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睦月の桜が咲き誇るころ  作者: 白糸雪音
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第二章 プロローグ

 遠い記憶を思い出すと、私はいつも後悔という言葉も思い出す。自分の正直な気持ちをまげて、ただ相手のことばかりを気遣ってそうしたと。ただ弱い自分を守るためのことだったのに。

 だからなのか、私は今でも彼のことを忘れることができない。心の深くに封じ込めている、この想い。なんてことないことで簡単に私の全部を支配するのだから、これは私の病気よりも質の悪い呪いだ。

 そんなことを考えて、私は自分の白く、細い指を見つめる。ぼーっと見つめるその指に、小さく、白い手が重なる。

 小さいころ、まだ私が自分の故郷にいたころにはめてもらった指輪を思い出す。

 彼がマリーゴールドで作ってくれた指輪。それを照れ臭そうに私の左の薬指にはめてくれたことを思い出す。彼は右手と間違ったなどと言っていたけど、あの時の真剣な目と、真っ赤な耳は今でも鮮明に思い出せる。

 くすりと笑って私は目を閉じる。今は彼が私のことを忘れて今を楽しく生きていることを思って。

 そう、望んでいるはずなのに、私の胸がチクリと痛む。

これは呪いのせいだ。そう決めつけ、私は真っ白の布団をかぶる。

自分の心の中に蓋をするように。深く眠り、思い出さないように。



 心臓の病気で入院し始めて、早二年がたった。いつも通りの窓から見える景色は夏空で青々と輝いていた。外はすごく暑そうで、それでいて生にあふれている、そんな印象を受ける。私のいるこの真っ白で少し肌寒いぐらいの部屋とは対照的だ。

 私もこんな空の下で汗を流しながら駆け回りたい、いろんなところに行って、笑いたい。そんな風に思いながら、手元の本に視線を落とす。

 私が本を読んでいると、あわただしく扉が開かれた。

「あっついな~!!今日は異常に暑いぜ……」

「智樹、すごい汗だくじゃない」

 そう言って額の汗をぬぐう少年、智樹に私はあきれた声で話しかける。

「だって仕方ないだろー、チャリ飛ばしてきたんだから」

 不満げにそういう彼の額からはぬぐっても汗が滴っている。そんな彼に私はタオルとお茶を手渡す。

「はい、これで汗吹いて水分補給しな。倒れちゃうよ」

「サンキューな!」

 彼は受け取ってからタオルで雑に汗をぬぐってお茶を一気に飲み干す。

「ぷはー、生き返る!」

「なんかおっさん臭い……」

 彼の仕草をみて私はついあきれながらも笑ってしまう。そんな私を見て彼はにかっと笑う。

「ありがとな!朱里!」

 そのまっすぐに笑う彼の顔をみると私は何も言えなくなる。ただただ、見とれるだけだ。私とは対照的な、太陽のような彼。私ははかなげに、他人の力を借りなければ輝くこともできない弱弱しい月。だからこそ憧れ、焦がれるのだ。熱く、暑く、この夏模様よりもずっと熱く彼に恋焦がれるのだ。

