第百四十二話「すべてが初めてだから……」
広すぎるスタジオ内であるがゆえ、ものすごく無音。
無言のまま僕らは演奏を始めるために今一度、立ち位置を確認する。
ライブでやる時となにも変わらない立ち位置なのだけれど、僕は響子に僕と芹沢さんに近い距離にいるように支持を出した。
本来は左に響子。右のほうに芹沢さんがいて弾いて歌う形になっている。ミニコンサートで披露をする時は、コーラスとハモリをより際立たせることを意識しての変更だ。
バンドの構成では、あまり見ないタイプだがこれが僕らにとってベストの立ち位置である。
そんな僕らの様子をMARINAさんはジっと見つめて無言のまま。その目は、先ほどのようなふざけたようなものではない。
やはりプロのアーティストなのだから、音楽に対しては真剣に向き合うのだろう。
「ふう……」
すべてのセッティングが終わり、位置も決まった後。僕は深呼吸をして目線をみんなに向ける。
それは、これから演奏を始める合図でもあった。他のみんなはそれを確認をして、それぞれが構える。
「ワン! ツー! ワンッ、ツー! スリー」
僕が声でカウントをして、ギターを勢いよく奏でていく。それに合わせて、みんなはタイミングよく鳴らす。
――ギュワワァァァン!
曲のイントロがスタジオ内の大型アンプから、爆音で響き渡る。
初めて使うアンプであるし、どういった音が出るかはわからないままであった。けれど、その音質はすさまじく、普段使っているものよりも迫力が違うことに音を聴いて一発でわかる。
同じイントロを弾いているのに、その音はさらに曲を良い感じに聴こえさせることができるようにも思えてきた。
――おおっ、すごいな。エフェクターとの相性もいい。アンプが違うとここまで変わるんだな。
ギターを弾きながら、僕はアンプの音色に気持ちよさを感じつつそう思う。弾いてここまで気分が高ぶるのは久しぶりだ。
ライブでやる時とは違うけれど、それに近い高揚感を感じているのは僕だけではない。芹沢さんや瑠偉も、同じように感じているかのように弾く楽器の音色がはずむ。
イントロも完璧に弾きこなせている。原曲に寄せてはいるが、盛大にアレンジを加えられている僕らの演奏。
先制攻撃ともいえる僕らの音を、MARINAさんは目をつぶって聴いている。けれど、それだけである。
まったく微動だにせず、静かにしているのみ。
これがライブハウスでのライブならば、盛り上がり始めるものなのにそれを感じられない。
――まあ、まだ曲がスタートしたばかりだ。これからさ。
僕はMARINAさんを意識しつつも、冷静に丁寧に曲をギターで弾いていく。そして、歌のパートがあるAパートまで演奏していき、マイクスタンドにささっているマイクに顔を近づけた。
曲の歌詞は頭にたたきこんでいる。喉の調子も悪くない。
本人を前に歌うことは普通ならば、緊張や不安が高まっていつもの実力を出せるとは限らない。
うまく歌えている人はそうはいないだろう。けれど、僕はそんなネガティブな思考はなく最初から全力で歌い出している。
それはボーカル用のスピーカーから出ている僕の声が突き抜けるように聴こえるからだ。
MARINAさんとは違う歌い方。声で伝える歌詞の感情は大きく違うが、バンド演奏らしさがにじみでている。
僕の歌声が演奏に加わると、みんなの弾く音も変わっていく。
ボーカルを引き立たせるために、音を抑えつつ各パートをしっかりと主張させている。歌っている身からしたら、本当に気持ちのいいオケだ。
――金本先輩からのダメ出しをされたところも、問題なくできている。初めてのスタジオや機材でも、うまくやれているな。
僕は歌いながら自分のコンディションがいいことを確認しつつ、歌いながらギターを弾いている。
そこに響子と芹沢さんのコーラスがところどころ加わっていく。
彼女たちだって本人を前で歌うことになって緊張しているはずだが、そんなことを感じさせないくらい声を出せている印象だ。
もちろん瑠偉のベース。瑠奈のドラムもいつもの調子で音を出せてるし、なにも心配がいらないように聴こえている。
このままならば、サビで一気に盛り上げることができるはず。良い流れのまま、僕らは曲のサビへと向かって奏で進めていった。
――なん……だと?
サビへ入ろうとした時。僕は目の前にいるMARINAさんに目を向けると、そこには衝撃的な姿があった。
「ふああああぁー」
MARINAさんは、僕らの演奏を聴いてはいるだろうけど、あくびをしながらスマホを見ていた。
あきらかに、演奏に飽きているような素振りをしていた。
スマホの画面を見ては、チラリとこちらを見てを繰り返している。
「……ふっ」
そして、小さく薄ら笑いを浮かべて僕を見た。完全にこちらの演奏を、なめきっているように思えた。
――むか! なんだ、あの態度は……こっちは真面目に認めてもらうために弾いているのに。
MARINAさんの悪態に僕は、次第にイライラが溜まっていく。それが、ミスになったたのか、弾くギターの強弱がすこし、乱れる。
しまった――そう気づくころには遅く、サビのボーカルが入るタイミングがわずかにずれた。
せっかくみんなの完璧な演奏を台無しにしてしまうかもしれないと思ったら、さあっと顔が青くなる。
――ジャララァァン! ボボンボーン! ドッドン!
それぞれの音が、微妙なズレや乱れているように聴こえ始めた。ほんのわずかだが、練習にはない小さなミスだろうか。
どうしたことかと僕は演奏をしながら、視線をそれぞれに向ける。
すると、みんなの顔が険しいものになっていた。目線はMARINAさんへ。まるでにらみつけるようで、当てつけているみたいだ。
僕だけでなく、みんなもMARINAさんの態度を見てイラつきがあるのだろう。あからさまにそれが楽器の音でわかってしまう。
だが、ズレや乱れはあるものの次第にみんなの弾く楽器の音色に勢いが増してきている。怒りが力に変わっているという表現が正しい。
――芹沢さんのギターは今もすさまじい音色だが、今日は特にすごいな。それに、瑠偉たちも、これまでにないくらい良い音を鳴らしているじゃないか。
僕のミスやそれぞれの小さなミスなど気にもしないといった感じで、みんなは必死に弾いている。
この音で奏でているオケに乗り遅れるわけにはいかない。僕は勢いに乗る形で、マイクに向かって感情のまま歌い続けた。
――そんな退屈そうにするな。僕らの弾く、あなたの曲を聴け!
そう訴えかけるようにギャルゲーソングを、これでもかと必死に演奏する。
これまでの練習で表現したいイメージとはかけ離れた、荒々しさがにじみ出るこの曲。
この曲は爽快感のある耳に残りやすい曲であるが、アレンジを加えたにしてもまさにロックすぎるものになってしまった。
もし、この場に金本がいればぶち切れていただろう。
けれど、その時であった。退屈そうにしていたMARINAさんが、表情を変えて今の鳴らしてる音を聴き入っている。
真剣な顔であった。