する根拠が生まれたら、もう皆田さんのアリバイは意味なくなるから、堂々と取り調べをしてみればいい。容疑が濃厚と考えられれば、家宅捜索令状も取れると思うし、そこで皆田さんの家から、奪った借用書が出てきたら、もう言い逃れは出来ないよ。

 大家さんのほうは、久津森さんの死体が、大家さんの車のトランクに隠されていたのだとしたら、そこを調べれば、血痕とか、久津森さんの髪の毛とか、何かしら物証が出る可能性は高い。それと、久津森さんの死体が、狭いトランクに入れられていたのであれば、その姿勢のまま死後硬直してしまったと考えられる。死後硬直は、死後二、三時間で始まって、個人差や環境にも左右されるけれど、十六時間くらいで弛緩が始まる。今が」と理真は腕時計を見て、「午前十時だから、久津森さんの死亡時刻を、もっとも早い八時四十分だと過程しても、ほぼ死後十三時間。まだ死後硬直は解けていない可能性が高い。大家さんの車のトランクの形状と、死体の姿勢を合わせてみれば、死体がそこに入れられていたという傍証にもなるかもね」

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