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第5章 事件の謎

 ホテル近くのファミリーレストランで遅めの朝食を摂りながら、理真(りま)と私は、保志枝(ほしえ)琉香(るか)から事件の概要を聞くことになった。彼女の知り合いの、警察と懇意にしている記者から流してもらった情報だという。


「今朝の七時頃、警察に通報があったそうです。久津(くつ)(もり)の住所を告げて、その家の中で人が死んでいる、って」


 保志枝は、片手に箸、片手に手帳というスタイルで、モーニングセットをつつきながら話し始めた。


「通報したのは、誰なの?」


 同じメニューを食べながら理真が訊くと、


「分かりません。妙にくぐもった声で、タオルか何かを口に当てて喋っているようだったとのことです。しかも、通報は現場に一番近い公衆電話からだったそうで」

「……怪しいね」

「はい。で、ともかく、その通報を受けて警察が駆けつけたんですね。一昨日、同じ家で『死体を目撃した』という通報――もちろん、山越(やまこし)さんの通報です――があったということは、当然警察も把握していたので、まず、到着した警察は、窓から中を覗いてみようとしました。でも、窓にはカーテンが完全にかかった状態で、室内の様子は一切目視できなかったそうです。で、改めて玄関ドアから――ドアに施錠はされていませんでした――中に入ったところ、死体を発見したそうです。発見場所は、玄関入ってすぐのダイニングキッチンで、まさに一昨日、山越さんが目撃したのと、ほぼ同じ場所だったそうなんですよ。格好がうつ伏せだったというのも、山越さんの目撃どおりの体勢ですね。死体の胸には刺し傷があって、これが致命傷だそうです。凶器の特定にはまだ至っていないようです」

「そう……。で、その殺された久津森さんって、どんな人だったかは分かったの?」

「ええ、年齢は四十七歳で、まっとうな社会人ではなかったようです。いわゆるヤミ金ですよ」

「ヤミ金かあ」それを聞くと理真は、箸でソーセージをつまんで、「だったら、容疑者には事欠かないんだろうね」

「当たりです、理真先輩、実は、最有力な容疑者がすでに判明しているんです」

「そうなの?」


 思わず理真は、ソーセージにかぶりつこうとした口を止めた。


「そうなんですよ」保志枝のほうは、箸で切り分けた卵焼きを、ひと切れ口に放り込んでから、「久津森の部屋には、顧客の借用書が保管されている棚がありました。で、久津森の上着からは、システム手帳が発見されたのですが、そこには、債務者と、いつ、いくら貸し借りをしたといったここ最近の情報が、事細かに書き込まれていたんですね。そこで警察が、その手帳に出てくる名前と借用書とを照らし合わせてみたら、手帳には名前が出てきているのに、借用書がない人物がひとりいたそうなんですよ」

「なるほど」

「名前は、(みな)()彰祐(あきひろ)、四十五歳。都内で商社に勤めています。手帳に、その皆田の名刺が挟んであったので、すぐに身元が判明したんですよ。皆田は、自分の借用書を持ち去ることだけに気を取られていて、まさか被害者が手帳にそんなことを書き込んでいたとは、そこまで知らなかったんでしょうね。しかも、借金の申し込みをしたときにでも渡したのであろう、自分の名刺までも残されていたなんて」

「すごいね、琉香ちゃん」と私は感嘆の声を上げて、「発生したばかりの事件の情報を、そこまで入手しているだなんて」

「そこは由宇(ゆう)先輩、“蛇の道は蛇”ってやつでして、えっへっへ……」


 変な笑い方やめい。


「それはともかく、最有力容疑者が判明しているのなら、スピード解決だね」


 味噌汁をすすって、私が言うと、


「それがですね……」とたんに保志枝は、変な笑い方で歪めていた口元を戻し、表情も曇らせると、「皆田には、アリバイがあったんですよ。ここで、話を分かりやすくするために、事件の時間軸を整理しますね」


 保志枝は、切り分けられた卵焼きの残りを、ひょいひょいと口に放り込み終えると、私たちにも見えるように手帳をテーブルに広げた。理真と私も、朝食を一時中断して、手帳のページを覗き込む。保志枝は、ページに書き込まれたタイムテーブルを指さして、


「まず、久津森の死亡推定時刻は、一昨日の午後八時から十時までの二時間と割り出されました」

「え、一昨日?」


 私が声を上げると、


「そうなんですよ。理真先輩も、色々と言いたいこともあるかとは思いますが、まずは話を聞いて下さい」


 その言葉に、私たちがそろって頷いたのを見ると、保志枝は説明を再開して、


「一昨日と言えば、山越さんが隣家――久津森の家――で死体を目撃して、そして直後に、その死体が消えた日ですよね。ここで、山越さんが通報して、警察官が到着した時刻が問題になってくるわけです。正確には、警察官が久津森と話をした時刻、が」


