第5話:Teaparty in forest.1
戦車数台ほどの大きさがある巨大な赤い狼が、動けないMTB=ズラトに向かって跳躍する。
相棒の死を目の当たりにしかけた樹であったが、飛ぶ狼めがけて、体当たりするように高速で飛来するもう一つの影も見た。
「ガラ空きだぜ。クソ虫」
その瞬間、その影から大きくて光る塊が発せられたかと思ったら、その塊によって、あっさりと巨大な狼が真っ二つに分断された。
お腹を起点にして頭と前脚、尻と後脚の二つに別れて転がる狼。当然のことながら、既に死んでいる。血飛沫が風に乗って飛び散った。
「よくやったじゃないか。ガキの割には」
狼の巨体を蹴散らしてやってきたのは一人の男。
鍛えに鍛えまくった上半身を惜しげもなく晒している黒人の男で、背中に背負ったバックパックはともかく、担いだ人数分はする長さの大剣は、巨大狼の血で真っ赤に染まっている。
黒い肌に赤毛というセンスは謎。
眼光は鋭く、凶悪な雰囲気を漂わせている。
危険とかヤバイとか、やくざといったものを人として擬人化したような男だった。
樹の中にあるセンサーが全力で警告を上げている。
この男は危険だ。
さっきまで戦っていた狼など、比べものにならないぐらいに危ない。襲いかかれたら瞬殺されている。
歯がガタガタ震え出す。
「おい。びびってんじゃーねよ。ち○ち○ついてるのか?」
こいつは間違いなくヤクザがマフィアだ。
絶対にカタギではない。
歌舞伎町で絶対に遭遇したくない奴に、よりによってこんなところで、いや、こんなところだからこそ出会ってしまった。
「師匠、師匠。プレッシャーかけてどうするんですが」
シフォンがフォローを入れると、男の矛先がシフォンに向いた。
「よう。バカ弟子。無事だったか」
「ええ、どうかにか生き延びることができました」
二人は師弟関係にあるようだが、雲行きが怪しい。
「そうかそうか。それはよかったな」
男はとても喜んでいるとは思えない表情で、シフォンに近づく。ここは逃げる場面なのだが、シフォンは引きつった笑顔を張り付かせたまま逃げることはできない。
「というとでも思ったか!! このバカ弟子がぁっっっ」
「いたいいたいいたいーーーっっっ!!」
男は片手でシフォンの襟首を掴むと、そのまま持ち上げる。
シフォンが苦闘の叫びをあげるが、樹としてはどうすることもできない。
「毎度毎度毎度先走るなと言ってるのに、今回も先走りやがって、何度聞いたら分かる。いや、言っても無駄か。犬で三回聞いたら覚えるというのに。てめぇの頭はゴミ虫か。いや、その金髪、まとめて抜いて坊主にしたら、少しは物覚えがよくなりそうだなっっ」
「すみませんすみませんやめてくださいやめてくだ」
腹に一発いいのが入る。
本当に容赦がない。
「これは練習でもなく、遊びでもなく。仕事なんだし・ご・と。シフォンは弟子なんだから、師匠の指示に従ってりゃいいんだよ。作戦なんて上の命令に下が従わなきゃ話にならないだろうが。俺には俺の役割があって、ゴギブリのようなてめぇにもてめぇなりの役割があるんだから、従ってもらわなきゃ話になんねーんだよっっっっ!!」
どうやら、この戦いも終わったようである。
落ち着くと、ズラトの容体が気になって立ち上がろうとした樹であったが、身体が動く代わりに全身に電流が流れたような痛みが走って、悶絶する。
全身の筋肉という筋肉が、石化したような感覚。
動け動けと意識しても、動けずに代わりに痛みだけが走り回るような感覚。
要は筋肉痛であった。
短時間で、身体を人間の限界に使いに使いまくったのだから、緊張感が解ければツケを払わされるというが自然というものである。
戦闘中、どれたけの力を出していたのだろう。
狼の群れに突っ込んだ時、24kmは軽く超えていた。
体感では、ドラッグカーの加速以上の速度は出ていたような気はする。実際、森の中に落ちている狼の死体のほとんどは、ミキサーにでも掛けられたかのように、粉々になったものである。
……まさか、自転車で人をも超える速度が出せるとは想像もつかなかった。
(大丈夫か?)