「なんでそんなに急いでたの?」

「そんなのお前に早く会いたいからに決まってるだろーが」

 そう当然そうに言い切る彼を見て私は口元が緩むのを抑えることができなかった。

 私はずるい女だ。わかっていて聞いた質問。そう帰ってくると思って、そう帰ってきてほしいと思って言った言葉。

 だからなのだろう、思っていた言葉が返ってきて私はこの喜びを隠すことができないのだ。

「ふ~ん、そっかぁ~。ふ~ん、うふふ」

「んだよ、その顔……」

 彼は少し照れ臭そうにそうぼやく。きっと今の私の表情は緩みに緩み切っているのだろう。でもこの感情を止めることはできない。

「いや~、ただうれしかっただけだよ~~」

「いつも言ってることだろ……」

 そう照れ隠しであきれ顔でいう彼を見て私はさらににやけが止まらない。

 好きだ。私は彼のことがどうしようもなく好き。ただそれだけがわかる。そしてそれが私の生きる希望なのだ。

「そうだけど、私は嬉しいのー!」

「なんで……」

「だって、私にはもう智樹しかいないから。もう私はみんなとは違うからさ……」

 食い気味に、彼の言葉を打ち消す。この少し肌寒い病室と、壁一つ隔てた灼熱の外とでは生きる世界が違う。私の味わえない世界。本当の意味で、知ることのない、外の世界。

 私はただただうらやましく、外を見る。その視線の先に咲くきれいな花々と青々と萌える木々は私の世界にない色をしている。

 この寒い病室が私の心までも寒く、冷たくしている気がしてしまう。それは気のせいのはずなのに、私が悪いだけなのはわかっている。でも、それでも私の不安で心が寒く冷たくなっているのだ。

「そんな風に言うなよ。いつかは一緒に外に行けるだろ?一緒にいろんなとこを見て回れるじゃないか」

「そうだといいね……」

 そんな私を気遣ってか彼は私の目をしっかり見つめてそう言ってくれる。その目からにげるように視線を逸らす。

 しかし、それはあきらめていること。幼いながらにもうあきらめつつあること。手術をして、よくならず、ずっと私はこの病室にいる。そんな生活が、私に諦めの感情を持たせ、外界との距離を感じさせる。

 だからこそ、私はこうも簡単にため息をついて、彼の言葉を素直に受け入れることができない。

「そうに決まってるだろ、じゃないと俺が困るだろ……」

「なんで智樹が困るのよ」

 そう言って私が窓の外から視線を外さないようにしていると彼が私の手を引っ張って彼のほうを向かせる。

「似合うと思って作ってた……。だから遅れた」

 そう真っ赤にした顔で彼は言う。彼の握った私の左手には黄色いマリーゴールドがはめられていた。薬指にちょこんと、咲いていたのだ。

「雑で、汚いかもしれないけど、今度は一緒にきれいに作ろうな」

 自分で向かせたくせに、私のほうを向かずにそう告げる。代わりに見せる彼の真っ赤な耳が、彼の表情を雄弁に語ってくれる。

 そんな彼を見て私は吹き出してしまった。

「ふふ、何それ。左でいいの?顔、真っ赤だよ?」

「なっ!ま、間違えたんだよ!右手と!」

 そう言って彼は私の左手から指輪を外そうとする。私はその手をやさしくつかんで制止する。

「このままでいいよ……。このままで」

「あ、朱里……」

 じっと、指輪を見ながら私はそうつぶやく。彼のくれた指輪は私の世界に入ってきた初めての色。色あせて、心から抜けて行ってただただ白いだけの退屈な世界に入りこんだきれいな黄色。

「いつか、絶対に、一緒に作ろうな。マリーゴールドで」

「うん、そうだね。絶対、一緒に作ろうね」

 私の世界に色をくれるのは、私の世界を壊してくれるのはきっと彼。彼だけが、私をこの退屈な世界から救い出してくれる王子様なのだ。

 つまらなくて、どうしようもないほど怖いこの世界。短く、まっすぐに広がっていくこの世界が、もしいつか壊れるのなら、その先に広がる世界はきっとあなたと一緒に歩む世界。だからこそ、私はこの指輪を見つめる。この、マリーゴールドの指輪を。

 彼はきっと知らずにこの花の指輪を作ったのだろう。

 マリーゴールドの花言葉は、変わらぬ愛。

 少なくとも、私のこの想いは変わらない。私の世界が朽ち果てて消えようとも、変わらない。ただ、あなただけを好きでいる。変わらない、想いなのだ。




 熱い、暑い。ただただあつい。そんな灼熱ともいえる日光が降り注ぐのを恨めしく眺める。家を出て一歩目で出歩く意欲をそぐそんな暑さ。俺はその状況をただ恨めし気に眺める。

