第百四十一話「早すぎる!僕らはそこまで準備できていない!」
僕らは楽器と機材を持ち、約束の貸しスタジオへと向かう。
本番を意識した練習はこれまで何度もやってきたが、音楽同好会のメンバー以外の前で披露をすることは初めてになる。
しかも、その相手がミニコンサートで弾く曲のご本人だ。
「これまでやってきた中でで、これほどまでの超展開なのは初ですよ……なんか、ライブでやるのとは違う緊張感で気持ち悪くなってきた」
「だねえ……あたしもドラムがうまく叩けるか不安になってきた。岩崎先輩、本当にやるんですよね?」
「ああ。MARINA自身からの要請だから、僕らには拒否権はない。やるからには、全力で僕らの演奏を見て認めてもらうしかない」
道中、いつも以上に不安と緊張で戸惑っている瑠偉たちに、僕はそう答えた。
二人の気持ちは、痛いほど理解できる。相手はプロのアーティストであり、ギャルゲーソングを歌ってきた有名人でもある。
そんな人の前で、バンド演奏をする高校生はほとんど奇跡であり幸運のようなものだ。
ある意味で光栄だが、逆を言えば地獄の時間にもなる。どちらの結果となるかは、僕らの演奏次第になるだろう。
「まー。ここまできたらキョウちゃんの言うように、やるしかないでしょー!」
「そうだね。本人の前でやるんだから、失礼のない感じで演奏がうまくいけるように頑張ろう」
「「なんで、先輩方はそんなに余裕なんですか……」」
響子と芹沢さんの普段と同じような雰囲気に、瑠偉たちはおどろきながら声を合わせてそう口にする。
僕は黙ってそれを見ているのだが、二人が変わらない感じでいるけれど実際はかなり緊張をしているのがわかっている。
気丈にふるまっているが響子の手はプルプルと震えているし、芹沢さんにいたっては歩く足が千鳥足になっていた。
それだけ、これから始まることの不安が現れている証だ。
「ここか。普段、僕らが使っている貸しスタジオじゃないところなんだな」
「楽器店の中にあるタイプじゃなくて、貸しスタジオ専門みたいな?」
気がつけば、目の前には目的地である貸しスタジオの前に着く。そのスタジオは、どう考えても一般人が利用できるようなものではないという雰囲気のスタジオであった。
瑠奈は自分のスマホでなにかを調べた後、僕らにスマホの画面を見せる。
「いやいや! ここって、プロの歌手とかバンドとかがライブをする前に利用をする御用達のスタジオですよ! というか、そんなものがこの街にあったことにおどろきですよ」
「だなあ。正直に言ってプロのコンサートとかライブとか頭になかったし、そこらへんは知らずじまいだったな」
「そんなところで、今から弾くだなんて本当にギャグかと思いますね」
「ぐだぐだとここで言っても仕方がないよー? さっ、中に入ろうよー」
苦笑いを浮かべる僕らに響子はそう言いながら、スタジオの入り口へと歩いていく。僕らも、そのまま中へと入っていった。
入ってすぐに受付があり、僕は緊張をしながらも事情を説明する。
すでに把握をしているのか、スタッフの人が僕らを案内してくれるようでそのまま後ろに着いていった。
歩いてすぐにある大きな扉の前まで行くとスタッフから声をかけられる。
「こちらのスタジオ内をご利用ください。本日、予約をされたMARINA様が到着されましたら、室内にある電話でお知らせいたします」
「はっ、はあ……わかりました」
スタッフさんからそう言われて、そのまま僕らは広いスタジオ内に入る。
見渡せば、ただただ広く。僕らが利用している貸しスタジオなんかが、かなしくなるくらい設備の違う空間に圧倒される。
ギターアンプやドラムセット。マイクスタンドからなにもかもが、有名メーカーの人気モデルでもあった。
「あたしたちが持ってきた機材とかさー、ぶっちゃけていらなくない?」
「小型アンプも用意をしたけど……ああ、使うのが逆に哀れに思ってくるな」
これだけの充実した機材を前に、僕らは苦笑いを浮かべながら持ってきた機材を目立たない場所へ隠すように置く。
とりあえずスタジオ内のど真ん中にある機材を使って楽器をセッティングし始める。
アンプに持参したエフェクターを繋ぎ、このギターへとさらに繋げる。そして、ボーカル用のセッティングも済ませる。
他のみんなも、淡々と自分の楽器をセッティングしていった。
「ふう。こんなものかな? そっちはどう?」
「オーケーです! いつでも音を出せます。どうしましょうか、一度曲を弾いてみますか?」
「そーねー。さしずめ、ライブ前のリハ的な?」
瑠奈や響子が言うように、MARINA本人が来るまでに曲を弾いておいたほうがよさそうである。スタジオから出るバンドの音がどんなものか感じたいし、慣れも必要だ。
とにかく、ここで待っているだけはもったいないと思った僕は、みんなに何回か音を合わせるように指示をする。
無音の空間に、これから僕らの音が流れようとしている。
「……よし! いくぞ、ワンッ、ツー!」
――プルルルルルルルッ!