 なるほど、私にも状況が飲み込めてきた。


「通信指令センターの記録によれば、山越さんからの110番通報を受電したのが、一昨日の午後九時五分。それを受けて、警察官がパトカーで現場に到着したのが、五分後の九時十分。警察官が久津森と話をして、家を調べて異常のないことを確認し、現地を離れたのが、さらに十分後の九時二十分でした。つまり、検死における死亡推定時刻は、さっきも言ったように、午後八時から十時までと二時間の幅をもうけてありますけれど、警察官――と山越さんの証言を加味したら、死亡推定時刻は、九時二十分から十時までの四十分間にまで短縮されるわけですよ」

「その四十分間のアリバイが、容疑者にはあると」

「そうなんですよ」理真の言葉に、うんうんと頷いて保志枝は、「容疑者の皆田は一昨日、住んでいるアパートに帰宅したところを、隣人に目撃されています。その時刻というのが、九時二十五分なんですよ」

「警察が現場を離れた時間――つまり、死亡推定時刻上限の五分後ね」

「そうなんです。皆田のアパートと現場――久津森の家――とは、車で三十分かかる距離で、皆田は自家用車を持っています。公共交通機関を使えば、さらに時間は延びるので、車が最短の移動手段というわけです。で、皆田は、その日は車で遊びと買い物に行っていたと証言していて、どこへ出かけていたとかの証言には曖昧なものがあるのですけど……」

「どう考えたって、五分で現場から自宅に戻ってこられるわけがない」

「そういうことなんですよ。それなものだから、警察も苦慮しているそうで」


 そこまで説明すると保志枝は手帳を閉じ、食事に戻った。理真と私も箸を取り直す。


「ねえ、琉香ちゃん」と、ご飯を口に運びながら理真が、「警察官と応対した人物は、間違いなく久津森さんだったの?」

「それは……たぶん、そうだろうとしか言えていないようです。というのも、時刻は夜で、玄関の照明も薄暗いうえ、警察官からは逆光になってしまっていたため、顔がよく見えなかったというんですね。家の中を確認するときも、警察官は、死体がないか、という点だけを意識して見ていたから、久津森――と思われる男――のことはあまり注意していなかったそうなんですよ。だから、死体の顔や背格好を見ても、『同一人物だと思う』としか証言できていないみたいで」

「山越さんも、警察官の体が遮蔽になって、応対に出た久津森さんの姿は見ていないそうだしね」

「はい。普段から近所付き合いもないし、そもそも、顔も見たことがないと昨日もおっしゃっていましたね。これですよ、これこそ大都会のコンクリートジャングルですよ」


 山越の家も含めた現場周辺には、コンクリート建築物はほぼ見当たらず、木造の一般家屋がほとんどだったけどね。


「理真先輩は、一昨日、警察の応対をした人物が久津森ではなかった、と考えているんですか?」

「三十分かかる距離を五分で移動したアリバイ工作を崩すよりは、そっちのほうがずっと現実的でしょ」

「そうなると、そのニセ久津森は何者なんでしょう?」

「それも問題だよね。とりあえず、最有力容疑者の皆田さんではありえない」

「はい。アリバイと同じ話ですものね。車で三十分かかる距離を、五分で移動したことになっちゃいます。つまり……警察官に応対した久津森は偽者で、その時点で、本物の久津森はすでに殺されていた? ……あっ! それじゃあ、まさか、山越さんが目撃した死体というのは?」

「久津森さんだったという可能性はあるよね。死亡推定時刻の範疇に収まってるし」

「山越さんは、死体を目撃した数分後に通報したと言っていました。通報時刻が九時五分なんだから、逆算すると、死体目撃時刻は九時ちょうど。死亡推定時刻のど真ん中ですね! つまり、昨日の理真先輩の推理も加味して考えてみると、こういうことですか。犯人は、午後八時四十分から九時のあいだに久津森を殺害。その死体を偶然目撃した山越さんが通報、警察が来てしまったため、犯人は久津森の死体を隠し、本人に成りすまして警察官に応対してやり過ごす。そうして、警察が引き上げたところで、自分も逃走した」

「今、琉香ちゃんが言った、警察官と応対したニセ久津森さんが犯人だったとしたなら、死亡推定時刻は、ほぼ午後九時直前と考えてもいいかもね」

「どうしてですか?」

「だって、もっと前――今の推理における死亡推定時刻の上限、午後八時四十分に犯行を犯したのであれば、山越さんが死体を目撃した午後九時まで、犯人は二十分間も現場に留まっていたということになるよ」

「なるほど」

「だったとしても、まだおかしな点はある」

「なんですか?」


 納得しかけた保志枝から、再び目を向けられた理真は、


「肝心の死体の行方だよ」

「そうか」

「警察官は、押し入れとか、死体が隠せそうな場所は隈なく調べたそうだよね。もし、死体を隠していたのだとしたら、よほど巧妙な隠し場所だったか、あるいは隠し方をしていたことになる」