「デタラメだなあ」
勝手に起き上がるMTBなんて見たことがない。もっとも、純粋なMTBではないのだが。
「ズラトこそ大丈夫かよ」
なにはともあれ、一番心配だったズラトが無事だったことで樹は安堵する。
(我はこれしきの事。なんでもないわ。凡人がそう怯えるでない)
「その割にはあの狼に苦戦してみたいだけど」
ズラトが自身がいうような実力を持っていたら、樹が心配することもなかったのだけど、口に出したらズラトは沈黙した。
そして、樹はもう一つの脅威を忘れていた。
「おい。ガキ」
「はははい。なんでしょうか」
「びびってんじゃねーよ。キンタマついてのか、こら」
長かった説教も終わったらしくて、男は矛先を樹に向けてきた。
「俺はショーン・デルガド。何の因果か知らんが、シフォンっていう奴の師匠をしている。今日、俺とシフォンが赤毛狼共の討伐を請け負ったのはいいものの
、このバカ弟子が先走りやがって、危うく大変なことになりかけた。ガキ、名前はなんだ」
「イツキ・カワサキです」
「イツキのおかげで、このバカ弟子も命は長らえた。ここで死んだほうがよかったかもしれんが師匠として礼は言おう」
嫌々なのが丸わかり。
「この礼、させろや。イツキ」
礼は礼でも、お礼参りのほうの礼だろう。
「…あのですね、師匠。脅しちゃだめですよ」
シフォンが復活したようである。
「そうか。こいつには借りがあるから返させてほしいというだけの話だが」
「師匠が話すと、脅しているようにか聞こえないんですよ。顔が怖いですから」
「誰が、顔が怖いだ」
自分で殴っていれば世話がないと樹は思った。
シフォンは樹に跪く。
「イツキ・カワサキ様。此度はわたしの失態で窮地に陥ったところ、アナタの活躍で助かることができました。感謝しております。この恩義、返させていただきいので何なりとお申し付けください……いや、実現可能なものに限らせて頂きますが」
シフォンの申し出に、樹は考える。
今の望みといえば、元の世界に帰ることであるが、シフォンとショーンの二人に返す力があるとは思えない。
帰ったら帰ったで、それでいいのだろうか。
樹はちらりとMTBを見る。
「アナタ達に頼みたいことがないといえば嘘になるけど、その前に事情を説明させてほしい」
事態が余りにも急に動き過ぎているので、理解が圧倒的に足りていない。望みというのは大変なので簡単に決めていいものではなく、最適なものを獲るためには、考えるための時間が必要だった。
「奇遇ですね。わたしも説明が必要だと思っていた」
シフォンの表情がショーン臭くなった。
「あの道具についてイツキは説明するとおっしゃいました。私はぜひともあの道具に知りたいです。ズラトというのが、あの道具の名前ですか」
「あの道具?」
ショーンがMTBに気づいた。
「おい、ガキ。あの道具はなんだ。とっとと教えろさっさと教えろ。でないと殺すぞ」
樹木のほとんどが倒れた空間に、マットが敷かれて、中央にバスケットと水筒が置かれる。
風に死臭がたよい、ちらほらと肉片らしきもの……小山のように巨大な肉塊が見えるが樹は気にしないことにした。気にしたら敗北である。
休ませてくれたおかけで、樹も起き上がる程度には回復した。
バスケットを開けると、角が切り落とされたパンの白さが眩しいサンドイッチが、隙間なく入っていた。
「これは?」
「シエラの嬢ちゃんが作ってくれたものだ。喰えや」
「いただきます」
食べてみると、パンの柔らかさとキャベツの触感、そして肉のうま味が渾然一体となって一気に爆発した。
「うまいっす」
樹自身が作るのは当然のこと。これほどのでにうまいサンドイッチを食べたことはなかった。ミシュランはともかく、それに近づく味ではあった。
「あの嬢ちゃんは色々と問題あるが、料理はうまいからな。オレも喰うからあんまり喰うなよ」
その量がはある。
「余裕があったんですか」
「余裕?」
「その…お茶会ができていますから」
樹が用意していたのはカロリーメイト数切れだったということを考えると、これだけの量を持ち歩けるのは驚きだった。
「赤毛狼はそれほど強い敵ではないから、ピクニック手柄で行けるということだ。何処かのバカ弟子が抜け駆けしなきゃ苦労はなかったんだがな」
シフォンが怒られたように肩をすくめた。
「そそれより、いい加減にアナタのことを教えてください。イツキ」
話題の転換のように見えなくもないが、樹は立ち上がった。
筋肉はまだ硬いが、それでもさっきよりは柔らかくなっていた。
いつもよりも、歩幅が短い足取りでどうにかMTBの側まで、たどり着く。
「みなさん、まずはこれを見てください。自転車といって、サドルに跨ってペタルを漕ぐと走り出す乗り物です」
ママチャリならともかく、スポーツ車での騎乗だけというのは難しいので、指を指して説明する。
「ですが、これは普通の自転車ではありません。非常に特殊なものです。閃光がでますので注意してください」
「さっさとやれや。ガキ」
ショーンは相変わらず、シフォンはちびっ子のように期待感を込めて、樹とMTBを見る。
樹はボトムチューブ下の、いつもレバーを引いた。
一瞬の閃光と共に、MTBは幼女へと変化する。
……ちゃんと服は着ているようだ。横浜FCのレプリカユニフォーム。
「よう。生きていたか」
「なんなんだ、今のは。もう一回やってみろ、イツキ」
唐突の変化にショーンは驚いていた。無機物から有機物に変化したという現実が納得できずに、樹に喰ってかかった。
「そんな元に戻せって、無茶言わないでください」
「これは命令だ。元に戻すか、死ぬか好きな方を選べ」
選択の余地の無さに、樹はズラトを見るが、ズラトはズラトで事態が進んでいた。
「ズラトちゃんかわいいーーーっっっ なんてこんなにかわいいの。だいすきーっっっ!!」
「スリスリするなー。助けてくれ、イツキー!!」
シフォンに抱きつかれ、生体抱き枕として、髪や角を撫で撫でされたり、頬や胸に頭をすりつけられるズラトを見て、樹とショーンは苦虫を何匹かすり潰した後に溜息をついた。
「あれじゃ、無理だな」
「無理っすね」
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