僕がマイクでそうカウントを取った後に、ギターを鳴らそうとした瞬間。いきなり、室内の電話がなってしまう。
「くそう! 誰だよ、これからって時に!」
「なんか、こういうのってカラオケとかでありがちですよね」
「けど、なんだろう。岩崎君、出てみたら?」
芹沢さんにそう言われた僕は、鳴っている電話の受話器を取った。
「お待たせ致しました。MARINA様が到着して、スタジオ内に入られますので」
「……ええええぇ」
これからって時になんというタイミングで現れようとしているのだ。MARINAというアーティストは。
スタジオ内にやって来るまで数分もかからない。これでは、今から弾こうとしても意味がないだろう。
「よく考えたら、あたしたちって直接会うのとか初めてなんだけどさー。どんな人なの?」
「そうですね。岩崎先輩はもう会っているし、芹沢先輩は電話で声を聞いていましたけど……わたしらは完全初見で、正直どう接すればいいのかわからないんですよね」
「うっ、うーん。犬飼さんとしてのキャラは……なんというか」
僕以外は今日がご本人と会う。僕だって、一回しか会っていないしどんな人と言われても詳しく教えることはむずかしい。
けど、だいたいの性格的なイメージはわかるような気がする。
「まあ、破天荒な人だな……そこまで気をつかって話すような感じでもないと思うけどなあ」
「いやいや、岩崎先輩。相手は、プロの歌手であまたのギャルゲーソングを歌っている人ですよ? 金本先輩ほどじゃないですけど……これでも、尊敬はしているんですから」
「友達感覚で話すのはさすがに失礼ですよね。岩崎先輩は業界人に知り合いがいすぎて、頭がバグっているんですよ」
「ははははー! たしかにー! キョウちゃんの頭がバグっているのは間違いないねー。それに、キョウちゃんよりも破天荒な人はそうそういないよー」
「はははは……ぷじゃけるなよ」
響子にからかわれる僕はそう苦笑いを浮かべるが、瑠偉と瑠奈の言っていることも理解できる。
相手はとんでもなくすごい人である。粗相のない対応をするのが、ギャルゲーをたしなむ物の礼儀である。
――けど、そんなに恐れ多いとも思えないんだよなあ犬飼さんは。
どうしてもそう思ってしまうほど、MARINAこと犬飼さんという人はどちらかと言えばこちら側の人間に見える。
「はっはっは! 少年、調子はどうだ? ところで、あたしのうわさ話で盛り上がっているようだが……」
「あっ、犬飼さん……」
「おっと、失礼。今日はMARINAとしてだったね!」
登場してすぐに初めて会った時のようなテンションで豪快な声で話す。その様子を他のみんなはぽかんとした顔で見ていた。予想以上の活発そうな感じに、どう反応していいか困っているようにも見える
「ほう。これが、少年のギャルゲーソングバンドか。はっはっは! 絵に描いたようなハーレムバンドじゃないか。ギャルゲーの主人公か、君は」
「MARINAさん……犬飼モードに戻ってますよ」
響子たちを見たMARINAさんはさらに大笑いをしながら話すが、僕は冷静にそうツッコミを入れた。
彼女はハッとして口をふさぎ、軽い咳ばらいをした後に言葉を改める。
「こんにちは、みなさん。わたしがMARINAです。あなたたちがわたしの曲をバンドで弾いてくれてうれしいわ」
――うわあ。なんという、演技くさい言い回しだろう。
まるで営業のトーンみたいに、言葉使いを変えていかにもアーティストらしい言い方で僕らに話しかけてくる。
そして、MARINAさんは本題をすぐに口にした。
「けれど、わたしの代わりにミニコンサートで観客のみなさんへ聴かせるにはそれなりのレベルでないといけないわ。そこで、あなたたちがそのレベルに値するか見させてもらうために、岩崎君に急遽お願いをしたの」
その言葉は、僕らに重くのしかかるものだ。これから、本人を前に僕らの実力を示さなければならない。
「もちろんです。僕らの演奏をMARINAさんに認めてもらって、ミニコンサートであなたの想いも込めて弾かせていただきます」
僕はそう決意を込めた言葉で、MARINAさんに答えた。その言葉を聞いた彼女は、ニヤリと笑う。
「それじゃあ……さっそく、聴かせてもらおうかしら! 少年!」
「いやいや、最後が犬飼になってますから! お願いしますから、設定を貫いてください」
緊張した空気間が、僕と彼女のやりとりで少しほぐれる。
そして、僕らは楽器を構えなおしてスタジオの演奏スペースに立つ。
目の前はそれを見つめるMARINAさん。
これより、ご本人を前に僕らの演奏が始まった。