「犯人が死体を隠すのに使える時間は、山越さんが死体を目撃して、警察が到着するまでのたった十分間。そんな時間で、人の死体なんて大きくてやっかいなものを、果たして隠せるか……」

「ここは百歩譲って、犯人が、そういった上手い隠し方を出来たのだと仮定しよう」

「はい」

「でも、そうまでして巧妙に隠した死体なのに……」

「今朝になって、発見されてしまった……。発見されたというか、山越さんが目撃した状態そのままに復元している……。一度隠した死体を、わざわざ引っ張り出して元どおりにしたということになりますね」

「発見された経緯も普通じゃないよね」

「ですね。匿名の通報……。死体を目撃した第三者でしょうかね?」

「公衆電話からで、しかも、声を誤魔化していたんでしょ。やっかいごとに関わりたくないという心理からだったのだとしても、やりすぎだよ」

「そうかもしれませんね」

「仮に、通報者が事件にまったく無関係な第三者だったとしたらさ、そもそも、通報したこと自体が変じゃない」

「どうしてですか?」

「だって、現場の窓にはカーテンが隙間なく完全にかかっていたんでしょ。それなら通報者は、どうやって、その家に死体があることを知ったの?」

「あっ、そうか。……でも、玄関に鍵はかかっていなかったから、久津森を訪問した誰かが、偶然発見したのかも」

「それなら、何はともあれ、自分のスマートフォンなりで通報するんじゃない? 充電が切れていたとか、スマートフォンを持っていなかったのだとしても、近くの家に駆け込んで通報してもらうとか、何かしらやりようはあるよ。住宅地で、周りは人家だらけなんだから」

「確かに。わざわざ公衆電話まで走る道理はありません」


 ううむ、と保志枝は唸った。理真は、水をひと口飲んでから、


「さらに、話を少し戻してさ、一昨日、一度は山越さんが目撃した死体が、消えてしまった件について」

「なんですか? それについて、まだ何かおかしたところが?」

「ある。そもそもさ、山越さんが死体を目撃したのは、完全な偶然なんだよね。ということは、通報を受けて警察官が来たことも偶然」

「ですね。たまたま、自転車ではなく、ゆっくり歩いて買い物に出かけていたから、明かりが漏れている窓を思わず覗いてしまったと」

「そんな偶然のハプニングへの対処で、そこまで死体を巧妙に隠せるかな?」

「……ですね。さっきも話に出ましたけれど、犯人が死体を隠す猶予は、山越さんが目撃して、警察が到着するまでの十分間しかなかったことになります。十分で、警察官の捜索をかいくぐるほどの巧妙な隠し方を……。警察官の来訪はまったくのアクシデントだったというのに……」


 保志枝が頭を抱えたところに、理真が、


「話が入り組んできたから、一昨日、山越さんが目撃した死体と、今朝発見された死体――久津森さんの死体――が、同じ死体だった場合を“パターンA”、別の死体だった場合を“パターンB”として、それぞれで疑問点、特徴を挙げてみようよ」


 それを聞くと保志枝は、テーブルに開いていた手帳を取り上げて、筆記具を手にした。いつもであれば、こういう役割は私が務めるのだが、今回は楽でいいなあ。

 理真の話をまとめた内容は、以下のとおり。


 パターンA(死体が同じ。つまり被害者は久津森ひとり)

A-1.山越が死体を目撃した九時時点で、すでに久津森は死んでいたはずなので、九時十分に、久津森と名乗って警察官に応対した男は偽者ということになる。そのニセ久津森は誰か。

A-2.最有力容疑者と目されている皆田にアリバイはなくなる(現場から自宅まで車で三十分。つまり、八時五十五分までに犯行を終えて現場を離れれば、九時二十五分に自宅前に戻ることは可能)が、同時に、上記「1」のニセ久津森も皆田ではありえなくなる。

A-3.一度消えた死体が再び現れたのはなぜか。逆に言えば、なぜ死体は一度消えたのか。

A-4.消えている間、死体はどこにあったのか。警察官の捜索により、屋内に隠されていなかったことは間違いないと思われる。


 パターンB(死体が別々。つまり久津森の他にもうひとり被害者がいる)

B-1.もうひとりの被害者(山越が目撃した死体)は誰か。

B-2.警察官に応対した男は本物の久津森と見なされるため、最有力容疑者と目されている皆田にはアリバイが発生し(少なくとも久津森殺しの)犯行は不可能。

B-3.二つの死体(事件)に関連はあるのか。同一犯による犯行なのか。

B-4.もうひとつの死体(山越が目撃した死体)はどこへ消えたのか。


 A、B、共通の疑問点

共-1.通報者は誰か。なぜ身元を知られないような通報をしたのか。

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