「あー、こんなことしてる場合じゃねえ。早くいかないと」

そう言って俺は自転車にまたがる。サドルが熱い。ズボン越しにわかるぐらい熱くなっている。それがまた外出の意欲をそいでくる。だが、そんなこと程度では止まれない。

 今日はいつもより早く出なければいけない理由があるのだ。

 自分に活を入れて自転車をこぐ。しばらくこいでいると目的地が見えてきた。俺がいつも通っている小学校。そこの花壇だ。

「あ、中川先生。もう来てたんだ」

「おー、五十嵐。先生は夏休みでも仕事があるから来てるんだぞー」

「そんな夢のないこと言わないでくださいよ……」

 先生の中で一番仲のいい、理科の先生である中川先生がすでに花壇で待っていた。先生はいつも花壇の手入れをしており、今日も農作業をする格好で花壇の手入れをしていた。

 俺はいつもその作業を手伝っており、今日はお願いがあってきていた。

「ははは、すまんな。だが、案外悪くはないものだよ。こうして生徒が草花に興味を示してくれるんだからな」

「まあ、理科は嫌いじゃないし、こういう作業も嫌いじゃないからね」

 そう言って俺はいつも通りに作業を手伝い始める。中川先生がすでに作業をしていたこともあって十分ちょっとで作業が終わった。

「じゃあ、約束通りマリーゴールド一本もらっていいよね?」

「ああ、かまわないけど、何に使うんだ?」

 そう、約束とはマリーゴールを一本もらうことだ。その約束について中川先生は疑問に思ったようで訪ねてくる。

「いやっ、それはー……」

「はは~ん、さては女だな!」

 にやにやと、いやらしい顔をして中川先生はそう言ってくる。その発言に俺は図星を突かれて反応してしまう。

「なっ!なんで!」

「図星かー」

 中川先生は汗をぬぐいながら半笑いでそう言う。テキトー言ったのにうまく引っかかってしまったのか……。悔しい……。

「五十嵐、普段は優秀でいい意味で子供っぽくないけど、こういうことには年相応だな」

「なんだよ、生意気ってこと?」

 しみじみとそういう中川先生に俺は唇を尖らせてそういう。その顔を見てか中川先生はけらけらと笑う。

「違うよ、きっとそれが本当の五十嵐なんだなって思ってうれしいんだよ」

「なんだよー、それ」

「彼女とかか?」

 その言葉に、俺は少しチクリと胸が痛む。

「いや、彼女とかじゃないよ。ただ、好きなだけ」

「なんだ、告白とかしないのか?」

 できるわけがない。今も戦っている彼女に、気軽に告白なんてできない。同じ重みを背負うことのできない、力のない自分にはまだできない。

 でも、いつか彼女を背負い、彼女のことをすべて受け入れ、守っていけるようになったなら、絶対に告白するのだ。

「うん、今はできない」

「そうか、まあ、学生のうちはいろいろ悩むといいぞ。いい思い出にも、成長をするきっかけにもなる」

 中川先生は花壇を眺めながらそう強く言う。その言葉にはいろいろな思いが込められてそうで、俺の胸の中に強く響いた。

「なんか先生みたいだね」

「先生なんだよ」

 俺の軽口に中川先生はどや顔で対応する。

 そんな表情をみて俺はたまっていたこの緊張に似た思いが軽くなっていくように感じる。

「はは、そうだった。でも、そう遠くないうちに言うよ。大好きだからさ」

「おう、そうか。なんか大人っぽいな、お前」

 未来の光景に思いをはせて、俺はそう言い放つ。強く、絶対にかなえるのだという思いを込めて。その表情を見て、中川先生は驚いたように言葉をこぼす。

「彼女いない先生にはわかんないよ」

「うるさい、お前も彼女はいないだろ」

「まあね」

 ちょっと照れくさくてそう茶化す。その茶化しに気にしていたのか少し悲しそうに反論をする。そんな中川先生が面白くて俺は少し笑ってしまう。

 笑った後に、俺は立ち上がる。

「今日はこれを渡したくってさ」

「五十嵐……」

 そう言って俺はやっと完成したマリーゴールドの指輪を見せる。

 俺の吹っ切れたような表情を見て、中川先生は何か感じたようにやさしく笑う。そしてゆっくりと言葉をこぼす。

「意外にお前不器用なんだな」

「うるさいな」

 小ばかにしたようにそういう中川先生に俺はそう笑って解散する。

 マリーゴールドの花言葉は変わらぬ愛。理科室で見つけた本にたまたま載っていた。その時に思い付いたこと。伝わらなくてもいい。ただ、彼女に自分がわかるように示すこと。

 俺の、変わらないこの想いを。

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